きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2005.12.23 群馬県安中市 | ||||
新島襄旧宅 | ||||
2005.12.22(木)
今日は久しぶりに実験らしいことをやりましたが、ちょっと寂しい思いをしました。来春、早期退職することに決めましたので、今日の実験は後任者への引継ぎのつもりで行いましたから、この種のものはおそらく最後の実験ということになるでしょう。化学をやっている人にはポピュラーな分光光度計というものを使います。ポピュラーでも一般の家庭にはありませんからね(^^;
そうやって、今まで当り前だったものが少しずつ消えていくのでしょう。ま、客観的にはいずれ定年を迎えるわけで、それが3年早まったというだけですからおセンチになる必要はないんですけどね。入社以来38年、波長送りが手動の時代から使っていますので、コンピュータ制御になった今でも一番愛着を感じています。そんな測定機を使っていて、久しく忘れていたそういう感情を思い出したという次第です。
○『白鳥省吾研究会会報』創刊号 | ||||
千葉徳穂築館町長追悼号 | ||||
2005.12.20 | ||||
宮城県栗原市 | ||||
白鳥省吾研究会事務局 発行 | ||||
非売品 | ||||
<目次>
千葉徳穂町長さんを偲ぶ 白鳥ナヲエ 1
白鳥省吾記念館開館の思い出 小澤 敏郎 2
白鳥省吾略歴 2
「省吾賞」産みの苦(たの)しみ 小野寺正志 3
栗原と白鳥省吾 3
白鳥省吾のペンネームについて 4
第一回「白鳥省吾賞」受賞作品−麦田穣 5
新発見 白鳥省吾翻訳『シルケル物語』と『ゲェテー物語』について 6
『日本詩人』と白鳥省吾 7
あとがき 7
日本詩人クラブ会員でもある佐藤吉人さんが精力的に運営している「白鳥省吾研究会」の会報が、とうとう出ました。おめでとうございます。創刊号早々から白鳥省吾記念館、白鳥省吾賞を創設した千葉徳穂築館町長の追悼号(2005年3月没)となったのは痛ましい限りですが、文学に理解のある首長がいると詩人も救われるのだな、という思いを新たにしました。
創刊号で特に眼を引くのは「新発見 白鳥省吾翻訳『シルレル物語』と『ゲェテー物語』について」です。シルレルはシラー、ゲェテーはゲーテのことですが1914年の出版で、この稿料で第一詩集『世界の一人』を自費出版した、とありました。白鳥省吾ほどの詩人でも新発見≠ェあるんですね。まさに研究会の面目躍如というべき快挙でしょう。白鳥省吾研究者には第一級の資料だと思いますし、今後もこの会報から目が離せないものと思います。
○詩誌『詩脈』100号 記念終刊号 | ||||
2005.12.15 | ||||
岡山県浅口郡鴨方町 | ||||
岡隆夫氏方・詩脈社 発行 | ||||
500円 | ||||
<目次>
作 品 瀬崎 祐0 蒼わたる1 北岡武司2 タケイリエ4 田中澄子5 山田輝久子6
赤羽 学7 大賀俊輔8 若槻道子10 竹中典子13 一瀉千里14 佐藤 巌16
水口京子18 長谷川和美19 坂本法子20 喜多村良子21 麻耶浩助22
岡 隆夫28 夏田七重29 吉村侑久代31 福尾泰平33 結城 文36 (広告)37
評論・ 秋山基夫38 吉村侑久代45 山田輝久子47 北岡武司50 三枝 文52
エッセイなど 佐藤 巌64 高原洋一56 大賀俊輔57 夏田七重58 瀬崎 祐59 結城 文60
みごなごみ61 喜多村良子62 坂本法子63 河邉由紀恵63 柴田洋明64
若槻道子65 水口京子65 竹中典子66 田中澄子67 西中行久67
長谷川和美68 大山真善美69 赤羽 学70 一瀉千里73 岡 隆夫74
各号参加者名簿95 参加者一覧99 住所録100
表 紙 高原洋一
親父さん批判 佐藤 巌
親父さんはとっくに天国に行ったのだが
その一生を批判するなんて
親父の死んだ年になって
ちょっと遅すぎたと言わねばなるまい
まず田舎の家を修理するに際し
棟梁の鳥越さんが驚いたのは
風通しのいいはずの床下に
わざわざ土を盛って 外の風が入らないようにして
いることだった
その理由は 寒気を防ぐためであったか
養蚕の都合であったか わからない
また 夏の暑さを避けるため
奥納戸の地下の粘土を掘った大工事は
若き日の親父の 単なる遊びであったらしい
ここで昼寝をするのが人知れぬ喜びであった
奥の間の床下には
不要な材木が詰め込まれてあった
棟梁はそれを軒下へ放り投げて
床板を求り替えた 天井もきれいな板を張ってくれた
棟梁は台所の床板を張り替えた
納戸の仏間の床板も張り替えた
その時に畳を剥がして見つかったのは
掘り炬燵の小さな石組みであった
赤ん坊であった妹が火傷して死んだ思い出が
まざまざとよみがえった時であった
穴だらけの古畳は畑のまん中で焼いた
棟梁は仏壇を移して北側の壁際にはめ込んだ
たまたま私自身も居合わせて
この大工事を手伝うことができた
親父は 死んで 村中からもらった香典を
私に使わせて 自分のはいる仏壇を作った
家の周りには三、四反の「原野」がひろがり
ここにはひどく伸び上がった柿の木の他
挑もリンゴもブドウもない
柚子だけが二本 これは親父に原因がある
生前 隣の家の藪の中にあった柚子の木を
間違って切ってしまったのであった
そのかわりにうちの畑のへりに植えたのである
「桃栗三年柿八年 柚子の阿呆は十三年」
などと言うが この柚子はひどく育ちが早くて
五、六年前からたくさん実を付けている
結局 家を飛び出して
大学に定年まで勤めた私にとって
親父を批判する資格なんかなかったのだ
仏壇の中でにこにこと笑っている
親父とお袋の写真を
時々墓参りにやって来て
手を合わせるこの頃の私である。
二〇〇五・九・二七・作
36年間も続いた『詩脈』は、この100号で幕を閉じることになったそうです。私のような凡人から見れば勿体ない気もしますけど、それはそれでひとつの高い見識と申せましょう。
紹介した佐藤巌氏は創刊同人で、最後まで岡代表を支えてくれたお一人だそうです。作品は平明ですが、人生の機微を知る人のみが書ける詩と云えると思います。「親父さん」という人間が魅力的に描けていて、そのお人柄が作者にも遺伝しているのではないかと思える作品ですね。後から2連目の「桃栗三年柿八年 柚子の阿呆は十三年」には柿≠ェありませんでしたので脱字と思い、勝手に挿入してあります。ご了承ください。
○坂口優子氏詩集『沈黙の泉』 | ||||
2005.12.20 | ||||
東京都千代田区 | ||||
砂子屋書房刊 | ||||
2500円+税 | ||||
<目次>
この道 10 幻の花 14
自我像――四季を巡って 20 また風が吹く 26
雨の夜 30 明日のために 34
花 38 泉 42
ひとつの小さな星が 46 ひとのかたちして 50
夏の終わりに 54 版画工房 58
夢幻 62 手紙 66
罪 70 雨の日に 74
愛の破片 78 夜の遊園地 82
挽歌 86 鳥の旅 90
あとがきにかえて 104 挿画・安田 悟
また風が吹く
女は 窓から海を見ていた
男は 椅子に腰掛けて
煙草を吸っていた
互いの風が
吹き抜けるまでに
いくつかの昼と夜が過ぎた
風が立ち止まると
風ではなくなる
だからふたりは
歩き続けてきた
女は 台所に立って
皿を洗い始めた
昔 学校で習った歌や
覚えたばかりの流行歌を
口ずさんでいる
声が
窓から海へと流れていく
男は 黙って聴きながら
声を追って海を見た
遠くの船が
ゆっくりと進み
水面には
ひかりの粒が踊っている
風が海を揺すっている
晴れの日も雨の日も
いつだって
風は吹いていた
女はまだ唄っている
悲しい歌 陽気な歌
くりかえし くりかえし
唄っている
一度 吹き抜けた風は
戻ってこない
また風が吹く
風が 風でいるために
吹くほかはないのだ
10年ぶりの第3詩集です。詩集タイトルの「沈黙の泉」の意味は「あとがきにかえて」から沈黙していた詩集という泉≠ニ解釈できました。作品としては決して沈黙していたわけではなく、主宰する詩誌『スポリア』を主に発表を続けています。拙HPでも
「花」 「挽歌」
を紹介しています。ハイパーリンクを張っておきましたのでご覧いただければと思います。ただし、この詩集では初出から改定しています。この詩集をご覧になれる方は初出からの変化を研究するのもおもしろい試みでしょう。
紹介した作品は坂口優子詩の特色がよく出ている作品だと思います。女と男の間に「吹き抜ける」風は「立ち止まると/風ではなくな」り、「風が 風でいるために」は「吹くほかはないのだ」という視線は、決して冷たいものではなく、諦念でもなく、あるがままを受け入れる姿勢だと云えましょう。ひとつの境地とでも謂いましょうか、坂口詩の魅力として私は感じています。
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