きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.9.9 東京・浅草




2007.10.27(土)


 仙台市の土井晩翠賞事務局から拙詩集が送り返されてきました、3冊も…。土井晩翠賞に応募してくれてありがと、でもあんたは落っこっちゃったから詩集は返すね、というものでした。私は応募していないんです、詩集も送ってないし…。
 今までは現職ということもあって、こちらから賞に応募をしたことはありません。勝手にノミネートされるのは構わないけど、この賞がほしい!と思って応募したことはないんです。当然、土井晩翠賞も。事務局からは推薦依頼が毎年来て、それはちゃんと記入して返信していますけどね。

 誰かが私の名を騙って応募してくれたのかもしれませんが、どうもそうではないようです。おそらく拙詩集を推薦してくれた人が多かったので、自動的にノミネートされたのでしょうか。私が推薦依頼に応えているように、ある一定の得票があったのかもしれません。しかし、選考に必要な3冊の詩集は誰が出してくれたのでしょうかね。その3冊の詩集には注文表が入っていましたから、書店で買って送ってくれたものと思います。一番可能性が高いのは版元が応募したということですが、これは版元に確認して違うことが判っています。事務局が買ってくれたのかなぁ。それなら私に返品しないでしょうし…。近年にない大きな謎に包まれています。どなたかこのカラクリが分かる人がいたら教えてください!



酒井力氏詩集『白い記憶』
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2007.11.11 東京都板橋区
コールサック社刊  2000円+税

<目次>
第T章 白い記憶
白い記憶 10     母 16        兄 22
旅 28        捨てる 32      時間 36
友 38        肖像画 40
第U章 離愁の朝
寄生木 46      墓標 50       浅間そして小諸 52
峠路 54       離愁の朝 58     黒い石 62
灰降りそそぐ 66   九月 70       便り 74
詩人の魂 78
第V章 茂兵衛と蛙
「あっ」と声を 82
.  都会 86       風 90
岩の中 94      縊死した男 98    光 106
闇と光と 110
.    遠くマゼラン星雲の彼方へ 114
消滅 118
あとがき 123



 白い記憶

八十歳を迎えようとするとき
父は地元の「医師会報」にと
自分の歩んだ道を
体験談を交え
口伝で私に書き記させた
戦時中に父が書いた
ガリ版刷りの戦時記録を
初めて目にしたのも
その時だった

父はどこに記憶を仕舞っていたのだろう
淀みなく正確に
日時まで入れて淡々と語り
私はそれを書き取っていく
母が時には顔をのぞかせ
口を挟んだりもしたが

昭和九年
父は予備役として台湾に渡る
中国での激戦から救出され
一度は帰国して後の応召だ
衛生兵から医師になった父の元へ
母は単身嫁いで行った
それから十年
広島と長崎への原爆投下
そして惨めな敗戦を迎える

しばらくは中国人を相手に
医療に携わっていた父だが
いよいよ帰国というとき
財産は没収され
米一升とわずかな所持金に
まだ幼い兄姉四人を連れ
引き揚げ者満載の貨物船に
父母はようやく乗船した

海は荒れ
苦しむ船酔いも
昭和二十一年四月二十八日
広島湾沖に一晩停泊しておさまる
DDT散布後
大竹港から上陸する

原爆投下から八ヶ月後の広島
広大な焼跡の一隅で
母は米を炊いた

「白いご飯の味は忘れない」
と語る老いた父の顔
国のために
一命を捧げんとした
一人の医師は
戦争の悲惨さと
生命への畏敬とが
気持ちの中で交錯し
思わず複雑な笑顔を浮かべる

敗戦の味を噛みしめた家族
その時私は
母の胎内に宿され
臍の緒を通し
広島を感じていた
見えない目
聞こえない耳
動かない体のまま
わずかに心音だけを響かせ

生前父が低い口調で
(戦争だけは・・・)
と呟いた言葉は
かつて若いころに訪れた
原爆ドームの記憶と重なって
六十歳を過ぎた私に
いま 鮮明に甦るのだ

 6年ぶりの第7詩集です。タイトルポエムで、かつ巻頭作の「白い記憶」を紹介してみました。父上の口伝をきっかけとした家族の肖像と云えましょう。著者は1946年生まれですから「昭和二十一年四月二十八日」はまさに「母の胎内に宿され」ていた時期でしょう。「臍の緒を通し/広島を感じていた」その体験が、父上の「(戦争だけは・・・)/と呟いた言葉」につながっていたのだと思います。白い「DDT散布」と「白いご飯の味」にまつわる「白い記憶」。忘れてはならないものがあることを教えてくれる詩集だと思いました。



峯尾博子氏詩集『エイダに七時』
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2007.10.11 さいたま市南区 風心社刊 1429円+税

<目次>

栞ひも…8      エイダに七時…12   風問答…16
風景…20       サバンナ…24     花粉症の男…28
月を磨く…30     三寒四温…34     五月雨…36
青鷺のいる風景…40

雨の日萩は…44    発光…46       木鋏…50
車窓…52       雨…56        落日…60
原市沼…62      家路(秩父連山の見える町)…66
花火屋のしげちゃんのいた頃−北本駅…68   蒲ザクラ…72

夜行列車…76     谷川岳…78      線路…82
無尽蔵…86      女友達…90      郷土参考館…96
表紙デザイン 庭山デザイン事務所



 エイダに七時

エイダの店内には
絶えず微細な輝く塵が降り注いでいる
塵はいくら降っても積もらないので
誰も気にしていない
重なるグラスと人々の談笑する声の漣
男がひとり
所在無く誰かを待っている

エイダに七時と
確かに私は約束を交わして
手帳に書き付けたのだ
それは夢のなかの出来事だったのか
たわいない空想の産物か
だがあきれるほど長い間
私はこの約束を私のなかで反芻してきてしまった

エイダという店名にも
約束を交わした男にも憶えがない
エイダで思いつくのは
秋葉原の駅近くに
エーダというハンバーガーの店があったこと
店主はひどく太った親仁で
怒ったようにぶっきらぼうだった
三十年も前だ
店主はもう生きていないだろう
汚い店だったけど
今思い起こせばあの店にも塵は降っていたようだ

私はずっと待っていた
約束は待つものだと思っていたから
だが不意に思うのだ
私は待たせているのではないかと
約束の日時は過ぎたのだ
エイダに七時
塵は深い森のように降り続いている
夢の出来事
空想の産物だとしても
誰かを待たせているかと思うと切ない
私はいつから待たせる者になったのだろう

 第1詩集です。ご出版おめでとうございます。ここではタイトルポエムを紹介してみました。「エイダ」は店名だったのですね。「絶えず微細な輝く塵が降り注いでいる」が「塵はいくら降っても積もらない」場所として設定されていますが、これは常に塵を浴びている私たちの喩と採ってもよいかもしれません。最終連では「約束は待つものだと思っていた」のが、「私は待たせているのではないかと」「不意に思う」のですが、ここは人生の中で急に訪れる転換ではないかと思っています。
 本詩集中の巻頭作
「栞ひも」は、先日、拙HPですでに紹介しています。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて峯尾博子詩の世界をご鑑賞ください。今後のご活躍を祈念しています。



詩誌『花筏』14号
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2007.10.20 東京都練馬区
花筏の会・伊藤桂一氏発行 700円

<目次>
<詩の勉強> 私の詩的体験(十二)
 *終戦後の詩作状況…伊藤桂一 22     *花筏通信…50
<エッセイ>
村野さんちの次郎柿…竹内美智代 56     アンダルシアの青い空…小町よしこ 58
雪…谷本州子 59              カーテンを掛ける…門田照子 60
ブルキナファソへの旅…唐澤瑞穂 62     詩と音楽…小原久子 64
<表紙・屏絵>…帆足まおり
<カット>…谷本州子
(詩)
(扉詩)啓示…伊藤桂一 1
雉…谷本州子 2              還ってきたもの…帆足みゆき 4
音信…宮田澄子 6             畳む…彦坂まり 8
この坂を…上田万紀子 10          蛍石…中野百合子 12
釆女神社…秋山千恵子 14          お骨…山田由紀乃 16
スイスの蜜蜂…門田照子 18         雨傘の記憶…住吉千代美 20
早朝の町…藤本敦子 28           うぐいす…在間洋子 30
大事な大事な物語…月村 香 32       涅槃西風…小町よしこ 34
緑陰の道…唐澤瑞穂 36           雛人形…山名 才 38
木槿の花・あこがれ…小原久子 40      潮風のなかで…中原緋佐子 42
山の宿…小西たか子 44           ご縁…田代光枝 46
めぐる夏…竹内美智代 48
*〔連詩〕案内坂…拗き(伊藤桂一)…50
あとがき…表紙の三
住所録…表紙の四



 雨傘の記憶/住吉千代美

ちかごろ日常的に物忘れがひどくなった
その一方で私の脳裡には
遠い日のできごとが不思議に鮮明さを増していたりする

あれは終戦間近の四月
私が町の女学校に進学したばかりのころのこと
校舎の外は雨が降り始め
〈しろがねも黄金も玉もなにせむに……〉
万葉の歌を読み上げる先生の声が朗々と響き渡っていた

気がつくと野良着姿の父が窓辺に立っていた
無造作に手拭いを首に巻き付け
雨傘を二度三度差し上げながら私に合図を送ってくる

一瞬 先生は朗読を止め
「おや 誰か?」と言いながらみんなを見回した
 ――恥ずかしい
私は急に全身が強ばり父を完全に無視してしまったのだ

廊下の片隅にポツンと一本の傘を残して
片道十二キロの道程を父は帰っていった
あの時間にはバスも通わない田舎道を……

あの日 帰宅した私に
父はちょっと寂しげな表情を見せただけ
それから数年後早々とあの世へ旅立ってしまった

私には父に叱られた記憶がない
 ――ごめんなさいね
あれから六十年以上も過ぎたというのに
いま なぜか私は胸の奥深くで父に詫びている

 今では学校に傘を届けに来る親などはいず、コンビニの500円のビニール傘で間に合ってしまいますが、「終戦間近」の頃は貴重品だったのだろうと思います。それをわざわざ「片道十二キロの道程」をかけて届けてくれた「父」。それが分かっていながら「完全に無視してしまった」「私」。思春期の娘さんの「恥ずかしい」と思う気持が伝わってきます。「父はちょっと寂しげな表情を見せただけ」というのも男親としては分かるように思います。「あれから六十年以上も過ぎ」て、今になって「なぜか私は胸の奥深くで父に詫びている」姿に父と娘の関係が表出していて、しんみりと感じさせるものがありました。ギスギスした現代に、一服の清涼剤のような作品だと思いました。



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