きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.8.20 神奈川県真鶴半島・三ッ石




2007.9.11(火)


 今日は9.11。信じられない映像を見たのは、もう6年も前になるんですね。犠牲になった方のご冥福と、イラク戦争の早い終結を願っています。

 そんなことを思いながら今日は原稿を2本仕上げました。ある人の詩集とエッセイ集が同時に出て、その書評を2冊ともお前が書けということなので、書きました。どちらも4枚程度の短いものです。いずれ図書新聞に載るそうですから、機会のある方はご覧ください。いつ載るか判りませんが、知らせが来たらここで公表しますけど、半年ぐらい先かもしれません。
 新聞は神奈川新聞や地元の神静民報、珍しいところでは熊本日日新聞なんてのに書いてきましたが、図書新聞は初めてです。見本をもらってありますので、どんな感じになるかはだいたい判っていますけど、やっぱり載ったところを見たいですね。楽しみです。



文芸誌『扣の帳』17号
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2007.9.10神奈川県小田原市  500円
青木良一氏編集・扣の帳刊行会発行

●目次● ◇表紙 木下泰徳  ◇カット 木下泰徳/宮本佳子/秋山真佐子
小田原の文学発掘(11) ペンで近代を開いた人−北村透谷のこと…岸 達志 2
謡曲・能「北條」の復曲について…佐宗欣二 18
足柄周辺の碑文を探る(1) 葷酒山門に入るを許さず−「禁牌石」考…平賀康雄 23
雨どうろ…宮本佳子 39
会津若松城と振姫…今川徳子 40
カルメン日記…桃山おふく 44
来大連的信(大連からのたより)(3)…水谷紀之 50
足柄を散策する(8) 文学遺跡を尋ねて−我が産土の町・小田原(4)…杉山博久 52
湖北「観音の里」を旅して…田中 豊 59
少国民の勤労奉仕…中野文子 62
ムンクへの旅…本多 博 64
安叟宗楞(16) 安叟和尚の伝記を読む(8)…青木良一 67
推理小説・菊花紋綺譚(第二回)…岩越昌三 73
編集後記… 80



足柄周辺の碑文を探る(1)
 葷酒山門に入るを許さず
   ――「禁牌石」考――  平賀康雄

禁牌石
 この「禁牌石(きんぱいせき)という言葉自体あまり聞き慣れぬものかも知れぬが、禅寺の入口にはよくある石の塔で「不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)」(この字句を用いるものがほとんど)又は禁葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをきんず)」等刻んである。禁牌石の他、禁葷酒の碑とか戒壇石との言い方もある一種の結界石(俗界との境界石)である。

 そもそも禁牌石の「不許葷酒入山門」の文字の由来は、江戸初期日本に黄檗宗(おうばくしゅう)を伝え、開祖となった隠元禅師が門弟、修行者を戒めた法語の中に「本山及び諸山にて黄檗の法窟と称する者は葷酒を山門に入れ、仏の重戒を破るを許さず」からと言われる。全国的には天台宗寺院や律院に多少ある他、禅寺とは言ってもおおかたは曹洞宗と黄檗宗において見られるものであるという(念の為西相模での臨済宗の大寺たる湯本の早雲寺、南足柄の極楽寺、大井町の了義寺その他多くの臨済寺院を尋ねても、やはり見つからない。)

 しかしながら又、この近隣の黄檗寺院、かつて小田原城主稲葉氏の菩提寺として隆盛を極めた(明治初年の大火にて現在は一宇のみ残す)入生田の長興山招太寺、小田原城山の慈眼寺、山北町玄倉の実相寺の三ヵ寺には、たまたまの事であろうか、どうしても禁牌石は見つからない。よって本稿に登場するのは曹洞宗寺院がおおかたである。

 まず禁牌石の正面「不許葷酒入山門」の字義をとりあえず言うと、葷酒の葷とはネギやニラ等、臭気が強く精力の付く野草の事をさす。詳しく言うと葱(ネギ)、韮(ニラ)、大蒜(ニンニク)、辣韮(ラッキョウ)、野蒜(ノビル)の五葷(五辛とも)を言い、尚、
これに加えて生臭い肉や魚をも含めて言う。
 つまり、酒を飲み、精の付く物を食べて心乱れている者、不逞の輩(やから)は修行道場(寺)内に入る事は許さないという意味になる。

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 新しく始まった「足柄周辺の碑文を探る」のその1、「葷酒山門に入るを許さず」の冒頭の部分を紹介してみました。このあと具体的な「禁牌石」の事例が出てきます。足柄周辺の碑文≠ニ断ってある通り、私の居住する地域のお寺がいっぱい出てきます。他の地域の人には興味がないかもしれませんが、馴染みの、しかも同じ自治会内のお寺さんなんかが出てきますと、これは面白いし楽しいですね。

 それはそれとしても「不許葷酒入山門」という言葉にも興味を持ちました。私も一応仏教徒ということになってしまうのでしょうが、宗門はズバリ曹洞宗。禅寺であることが気に入ってますけど、しかし「禁牌石」までは気づきませんでした。

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 で、さっそく地区内のお寺の山門を撮ってきました。参道入り口の右側にありました。確かに「不許葷酒入山門」と彫られています。本書によれば文化10年(1813年)建立とのことで、西相模地方では比較的新しいもののようです。
 禅寺らしく「結界石」があり、酒なんか呑んで寺に来るんじゃないよ、と戒められ……。と言いながら実は、と続きます。その歴史的な背景まで述べられていて興味が尽きませんでした。作者は現役の住職さんとのこと。その観点から現地調査をした論考は説得力がありました。

 なお原文は23字で行替えとなっていますが、ブラウザでの読みやすさを考慮してベタとしてあります。所々の空白行も同様の趣旨によります。ご了承ください。



小西敬次郎氏句集『芋頭』
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2007.9.20 東京都調布市 ふらんす堂刊
2476円+税

<目次>
春   5
夏   61
秋  109
冬  153
新年 187
あとがき



 句集としては17年ぶりで、第4句集とのことです。私は俳句は門外漢ですから、専門の俳人から見落としを指摘されるかもしれませんけど、次のような句に惹かれました。

桜みてだんだんつまらなくなりぬ
 おもしろい、愉快だと花見をしていて、フッと浮ついた気持に気づいたのでしょうか。まわりの人の酔いが深まっていくのを見ているうちに、なんでこんなことをやっているんだろうなと思い始めたのかもしれません。心理の機微をうまく突いた作品だと思います。

校庭をはみ出してゐる山桜
 日本の学校に桜は付き物。フェンスの上から、あるいは土手の上からはみ出している桜の勢いが感じられます。しかも、それは染井吉野ではなく「山桜」。勢いの中にも楚々として清々しさも見えてくるようです。

夜桜や下戸が上戸を誘ひをり
 桜と云えばお酒が付き物なのに、夜桜を見に行きましょうと下戸の人が上戸の人を誘ったというおもしろみ。お互いに相手を知り尽くしている人間同士のあたたかさも伝わってきました。

花筏崩れて流れ変はりけり
 桜の花が川に散って「花筏」になりますけど、それが崩れて流れが変わったと言っています。しかし実際には流れが変わったから花筏が崩れたのでしょう。それを理屈ではなくあくまでも詩人の眼で観察しています。
 以上が「春」から。次の「夏」からの句も視点の豊かさを感じます。

山頂に雲のありけり氷水
 てんこ盛りになったかき氷。その頂にはうっすらと水蒸気が…。それを「雲」と見た感性に敬服します。暑い夏の一服の清涼剤と謂える作品だと思いました。

人妻の名を呼び捨てに貝割菜
 これは「秋」からです。この句は私にも覚えがあります。私が育った田舎の小・中学校は同姓が多いところ。つい名前で呼び合うことになります。しかも田舎の乱暴な口調ですからさん≠竍君≠ネんてみっともなくて使えません。女の子でも「呼び捨て」です。それが長じて人妻を…。赤面して拝読しました。
 次の二句は「冬」です。

どしや降りの枯山水の落葉かな
 早雲寺 二句≠フ副題のある一句目です。枯山水は文字通り枯れた状態が本領。そこに「どしや降り」と言うのですから、まさに現代詩人の感性と云えましょう。失礼ながら思わず笑ってしまいましたが、俳句の世界ではもっと違う見方、例えば枯山水をも溢れさす「どしや降り」そのものに視座があるのかもしれません。

太陽を欲しがってゐる蒲団かな
 冬の日本海側は蒲団を干すなんて考えられないことのようですが、太平洋側はほぼ毎日のように晴れて、冬でも蒲団干しが可能です。しかし寒かったり陽射しが弱かったりして、意外と干す回数は少ないようです。そんな湿った蒲団に気がついて、今度の日曜日に晴れたら干そう! なんて考えるものです。それを人間の側からではなく蒲団の側から「太陽を欲しがってゐる」と詠んだ秀作と云えましょう。

生涯を廻り道して芋頭
 最後は「新年」から。句集のタイトルはここから採ったようです。私は植物も食物も不得手ですので「芋頭」の正確な意味が知りたくてネットで調べてみました。サトイモ、あるいはサトイモの親芋のことを言ったり、中華料理ではタロイモのこと、茶道ではサトイモの根茎のことを言うようです。まあ、サトイモのことと思ってよさそうです。
 作品は、「生涯」なんてサトイモをぐるぐる廻った程度のことだ、あるいは、自分で納得しながら廻り道した生涯だったけど、サトイモの一生と比較しても同じようなもんだなぁ、という感懐と採れましょう。ここには諦めでも悔悟でもなく、ある種の潔さが感じられます。俳人の心境の妙を見た思いのする句です。

 以上、門外漢の怖れ知らずで雑駁な紹介になってしまいましたが、おそらく見当外れのことばかりだろうと思います。しかしながら俳人の皆さまはもちろん、詩人の皆さまにも教えられることが多い句集だと云えましょう。ご一読をお薦めします。



菊田守氏詩集『一本のつゆくさ』
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2007.9.30 東京都千代田区 花神社刊 2000円+税

<目次>
 T
土筆橋 8      うさぎ 10      ミンミン蝉 12
あげは蝶 14     たぬき 20      庭のうさぎ 26
天道虫 30      友情 32       敵 34
エンマコオロギ 36  黄蝶 38       老蛙 40
 U
ぽかぽか 44
日本の灯り 46    露草 50       クレーの夕日 56
鳩 60        天秤棒かついで 64  太白 70
童話の時代 74    えくぼ 78      花魁という名のさつまいも 82
夕立 86       異界 90
あとがき 92



 露草

夏の朝
妙正寺川の辺りを歩く
ねこじゃらしとおしろい花などの
雑草にまじって
露草が楚楚とした姿で咲いている
藍色のぱっちりした目が
愛らしい

この花は
「万葉集」詠みびと不明の歌として
古名ツキクサの名で詠まれていた
――月草に衣は摺
(す)らむ朝露に
  ぬれての後
(のち)は移ろひぬとも
何とも大胆で艶な風情ではある

女ひとをこよなく愛した
室生犀星の随筆『女ひと』の表紙絵は
小林古徑描くところの
「一本のつゆぐさ」である
犀星はその「女ひと序」で書いている
――つゆぐさは好きな花で幼少の頃から
  六十年も見つづけた點晴
(てんせい)一花の夏を
  かぞえさせてくれた花である、と
古徑描く「一本のつゆぐさ」は
一本の茎の上に咲く
藍いろの花ひとつ
そのぼってりした藍に滲む
くらくらするような性の煩悩を
秘かに感じるのだが――

無心に差し出された
一本のつゆくさ

   ○

この花は
藍色の花びらと
黄色の雄しべの清楚な花だが
蝶や蜂を誘うことはない
それは
開花するとすぐ
雄しべが曲がり伸び出して
自らの花粉を雌しべの頭につけ
受粉してしまうのだ
自分のことは
自分でするということか

受粉という
蜜蜂と花のような
他の花でみられる
甘くやさしい関係はない
受粉という営みを
露草は自身で行なう
ひとりをまもり通した種の歴史

月草とよばれ
螢草ともよばれる
一見可憐な露草は本当は勁い草
子どものときから
妙正寺川の辺りや道端で
七十年も見つづけてきた
いま改めて
つくづく見つめ感じている

雑草のなかで
いつもひっそりと
かくれ地蔵のように
凛と咲く勁い草 露草よ

 詩集のタイトルは紹介した作品から採っているようです。「楚楚とした姿で咲いている/藍色のぱっちりした目が/愛らしい」露草が、実は「自分のことは/自分でするという」「本当は勁い草」ということに驚きます。その強さの裏側にある「大胆で艶」、「くらくらするような性の煩悩」を万葉人や古徑が感じていた、そして作者も感じているのでしょう。「ひとりをまもり通した種の歴史」を持ち「凛と咲く勁い草 露草」を改めて知らされました。
 本詩集の中で
「友情」「敵」 はすでに拙HPで紹介しています。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて菊田守詩の世界をお楽しみください。



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