きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
070820.JPG
2007.8.20 神奈川県真鶴半島・三ッ石




2007.9.4(火)


  その2  
その1へ



村野民子氏著『いい顔になった』
iikao ni natta.JPG
1991.10.30 東京都国分寺市 武蔵野書房刊 1900円+税

<目次>
吹雪…5
墓標…93
いい顔になった…177
あとがき…245



 喜怒哀楽の中で最も発散しにくく心中深くいつまでも凝
(しこり)となって残るのは怒であろう。哀しみを被いつくす怒りや憤りの蓄績につき動かされて「墓標」を書き始めた。
 モデルとした国立大学病院で、作中の夫≠ェその詳細を教えられることなく実施された大動脈カテ永久挿入法≠ニでも称すべき方法について、某私大医学部関係者に問い質したことがある。答えは「そんな乱暴な方法は私大ではとらない。患者の身になれば出来るわけがない。人体実験じゃないか」というものであった。
 この連作の例とは違って、職場の集団検診で初期の癌を発見され、手術して、半年後には完全に社会復帰を果たした例を知っている。この場合は本人も病名を知らされており、その故に医師の指示に忠実であった。夫≠ヘ告知されておらず、その故に体力を超える行動を周囲の者は止めることができなかった。人間不信にも陥った。その場逃れのためではなく、患者も人として認めるゆえの告知の技術も医療の一つとして考えられるべきであろう。
 創作とはいっても、この連作が現に病んでいる方や、その家族の目に触れたら快くは思われないだろうとの危惧がないではない。しかし、この作が医療に関心を持つ人々の中の一人でもの目にとまって、密室の中の縦関係で成り立っている非情な医療が、より広い討論の場を得て、人間が人間として扱われる医療となるのに必要な万の灯の中の一灯ともなれば、これに過ぎる喜びはない。

--------------------

 紹介したのは「あとがき」の部分です。目次の「吹雪」「墓標」「いい顔になった」は短編ではなく、それぞれの章立てです。夫≠フ発病から「いい顔になっ」てまでの死が綴られています。今から20年ほど前の医療現場を描いていますが、「国立大学病院」と「私大医学部」との関係、「密室の中の縦関係」は基本的には変わっていないのではないかと想像しています。「告知の技術」はこの20年で大きく変わったのでしょうが、その原動力にこの作品も寄与しているのではないかとも思っています。
 そのような終末医療の実態を描きながら、この作品はやはり文学、夫≠ニ「わたし」という人間を描ききっています。そこには医療の問題を超越した人間としての夫婦関係を見ることができました。「怒」に苛まれながら夫≠献身的に介護する妻の姿が見事です。まだ在庫があるかどうか分かりませんが多くの人に読まれることを願っています。



『江口榛一著作集』第二巻 小説・童話編
eguchi shinichi chosakusyu 2.JPG
1992.5.30 東京都国分寺市 武蔵野書房刊 5800円+税

<目次>
T 小説
振幅の度合…6    ツィゴイネル ワイゼン…77
近所合壁…113
.    死人の顔…153
暗礁…182
.      赤貧譚…249
地の塩の箱…264
.   偽修道院…341
聖降誕節…380
.    青い木の枝の箸…473
U 童話
鯉…504
.       星も見ていた…517
ヒグラシの歌…520
初出一覧…533
.    解説 菊田義孝…535



 ここで「地の塩運動」というのをあらまし説明すると、「地の塩の箱」という名の、一見小鳥の巣箱か牛乳受け箱みたいな箱を、なるべく人の集散の多い場所にかかげ、設立者は原則として毎日最低一回は寄金に通う。箱の表には「何らかの事情で小額の金にお困りのかたは自由にこのなかからお持ちください」そう書いてある。もちろん取出し口には鍵なんぞはなく、自在に開閉するから、欲しい人はだれにことわる必要もなく、それこそ文字どおり「自由に」使ってよい。ちなみに現在小規模ながら国際的段階にはいっていて、その国際ナンバーは六九二まで来ている。春吉がこれをはじめた動機は、彼のハルビン時代の新聞社の同僚が、ある事情で落魄して一家心中寸前のところを彼に救われ、そして当時T市に住んでいた春吉を頼って東上してきた。その五人家族のために春吉は家を探してやったり、さる大製鉄会社のT工場に臨時工ながら就職の世話をしてやったり、ほとんど死にもの狂いの援助をした。にもかかわらず臨時工の乏しい収入では一家は暮せず、もちろん春吉にはかくしてだが当時十六歳の長女を青線地帯に出すに至った。偶然のことからそれを知ったときの彼の驚愕と、そういう会社・そういうことをせざるを得ない社会と国家に対する墳りは、ほとんど言語に絶した。……とまあそれが直接の動機ではじめたわけだが、根本的にはキリスト信仰の一端がたまたまそういう形でほとばしったのであること、いうまでもない。すなわち彼の主であり彼のすべてであるところのナザレの大工のせがれの、イエスなる男の、「おのれを愛するごとく汝の隣りを愛せ」「人にせられんと思ふことは人にもまたその如くせよ」を、ささやかながら行為にあらわしたにすぎないということ。しかし同時にそれは、その箱の名の示すがごとく「汝ら地の塩たるべし。塩もしその効力をうしなはば、なにをもてこれに塩すべき。云々」であるから、設置者たる者断じて虚偽の言など吐くわけにはまいらぬ。いわんや創始者とその妻においてをや! 谷子が彼のことをしばしば嘘つき・我利々々亡者・エトセトラ……とそう攻撃したり追い出したりしようとするのは、ひとつは、彼がついなにかのはずみで人にかりそめの約束をして、しかしそれを実行しなかったり、貧乏で、つねにほとんど薄氷上の生活だものだから、つい箱への寄金を節したり、運動のことをきいて遠来近来して救援を求められる、そういうときつい渋ったりすることが多いからで、彼女の彼への反抗もかならずしも、たとえば、ある作家の著わした「人相教室」なる本の指摘する「富士びたいの女は夫に反抗する性格」によるもののみではなかったのであ
る。……

--------------------

 知る人ぞ知る、「地の塩の箱」の創設者・江口榛一(1914〜1979)の著作集・全四巻のうちの「
第二巻 小説・童話編」です。もともとは詩人としての出発ですから第一巻は詩・短歌編となっているようです。「地の塩の箱」は1956年に第1号が千葉県に設置され、その後、全国、全世界に波及したとのことですが、現在では国内に数箱という状態のようです。
 紹介したのは「聖降誕節」の部分です。「地の塩の箱」について最も端的に書かれたところです。まずそれを知ってもらたくて紹介しました。「根本的にはキリスト信仰の一端」としての「春吉」の動機が述べられ、いかにも聖人君子然たるものを感じますが、内実はそうでもありません。文中にも「嘘つき・我利々々亡者・エトセトラ……」とあるように、実に魅力的な人物です。この第二巻は、そんな人間くさい江口榛一の私小説と言ってよいでしょう。「U 童話」を含めてそう思います。
 私は「地の塩の箱」程度のことしか知りませんでしたが、この巻で多くを勉強させてもらいました。「地の塩の箱」という理想と「嘘つき・我利々々亡者・エトセトラ……」という、謂わば性格破綻との間に詩が存在しているように感じました。時間が許せば研究したくなる文学者です。



故旧同人誌『玄黄』6号
genko 6.JPG
2007.5.31 東京都国分寺市
武蔵野書房発行  1500円+税

<目次>
〈現在への発言〉国体論と帝国憲法 靖国神社と大日本帝国(二)…月村敏行…2
〈詩〉寝覚めの今/私の誕生日でもある 他32篇…徳重敏寛…67
老年覚え書(2)…松原新一…82
陰と日溜り その一 マツの年輪…梶野吉郎…98
西田幾多郎書簡 追悼 日野出英彦…月村敏行…119
作家を聴く(一)懐かしい声に 三枝和子さんのラジオ作品(三)…斎明寺以玖子…125
編集後記…月村敏行…147



 (9)その道を通って/徳重敏寛

慣れっこになるって
どういうこと?って
きっと彼等
言うだろうな。
見る程のものもない、なんて、
考えられない、
そう、
きっと
彼等言うだろうな。

あちらの道は
慣れっこになってしまって、
それに
見る程のものもないから
(や)めとこう。
−そう思って、
路線変更
歩き始めたこの道だったが、
そこでばったり出会った彼等、
襁褓
(おしめ)を付けた子も混じって、
五人ほど、
網を手にして走って行ったのだが、
慣れっこになって
通る気のしない
そんな道など
無いに決まってる彼等、

どの場所も珍しく、
どの時も驚きをもたらしてくれる
そんな世界に生きているんだろうなぁ、きっと。
私も
今生において、
もう一度
繰り返しのないその世界に
立ち戻ることが出来るであろうか、
−ひたすらに観る、
その道を通って。

 浅学にして表紙の意味から判りかねた同人誌です。恥ずかしいことではありますが辞書を引いてみました。「故旧」は昔からの友人、ふるなじみ=A「玄黄」はげんこう≠ニ読み天の色の黒と地の色の黄、天地≠ニ、私が使っている中では一番小さな辞書に載っていました。そんなことも知らなかったのかと恥じ入るばかりです。

 紹介した詩作品は目次に「他32篇」とある通りで、その中の「第一部 自然と子供」から抜粋してみました。大人にとっては「慣れっこになってしまって、/それに/見る程のものもないから/止めとこう」と思った道でも、「襁褓を付けた子も混じって、/五人ほど」の子どもには「慣れっこになって/通る気のしない/そんな道など/無いに決まってる」という視線に新鮮な驚きを感じました。考えてみれば当たり前のことですけど、そこを捉えることができる作者の感性に敬服しました。

 巻頭の月村敏行氏「〈現在への発言〉国体論と帝国憲法 靖国神社と大日本帝国(二)」は、これもまた勉強させられた論考です。大日本帝国憲法では明示されていない「国体論」がいかに国民に浸透していったか、それ抜きには帝国陸海軍の行動を解明できないし、戦後の視点にもそれが欠けているという指摘には納得させられました。私事になりますが、高村光太郎の「暗愚小伝」を中心に精神構造の変遷を研究したいと思っていますが、大いに示唆を受けています。



   その2  
その1へ

   back(9月の部屋へ戻る)

   
home