きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2007.8.20 神奈川県真鶴半島・三ッ石 |
2007.9.30(日)
9月最後の日曜日は原稿を書いて過ごしました。1編の詩に12時間ほどを掛けましたけど、もちろん掛かり切りではありません。間にいただいた本を読んだり、HPをアップしたりしていました。しかし常に頭のどこかでは詩のフレーズが引っかかっていました。午前9時から書き出して、決着を見たのが午後10時過ぎ。久しぶりに自分の詩を考えていた一日でした。
ある雑誌から求められていた詩ですが、実は今日が締切り。ギリギリ0時前に送信して期日を守りました。もっと早くから取り掛かっていれば、危ない橋を渡ることもないんですけどね。以前は郵送でしたから2日前が自分で決めた締切り最終日でした。今はメールで0時前。時間的には余裕が出来たはずですが、実感はありません。結局、ギリギリにならないと頭が働かない怠け者なのでしょう。
○笠井忠文氏詩集『寒い春』 |
2007.9.1 山梨県甲府市 乾季詩社刊 2000円 |
<目次>
T
かまいたち 10 トカゲ 14 金魚 18
蚯蚓 22 蛇 26 美しい蝶 30
湖畔月光 36 春の祭典 40 早春 44
二十歳 48 引き返せない旅 52 寒い春 56
U
笑う顔 62 蔓無し朝顔 66 天上の松 70
老樹 74 今日も暮れる 80 秋が過ぎて 84
今年の夏も 88 甘い老人 92 独り居 96
流花 102. 白い指 106. 消滅の刻 110
葦 114
あとがき
引き返せない旅(古稀記念の会に)
私たちの引き返せない旅の
始まりは相生小学校の木造校舎
校庭のポプラに青い風
サイタよ サイタよ サクラがサイタよ
コイ コイ シロちゃん とにかくコイ
教育勅語の奉読に鼻水吸っている間に
来る日も来る日も戦争の報せが届いた
私たちと一緒に戦争も大きく育ち
眦決した少年少女がハチマキ締めて
戦ったのに終戦の発表を伝えたラジオ
とうとう日本が負けたと知り
悲しみながらホッとした夏でした
青春は戦中戦後 おなかが空いて
情熱を精一杯燃やしても 焼け跡の
ロウソクのごとく熱量がいま一つだった?
戦後復興 経済大国 人生今や八十年
高齢社会を生きねばならぬ運命で
頑張った人 頑張らなかった人
どちらの上にも月日が巡る
息子・娘・孫・その他 にいたわられ
気付けば還暦は遥かに もはや古稀
足腰危うく 心せいても進まぬ歩行
苦笑するより他にない心境たっぷりと
味わいながら 変わらぬ富士を眺めます
ここまで来られた幸せを
ともあれ素直に喜ぶことにしよう
お互いが鏡のように
顔を見合わせれば語り尽くせない
共に歩いた旅の思い出
旅はまだまだ続きます
終わりのない明るい月夜の道です
ほんとに美しいお月夜じゃん
ゆっくり旅を続けるとするけ
「私たちと一緒に戦争も大きく育ち」というフレーズにハッとさせられました。著者は現在80歳近い詩人ですが、この年代の人たちはまさに戦争とともに大きくなったのだと改めて感じました。
「サイタよ サイタよ サクラがサイタよ」は、もちろんサイタ サイタ サクラガ サイタ≠フもじりで、よ≠ェ入った方がやわらかくていいなと思って拝読しまして、「コイ コイ シロちゃん とにかくコイ」もその流れて読んでいました。しかし「私たちと一緒に戦争も大きく育ち」という詩句を見たあとでは違う感覚に陥っています。「とにかくコイ」は、戦場に来いという意味で捉えなおしています。表現は穏やかですが、青春を戦争の中で過ごした人の憤りさえ感じられる作品です。
本詩集中の「トカゲ」はすでに6年前に拙HPで紹介していました。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて笠井忠文詩の世界をご鑑賞いただければと思います。
○季刊詩誌『竜骨』66号 |
2007.9.25 さいたま市桜区 高橋次夫氏方・竜骨の会発行 600円 |
<目次>
<作品>
赤い群れ/上田由美子 4 どくだみの歌/内藤喜美子 6
寂蓼の木/木暮克彦 8 小道具ひとつ/松本建彦 10
渓川のほとりに立って/高橋次夫 12 たまご/今川 洋 14
そらの翡翠/対馬正子 16 点滴/西藤 昭 18
☆
「絶望が希望」/松崎 粲 28 琴を前に/島崎文緒 30
メアリ・ポピンズ/河越潤子 32 桜の気持/森 清 34
未明/横田恵津 36 夏の記憶/庭野富吉 38
夜の執妄/小野川俊二 40 鴉と葬式/長津功三良 42
片端の橋/高野保治 44 ミネソタの橋/友枝 力 46
羅針儀
痕跡の戯れ/木暮克彦 20 両国駅界隈(三)/高野保治 22
日本現代詩歌文学館を訪れて/今川 洋 24 一本の松/上田由美子 26
書窓
池山吉彬詩集『都市の記憶』/高橋次夫 48
『原爆詩一八一人集』長津功三良・鈴木比佐雄・山本十四尾編/友枝 力 49
海嘯 『荒地』の原景/友枝 力 1
編集後記 50 題字 野島祥亭
桜の気持ち/森 清
烏が騒いでいた
散歩の老人が気づいた
ゴミ箱から嬰児の足が出ていたのだ
黒いビニール袋に包まれて
宝塚安倉(あくら)南第四公園
テニスコート四面ほどの広さ
金網フェンスに囲まれて
潅木に混じる
ソメイヨシノ七本
花びらが散りはじめた夕方
翌日
十九歳の少女が死体遺棄容疑で逮捕された
桜の枝に残った花びらの艶っぽいこと
サイタ サイタ サクラガ サイタ
ススメ ススメ ヘイタイ ススメ ※1
いがぐり頭が大声で読む
万朶(はんだ)の桜か 襟の色
花は吉野に あらし吹く
大和男子(やまとおのこ)と 生まれなば
散兵線(さんぺいせん)の 花と散れ ※2
軍歌が地鳴りのように響く
靖国は桜爛漫 花見の饗宴
生命(いのち)の意味を知らぬ十九歳
生命(いのち)を捨てよと命じた将軍
子棄ての少女は犯罪者
金鵄(きんし)勲章は花びら
桜は
老いた元兵士の頭上で
醜く咲き 美しく散っていった
※1 戦前の国定教科書一年生国語
私の学んだ朝鮮の国民学校では昭和十八年ごろの一年生が学んだ
※2 軍歌「歩兵の本領」
何百年も生きる桜の元で繰り返される人間の愚かな行為。「いがぐり頭」に「大声で読」まれたり、「散兵線の 花」に譬えられたり、そして「死体遺棄」。そんな作者の思いが最終連の「醜く咲き 美しく散っていった」というフレーズに収斂しているのだと思います。「生命の意味を知らぬ十九歳/生命を捨てよと命じた将軍」の対比も効果的です。「子棄ての少女」に対する「金鵄勲章は花びら」では桜が可哀想な気がしますけど、桜はそれさえも飲み込んでいてくれるのかもしれません。戦中と現代という時間の処理も見事な作品だと思いました。
○詩誌『驅動』52号 |
2007.9.30 東京都大田区 驅動社・飯島幸子氏発行 350円 |
<目次>
現代詩と「笑い」(七)/周田幹雄 14
冬の銭湯にて/長島三芳 2 跳べない蛙/内藤喜美子 4
バイリンガル わが東北語論/星 肇 6 ゆめさだかならず/舘内尚子 10
瞬時に/飯島幸子 12 最期 他一編/周田幹雄 20
詩が 魔法にかけられて 他一編/金井光子 23
鬼罌粟/池端一江 26
奔馬/中込英次 28 酷暑猛暑 他一編/小山田弘子 30
断片 相撲は国技だ 他一編/飯坂慶一 34 黄昏どき/忍城春宣 38
おおさかべん西鶴 もうかって、すんまへん/桝井寿郎 40
同人住所・氏名 42 寄贈詩集・詩誌 42
編集後記 表紙絵 伊藤邦英
バイリンガル わが東北語論/星 肇
東北地方で普段話されている言葉を
日本語ではやや見下して 東北弁とかズーズー弁とか言うらしい
正しくは東北語というべきであろう
かくいう私は 生粋の東北人で東北語を話す
日本語と東北語の相違点は何か
何と言っても東北語には 日本語のイとエが存在しないことであろう
古代日本語では イエヰヱはそれぞれ別々に発音したらしい
現代日本語では それが進化してイとエに収斂してしまった
東北語ではさらに発展し yeに集約したと考えられる
我ら東北人は わずかに唇を開いて穏やかにyeと発音する
顔を歪めたり大口を開けたまま イと言ったりエと言ったりはしない
友だちがいじめに合ったりすれば
mouyeyebaye yamessye
と言って止めに入る
いじめっ子の方でも
uundanaye
と 相手が自殺するような追い詰め方は 決してしない
そんな訳で 東北語にはそもそもイとエの差別が存在しないのだが
小中学校の国語教育に 日本語の教科書を使用し始めたため
はなはだしい不都合が生じることになる
教室で教科書を音読する場合は イでもエでも
ye で済ましてしまえるからいいのだが
テストで漢字に読み仮名をふる場合は イとエを区分けしなければならない
生徒は江戸とか井戸とか ただもう丸暗記することになる
私は常に百点満点を取っていたのだが
卒業に際して 恩師は訓戒を垂れたものである
yeyeka omayera toukyo sa yettara
kyessyetye
yenuga yeta
nado yuunzyanyezo
haye! 犬がいた
tye yettyemiro
東京に出て来た東北人には犬嫌いが多いから
犬は無視すればいいのだが
困るのは視力検査の場合だ
カタカナは何ら問題でない
問題は丸印の穴開きの方向だ
どちらが開いていますか 上ですか下ですか左ですか右ですか
下と左右は無事通過しても上が困るのだ
大抵は口の中でwyeとやり過ごしてしまう
やさしい看護婦さんだと 少々怪訝な表情を浮かべながら不得要領に納得して
くれる
厳密な看護婦さんに行き当たった場合は最悪で 上ですか下ですかと繰り返し
詰問してくる
それほど言うなら 国語力百点の実力を発揮してやると自棄になって
wyi
とやってしまった
ああ我フランスにあらましかば
我が母校の教師も生粋の東北人であったのか
かくて私は常日ごろから ひそかに東北語を日本語に翻訳しながら話している
のである
東北人は決して口が重いのではない
翻訳作業に一瞬口が遅れるだけなのだ
ついでに我が伴侶についても 一言釈明すれば容姿や知性に惚れたのではない
純粋に 千葉県匝瑳郡生まれの日本語操作能力に惹かれたのだ
その効果が漸次現れて来たのか 近ごろは
お生まれは茨城ですか
と言われることが多い
日本語力がやや進歩してきたようでもある
私も北海道生まれの福島県育ちですから「生粋の東北人」なのでしょうが、10歳以降は静岡県・神奈川県に住んで、かれこれ半世紀、今ではまったく「東北語を話す」ことが出来なくなりました。つくづく環境というのは怖ろしいものだと思います。
「古代日本語では イエヰヱはそれぞれ別々に発音したらしい/現代日本語では それが進化してイとエに収斂してしまった/東北語ではさらに発展し yeに集約したと考えられる」というフレーズはユニークで、かつ説得力がありますね。つまり東北語は最も進化した日本語ということでしょうか。そして「わずかに唇を開いて穏やかにyeと発音する」民俗性。東北人の特性を端的に述べた部分だと思います。以下、発音に関する悲喜交々が開陳されるわけですけど、「東北人は決して口が重いのではない/翻訳作業に一瞬口が遅れるだけなのだ」というところに同郷の人々への愛着が出ているように思います。楽しみながらも日本語≠ノついて改めて考えさせられた作品です。
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