きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.8.1 東京日仏学院




2007.8.30(木)


 西さがみ文芸愛好会の運営委員会が小田原で開かれました。主な議題は9月26に開催される、恒例の〈文芸を楽しむ会〉の企画です。案内葉書も出来てきましたので下記します。

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西さがみ文芸愛好会〈文芸を楽しむ会〉
 郷土ゆかりの詩人たちが作詞した懐かしの歌謡曲を楽しみましょう!
【期日】9月26日(水)13時〜15時
【会場】小田原市民会館 第3会議室(5F)
【会費】500円(茶菓代)
【内容】武島羽衣〈花〉 北原白秋〈砂山〉 藪田義雄〈三日月娘〉 大木惇夫〈国境の町〉 西條八十〈誰か故郷を想わざる〉 蕗谷紅児〈花嫁人形〉 山口洋子〈誰もいない海〉
〈美しい日本の歌を伝えてゆく会〉のみなさんによる歌唱と、会員の朗読をお楽しみください。
主催 西さがみ文芸愛好会

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 会員の朗読をお楽しみください≠ニありますが、私も朗読をすることになっています。大木惇夫の詩「酒匂川」と「赤き屋根」です。他人の詩を朗読するというのは久しぶりで、練習しないといけませんね。
 近隣の思いつく人には案内葉書を出しますが、10枚しかありませんのでご容赦ください。おいでくださる方は 
pfg03405@nifty.com までご一報いただけると嬉しです。終わったら小田原の夜を楽しみましょう!



湯山厚氏著『民話・昔話の考察』
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2007.8.1 神奈川県小田原市
西さがみ文芸愛好会刊  1500円(本体)

<目次>
はじめに…3
■西さがみ地域に関わる民話・昔話
箱根伝説「百里走る馬」 豊島与志雄「天下一の馬」との関連…11
小山町に伝わる「用沢小僧」のこと…17
民話「竜宮女房」考 石井研堂『全国国民童話』を探る…24
古今集の東歌 「こよろぎの磯たちならし……」について…43
漂白の歌人僧愚庵 その小田原時代に触れて…53
■民話・昔話の性質
民話・昔話の謎 「豆とわらと炭」・「味噌買い橋」をめぐって…65
「隣の爺型」の民話・昔話 「花咲じじい」・「舌切り雀」・「おむすびころりん」…74
昔話「あとかくしの雪」と「変わり米の話」…84
西鶴の「蛸売り八助」のこと 現実が芸術を模倣する…90
秀句話「子守歌内通」山と山とを重ぬべし=c97
江戸小咄に見る「貧乏神」…104
算盤で錠前を破る話 「世間話」の視点から…110
■文献の探査
白穏さんをめぐって…121
モラリスト西鶴(上) その教育観(児童観)…127
モラリスト西鶴(中) その女性観(恋愛観)…136
モラリスト西鶴(下) 意地、男のそれと女のそれと…144
与謝蕪村の「俳体詩」…155
トルストイの「王さまの新しい衣裳」 アンデルセンとの関連をめぐって…165
馬替へわが背 「山内一豊の妻」の話の先蹤…175
足柄上郡狩川左岸の万葉歌碑 その表記に関わる疑義…186
「和乎可薙夜麻」考 「阿之賀利」抄自註…199
■身近に聞いた話から
生みの母 そしてロッパのことなど…207
ふたりの叔母の話…216
「呼ばる狸」・「狸の砂かけ」の話…221
解説(播摩晃一)…227
人名索引…254  地誌索引…252  書誌索引…251  事項索引…249



 秀句話「子守歌内通」
  山と山とを重ぬべし

●昔話は素朴で親しみやすい?
 昔話、それは、もともと口承のもの。そして、それは、
 「いつの頃とも知れぬ遠い昔、どこの誰とも知れぬ人の口に発せられたそれが、親から子へ、子から孫へと語り継がれて今日にいたったもの。したがってそれは、きわめて素朴で親しみやすいもの。」
と、こんなふうに一般には理解されているようだ。
 でも、はたしてそうだろうか。私には、このごろ、どうも、そうは思えなくなってきた。いや、むしろ、
 「昔話とは、意外に複雑。そしてそれは、われわれが考えている以上に知的なものではなかったのか。」
と、こんなふうにすら思うようになった。
 では、それはなぜに――。

●子守りっ子が歌う「山と山とを重ぬべし」
 話は、私がまだ、所帯を持って間もなくのことだから、もうかれこれ五十年も昔のこと。私はたまたま、家内の母親から、ほんの数話でしかないが、昔話を聞く機会があった。以下に引くのはそのうちのひとつ。

 山と山とを重ぬべし
 おっさん(和尚さん)が、山ん中で日が暮れてしまい困っていたら、あかりがひとつ見えたもんで、やっとそこまでいって
  「今夜ひとばん、とめてもらえめえか。」
 ってたのんだら、子守りっ子が出てきて、
  「おとまんなさい。」
 っていうもんで、とめてもらったんだって。
  夜中、ふと目がさめると、雨戸のむこうで、なんか声がするもんで、そっと外をのぞくと、さっきの子守りっ子が、おかしな歌をうたっている。そして、子どもが泣きやむと、お尻をつねってわざと泣かせ、繰りかえし同じ歌を歌うんだって。
  「リンカージンとガカジンと、ゴンすることをモンすれば、ソウをセッすと申すなり。山と山とを重ぬべし。」
 おっさんは、やっと歌の意味がわかったもんで、いそいで逃げて、いのちびろいしたって。

 この話、本来は、歌の謎を解くことにより危難を免れる「秀句話」の一種として、また、「子守唄内通」などとも題されて、その道の人には、結構に関心の持たれているもの。
 でも、家内の母親が、近所の「ふるぎや」(今の「スーパーふるぎや」)のおばあさんからこの話を聞いたのは、まだ小学校にあがって間もなくの頃だという。そうしたせいもあろうか、特に脱落部分が多く、少々味気ない上に、その意味も捉えがたくなっている。

●「きそうをせっすとごんします」とは?
 そこで、この話の面白さを知っていただくと同時に、あわせて、ひとひねりひねった、秀句話のユニークさを感じとっていただくべく、「きそうをせっすとごんします」と題する話の秀句、すなわち歌の部分を引用させてもらうことにする。(話者は岐阜県恵那郡の人、吉越大八氏)
 では、その歌とは――。

 りんかあじんとがかじんが
 ごんすることをもんすれば
 きそうをせっすとごんします
 ひとう ひとう ひとうヨ
 山に山を重ねて
 ちょうにしんにゅうかけなんせ
 ネンネンヨウ オコロリヨウ

この謎めいた、子守りのうたう歌を旅の僧はどのように理解したのだろうか。

 「りんかあじん」は、隣家
(りんか)
 「がかじん」は、我家
(がか)
 「ごんする」は、言
(ごん)する
 「もんすれば」は、聞
(もん)すれば
 「きそうをせっす」は、貴僧を殺
(せっ)
 「ひとう」は、日に十
(とお)で「早」という字
 「山と山を重ねて」は、「出」という字
 「ちょうにしんにゅうかけなんせ」は、「兆」に「」で「逃」という字

 つまり、歌の意味は、
 「隣りの人と、うちの主人と話しているのを聞くと、貴僧、すなわち、あなたを殺すといっています。どうか早く、早く、この家を出て逃げてください。」
と、まずはこのようになる。
 とにかく、こうして旅の僧は難を免れたという。

●したたかにして知的な昔話
 さて、このたぐいの話、もちろんこの話もふくめて、どういう人によって語り出されたのであろうか。昔話というものの性質上その特定は無理としても、「なぞなぞ」「文字遊び」等をふくめた「言語遊戯」はもとよりとして、漢字、漢学へのかなりの理解と素養の持ち主でなければ、到底考え及ばぬであろうことは容易に察しうる。
 と、このように昔話というものを見てくると、そうたやすくは、
 「昔話、この素朴にして親しみやすきもの――」
などとはいえなくなろうというもの。いやむしろ、冒頭にいったごとく、
 「昔話、それは、したたかにして、想像する以上に知的」
といっても過言ではないように思えるのだ。
 それにしても、なぜに、家内の母親からこの話を聞かされた、その時点でこの事に気づかなかったのか。
 五十年もたって、やっとそれに気づくとは、なんたる不明。不敏というほかはない。
   −二〇〇四・七・二一−

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 西さがみ文芸愛好会顧問の著者が、1997年から2006年までの10年間に地元の新聞に連載していた論考をまとめたものです。一部は私も新聞で拝読していました。文字通り「
民話・昔話の考察」ですが、視点に特徴があります。「きわめて素朴で親しみやすいもの」ではない、「意外に複雑」で「知的なもの」だという観点です。その代表的な「秀句話『子守歌内通』山と山とを重ぬべし=vを紹介してみました。一読してその面白さを感じてもらえると思いますが、全編こんな雰囲気で楽しめます。私は著者と同じ市内に住んでいますので、地元の地名も頻繁に出てきて、その面でも楽しませてもらいました。小田原市内の書店ではお求めになれると思います、ぜひ一度手に取って読んでみてください。お薦めです。

 なお、原文は37字で改行となっていますが、ブラウザでの読みやすさを考慮してベタとしてあります。ルビも同じ理由で( )に入れてあります。ご了承ください。



湯山厚氏歌文集『籠居抄』
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2007.8.1 神奈川県南足柄市 私家版 
1000円(本体)

<目次>
短歌篇
平成十七年一月 机辺…1
平成十七年九月 子らと唄へば…3      袋井油山寺
(ゆさんじ)…7
平成十七年十月 秋逝く…10         老残…15
平成十八年一月 朝陽抄…18         遠太鼓−長歌並びに短歌二首…20
平成十八年四月 師逝きたまふ…25      偶日…26
        地震
(なゐ)いささか…30
平成十八年八月 故郷
(さと)恋はば−旋頭歌…32 亡母(はは)恋はば−おなじく旋頭歌…33
平成十八年八月 旋頭歌に添へて短歌…34   亡母
(はは)よ実母(はは)よ…35
        夏盛る…38
平成十八年十月 問ひ訪はれ…40       朝な朝な…42
平成十八年十一月 木菟
(づく)…44
平成十八年十二月 非情…46         吾は杣人
(そまびと)…49
         師走…51
平成十九年一月 朝日子…53
平成十九年三月 里山…55          春いまだし…57
平成十九年四月 妻病む…59         殺生
(せつしよう)…62
平成十九年五月 故日…64          演歌悲しゑ…67
平成十九年六月 懈怠
(げたい)…69       籠居…71
        異変…73
歌文篇
釋迢空、足柄の民俗を歌う−「だうろく神まつり」を中心に…75
七重八重花は咲けども−太田道灌の故事によせて…85
馬替へわが背 『万葉集』に見られる「山内一豊の妻」の先蹤…95
私註『ことばあそびうた』−虫二題、「誰
(たれ)が名付けし」…107
『起きて見つ寝て見つ蚊帳の――』−加賀千代女のことから…109
少々長いあとがき



 七重八重花は咲けども ――太田道灌の故事によせて――

 私の庭には、山吹が数株あるが、いずれも一重。でも、従来、私の庭にあったそれは、いずれも八重。では、なぜに、今はそれがことごとく一重なのか。
 もう、かれこれ十年ほど以前のこと、花好きの義弟土屋昇さんと、庭の縁台でお茶を飲んでいた時である。その昇さんが、今を盛りと咲いていた山吹を見ながら、真顔でいった。
 「ところで義兄
(にい)さんよ、今、ちょうど、山吹が真っ盛りのようだけど、見たとこ、みんな八重のようだから言わせてもらうんだが、あれ、あんまり縁起がよくねえっていうじゃん。やめた方がいいと思うんだけどなあ。」
と。昇さんは、さらに続けていう。
 「だって、花はみんなそうだけど、八重だと、実がつかねえべよ。それで、昔っから嫌われてんだよ。人の嫌がることは、無理にすることはなかんべと俺は思うんだけどなあ。」
と。というようなわけで、今あるそれは、いずれもみな一重、と相成った次第。
 と、ここまで私がいったら、賢明な皆様方は、私が、なにをいおうとしているか、大よそ見当はついていらっしやるのではなかろうか。そうです。私が、これからいおうとしているのは、皆様が予想していらっしゃるそれ、すなわち、あの太田道灌の故事で知られる例の歌、すなわち、

  七重八重花は咲けども山吹のみの一つだに
  なきぞ悲しき

の一首についてである。
 ところで、この歌にまつわる太田道灌の故事であるが、お若い方々は別として、ご年輩の方々、つまり、我々、戦前戦中世代の者なら、大抵の方はご存知のはず。なぜなら、この話、国定教科書(『尋常小学国語読本』)に出ていたのだから――。
 ところで、その、〈七重八重花は咲けども――〉の一首をめぐる太田道灌の逸話とは? お若い方々のために、早速、全文引用、といきたいところだが、あいにくと、その国定教科書の復刻版がなぜか見当らぬ。というわけなので、差しあたり、ここでは、これまでも、しばしば重宝に使わせてもらった、『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店刊)でお許し願うとしよう。同大辞典はつぎのようにいう。

 *太田道灌・室町時代の武将(一四三二〜一四八六)。幼名鶴千代、のち資長(すけなが)。築城の名手(江戸城は彼の手になるという)にして勝れた軍略家。と同時に歌人としても知られ、その説話も、和歌にまつわるものが多い。その中でも、特に有名なのは、鷹狩りに出て雨にあい、ある小家に入って 蓑を借りるべく乞うたところ、出て来た若い女が、無言で山吹の一枝を渡したので、怒って帰ったが、のちにそれが、〈七重八重花は咲けども山吹のみの一つだになきぞ悲しき〉という古歌に心を託したものと教えられ、大いに恥じ入り、それより、和歌に心を寄せるようになった。(嶋中道則)

 右記述は、江戸中期の儒学者湯浅常山の手になる『常山紀談』に基づくものと思われるが、戦前の国定教科書に収録されているものも、内容的にはほぼ同じきものと思われる。
 こうした事情より考えて見ても、我々大正・昭和初期世代はもとより、ずいぶんと多くの人が知悉しているだろうことは容易に察しうる。
 でも、この話、それほどに知りつくされているにもかかわらず、この話の要
(かなめ)の部分ともいえる前掲の古歌、すなわち、〈七重八重花は咲けども――〉の一首については、単に古歌といわれるだけで、その出自のほどはとなると、国文学、わけても、和歌、あるいは歌学に些か心得のある人を除いては、ほとんど知られていないといっても過言ではなかろう。
 では、その肝心の歌の出自、出所(でどころ)であるが、それは、古歌の名にふさわしく、遠く平安の中期にまでさかのぼるという。
 そこで、こうした、少しく入り組んだ事項の検索にはうってつけの『名歌名句辞典』(三省堂刊)で、問題の、〈七重八重花は咲けども――〉を探って見ると、やはりあった。兼明親王(かねあきらしんのう)の作として、以下のように――。

 *兼明親王 平安中期の皇族、漢詩人。醍醐天皇の第十六皇子。『後集遺集』(ごしゅういしゅう)に入集。

  七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞあやしき

   この歌、意味するところは、七重にも八重にも山吹は咲くが、実を一つもつけない(お貸しする簑ひとつさえない)とは、おかしなことである――。
   右歌は、親王が嵯峨の山荘にお住いの頃の作。雨の日、蓑を借りに来た人に、親王は、蓑は貸さず、かわりに山吹を与えたところ、翌日、なにゆえの山吹なのかわからない、と言って来たので、返事として詠み贈ったという。なお、結句を(かなしき)とする異文もある。後の太田道灌の逸話は有名。(田中幹)

 なお、念のためにも、と思い、『典據検索名歌辞典』(中村薫編著・日本図書)を見ると、こちらの方は、結句を異文とされる方の(悲しき)として出ていた。
 とにかく、山吹の一枝をめぐっての故事は、いずれも、彼道灌を風雅を愛でる高邁な武人にして文人というふうに説くのだが、しかしそこを、いや、それだからこそだろう、江戸の洒落者、粋人たちは、ひと捻り捻って、つぎのような狂句をも物しているのだ。

  気のきかぬ人と山吹おいて逃げ

などというふうに。つまり、主人公道灌を、風流を解せぬ、武骨一点張りの野暮天、一方のしおらしくも奥床しい里の乙女を、江戸のおちゃっぴいに見立てての趣向というわけである。(狂句についての解説部分は『日本架空伝承人名事典』より部分抄出)

 ところで、少々まわりくどい言い方をした嫌いなきにしもあらずだが、でも、末尾に附記した、軽い部分を除けば、道灌の人となりを説く説話は、いずれも高尚にして典雅。主人公道灌の詩才に恵まれた文人としての側面をも、余すところなく伝ええている。わけても、ここに引いた、山吹の一枝をめぐってのショートショートはその典型ともいえる。
 にもかかわらず、この物語の、副主人公ともいえる、里の乙女については、さして筆を費していない。描かれているのは、わずかに無言のまま、うつむいて山吹の枝を差し出す、その仕草のみ。また、二人の出会いが、きわめてドラマティックであるにもかかわらず、その後の乙女の消息については、まったく触れるところはない。
 でも、それは、考えてみれば当然のこと。なぜなれば、これまでの記述は、国定教科書に登場する一教材の解説といった範囲のもの、それ以上のものではないからである。
 でも、世俗的には、彼道灌の人となりについては、種々と取沙汰もされてきたようである。となれば、例の、山吹の一枝をめぐっての二人の出会いのその後も、彼のユニークな人柄の、そのわけ知りの部分として伝えられているはず。
 例えば、さきに引いた、山吹の一枝をめぐっての逸事が、湯浅常山の『常山紀談』に収められる以前に、いちはやく、江戸期のくだけた江戸ことばによる小説である談義本『艶道通鑑』(増穂残口)には、
 「その後の道灌は、件
(くだん)の女に語らい寄り――」
といった、ちょっときわどい記述も見えるという。そしてさらには、こちらの方はその出所のほどを明確には示していないが、永田義直氏は、『日本の偉人の逸話』(金園社刊)の中で、山吹の一枝を差し出した女性を、応仁の乱を逃
(のが)れ移り住んだ由緒ある武士の娘とし、その彼女の歌の才を愛し、道灌は、彼女を側女(そばめ)として召し抱え、歌の友とした旨を記している。そして、彼女は、道灌の死後、出家し、尼となり、大久保に庵を結び、終生道灌の菩提をとむらった、とまで記している。
 とまれ、この様に見てくると、太田道灌なる仁が、高邁な風雅を友とする武人であり文人でもあった多才な人物であったことがよくわかる。と同時に、結構、訳知り(わけしり)の、ついでにいわせてもらうなら、やってくれる、なかなかの人物であったということもわかろうというもの。あまり大きな声ではいえないが、正直のところをいうと、私は、偉人太田道灌よりは、むしろ、訳知りの人道灌の方により惹かれるのだ――。

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 こちらは短歌集と短歌にまつわる歌文集です。私は短歌について門外漢ですので、ここでは私にも馴染みのある「太田道灌の故事によせて」の全文を紹介してみました。馴染みのある≠ニは書きましたが、さすがはその道の専門家、奥行きの深さと拡がりには勉強させられました。「花好きの義弟土屋昇さん」という身内から始まって、専門書を駆使しての論考の幅広さには圧倒されます。なかでも「狂句」は秀逸。こういう遊び≠ェ読者を惹きつけ、また著者の文章の特色とも思います。短歌に疎い私でも楽しんで拝読させていただきました。

 なお前掲書と同様に本文はベタ、ルビは( )内としてあります。さらに最終部の「やってくれる」には傍点が付されていますが割愛させていただきました。ご海容ください。



隔月刊会誌Scramble89号
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2007.8.26 群馬県高崎市
高崎現代詩の会・平方秀夫氏発行  非売品

<おもな記事>
○花輪の人…今井道朗 1
○私の好きな詩 中原中也 ことばのリズムの魅力…清水由実 2
○武井幸子詩集評 時を刻みつづける花時計を読む…金井袷美子 3
○会員の詩…5
 吉田幸恵/横山慎一/遠藤草人/芝 基絃/清水由実/福田 誠
○詩集紹介 曽根ヨシ/佐藤正子/関根由美子…8
○編集後紀…8



 とり残されて/清水由実

眼の片隅で
人影が動いたようだった
振り向くと
レジ前の黄色の花束が
香りを放っている

十二月のある晩
灯りはずっと点いていた
小雨の降る闇に巡査がやって来た
隣人の家に鑑識の数人の足音

誰も気づかず 音もせず 揺らぐ心もなく
その人は一人で逝ってしまった

かつて薔薇のアーチがあった家は
その人が戻って来てから
藪枯らしに覆われ竹笹が蔓延った
相次いで親が亡くなり
その人はとり残された

身体も精神も
多少の不具合があったその人は
いつも自転車を引きずって歩いた
朝早くにスーパーへ行き漬け物を買った
真夜中その人の歌声に眼が覚めた
いつ知ったかわからないが
わが家の前を通る時私の名を呼んだ

電気ストーブが点いたままの台所は
散乱しビニール袋の山だったが
亡骸になったその人は怖くなかった
その晩台所を見下ろすベランダに
私は塩を盛った

相変わらず隣家から藪枯らしが伸びてくる
そのブロック塀の隙間から
梔子の花が風に揺いだりしている

 「身体も精神も/多少の不具合があったその人」が「とり残されて」「一人で逝ってしまった」という作品ですが、現代の象徴のようにも思います。「誰も気づかず 音もせず 揺らぐ心もなく」逝ってしまう人は意外に多いのかもしれません。「私」は「わが家の前を通る時私の名を呼んだ」ことに恐怖に近いものがあったのでしょうか。「亡骸になったその人は怖くなかった」というフレーズからそれを感じます。しかし基本的には憐憫の情だったのでしょう。「その人はとり残された」という詩句はそれを物語っているように思いますし、最終連の「そのブロック塀の隙間から/梔子の花が風に揺いだりしている」光景に「私」の気持ちが出ているように思います。重いテーマに考えさせられました。



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