きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.5.6 群馬県榛東村にて

 


2006.5.11(木)

 草津温泉旅行の最終日は、榛名湖に寄って「竹久夢二アトリエ」を見て、妙義町の「妙義山麓美術館」、前々から行きたいと思っていた「高崎市美術館」でドーミエ展を観て帰って来ました。

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 写真は「竹久夢二アトリエ」です。榛名湖・榛名富士を見下ろす小高い場所に建っていて、絶好のロケーションでした。アトリエ見学は無料で、無人。壁に年表が張られている程度の説明しか無く、ぶっきらぼうな処ですけど、それが良いのかもしれませんね。せめてパンフレットぐらいは欲しかったのですが、それも無し。静かなのが取り得かもしれません。
 「妙義山麓美術館」は日本画が主で、素人の小品をたくさん集めましたという雰囲気でした。中に2点ほど、おっ!と思わせる作品がありましたが、ま、それだけのことでした。
 期待の「高崎市美術館」は良かったです。19世紀フランスの諷刺画家オノレ・ドーミエの新聞掲載画の特集でした。政治から市民生活までを揶揄する絵は現代にそのまま通用しそうです。100年経っても人心なんてそう変化するものではないなと思いましたね。

 退職して初めての小旅行でしたが、平日は空いているんだなとつくづく思いました。GWが終った直後ということもあったでしょうが、道路も施設もガラガラ。必死で働いている人には申し訳ないのですが、ま、順番、順番。私はこれからの人生を存分に楽しませていただきます。



季刊『楽市』56号
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2006.4.1 大阪府八尾市
三井葉子氏責任編集・創元社 発行 952円+税

<目次>
●詩         夏の絵本 3
風の日        ナマズガワラ
中神英子……………14 福田万里子…………16
李花と柳       雪の下
渡部兼直……………18 小西照美……………21
長く同じ町に暮らして 雪は溶け
永井幸子……………22 椋原眞理……………24
グリムの階段     日差し
山田英子……………26 川見嘉代子…………28
連想         下弦の月
木村三千子…………30 福井栄美子…………32
穴          叔母からの贈り物
加藤雅子……………34 太田和子……………36
朝          無残
斎藤京子……………38 谷口 謙……………40
芸人・太宰治     銀の箒
今井 敦……………44 福井千壽子…………48
興福寺        まっしろ
司 茜………………50 三井葉子……………52
●随筆
中野重治の『司書の死』について  断想(18)
玉井敬之……………4 木内 孝……………8
昨日  今日
きのふ けふ     普通の人々
萩原 隆……………54 山田英子……………59
●編集後記…………64



 興福寺/司 茜

   「君の靴のサイズはいくつかね?」
   「・・・・ 24です」
   「ほお、実に潔い数字だ。
    4の階乗だ」

事故にあって記憶が80分しかもたない寺尾聰の演じる博
士が新しく派遣されてきた深津絵里の演じる家政婦に開
口一番尋ねるところから映画「博士が愛した数式」は始
まった その後 毎朝玄関でこの会話は繰り返された
私は階乗という初めて聞く言葉になかなか馴染めなかっ
た けれど新鮮であった 馴染めなかったのは深津絵里
の靴の大きさが24であることだった 23位ならわかるが
と思いながらお茶を飲むことにした 膝の上をまさぐっ
て缶入りのお茶を手にした瞬間 熱くて手を離してしま
った かがみこんでごそごそしたが見つからない 前の
カップルに小声で尋ねてみたが「ありません。」と冷たく
あしらわれてしまった 両脇の母子と老夫婦にも睨まれ
たので画面に目を移したがお茶の行方ばかりが気になっ


博士と家政婦とその息子√との数式を通してのやりとり
ぽっぽっとでてくる阪神タイガース 江夏豊
博士と義姉浅丘ルリ子との興福寺薪能での密会
教師になった√が黒板に書く完全数 自然数 友愛数
オイラーの公式等
海辺で江夏の背番号28をつけた博士と√のキャッチボー

それを見る家政婦と義姉

観客は退けていった 私は一度大きく伸びをしてもう一
度がさごそ二、三列前まで はいつくばって捜した
「お客さん 何かお捜しですか?」 箒とちりとりを持っ
た係員が声をかけてきた 「お茶が転がってしまって」
「これですか」「それです どこにありましたか」「一番前
のA列の1あたりです 斜面になっていますから」

外は吹雪いていた
まだぬくもりのあるお茶を握りしめて
三条通りをまっすぐ一本道
興福寺に向かった

 映画と缶入りのお茶と興福寺。一見何の関連もないものが出てきますが、共通しているのは「私」。あるいは共有している、と言っても良いかもしれません。何の関連もない事象や場所を結び付けている「私」の存在そのものも詩であると読み取りましたが、これは読み過ぎかな。
 この映画はまだ観ていませんが、おそらく「ぬくもりのある」ものなのでしょう。最終連の「吹雪」との対応でそう感じました。まるで映画のラストシーンのような最終連。映画の中の興福寺と、現実の興福寺。この最終連は上手いですね。



詩誌『鳥』46号
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2006.4.20 京都市右京区
洛西書院・土田英雄氏 発行 500円

<目次>
なす・こういち あのザムザ
        理由を
   元原孝司 多発性胸推圧迫骨折
        りんごの皮
        運命
  中東ゆうき 決心
        じゃあ またね
  鎌たけひと 沖縄紀行
         1近くにある「離島」
         2もうひとつの「離島」
         3グスクのある島
  岩田福次郎 光来
   植木容子 がんばれワープロ
   土田英雄 笙子二題
         忍者ゴッコ(四歳児運動会)
         ともだちはだいじ……
   佐倉義信 『博士の愛した数式』の一場面

『折々の言葉体験』を読む なす・こういち
美術館で子どもたちは…… 内部恵子
     うすばかげろう 岩田福次郎
釣り雑感−続・忘れえぬ人 元原孝司
【特別寄稿】神保町裏 V 新井正一郎
      表紙・カット 田辺守人



 がんばれワープロ/植木容子

このところ 彼は
静かな日を送り
リビングの隅で 回想している

極めて悪筆にもかかわらず
文章を書く機会の多い 気の毒な持ち主のために
かつての彼は
深夜まで働いた

持ち主が 何度書き損じても
黙々と いくつもの書類を書き上げ
端正な書体で印刷し
正確に記録した

だが 彼には 写真や音楽は覚えられないし
世界につながる情報網などとは 無縁である
専用のフロッピーディスクだけが 彼の世界だ
従って
世間様に 風説を流布したり
個人情報を漏らしたりは 頼まれたって できない

つまり
   彼の仕事ぶりは
IT(インフォーメーションテクノロジー)というものではなかった
それでも
持ち主に寄り添って 十数年働いてきた

ノートパソコンが
職場に 置きっぱなしになっているおかげで
彼にも まだ
この家で わずかだが出番がある

おいそれとは動かせないほど 大きな図体の彼は
いつも リビングの隅にいて
自分の力は
これぐらいがちょうどいいと 思っている
持ち主の「器
(うつわ)」を追い越してまで
進歩する気はないらしい

 今ではすっかりすたれた感のあるワープロですが、確かに良く働いてくれたと思います。書斎を変えた一大革命と言って良いでしょう。そして単機能ゆえに「世間様に 風説を流布したり/個人情報を漏らしたりは 頼まれたって できない」器械だったなと思います。インターネットが普及する前に、ワープロも含めたパソコン通信の時代があって、匿名性のルールについて検討したり啓蒙したりという活動に私も加わっていましたが、結果的には無力だったなと思い知らされています。現在の人間に「持ち主の『器』を追い越してまで/進歩する」ことは間違いだったのかもしれませんね。考えさせられた作品です。



森 徳治氏詩集『哀歌』
愚羊・詩通信 第9号
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2006.5.20 東京都葛飾区 私家版 非売品

非売品<目次>

黒煙   ・・ 1  八月十五日・・ 3
指    ・・ 5  回天   ・・ 7
追記   ・・ 9  哀歌   ・・ 11
風景画  ・・ 12  伝説   ・・ 13
歩哨   ・・ 15

円空年譜 ・・ 17  円空仏  ・・ 19
微笑み  ・・ 21  植物   ・・ 22
木喰行道 ・・ 23  聖者   ・・ 25
言葉   ・・ 27  痕跡   ・・ 29
持つ   ・・ 31  野仏   ・・ 32

春の雨  ・・ 33  蘭の花  ・・ 34
炎の女  ・・ 35  地平線  ・・ 39
川    ・・ 41  樹木の歌 ・・ 43
後書き  ・・ 45



 哀歌

轣轆として砲車がゆき軍隊がゆく
山脈を越え
麓の部落と街区を過ぎ
黄塵の舞う砂漠を通る
軍隊は宿泊をする
軍隊は食事をする
軍隊は排泄をする
軍隊は砲撃をする
殺戮をする
放火をする
強姦し強盗をする
彼らが過ぎたあとに
沈黙した夥しい死骸が残る
轣轆として砲車がゆき軍隊がゆく
彼らが過ぎたあとに
時が逝き痕跡を消す
哀歌が残る
痛みと恨みを含んだ
哀歌が風とともに流れる

 タイトルポエムを紹介してみました。「轣轆」はれきろく≠ニ読み、車の轟きを言うようです。ここでは軍隊の本質を書いていますが「彼らが過ぎたあとに/時が逝き痕跡を消す」というフレーズが重要だと思います。どんな惨禍も結局は消えてしまうのです。歴史の事実として文章や写真では残るかもしれません。しかし現実の「痕跡」は消えてしまいます。
 そして「哀歌が残る」のみとなります。哀歌は詩と同じ意味としてとらえても良いでしょう。散文や映像以上に力を持つものが哀歌であり詩であると云えましょう。そんなことを考えさせられた作品です。



岩崎和子氏詩集『骨までも染めて』
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2006.5.11 静岡県浜松市 樹海社刊 2000円+税

<目次>
第一章 合わせ鏡
合わせ鏡 10      好きになると 12
ぞうげの箸 14     ほんとうの味 16
いのち 18       蚕 20
雁風呂 22       忘れない 24
おつかれさま 28    別れづくり 32
カタクリの花 34
第二章 骨までも染めて
幻影 38        骨までも染めて 40
夕焼けのきれいな日に42 身代わり 44
後追い 48       死の花 50
臨終に 52       湯灌の後は 54
人は海のように 56   水子 58
足音 62
第三章 遠い花火
遠い花火 66      また おんないよ 68
埋火 72        少女に 74
指 76         母の着物 78
母の戦争 80      やっぱり故郷が 84
待つ 86

跋 88         あとがき 92



 骨までも染めて

前触れもなく逝った叔母に
頬紅をぬり口紅をひく
聞きそびれていたその先を
生き生きと語ってくれそうで
思わず頬を包んだ両手……
死者だけが持つ堅い冷たさが
夢の続きを 凍らせた

鮭のように生まれた川を辿れず
産むことをためらう私に
  神のおぼしめしに素直に……
きっぱりと背を押した叔母

叔母の骨は
淡い藤色をしていた
驚きの声をあげる人びとに
  花の色素ですよ と隠妨

鮮やかなカトレアが目に浮かんだ
いや この骨の色は
叔母の心根
このように骨を染めて
叔父のもとへ旅立ちたかったのだ
私たちに
別れの準備もさせないで

 9年ぶりの第二詩集だそうです。ここではタイトルポエムを紹介してみました。ドキッとするタイトルでしたが、これで意味は判りました。私には経験がありませんが「骨は/淡い藤色をしていた」ということもあるのですね。それを「叔母の心根/このように骨を染めて/叔父のもとへ旅立ちたかったのだ」と見たところは見事と云えましょう。
 詩集中の
「夕焼けのきれいな日に」「身代わり」はすでに拙HPで紹介していました。ハイパーリンクを張っておきましたので、合せて岩崎詩の世界を鑑賞していただければと思います。生と死を真摯に見つめた作品に感銘を受けると思います。




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