きょうはこんな日でした【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラカワハギ」 |
○鬼を追跡調査する探偵団 『六甲倶楽部報告』51号 |
1999.12 兵庫県篠山市 六甲倶楽部・岡田親彦氏発行 非売品 |
『山脈』同人の堀内みちこさんからいただきました。鬼の研究会って、意外にあるんだなぁ、というのが正直な感想です。この中で堀内さんは「ワタシの中のオニ」というエッセイを書いていますから、一部を紹介しましょう。
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お国のためとかなんとか言っちゃって、若者を特攻機に乗せたんだ。「恋の片道切符」って歌じゃない。死への「片道切符」を否応なく握らされて、白いスカーフなびかせ、別れの杯交わしたりなんて、まるで安っぽい素人芝居だね、そんなことさせてさ、英雄を送り出すかのように人生がどんなものかも知らない、知る時間も無かった若者を、帰りの燃料が積んでいない、ちっちゃな飛行機に乗せたんだ。
これって、オニより凄いんじゃないの。
オニが堂々と人間社会に共存してたら、人間の恐さ残忍さに、さっさと逃げただろうね。オニも棲まないなんて人間が言ってる鬼無住(きなさ)村に。
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うん、確かにね。人間の方が怖いと思いますよ。鬼は悪さをしたとしても人間にだけだけど、人間は地球まで壊すことができるからね。おっと、堀内流の語り口になってしまいそうだ(^^;;
奈良には別の鬼研究のグループがあって、そこは鬼は善である、という立場で研究しています。見方によって随分違うもんですね。
○季刊詩誌『詩と創造』32号 |
2000.1.1 東京都東村山市 書肆青樹社・丸地守氏発行 価格不明 |
以前にも書いたことですが、この詩誌の優れた特徴に韓国詩人の翻訳が多くあることです。今回もそうでした。その中から次の作品を紹介します。
嘔吐/崔勝子・韓成禮訳
今日私が聞いたビッグニュース、グッドニュースは、
神はこの世界を創造しなかった、
われわれがこの世界を造った≠ニいうものだ。
世界をこんなふうに創造した神は
殺してしまわなくちゃ、という詩を書いた
私は今解放された。
そのニュースを聞けなかったなら、今日にでもさしずめ
私は彼を殺してしまっただろうから、
そして神の殺人者になっただろうから。
創世記という名の小説、または映画の中で
その構造と進行に縛られ呻吟していた一人の女が
そのストーリーの外へ軽く抜け出る。
いったいこんなストーリーを書いた作家は誰だろう。
殺さなくちゃ。私はその中の、ある苦痛の
配役として存在するのは嫌だから、そして
私の兄弟達もすべて脱出させなくちゃならないから、
この作家を殺さなくちゃ、きょろきょろしながら、
ちびりちびりと嘔吐しながら。
けれどその時、ある手が私の背中をたたき
私に言う。おい、それも夢だ。夢で
いくら殺したって何になる、ただその夢を
赦すのが一番いい、赦しが一番
完璧に抜け出る道だ=B
私はその時はじめて、私が彼を太古から
知っていたということを思い出した。私は彼を知っている。
そして今やっと悟る。すへての旅は価値のない旅であり、
すべての旅は帰ってくる旅であり、
すべての旅は旅立ったのでもなく
眠りの中の、夢の中の旅だということを。
「世界をこんなふうに創造した神は/殺してしまわなくちゃ」という発想が新鮮ですね。私は「神々は何歳で死んだのだろう」というフレーズを書いたことがありますが、殺すという発想にまでは至りませんでした。うーん、凄い。
それと「すべての旅は帰ってくる旅であり」というのも虚を突かれた感じです。旅とは、遠くへ行くものという固定観念がありますから帰ってくる、というふうには考えられませんでしたが、こういう発想ですと安心ですね。ああ、そうか、人生というのはもともと居た場所に帰る旅か、となるとホッします。
翻訳のせいもあるんでしょうが、こうやって見ていくと韓国には優れた詩人が多いなと、つくづく思います。なにせ詩集がベストセラーになるそうですから詩を理解する人も多いのでしょう。そういう所で鍛えられているんでしょうね。
○沼津の文化を語る会会報『沼声』235号 |
2000.1.1 静岡県沼津市 望月良夫氏発行 非売品 |
「沼宮内」という沼津の地方色を出したページ≠ノ尾崎啓子さんという方が「路上の挨拶」というエッセイを書いていて、次のような個所がありました。
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礼儀作法全般にも言えることですが、知らない人にできてこそ本物ではないでしょうか。改札口やエレベーターの「ゆずり合いの礼」、人の前を通る時の「前通りの礼」があるものです。先日混雑した都内のデパートで「うしろ通ります、すみません」と言いつつ過ぎたロングヘア、茶髪、イヤリングの三人の青年の美しい挨拶がありました。
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そういえば同じようなことがあったな、と思い出しました。私の場合は新幹線の三人掛け座席でのこと。前の座席に同じようなロングヘア、茶髪、イヤリングの三人の青年がドヤドヤと入ってきた。嫌な連中が来たなと舌打ちしたところ、そのうちの一人が急に振り向いて私を見ました。しまった、舌打ちを聞かれてしまったか!
「座席を倒してもいいですか?」ホッとして、次の瞬間、込み上げてくるものがありましたね。なんて礼儀正しいヤツなんだろう! しかも澄んだ眼で私をにこやかに見ているではないか。もちろん「どうぞ」と応えましたよ。
その次に訪れたのが、オレは礼儀正しくないんだな、という自責の念でした。直角のシートは倒すのが当然だと思っていますから、後ろの人を見て、倒しても問題なさそうだと判断してから倒しています。いきなり前の座席が倒れてくるのが当たり前ですから、確認する自分はなんてエライんだろうと思っていたぐらいです。
その一件と尾崎さんの文を見て、自分の狭量さを知りました。偏見も持っているな、と自覚しました。これからはちゃんと声をかけて。うーん、でも恥ずかしいから後ろに人のいない座席を探しそうだな、これは。
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