きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2005.10.9 栃木県 | ||||
「ツインリンクルもてぎ」にて | ||||
HONDA CB250 | ||||
2005.11.11(金)
昨日は関連会社との定例会議で品川に出張していました。会議が終わったあとは相手の会社と懇親会、相手の会社が都合が悪いと弊社だけで懇親会が慣習になっています。昨夜は相手の会社のメンバーも都合が悪く、弊社の社員もほとんどが都合が悪くて、久しぶりに懇親会ナシ! 私もここのところ体調不良で呑んでいませんでしたから、まっすぐ帰る……と思っていたのですが、弊社の社員のうち、ひとりだけ都合が良い(^^; しかも呑みたいンだって! 私も根は嫌いじゃありませんからね、結局二人で呑むことにしました。
いつもは都内で呑むんですが、二人とも住んでいる処は神奈川県。珍しく横浜で呑むか!ということになって、横浜駅東口の駅ビルにある店で呑みました。1ヵ月ほど外で呑んでいませんでしたからオッカナビックリ。焼酎だけで我慢しましけど、まあ、大事なく呑めて、帰宅できて、これで解禁かな(^^; だんだん体調も戻っているようです。
○個人詩誌『伏流水通信』17号 | ||||
2005.11.10 | ||||
横浜市磯子区 | ||||
うめだけんさく氏 発行 | ||||
非売品 | ||||
<目次>
詩
夕焼けと苺………………………長島 三芳 2
傘立てに忘れた傘………………渋田 耕一 4
黒い鳥………………………うめだけんさく 6
言葉にならない…………… 〃 7
夢の中の旅………………… 〃 8
崩れる……………………… 〃 9
*
フリー・スペース(16)………すみ さちこ 1
ああ言えばこう言ってみる
*
<エッセイ>
イジメの反映………………うめだけんさく 10
後 記………………………………………… 12
深謝受贈詩誌・詩集等……………………… 12
「十代はアフリカ、熱く未熟である」
「二十代はアメリカである。若々しく活気がある」
「三十代はインド、熱く神秘的である」
「四十代はヨーロッパ、歴史の重みがある」
「五十代はローマ、ところどころに遺跡がある」
「六十代はエジプト、いたるところに廃墟がある」
「七十代はツンドラである。そこにあると、誰もが知っ
ているが、誰もそこへは行きたがらない」
詩ではありませんがフリースペースですみさちこさんが書いているものを紹介してみました。何かで読んで、一読して覚えてしまったそうです。女性の年代別比喩(^^; 思わず笑い転げてしまいました、失礼! 四十代から七十代が何とも言えませんね。ん? 八十代になったら何と言うんだろう? 南極、清純であるが住めない(^^;;;
これに対する反論は、「少年時代、男は黄薔薇である。愛らしく繊細で、清潔な脆さがある。それ以後の男は杉木である。清々しく真っ直ぐに天を指すが、濁った橙色の大量の花粉を撒き散らすチャンスを片時も忘れることは無い」。これはすみさんも書いていますが褒め過ぎ。誰が、もっと毒のあることを考えてみてください。
○おだ じろう氏詩集『水辺の記憶』 | ||||
新・現代詩叢書11 | ||||
2005.11.15 | ||||
横浜市港南区 | ||||
知加書房刊 | ||||
1300円 | ||||
<目次>
T いのち
山路で 10 春 12
石投げる少年 15 最後のランナー 18
柔らかな窪み 21 古希 25
脚を動かす 27 添え木 30
ついて逝ったひと 33 地球、そのふくよかな運命 37
U よどむ
孤影 42 花冷え 45
予兆 48 なで肩の人間 51
虫が死にそう 54 カーブ 56
十一月の花火 58
V 残照
藁の記憶 64 手編みのベレー 67
苦瓜 70 剪定 74
すってんころり 78 増えていく後ろ姿 81
愁い 84
W いのり
凌ぐ 88 野いばら 90
遺産 92 崩れる 95
風景 99 証拠 103
X みず
お盆、水辺の記憶 110
「あとがき」に代えて 118
題字 おだじろう 装幀 出海渓也
なで肩の人間
その装いに精彩はない
外に出るときは型通りどぶねずみの背広
家ではそこいらのスーパーで買った
ポロシャツにトレパン
近所の人と顔をあわせるたびに
ペコリと頭を下げるが謙(へりくだ)った様子はない
その顔は何処といって
目だったところはない
二つの目と耳そして鼻と口
頭に毛髪は生えており
一応の体裁は整っているが
一度会っただけではすぐに忘れ去られる
顔だ
ただ
相手が理屈に合わないことを
声を大きくしてしゃべり始めると
その目は水を打ったように静寂が広がり
瞳の奥がきらりと光ることがあるが
大方の人はそれに気がつかない
その声はぼそぼそとしており
冴えない口調は
ひとびとの注意をあつめたことはないが
耳を澄ませて漏れる言葉を聴いている者は
岩のような意志と道理(すじ)のある主張に
居住まいを正さざるを得ない
彼は
なんとか食っていける職業に就いており
家族とともに住むための
ローンで建てた家もあり
毎朝出勤し
夕方は帰って晩酌をするのが楽しみという
なで肩の人間だ
今日午後
街角ですれ違ったような気がする
私は
その男が怖い
紹介した詩は、この詩集を代表するような作品ではありませんが、著者の基本的なモノの見方や姿勢を表出させていると云えるでしょう。「一度会っただけではすぐに忘れ去られる」「なで肩の人間」が持っている「岩のような意志と道理のある主張」を見抜く「私」を好ましく思いましたが、それ以上に最終連には感動しました。「私は/その男が怖い」とまではなかなか言えるものではありません。人間に対する畏怖≠見事に表現した作品に初めて出会いました。
そんな思想に裏打ちされた詩集です。2005年、収穫の一冊です。
○寺田 弘氏詩集『三虎飛天』 | ||||
2005.11.1 | ||||
東京都東村山市 | ||||
書肆青樹社刊 | ||||
2500円+税 | ||||
<目次>
T
交信不能 12 弔歌 16
先輩 20 惜別 24
生誕百年 28 旅立ち 32
都会のスケッチ 36 巡礼の象徴 40
雨だれのように 44 阿多多羅の空 48
風花の宿 52
U
迦莉という人 58 沈香の人 62
手紙 66 ダイヤモンド 70
生理 74 握手について 78
切り抜かれた光 82 白い冬 86
山の湯 90 唱歌 94
雨のなかで 98 決定のとき 100
広野幻想 104 上海の「つう」 106
西の門幻想 110 兵馬俑 114
言葉を捜す 118
あとがき 122
扉書 上林猷夫 装画・装幀 丸地守
迦莉という人
原稿が届いた
二重封筒の裏には住所氏名があったが
原稿の詩の署名は迦莉という名前であった
(迦莉という詩人はいない)
――ご指示の原稿一応同封いたしましたが、
お役に立ちますかどうですか。若しお使い
下さるなら、どうか名前を迦莉又は迦利と
してお出し願いたく――
丸味をおびたクセのある字である
――何とも失礼な申し分ですが、あちこちへ
のおかしな義理があってやむを得ない点で
諒承ねがいあげます――
迦莉という筆名のまま編集した原稿は
印刷所に送られた
そして 昭和八年九月十七日
その人の訃報を新聞は報じた
原稿署名の迦莉という本人は消えた
その人の弟さん*にも問い合わせたが
迦莉という名で発表した作品はないという
「青年産業報告会」という詩が宙に浮いた
その手紙の終りには
九月五日 寺田弘様 とある
ペンネームで出せば掲載した詩の作者は不明になる
本名で出せば故人の義理に背く
熟慮の末 校正で名前を入れ替えた
−宮澤 賢治−
「北方詩人」に載せた
これが宮澤賢治の詩の絶筆であった。
*弟・宮澤清六さん
著者の寺田弘さんは元日本詩人クラブ会長で、91歳の現在もお元気で総会や忘年会・新年会、地方大会などにお出でになり、親しくお話させていただいております。しかし「宮澤賢治」と交遊があったなどとは聞いていませんでした。それどころか本詩集を見ると宮澤賢治のみならず福田正夫、萩原朔太郎、高村光太郎などとも交遊があったことが分かります。ご自分のことを宣伝するようなことをおっしゃる方ではありませんが、それにしてもすごい詩人たちと交遊があったのだなと驚いています。
宮澤賢治絶筆の詩を載せた「北方詩人」は、寺田さんが18歳で創刊した詩誌で、19歳のときに原稿をもらったようです。それにしても賢治の手紙の内容は謙虚ですね。今どき「ご指示の原稿」などと書ける詩人が何人いるか…。見習いたいものです。
本詩集では紹介したい作品が多くありますが、すでに「交信不能」 「弔歌」は載せさせていただいていました。ハイパーリンクを張っておきましたので寺田弘詩の世界をご堪能ください。
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