ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.7.15(土)

 今日、明日はスコップ持って土方作業です。小中学校のプールは学校から離れた位置にあって、そこに至る何本かの道のうちの一本が荒れています。道幅も90cmほどしかなく、樹木の整備もされていないので、プールに行く児童が困っているという訴えが自治会にありました。自治会長が市に相談したところ、市道でなく自治会の道だから、現物(生コン)は支給するから人手は自治会で、ということになりました。道を無償で広げてもいいという地主の協力もあったので、じゃあ自治会役員だけで作るか、ということになったんです。
 今日は午前中だけの勤労奉仕で、生コンを流す前の下準備をしました。120cm幅で80mちょっとを10cm掘り下げるというものですが、実はこれを人手でやるのは大変なことです。夕方からは新宿で出版記念会があるんですけど、おそらくヘタばって出席できないだろうと、欠席にしておいたほどです。
 作業場に行ってみて喜びましたよ。ユンボが来ているじゃありませんか! 幅1mの小さなユンボですが、これがあれば百人力、人間は簡単な作業だけで済みます。思った通り、11時には作業終了。缶ビールを呑みながら下準備された道を見ましたが、コンクリートの側溝を含めて150cmの立派な幅になっていて、道にはみ出していた樹木もきれいに切られて、いい道になりそうな雰囲気です。
 こんなわけで夕方は新宿に出かけました。日本詩人クラブ会員の船木倶子さんのご亭主、俳優の故・粟津號さんの『俳優
(わざおぎ)がゆく』の出版記念会・偲ぶ会です。

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壇上で紹介する船木倶子さん
 
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粟津號さんの遺影

 出版記念会兼偲ぶ会というのは不思議なものです。片やお祝い、片やお悔やみ。実のところ私も服装に困ってしまいました。結局、夏の暗い色調のスーツにしましたけど、中には喪服の人もいましたからそれで良かったんだろうと思います。会そのものは司会者の配慮もあって、献杯ではなく乾杯で始まりましたから、暗い雰囲気ではなく終始明るいムードでした。こういう会の持ち方として勉強になりました。
 粟津號さんとは直接お会いしたことはないんですが『俳優がゆく』で人柄は判りました。この会には280名の出席があったそうで、顔ぶれを見ていても粟津さんの交友が判り、人柄もさらに理解できたつもりです。『俳優がゆく』の感想は
2000.6.7にアップしてありますので、そちらもご覧になってください。


山本倫子氏詩集『以後無音』
igo muon
2000.7.20 東京都東村山市
書肆青樹社刊 2200円+税

 以後無音

鉄道隊にいた彼は
鉄路の行く先を知っていた
着かず離れず鉄路に沿って行く

牡丹江付近から奉天まで
撃たれた足を引きずって

こどものとき
土佐犬にまんじゅうを見せたあと
石ころを口に入れたというから
人が怖がる野犬
(ノロ)など怖くはないのだ
怖くはないが人に出会うのを恐れた
殺すか 殺されるか

生き残った二人が何を話し合って
何を食べて辿り着いたのだろうか

飢餓は ひもじさだけでは推し測れない
生きる ということは食うということ
食う ということの人の罪
恥ずかしさ おぞましさ

こうして二十三歳の青年は無傷の人と
日本人の集まっている奉天まで辿り着いた
固い握手の後 二人は別れた
以後無音

 この後に「銃声と静寂」という作品があり、そこでは「二十三歳の青年」がシベリア送りの車両から脱走し、銃で撃たれて「撃たれた足を引きずっ」た理由が判ります。そして「二十三歳の青年」が現在の作者の夫であることも。
 いいタイトルだと思います。最初はタイトルの意味が判りませんでしたが、最終連で疑問は解けました。普通なら「以後音信不通」とでもするのでしょうが、さすがは詩人の言葉です。詩史にも残る作品、タイトルではないかと思います。タイトルだけでなくご亭主の人柄も「石ころを口に入れた」という一言で浮かび上がってきました。緊張感と、戦後のあわただしさをすべて言い尽くしているような作品です。


丸本明子氏詩集『無音』
muon
2000.6.26 大阪市北区
編集工房ノア刊 2000円+税

 葱坊主

葱坊主が並んで風に揺れている

畑の主は
つい先日 この世を去る

風が 沈む
風が 浮く
風が 通過する

人影が 振り返る
人影が 落剥する
人影が 遣られる
人影が 潰れる

沈思の 闇夜
鎌を研ぐ 人影がある

葱坊主が 並ぶ畑
倒れて
散って
踏まれて
消滅する

 この作品には作者の深いところでの悲しみが表れているように思えてなりません。なぜ「つい先日 この世を去る」なんでしょうか。普通ならつい先日 この世を去った≠ニ過去形になるはずなのに、現在形になっています。それはとりもなおさず作者にとって「畑の主」の死は、現在も終わっていないことを表わしていると思います。想像するに「畑の主」の死は、終わったと片づけられない理不尽なものを含んでいるのかもしれません。その理不尽さえの憤りが作者をしてこの作品を書かせていると考えるのは、深読みでしょうか。
 最終連も意味深いものがあると思います。そこにはただ葱坊主が消滅しただけのことでなく、消滅したことへの憤り、消滅する課程への憤りを感じてなりません。キーワードは「人影」にあるようですが、残念ながら私の頭では人影の意味するところを汲み取れませんでしたが。「鎌を研ぐ」の意味をもう少し考える必要があるのかもしれませんね。でもそれを外して考えても、作者の悲しみは伝わってきました。


三木英治氏著『太陽の遊歩道』
taiyo no yuhodo
2000.7.7 大阪府豊能郡能勢町 詩画工房刊 2000円

 三木さんのライフワークになるのではないかと思っているジャン・コクトーにまつわるエッセイが中心になっているエッセイ集です。コクトーに対する愛情に満ちた文章で、読んでいて思わず引き込まれてしまいました。私もコクトーについては人並みには知っているつもりでしたが、三木さんが紹介しているコクトーの次の言葉は知りませんでした。

   やがて嘘になる真実(歴史)よりも、やがて真実になる嘘(神話)

 コクトー研究家にとっては当然知っている言葉なんでしょうね。そんな言葉も知らずに「人並みには知っているつもり」などと書いている自分を恥じます。まあ、それはそれとして、いい言葉ですね。「嘘(神話)」というのはコクトーの場合であって、神話は人によって変わってくるんではないでしょうか。そういう普遍性をもっていると思います。この本にはコクトーばかりか西鶴についてや、詩集評もあめんですが、この言葉が一番印象に残りました。勉強させてもらって感謝しています。



 
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