きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.10.15 箱根・湿生花園のコウホネ




2007.11.1(木)


 11月の画像は、先月訪れた箱根・湿生花園の花にしました。名前は分かりません。ピントも大幅に甘いです。しかし、写真ではなく絵画のようだなぁ、と思っています。まあ、たまにはこんな画像もいいかなと、載せてみました。近寄ってはダメなので、ちょっと離れて見てください。ほら、油絵のように見えてくるでしょう! 見えないか(^^;

 ※後日談:ある読者からコウホネではないかと教えてもらって、調べてみましたらその通りでした。ありがとうございました。



進藤いつ子氏詩集『お雛さまへ』
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2007.9.28 東京都千代田区 花神社刊 2000円+税

<目次>
お雛さまへ 6               早春賦 8
六月 10                  藤の花 12
落日 16                  異界のお方へ 18
すずめ 22                 けむりの木 24
メイ・ストームのあと 26          海辺から 28
月 32                   十二月だというのに 34
夕焼け 36                 ある朝に 38
ふりむいた春 40              ねむの木の下 42
六月 44                  澄みきったものの下で 46
個室の窓から 48              ねむの木 50
背中 52                  さくらの季 54
池を埋める 56               更け行く秋の夜 58
藤の実 62
 *
戦争に敗けた日 64



 お雛さまへ

 来年も元気でお目にかかれますように
今年 私はお雛さまに手紙を書いて箱に納めた

あなたの目はいつも私を追っている
玄関の下駄箱の上に毎年飾られる陶製のお雛さま
あなたの目は何年も私を追いつづけている
私の今日までのすべてを知っているかのように
私のこれからの先の先のことまでも
知ってしまっているかのように
やわらかな笑みをたたえる雛の細い目

あなたの視線から逃れ 逆らい 拒絶し
そんな日の私にもあなたの目はやさしかった
そのやさしさに支えられて
今日までの日を生きてきたように思う

二月の寒さが少しやわらいだ日 私はあなたと出会い
三月の明るさが少し増した日 私はあなたと別れる
次ぎの年も次ぎの年もと疑うことなく
丁寧に納めつづけた長い歳月
ふと気がつけば
あと幾たび迎えることが出来るかわからない
この再会と別れのとき

今日 私はこころを籠めて手紙を書いた
 お雛さま お元気でいらしてくださいね

 10年ぶりの第4詩集です。タイトルポエムで、かつ巻頭詩である「お雛さまへ」を紹介してみました。詩集の扉に「陶製のお雛さま」の写真が載っていました。毎年見続けた陶製の雛に、今年はじめて「手紙を書い」たわけですが、その理由は「ふと気がつけば/あと幾たび迎えることが出来るかわからない」と気づいたことだと思います。壊れさえしなければ人間より長くこの世に存在する雛。その雛人形に「お元気でいらしてくださいね」と書く「私」の心境が伝わってくる作品です。
 本詩集中の
「更け行く秋の夜」は、3年ほど前に拙HPで紹介していました。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて進藤いつ子詩の世界をご鑑賞ください。




詩誌『掌』135号
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2007.11.1 横浜市青葉区  非売品
志崎純氏編集・掌詩人グループ発行

<目次>
エッセイ
写真詩集を読んで…掘井 勉…12       萩の花…国広 剛…12
新語…石川 敦…13

ビロビジャン…中村雅勇…2         桑の実…堀井 勉…4
詩人…石川 敦…6             いつのまにかまた…国広 剛…8
わが内なる椹(サワラ)の一樹…半澤 昇…10  満天の星…志崎 純…14
返事…薄田久子…16             えいたんの窓から…福原恒雄…19
編集後記
表紙題字 長谷川幸子



 えいたんの窓から/福原恒雄

悪夢も正夢も
見なかった八月
きょうの
目覚めの
正しい朝は
青葉のそよぎをまぶして
幼いころの足が
かるい風にのびる
ああーあ ここは何という
詠嘆の地よ

黄斑部が隠していた
名も忘れていた
羽のない鳥の群れが
甲高いリズムで
あたまめがけて落ちてくる
残酷な芸も
思い出され
われの居場所でないところで
詠嘆は まだ
もだえる

いま通過しなければならない駅で
気軽にアナウンスされる
人身事故に
凋みまいと
定時ダイヤが軌道にのるまで
非常ボタンから目をそらさない
ぐうはつ偶発と
居ないものの居場所で
いっとき ほんの
いっとき
両手でにぎりしめた詠嘆に
ぶらさがる

時間そっちのけのひと日だったと
あまい真珠いろに
変えたい呼吸を
きりきりと鳴らすと
歩行リズムから
あつくも涼味もない
煙霧に
ふさがれて

詠嘆− いや(ここは君づけで)
えいたんくーん
行くなよ
夢で見せたがっていた
いちめんの食料たちの
虫食い穴もあった葉のそよぎの
ひかりと影を
どこかにひき連れようと
亡骸ふみつける風がきても
後ろ見たら逃げられないよな
もうすこしだけ時流に逆らう?
えいたんくーん

 「詠嘆」を辞書でひくと感動して、声を出してほめること≠ニあります。各連の詠嘆は、それだけでも一つの詩になるほどですが、最終連に収斂して行くように思います。しかも、その中のたった1行、「もうすこしだけ時流に逆らう?」というフレーズに…。
 種明かしではありませんが、第1連の「八月」と「幼いころ」の2語で、作者が少年の頃の敗戦をイメージしてよいのではないかと思っています。第2連の「羽のない鳥の群れが/甲高いリズムで/あたまめがけて落ちてくる」というのは爆弾のことかもしれません。最終連の「いちめんの食料たち」という詩語には食糧難の時代を感じます。
 詠嘆の時代から敗戦を迎え、再び詠嘆の時代になろうとしている。だから「もうすこしだけ時流に逆ら」ってみようではないか。そんな風に読めてしまいました。



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