きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.11.21 静岡県裾野市・五竜の滝 |
2008.12.2(火)
特に予定のない日。終日、いただいた本を拝読して過ごしました。
○吉野令子氏詩集 『その冬闇のなかのウェーブの細肩の雪片』 |
2008.11.20 東京都新宿区 思潮社刊 2800円+税 |
<目次>
錐揉む光 8 老女物語 10
注解(無情の世界から) 18. 抒情詩 28
記録 32 月の庭 36
氷輪 44 青鳥 50
冬夜の死のように孤独な場所で 56 抵抗 66
ダークサイドの後刻 72 傍らの人の身の上 76
その冬闇のなかのウェーブの細肩の雪片 78 闘い(歴史のなかで死者のように) 84
天象と添書 92 (無歴の墓地から) 100
覚書 108
装幀 思潮社装幀室
帯文より
不在のあなたへの伝言は
そう、
わたくしは言う
わたくしひとりが
暗闇(ここ)の中にいるのではないことを
日々の小生命にかかわる重大な出来事。その事態にたいし、その根のありかに向い、詩の力を信じて詩の内側からゆっくりと近づき、しっかりと目と指で瞶め触れたい…(覚書)。真実に迫り、希望へと拓く新特集。
○『現代生活語・ロマン詩選』 全国生活語詩の会 編 |
2008.12.1 大阪市北区 竹林館刊 2000円+税 |
<目次>
はじめに 有馬 敲 1
I 北海道・東北
斉藤征義 かたくりの花咲く/春の晴着 14
原子 修 富士山 16
有原昭夫 熊五郎家未完の年譜 18
奥平麻里子 計画 20
小田島周子 訪れ/畑が なくなる日 22
柏葉祐子 アマリリス/台所の風景−みそ汁− 24
菊池きよの さつまいも 26
黒川 純 幸福の監獄 28
児玉義正 酒のあしぇっこ/四季の酒っこを楽しむ 30
児玉智江 待合室 32
牛島富美二 母の賓客 34
金野清人 バババ聴ぎだくて 36
齋藤駿一郎 かっちゃと僕 38
斎藤彰吾 マギ沢(さわ)のげんぞうさん 40
齋藤岳丸 原爆被爆/青酸カリと日本刀 42
佐藤春子 モロ(同級生)だぢと花見 44
白根厚子 節分前夜/しゃぼんの実 46
高橋トシ 隣の息子 48
高橋ミツ 村のばあたち 50
東梅洋子 昔の町並−わたしの語り− 52
遠山信男 デンデラ野/石の名 54
中澤 彰 シラス/あめる 56
根本昌幸 女売り 58
平野晴子 笑う紙/闇地蔵 60
森 三紗 東京駅で なんだりかんだり/中原様へ 届けたい手紙 62
若松丈太郎 花綵(はなづみ)(あるいは挽歌) 64
U 関東・中部
赤木此佐江 はまちゃん 68
荒井愛子 野ばらに囲まれて野良猫たちと夢見るわたし 70
くろこようこ わたしのカケラ 72
小森香子 小さなノート 74
しだのぶお シルバー・マーク讃歌−ざけんじゃねえ! 76
関 中子 子どもの歩き方・大人の歩き方 78
田中眞由美 ノナ マニス/ラン・ラン・ラン/クルシィー/空欄/孤村/インドネシアの昼下がり 80
千早耿一郎 方言 古語拾遺 82
中山直子 ドイツ・ロマン派の雲 84
松本恭輔 昭和江戸っ子 尻追い情話 86
三浦健治 アーチ橋 88
水崎野里子 花/あなたに 90
三方 克 ジェーンとの会話 92
池田瑛子 縁側 94
伊藤眞司 土/アマガエル 96
稲木信夫 国境 98
岡崎 純 木蓮/うら 100
川端 進 こんな川で釣れるんやろか言わんといて 102
神田好能 想い出の会話/約束 104
恋坂通夫 独り暮らし 106
谷本州子 枡掻 108
山越敏生 叫ぶビーバー 110
吉付伊紅美 ミミズのため息 112
V 関西
青木はるみ グランマトストミアス・フラジェリバルバ/ひまわり娘 116
秋野光子 蘇り−ひよどりミユー 118
有馬 敲 自由時間/慮山寺にて 120
井上 庚 夏の夜話 122
井上哲士 野外の裸像/もうちょっと 124
井元ひとみ 愛のレール/へへっ♪ 126
岩国正次 改稿 笹笛/鉛筆 128
字井 一 騒音/懐かしい音 130
小川聖子 再点火 132
奥村和子 河内の百姓 朝鮮通信使の船絵馬を奉納する 134
尾崎まこと ふう ふう/笑うんか? 136
蔭山辰子 うちのレシピ 138
香山雅代 小さな指に 囁く声−捨てたらあかん−/鄙びた駅 140
河井 洋 長い午後の物語 142
川原よしひさ 海底旅行 144
神田さよ おはなみ 九年目/炊き出し 九年目 146
北村こう ぼうりょく/ありがとう/鳥とならんで/積木/航海 148
北村 真 地べた 150
ごしまたま 湖のほとり/部分の風景 152
左子真由美 ここ 154
佐古祐二 おっぱい卒業 156
白川 淑 ほあかりのうた二編 158
すみくらまりこ さ・が・ら(玉縫い)−亡母(はは)へ−/はずばんど 160
武西良和 バス遠足 162
田島廣子 猫 164
玉川侑香 あんまのおばはん 166
司 由衣 ガラスの靴 168
寺本美智子 ご挨拶/ほえる少女/道連れ 170
戸田和樹 空木 172
中尾彰秀 時空のガラス 174
永井ますみ 備蓄する 176
名古きよえ 三人姉妹/桜貝 178
名古屋哲夫 つり/肉 180
西田彩子 神在月 182
根来眞知子 老化現象(1)/老化現象(2)/薬 184
野川ありき 八人家族 186
原 圭治 忘れた人 188
晴 静 潮風 190
日高 滋 サインポール讃歌 192
本多清子 祖父の恋 194
三島佑一 戦争好き日本人/鳩 196
村上知久 なんぼ/蛙語 198
山村信男 撞木町白日夢 200
横田英子 桐の箪笥 202
若松千恵子 修学旅行−親も行ったことない− 204
W 中国・四国
岡 隆夫 いちじく/珍味 208
佐藤勝太 おえりゃせんで/狐媚 210
重光はるみ どねんしょうか 212
洲浜昌三 おまえのかあさんでーベーそ 214
長津功三良 冬至 216
なんば・みちこ 迷い道 218
西きくこ 備後ばぁ(ばかり)の同窓会/お父ちゃん 220
藤川元昭 おえん奴 222
梶谷忠大 地異 224
小松弘愛 おおきに 226
堀内統義 散歩/妖怪 228
堀川豐平 よみがえりの芽生え 230
森原直子 樹/雲のはなし 232
X 九州・沖縄
宇宿一成 卵の孵る夢/どんぐり 236
岡たすく 言葉の遍歴/幼い日 238
門田照子 帰化 240
草倉哲夫 声の故郷 242
郡山 直 わが生まれ島の言葉 244
羽田敬二 空井戸 246
南 邦和 よかぐら 248
宮内洋子 梅雨明け/滴 250
柳生じゅん子 アンモナイト/羊 252
山田由紀乃 珍現象 254
飽浦 敏 鳥になった女(ひと)/ウブナン(大海の大波) 256
伊佐節子 座間味島 258
うえじょぅ晶 オバアノ ゲルニカ 260
ムイフユキ 琉球(るーちゅー)にて/琉球にて(るーちゅー)A 262
与那嶺千枝子 門中(ムンチュウ)/ちばりよー 264
おわりに 原 圭治 282
装幀・挿画 川中實人
帯文より
ことばにいのちを いのちに夢を
詩人の立つそれぞれの場所から懐かしい風が吹いてくる、未来の声が聞える
いま、取れたてのことば
日本列島122人の交響詩
○一枚誌『てん』50(終刊)号 |
2008.12.24
山形県鶴岡市 万里小路譲氏発行 非売品 |
<目次>
ティータイム/伊藤啓子
半身 伊藤啓子――詩集『ウコギの家』(二〇〇〇年)より/尾崎まりえ
留守 村山精二――詩集『帰郷』(二〇〇六年)より/万里小路 譲
水の妊婦 江島その美――詩集『水の妊婦』(一九八八年)より/いとう柚子
終刊号の今号では発行者の万里小路譲氏が拙詩集『帰郷』より「留守」について詳細な論評を加えてくださいました。感謝とともに全文を転載させていただきます。
留守/村山精二
雪原をラッセル車が走って来る
アノラックのフードを深く被って
小学生の私は気づかずに
無人の踏切をスキーで滑り抜けた
直後にディーゼル車は急ブレーキを掛けて停ったという
40年も前の北海道の原野でのことである
子供の後にはいつも神様がいて
幼児が倒れても頭をやさしく包んでくれる
溺れた子には葦を投げかけ
切り傷にはそっと薬を塗ってくれる
と聞かされていた
神はどこへ行ってしまったのだろうか
小学生が包丁で刺され
乳飲み子は母親に蹴られている
その手に包まれることもなく
神は死んだ
と ある男が言ったときから
去ったのかもしれない
しばらくの留守
ならば
殺された子の魂は
どこをさ迷えばよいのだろう
帰郷まで
村山精二は一九四九年、北海道赤平に生まれている。北海道の原野はこちら山形県庄内平野の自然とは様相を異にするにはちがいないが、風雪がどちらも厳しいことを想像するに難くない。慣れと安心が事故を招くというが、著者もまた事故に巻き込まれそうになった。踏切をいつもは確認して滑っていたにちがいないが、ラッセル車が走ってくるのをある時まったく気づかなかった。しかし、ああ、神様はあとについていて、激突のタイミングをはずしてくれたのだ。
スキーに興じた小学生時代、現在のようなセットはなく、ゴムの長靴のうしろを留め金で支えるだけで、かかとが浮き上がって足が固定されないスキーだった。だから、歩くスキーや直滑降だけのスキーだったが、歩いて十分ほどの公園の小山は子どもたちであふれていた。
その鶴岡公園に今、スキーに興じる子どもの姿はない。スキー場に連れていってもらえる子どもは幸運である。テレビゲームに興じるか、テレビ番組を見ていたり、あるいは宿題によって管理化された家庭学習をしているのだろうか。いずれにせよ、おかしいではないか。幼児虐待やニグレクトなどがあるという。そのような言葉はかつて聞いたこともなかった。神はどこに行ったのか。
「神は死んだ」とニーチェは言った。しかし、彼は代わりにツァラトストラという超人を創造したのだった。神が不在である時代を生きている、と仮定することはできる。しかし、神に代わる存在はあるのかどうか。かつて二世代あるいは三世代と家族を構成していた時代、祖父・祖母のような存在が神の代わりを務めていた。
思い起こせば幼少時、切り傷を負ったときなど、祖母は何を措いてもまず手当てをしてくれた。熱を出したら氷枕を用意してくれて、桃の缶詰をあけてくれたものだった。神様はいつも身近なところにいた。
近年、核家族が増えたため、子どもを自分では世話をせずに保育所に預ける形態が増えた。その弊害があらわになり、二世代同居を望む声が増してきているという。生きることを身をもって体験した祖父・祖母によって、子どもは慈しまれるだろう。やがてこの世を去りゆく者にこそ、次世代の子どもへの愛情が湧き起こるにちがいない。ところが現代、乳飲み子でさえ母親に蹴られるのだという。
詩篇「留守」が伝える悲痛は、気遣いが喪失した時代への哀悼である。しかしながら、詩集『帰郷』は他者への気遣いに満ちている。「2月26日木曜日」では、バス停で出会った若者の後ろ姿に、平和が失われた時代の哀悼を捧げる――〈先輩が築いた50年の平和を/僕らは君たちに遺せなかった/いい一日なんて今日だけなんだ〉。祈りは素朴で単純なものほど心に沁みる。あるべき社会を志向する内省が、詩人の祈りである。見知らぬ他者へ、これからの時代を代わって生きていく若者たちへ、悔恨とやるせない思いのたけがここにある。詩篇「今年の初日の出は」は、次のように閉じられる――〈何度でも青いたいのだ/今年こそ今年こそ/平穏な年で〉。
難しいことではない。平和や和平への希求はだれにでもある。希求するひとのこころのうちに、帰るべき家は用意されてあるだろう。難しいことではないはずなのに、どこかでこの社会は歯車が狂ってしまった。
留守とは、主が外出中に居残って家を守ることである。留守であるならば、いずれ主は帰って来る。しかし、〈魂は/どこをさ迷えばよいのだろう〉――殺された子には、帰りたくとも帰るところはない。帰郷とは家に帰ることであるならば、家は今どこにあるのか。そして主が留守ならば、子どもを見守るのは誰なのか。風雲急を告げる現代である。(万里小路 譲)
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