きょうはこんな日でした【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラカワハギ」 |
○総合文芸誌『星窓』2号 |
1999.12.20 大阪市中央区 星湖舎・金井一弘氏発行 1000円+税 |
日本詩人クラブ会友の梅澤鳳舞氏よりいただきました。詩、小説ばかりか漫画まであるという、ほんとうの総合雑誌です。
投票当日は電車にのり
遠くの方へ趣味の会合へ出かける
夜 開票場へいって開票風景をみる
しばらくして自宅へ帰り
深夜テレビで速報でだめだと知る
そして床に入る
供託金は没収である (梅澤鳳舞氏「泡沫候補」部分)
梅澤さんは市議選に出たことがある、ということを聞いたことがあります。この作品から、あぁ、本当だったんだと思いました。まだお若い方ですから、行動力があるなぁ、と思います。政治も詩も、ひとりの人間の中には必要なことですから、うまくバランスをとってやっていくんでしょうね。ご活躍を願っております。
○島木綿子氏詩集『橋・透明のポストへ』 |
1990.1.26 神奈川県座間市 ブルーキャニオンプレス社刊 2000円+税 |
ホテルミラマの女たちの晩餐
(4)
ベンツのタクシーで海上のタイパクレストランへ
ギブミイユアヘンドとウイリアム・ホールデンがふりかえった丘へ
少女の時間を買いもどした勢いの 女わたしたち
を
くぎずけにしたその丘は 私有地になっていて
甘いラヴストーリーもメロディも
幸せにやきもち焼く神の化身の蝶もなく 風が何と
ふさわしかったことか
めぐりめぐってきた風だけが旅の周囲に吹く
ホテルミラマの晩餐に運ばれる銀のトレイに
有りもしなかった少女の時の夢もろもろ盛って
バッグにかくし持参した郷土のアブラみそのせ
クリスタルのまぶしさに細める目を
ゆれる赤い酒の色ほど染めて女たち いちにのさんで
飛びたった男たちの数かずに
飛びたたせた水色の影の数かずに グラス合わせる
(1)〜(4)という章のなかの最終章を紹介しています。この場面は、米軍将兵を相手にする女たちが香港に旅行した、という設定になっています。「飛びたった男たち」は航空兵、「飛びたたせた水色の影」は軍用機の海上に映る影、と解釈して間違いなかろうと思います。
時代としてはベトナム戦争でしょうか、まだ米兵の方が日本の男たちより金持ちだった時代でしょう。非常に珍しい立場をとって書かれた詩集だと思います。御殿場や横須賀で黒人兵と片ことの英語で呑んでいた頃を思い出します。
ああ、そうだったのか、と気づかされました。「飛びたたせた水色の影の数かずに グラス合わせ」ていたのか。そこにはどんな感情があったんだろうか、と。一緒に呑んでいた黒人兵のどこか淋しげな面影を思い出したりしています。
○詩誌『饗宴』22号 |
2000.1.1 札幌市豊平区 林檎屋・瀬戸正昭氏発行 500円+税 |
たかのり
始まりの日 −貴紀へ/村田 譲
いつもと変わらぬ一日なのに
出会いがある----
(そんな確信に触れてしまった朝)
だから今日が 始まりの日
なにも支えてなどいないのに
これから毎年 この日に会える
きみに出会う 予感も
きみに出会った 初めての印象も
きみが生まれた時間に
待っていたのは
きみのお母さんとお父さんの二人だけ
出会いは
ちいさなちいさな誕生日
それなのに鐘の音は
おおきく響きわたり
心に訪れてくる
二千年前のイエズス様も
ちいさな誕生日を受け取ったのだ
とおとい
貴い紀元に
最初はこどもを起こさぬように
ちいさい声で
乾杯----を
次に誰と出会うかで世界は広がるんだ
貴紀、きみの今日に(ジュース)で乾杯
病気だ、死んだ、という詩ばっかり見ていると(失礼!)、ほっとしますね。村田さんもお父さんなんだ。お会いしたことはありませんが、『饗宴』のお写真を拝見しているとお若いとは思っていました。お父さんになる年代なんですね。私なんか下手をするとおじいさんになる年代ですよ(^^;;
昔から子供のことを書いた詩は、大詩人と言えども碌なものがない、と言われているそうです。そうかもしれませんが、この詩に限ってはそんなことはない、と言いたいですね。私はそれは「次に誰と出会うかで世界は広がるんだ」というフレーズがあるから、と言います。これだけ客観的に子を見ることは、実はなかなか難しいことではないでしょうか。現代の詩人の眼だと思います。
私も神奈川の片隅から、貴紀君に(焼酎お湯割)で乾杯!
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