きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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桜(春めき)
2005.3.25
神奈川県南足柄市・春木径にて
 

2005.4.24(日)

 今日は久しぶりに若い女性とデートしました。若いといっても40は過ぎていますね。でも、私から見れば一回りも若い(^^; 昔の職場で一緒だった人で、先週、話をしたいと電話があって、今日を指定しました。昨日は市ヶ谷で泊りでしたから、小田原までクルマで迎えに来てもらって、私の車が止めてある会社の駐車場まで送ってもらおうというコスイ魂胆です。

 昼食を摂りながら3時間ほど話を聴きました。案の定、家庭のことでした。彼女は拙宅にも何度も来ていますし、結婚する前には相談にも乗っています。本人も言っていましたが、人生のけじめけじめで困ったときの相談相手が私なんだそうです。で、今回もその延長だったわけですね。ま、私の話はいいかげんですから、どこまで役立ったことやら…。でも、みんな一所懸命生きているんだなという実感はありました。問題が片付いたら一緒に酒呑みに行こう! これは密かなオヂサンの願いです(^^;




詩誌『環』116号
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2005.4.20
名古屋市守山区
若山紀子氏方・「環」の会 発行
500円
 

   神谷 鮎美  ブレスト 2
   東山かつこ  寡黙 5
   菱田ゑつ子  一輪の花のために 8
   森 美智子  雨水
(うすい) 10
   神田 千佳  夢見る細胞 12
   若山 紀子  紫いろの切符を 14
   安井さとし  居酒屋くるみ 16
   さとうますみ 花の夢 20
   松田 利幸  長老 22
   高梨由利江  雨がふる 24

   <かふえてらす>
   東山かつこ 26
   松田 利辛 26
   神田 千佳 26
   森 美智子 27
   菱田ゑつ子 28
   神谷 鮎美 28
   若山 紀子 29


    長老    松田利幸

   なぜ老人は敬うべきなのか
   永く生きてきたから尊いのか
   価値があるのか 生きているだけで

   黒澤明「七人の侍」の老人
   盗賊が村を襲うと知った村人が
   長老の家に集まる どう対処すべきか
   長老は静かにいう
   昔 首姓が武士を雇って村を救った
   やるべし
   映画は力を合わせ村を守ったところで終る
   黒澤は そんな記録を何処かで読んで
   ヒントになったという

   スマトラ沖に大地震があった
   渚が急に引いていき
   魚がとり残され跳ねていた
   うにや海藻が姿を現わした
   子ども 大人までもが喜んで
   潮の引いた海へ入っていった
   その後の惨劇は語るまい

   長老が存在しなかった ここには
   観光地には長老などいない
   地震も津波もかつてあった この地も
   次の世代に伝える 出来事と知恵を
   持っているのが長老
   永く生きていることに価値がある

 「七人の侍」という映画の世界と、現実の「スマトラ沖」の「大地震」を巧く重ね合わせた作品だと思います。こういう風に書かれると説得力が増しますね。もちろん私も「永く生きていることに価値がある」と思います。若者だけに焦点が当てられて、「長老」が無視される時代が長くつづきましたが、ここらで反省する時期だろうとも思います。世界中どこへ行っても「観光地」です。実際の観光地ではなくても精神的な観光地が多いと云えましょう。「観光地には長老などいない」という警句に耳を貸す必要があるでしょう。そんなことを考えさせられた作品です。



季刊詩誌『新怪魚』95号
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2005.4.1
和歌山県和歌山市
くりすたきじ氏方・新怪魚の会 発行
500円
 

      山田 博(2)きのうた
      桃谷延子(3)介護日記
      井本正彦(4)春らし
     岩城万里子(6)日暮れて
      水間敦隆(8)風の在りか
    くりすたきじ(10)朝の日記 2004夏
      福島寛子(12)初めての記憶
     曽我部昭美(14)うみどり
     寺中みちこ(15)笹ゆり
      上田 清(16)営為(32)
      岡本光明(18)笑いの時間
     中川たつ子(20)落 日
    佐々木佳容子(22)見ている
      エッセイ(25)上田清
      編集後記(26)


    朝の日記 二〇〇四夏    くりす たきじ

   夏の空は
   どこまでつづいているのかな
   ぼくの知らないところで
   白い雲は 美しく染まっているのかな

   あなたはどこまで美しくなるのかな
   夏の空のように
   だれかに 恋しているのかな
   だれかに 愛されているのかな
   ぼくのことばはもう
   あなたに追いつけない

   ことばは季節のように
   めぐり逢うことはないのかな
   昨日の約束は いつかなうのかな
   夜明けを待ちわびて
   かたちをなくした
   朝のことばは哀しいから
   捨てるつもりの一日がはじまるのなら
   ぼくは素直に
   あなたをだきしめて
   「愛シテル」
   と 言えるのに

   うそつきなぼくはいやですか

   夕日がまよわず海に帰るように
   ふりかえらずに
   まっすぐ果ててゆく人生でいいのかな
   あなたがそばにいるだけで
   満たされているから
   もうぼくの空は動かないけど

   どこまでつづくのかな
   ことしの夏は

 「朝の日記」というタイトルが、まず面白いと思いました。普通、日記は夜書くものでしょうが、ここでは「昨日の約束」があるから「夜明けを待ちわびて」書いていると採れますね。でも「かたちをなくした/朝のことばは哀しい」、「捨てるつもりの一日がはじまる」となっていますから、ちょっと後向きなのかもしれません。
 表面的には「あなた」を「待ちわびて」いる、相手は女性である、と考えられますが、どうもそれだけではないだろうと感じます。具体的な詩句を採り上げて説明するのは難しいのですけど、例えば「ことば」だったら? そんな広く深く考えられる作品だと思いました。



作品集『河口の街から』2集
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「くりすたきじのポエム教室」作品集
2005.4.30
和歌山県和歌山市
編集工房MO吉・くりすたきじ氏 発行
非売品
 

   おいしかったよ/小倉尚子  5
   窓の外へ/岡崎有里子    6
   はじける夕日/橋本隆子   7
   つくしの家族/市川智津子  8
   車中にて/市川智津子    9
   夜明けまで/市川智津子   10
   陽だまりの街/くりすたきじ 11
   あとがき          12


    はじける夕日    橋本隆子

   いつかいつか
   みんなと肩を並べて眺めた
   水平線のかなたへ
   静かに静かに消えて行ったっけ
   どこへどこへ行っちゃったの
   その時のことが浮かんできた
   不思議な光景にもどされる
   まるでヨード入りの黄身のようだ

   ぷりんぷりんの卵が
   だんだん大きく大きく
   ふくらみ はじけた
   はじけてまばゆい宝物のように
   西の空いっぱい いっぱいに

   ちりぢりになってしまったみんな
   どこでどうしているかしら
   同じ思いで眺めているだろうか
   また逢える日を待とう

 くりすさんの詩の教室で、詩を書き始めたばかりの人のようですが、良い感性を持っていると思います。「どこへどこへ行っちゃったの」というフレーズでハッとさせられました。私も「みんなと肩を並べて眺めた」ことは数限りなくあったのですが、そういえば彼ら彼女らはどこへいっちゃったんでしょう。ある日、忽然といなくなっています。考えれば、引越しをしたり、お嫁に行ったりで説明がつくんですが、そういう説明≠ナはなく、精神的に「ちりぢりになってしまった」という感覚です。この感覚は詩を書く上では非常に大事で、作者はそれを持っている人だなと思います。その哀しみ、人間の持っている本質的な哀しみを知っている人だなと思います。
 「その時のことが」「不思議な光景にもどされる」ようだ、「まるでヨード入りの黄身のようだ」という感性もすごいですね。もっとたくさんの詩を拝見したいものです。



四方彩瑛氏詩集『飄飄』
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2005.6.1
大阪府交野市
交野が原発行所刊
非売品
 

   余所者  6
   隠処  8
   胎内幻想  12
   あくがる  16
   いたずき  18
   おぼこい  20
   ひとり  22
   牛乳、そそいで  26
   あるらし  28
   林檎  30
   過食症  32
   疑惑  34
   春宵  36
   シンプル  40
   帰りたい  42
   紺珠座敷  44
   冷夏  48
   昔々の朝  52
   住宅地・夜明け前  54
   鏡影  56
   雛語り  58
   いくらか前の日常  60
   雀色時  62
   一日分の残骸  64
   水印  66
   帰路  68
   濃度  70
   アンバランス  72
   けそう  74
   凝視  76
   鳥葬  80
   あとがき  82


    ひとり

   欲しいものは、食器棚である
   食器棚を管理することは
   つまりは、自分の食を管理することで
   あなたに作られたくなかった
   この家を出て
   まず一番に大きな食器棚を買う
   自分の食生活を
   自分の内臓が取り入れるものを、支配したかった
   そして
   自分自身を自分で支配したかった
   食器棚があれば
   それができると思っていた
   ガラス戸の付いた立派な食器棚に
   白い丸皿とお茶碗が一つずつ
   それだけで
   私は自分自身を支配できる、はずなのだ
   引っ越したばかりの何も無い一室に
   部屋を覆う食器棚とうずくまる私だけ
   これがあるから、私はここに留まることができる
   私はもう移ろわない、はずだ

 「食器棚を管理することは/つまりは、自分の食を管理すること」というフレーズにびっくりしました。言われてみるとその通りなんですが、食について真面目に考えていない私には想像も出来なかった発想なので驚いてしまったわけです。でも、考えてみると「自分の内臓が取り入れるものを、支配」することは「自分自身を支配」することなんですよね。

 著者はまだ大学生で、たぶん第一詩集だろうと思います。詩誌『交野が原』『石の森』の同人です。このHPでも著者の作品を何度か紹介させたいただいております。詩集中の
「胎内幻想」「牛乳、そそいで」はすでに紹介していますので、合せてご覧ください。詩集タイトルの「飄飄」という作品はありませんが、著者の飄飄振りが判ると思います。ユニークですが意外と理詰めの佳い詩集です。



隔月刊詩誌『石の森』127号
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2005.5.1
大阪府交野市
交野が原ポエムKの会・金堀則夫氏 発行
非売品
 

   詩作品
    シャウト!       美濃千鶴  1
    さがしもの       夏山直美  2
    ラッキー・ピッグその他 南 明里  3
    波留          四方彩瑛  4
    ドーナツリング     山田春香  5
    金渦          山田春香  6
    ツアー         大薮直美  7
    決意          大薮直美  7
    少女と少年       西岡綾乃  7
    いばら姫        佐藤 梓  9
    登龍之瀧        金堀則夫 10
    サクラ         高石晴香 11

   エッセイ
    躑躅と髑髏       四方彩瑛 12
   書評
    作田教子詩集『耳の語法』を読んで 美濃千鶴 13
   あとがき 15


    シャウト!    美濃千鶴

   もったいぶって身をくねらせる湿気まみれのことばや
   茫漠と霞みがかった日曜の午後の空のような怠惰や
   小学校のグラウンドで生まれたしょぼい竜巻のようないらだちを
   すべて吹きとばすために

   シャウト!

   このしょうもないわたしとわたしの日常を
   神様どうかお救い下さい
   不満たらたらの老いの果てに逝ったじいちゃんを
   あなたの御胸に引き受けてやって下さい

   シャウト!

   ああ論理でもなく言説でもなく
   説諭でもなく戒告でもなく
   暴言暴論何でもありで叫ぶことができたなら
   この世の滞在期間も少しは延長されるはず

   シャウト!

   歌うより叫びたい 踊るより殴りたい
   天に逆らい 地に背き
   ぼろぼろの腹筋と切れそうな声帯と
   数値不詳の肺活量で

   脳漿を搾り 脳髄を磨耗し
   執行猶予の中耳炎に心神耗弱の偏頭痛
   塩酸称讃目の当たりにして
   世界の破壊を一身に浴びて

   シャウト!
   シャウト!

 投げ遣りぶっていますが、なかなか計算された作品だと思います。「小学校のグラウンドで生まれたしょぼい竜巻のようないらだち」という喩も佳いし、「不満たらたらの老いの果てに逝ったじいちゃん」の裏にある愛情も見えます。「歌うより叫びたい 踊るより殴りたい」というのは、たぶん本音でしょうね。そう感じるのが若さだと思います。「塩酸称讃」はもちろん塩酸硝酸≠フ遊びでしょう。私もたまにはこういう作品を書いて、ストレスを発散したいものです。



個人詩誌HARUKA 184号
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2005.5.1
大阪府交野市
交野が原ポエムKの会・金堀則夫氏 発行
非売品
 

   ☆(ニセモノの星とホンモノの記号)1
   癖モノ              2
   ちょっと真剣な話         3
   記憶の住みか           4
   《はるぶみ》           5


    癖モノ    山田春香

   だれにでもクセはあるもの
   ちなみにわたしは眠くなると
   髪をいじるクセがある
   昔はそうしなければ眠りにつけなかった
   それが成長しても直らないのかと思うと

   幼いながらにかなり凹
(へこ)んだ

   今はクセに頼らなくても眠れるが
   眠気が襲うときにはクセは健在だ

   そうやってクセは自分に付きまとう
   字や話し方、しぐさなどに
   いつの間にか住みついて
   無意識の自然体になって居る
   それが犯罪の多い現代の捜査には
   役立ったりもするそうだが…
   四本足の動物にだって
   きっとクセがあるはずで…
   クセはきっと
   自分の存在の材料でもあるだろう
   …なんて思ったりしている
   なにも悩むことなんかないのかもしれない
   人間が
   食べて、出して、眠るように
   クセだって「定着」のひとつじゃないか
   それが人とは違っても
   自分の一部で
   それで自分は成り立っているのだから…
   クセが繰り返されることで
   その度に自分が確認される

   どこか遠くでもうひとりの見物者が
   髪に手をやるわたしをじっと見つめている

 昔から無くて七癖と言われていますけど、癖=個性だと思っています。逆に言えば個性=癖とまで言えると思っています。それを作者は「クセはきっと/自分の存在の材料でもあるだろう」と言っていると思います。うん、佳い言い癖だ(^^; その意味では「クセが繰り返されることで/その度に自分が確認される」というのは正解でしょうね。

 癖の最たるものが詩なんでしょう。詩に限らず文芸・芸術全てが個人の癖に立脚しています。もっと拡大して考えると、個性が無い≠ニいう言い方はハズレで、それは個性を見ていない者の言い方です。個々の全てが個性なんだと私は思っています。表現の上手い下手はありますけどね。これからも作者の個性を「じっと見つめてい」たいと思います。




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