きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2007.9.9 東京・浅草 |
2007.10.18(木)
夕方から神楽坂の(正確には天神町の)日本詩人クラブ事務所で、第1回の「詩の学校」が開催されました。第1回ということで、簡単な開講式から始まり、講師は山田直校長。「反リアリズムの世紀―フランスを中心として」と銘打った講義は、反リアリズムを唱えながらも、リアリズムにこだわったが、一般的な思潮=汎リアリズムが根底にあることを実証しながら説かれ、大変有意義なものでした。
事務所はもともと20人ほどの人が集まることを想定していますが、そこに30名を超える人が来たのですから大変。ご覧のような混雑ぶりで、皆さんには窮屈な思いをさせてしまいました。しかし、主催者側としては嬉しかったですね。予定外の人も訪れてくれて、関心の高さを感じた次第です。
次回は11月15日。北九州から秋吉久紀夫さんがお見えになり、「穆旦(ムータン)と丸山豊―ビルマでの彼我の戦い」という講義をしてくれます。
○杉谷昭人氏詩集『霊山』 |
2007.9.10 宮崎県宮崎市 鉱脈社刊 1800円+税 |
<目次>
五十年後 日之影 9
日之影温泉駅 10 閉校式 13
分校跡 16 莱殻焼き 19
八月 22 八月の午後 24
九月(一) 26 九月(二) 29
バイパス工事 32 籠をつくる 35
山の仕事 38 古畑にて 40
作小屋 42 冬の庭 44
冬の窯――無名の陶工に 46 柿畑にて 49
洪水のあと 53
水源(みずくち)――神谷川にて 54 水の音――見立谷にて 57
カワガラス――坪谷川上流にて 60 夏の終わり――綾北川渓谷にて 63
森の道――大森岳北麓にて 66 台風 68
洪水のあと――五ヶ瀬川にて 70 大雨のあとに――大谷川堤防にて 73
春の午後――浦之名川にて 76 水のにおい――庄内川源流にて 79
石風呂――山田川上流にて 82 何もなかった一日 85
高千穂往還 88
霊山 91
仕事始め 92 夢の時代 95
山の正月 98 島廻(しまめぐり) 100
コースター 103. 十二月 106
冬耕 108. 家族――一ッ葉海岸にて 111
休日――西都原古墳公園にて 114. 一年ののちに――県立芸術劇場にて 117
山小屋のクリスマス――大崩山荘にて 120. 日暮れに 124
松並木の朝に 127. 霊山(おやま) 130
初出一覧 135
あとがき 138
おやま
霊山
おやまは小さな峠
そこに立って目をこらすと
わたしの知らない土地がとおくに見える
あたりには木の芽の香りがただよっていて
空いっぱいに春がひろがっている
おやまはまずしい畑
わたしは鍬をかついで毎日おやまにのぼり
いくらかの野菜をつくる
夏のいちばん暑いころには
もう秋物の種子を撒かねばならない
そしておやまはわたしの家の墓地
畑に鍬を入れるまえには
石積みの墓標にかならず手を合わせる
彼岸花が赤く咲きそろうころには
おやまの風にはもう冬の気配がする
秋が終わるころにはとくべつ念を入れて
収穫の終わってしまった畑を鋤きかえす
春にはまた新しい苗を植えつけるために
しかしその日はめぐってくるかどうか
わたしもいつかはこの峠を越えねばならないのだから
わたしがこのおやまをはじめて越える日には
たぶん雪が降っているだろう
降りはじめたばかりの雪の上だというのに
たくさんの足跡がつづいているのだ
とおくに見えるあの知らない土地まで
そしてその土地の入り口のところでは
六十八歳で死んだ母が死産だった兄を抱いて
わたしを出迎えてくれるだろう
リュウマチだった妻は車椅子がもういらないのか
わたしに向かって微笑みながら駆け寄ってくるだろう
その日の朝もわたしは鍬をかついで
おやまにのぼっているだろう
若いころの夢が十分果たせたというわけではないが
それでもそれなりに充ち足りた気持ちで
雪の降りはじめた畑を耕しているだろう
[注]初出・韓国語(訳
尹章根)
7年ぶりの9冊目の詩集だそうです。著者は1991年に詩集『人間の生活』で第41回H氏賞を受けています。註釈は、初出一覧によると韓国の詩誌『竹筍』に初出したという意味のようです。ここではタイトルポエムでもある「霊山」を紹介してみましたが、実在の山かどうかは判りません。しかし「いつかはこの峠を越えねばならない」象徴として印象深い山と云えましょう。「わたしがこのおやまをはじめて越える日には/たぶん雪が降っているだろう」というフレーズも象徴的で、著者の精神性の高さを感じさせます。最終連の「若いころの夢が十分果たせたというわけではないが/それでもそれなりに充ち足りた気持ちで/雪の降りはじめた畑を耕しているだろう」という締めにも著者の姿勢がよく現われていて、好感を持った作品です。
○田川紀久雄氏詩集『生命の旅』 |
2007.12.15 東京都足立区 斑猫書房刊 2200円 |
<目次>
生命の旅の序 6 心の音8
道 10 日溜まり 12
永遠の五月 14 永遠の都 18
海が見たいとあなたがいった 22 光があふれて 26
黄砂が舞う 30 無の中に永遠が 35
カラスと私 39 魯迅先生 42
癌よありがとう 45 アザミとてんとう虫 47
分岐点 52 人明かり 54
あなたは今日も唄っている 58 犬吠崎 63
海を見る 67 生前供養 71
新潟県中越沖地震が起きる 75 生命の旅がやっと始まる 80
生命の旅の序
二〇〇七年四月二十五日に末期癌の宣告を受ける
母が癌で入院した時の症状と似通っていたから
病院に行く前からその覚悟は出来ていた
といっても妹やあなたのことを思うとやはり哀しみが込み上げてきた
私は強く生きようと決心をした
新しい生命の旅に発つのだと思えば
末期癌の宣告を受けたことによって第二の人生を得ることが出来たのだ
明日のことを考えることはやめよう
今日精一杯生きられればそれでよい
生きていることに感謝をしながら
自分の道を切り開いて行く以外にはない
そういう意味ではこの末期癌に感謝をしよう
宣告をうけてからはや二ヶ月もたった
家々の垣根には紫陽花の花が美しく咲乱れている
新しい旅立ちの第一歩の詩語りライブがある
本当の生命(いのち)の旅はここから始まる
あなたともう一度新しい旅立ちが始まるのだ
さあ新しい旅に乾杯をしよう
巻頭作品を紹介してみました。「二〇〇七年四月二十五日に末期癌の宣告を受け」てから、ほぼ毎日のように書かれた詩の、5月から7月までの集成です。「明日のことを考えることはやめよう/今日精一杯生きられればそれでよい」という思いが痛いほど伝わってくる詩集です。本当の意味では、現実に同じ立場に立たされてみなければ判らないのかもしれませんが、「末期癌の宣告を受けたことによって第二の人生を得ることが出来た」とまで言い切る著者に敬服しています。
本詩集中の「魯迅先生」を先日、拙HPで紹介しています。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて田川紀久雄詩の現在をご鑑賞いただければと思います。
○詩誌『ひを』10号 |
2007.10
大阪市北区 三室翔氏発行 286円+税 |
<目次>
三室 翔 蛙の力 2
逃げられない 4
古藤俊子 野 6
日 8
波 9
小西民子 ねむい空 \ 10
ねむい空 ] 12
萩美智子 晴天 14
小半日 16
夜半 18
後記 20
日/古藤俊子
猫のように
ひっそりと
そして
途絶えたままの
Eメール
雲は
跡もなくながれ
今日の窓を
ゆっくりと 閉じてゆく
「猫のように/ひっそりと」した「日」という意味でしょうか。「そして/途絶えたままの/Eメール」に気づいた日、あるいは無性に気になった日。夕暮れには「雲は/跡もなくながれ」、そして作中人物は「今日の窓を/ゆっくりと 閉じてゆく」。この最終連の「窓」は「雲」に重ねあわされているのかもしれません。雲が「今日の窓を/ゆっくりと 閉じてゆく」というようにも読み取れます。短い作品ですが、読者にいろいろなことを感じさせる佳品だと思いました。
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