きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.11.04 仙台市内




2006.12.14(木)


 六本木に行ってクリント・イーストウッド監督2部作の最後、「硫黄島からの手紙」を観てきました。日本側の視点での硫黄島戦ですから、判りやすいと言えば判りやすかったのですが、第1部の「父親たちの星条旗」に比べるとちょっと物足りなさを感じました。戦闘シーンに慣れてしまったことと、第1部と同じ場面が使われているところがあったせいかもしれません。でも、映画の持つ反戦メッセージは強烈に伝わってきました。残念ながら今の日本映画ではこの感動は得られないと思います。もう30年も前に観た、8時間もの「人間の条件」(五味川純平原作)以降、記憶に残るものはありません。ま、観ておいて良かったな、というのが正直な感想です。

 夕方からは同じ六本木のストライプハウスギャラリーで開催された小川英晴さんの朗読会に行きました。天童大人氏企画の「ラウンドポエトリーリーディング(巡回朗読会)」の一環です。都内で月に10回ほどやっているという凄まじいもので、毎回一人の詩人だけが朗読するという企画のようです。

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 ストライプハウスは昔に比べると随分展示室が縮小されたようですが、それでも個展はちゃとやっていて、絵を背景の朗読となりました。画廊での朗読は本当にサマになりますね。小川さんは詩集『少年』『死者の書』『創世記』より1時間ほど朗読。堪能させてもらいました。観客は20名ほど。詩人は少なくて美術関係の人たちが多かったようです。映画を観て、朗読を聴いて、六本木の夜を楽しんできました。



尾崎寿一郎氏著
『逸見猶吉 火襤褸篇』
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2006.12.11 川崎市川崎区
漉林書房刊 1600円

<目次>
第一章 満洲に渡るまで…7
死者へのひとり言…7  船水清の二つの回想記…9
『詩と詩論』第三冊の出現…10  見返しに描かれた自画像…13
東北女子短期大学図書館…14  噴火獣の餌食「老将」…19
日蘇通信社新京支社…23
第二章 満洲の興亡と侵略…27
満洲・黒竜江の名称…27  ツングース族の興亡…28
朝鮮に渡ったツングース族…29  混血種の興亡…31
日本とロシアの満洲争奪…32  満洲事変と満洲国捏造…33
国際的孤立と満洲帝国樹立…34  無数の大蝗の「群」…35
忍耐と錯乱の絞架…39  国益・謀略・収奪の道…41
国内体制の締め付け…44
第三章 満洲文学と日支事変…45
『満洲浪曼』創刊…45  靺鞨と俺と血の「汗山」…47
参加挨拶「言葉を借りて」……49  孤独偏向と非浪曼…51
デカルト二元論とアランの反語…52  日露戦争と遊廓の「哈爾浜」…54
震撼するノモンハン「海拉爾」…57  第一次ノモンハン事件と世界情勢…62
第二次ノモンハン事件と独ソ条約…65  満洲生活必需品株式会社…68
『青春放浪』の壇一雄と逸見…70  サン・ジャックの道「無題」…77
満洲文芸家協会と甘粕正彦…80  緒方昇の『支那採訪』…82
第四章 戦争協賛詩と大東亜戦争…87
真珠湾奇襲と高村光太郎の詩…87  『デルスウ・ウザーラ』と日本文学報国会…93
二重写しの仲賢礼への「追悼」…99  思想締め付け関東軍報道隊演習…101
二重喩法の「黒竜江のほとりにて」…104  探検家志望の夢とチェーホフの文…108
船水清の「逸見猶吉回想」…111  民族必死の戦い「歴史」…113
坂井艶司・船水清の証言…116  転向者検挙事件の野川隆…119
利害を超えた「人傑地霊」…121  日本の敗色と木山捷平との再会…124
緒方昇の転任と回想…127  航空文学構想と真由子…129
金にもならぬ詩を二十年…131  安民区映画街七〇六番地…133
戦争協賛詩と国家悪…139  吐き出した言葉の呪縄…141
あとがき…143



 凄まじき風の日なり
 この日絶え間なく震撼
(しんかん)せるは何ぞ
 いんいんたる蝕の日なれば
 野生の韮
(にら)を噛むごとき
5 ひとりなる汗
(ハン)の怒りをかんぜり
 げに我が降りたてる駅のけはしき
 悲しき一筋の知られざる膂力
(りょうりょく)の証か
 啖
(くら)うに物なきがごと歩廊を蹴るなり
 流れてやまぬ血のなかに泛
(うか)びいづるは
10大興安のみぞおちに一瞬目を閉づる時過ぎるもの
 歴史なり
 火襤褸
(ひぼろ)なり
 永遠熄
(や)みがたき汗の意志なり
 風の日樺
(かんば)飛び 祈りあぐる
15おお砂塵
(さじん)たちけぶる果に馬を駆れば
 色寒き里木
(リーム)旅館は傾けり

 日本とランボーと謂われ『歴程』に所属し、無政府主義を貫こうとしながら戦争協力詩を書かざるをえなくなり、敗戦直後の1946年に新京(長春)で38歳という若さで死去した逸見猶吉の研究書です。この本は続編のようで、詩誌などから推測すると
『逸見猶吉 ウルトラマリンの世界』が前編ではないかと思われます。
 紹介した詩は1939年頃の作で「
海拉爾」というタイトルのようです。本著の「火襤褸篇」の意味がこの詩で判ります。背景にはノモンハン事件があります。「5」「10」とあるのは行数のことで、驚いたことに各行についての解釈があり、詩全体の鑑賞へと導いていました。これはこの詩に限らず、全部で10編、最長50行の詩にも及び、中には高村光太郎の有名な戦争賛歌詩「危急の日に」についても言及してありました。逸見猶吉研究者はもちろん、詩の構造を知りたい人にも有益な著と云えましょう。が、あえてここでは各行の解釈を転載しません。お求めになって読んでみてください。満州国研究にもうってつけの本だと思います。



坂井信夫氏詩集『<日常>へ』
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2006.12.12 川崎市川崎区
漉林書房刊 1500円+税

<目次>
1 2        2 6
3 10        4 13
5 17        6 21
7 25        8 29
9 31        10 34
11 37        12 40
13 42        14 45
15 49        16 52
17 55        18 58
19 61        20 64
21 67        22 70
23 73        24 76
25 78        初出一覧 82
著書一覧 83     あとがき 84



 17

第二の故郷である信州飯田へと ある日
ぼくは長距離バスに乗って出かけた――だが
終点のいくつか手前で降りてしまった
「洋画の群像」と題された展覧会は
もうすぐ夕方には閉館となり
出品されているヨージローの絵に再会するには
すでに手遅れになりかけていた――なのに
なぜ ぼくは埃のまいあがる田舎の道に
ひとり降り立ってしまったのか
そこから数十歩あるいた場所に墓がたちならび
母方の祖先たちが眠っている――ぼくは
花も線香ももたず 手ぶらのまま
魂のDNAを求めてバスを降りたのかもしれない
そういえば以前
祖母とふたりで墓参りのあと この道をあるいた
その記憶をたどって街へむかうと
すぐに別のバス停にたどりついた
やはりバスを待っている者はいない――だが
そう思いながらも よく見ると
真夏の陽をあびて ひとりの骸骨が
いまにも崩折れそうになりながら立っている
かれはいつからバスを待っているのかと
まるで奇妙な問いがわきあがり
その掌には硬貨が握られているかと
サングラスをはずして顔を近づけると
骨だけの手の甲に黒い穴があいているのだ
まさか釘男のなれの果てではないだろうと
ひとりの骸骨を しげしげと眺めた
すると首から紐が垂れさがり
焼けこげの板がいちまい ぶら下がっている
そこに書かれた文字は判読を拒んでいるが
ただひとつ「××の王」とだけ読めた
すでに日没がはじまり
きょうで展覧会は終りというのに
これを見逃したらあと十年は
ヨージローの絵はみられないと
痛いほど分かっていながらも ぼくは
その場所で身じろぎさえできない
その骸骨が待っていたのはバスではなく
ぼくであったことに――いま
ようやく気づいたのだ
      
ヨージロー=島村洋二郎

 1から25までの連詩と読むべきですので、そのうちの一部だけを採り上げて紹介するというのは難しいのですが、一応上記の章を転載してみました。「島村洋二郎」とは37歳で夭逝した異色の画家のようです。「いつからバスを待っているのか」わからない「ひとりの骸骨」。これはバスを待つことで一生を費やし、骸骨になってもなお待っている、と採れ、「その骸骨が待っていたのはバスではなく/ぼくであったことに――いま/ようやく気づいた」わけですけど、この寓意は「骨だけの手の甲に黒い穴があいている」「釘男」と関連していると思います。手の甲に釘を打たれた男、すなわちイエス・キリストを背景に考えなければならないと云えましょう。しかし、ここでは釘男ではなかった、ということになりますので「骸骨」と「ぼく」だけの関係で良いと思います。
 本詩集の中で「
12」「19」は拙HPですでに紹介していました。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて「<日常>へ」の世界を楽しんでいただければと思います。



詩の雑誌『鮫』108号
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2006.12.10 東京都千代田区
鮫の会発行 500円

<目次>
鮫の座/高橋次夫 表紙裏
[作品]
非核地帯/大河原巌−2           戦後抄・今日在ることの/仁科 龍−4
チェルカ/芳賀稔幸−6           増える指/井崎外枝子−8
潜在的な間隔/いわたにあきら−10
[詩書案内]
こたきこなみ・詩集『夢化け』/井崎外枝子−14 國峰照子・詩集『CARDS』/原田道子−14
朝倉宏哉・詩集『乳粥』/芳賀章内−14
[作品]
なずきの、地下鉄にのって/原田道子−16   願望/瓜生幸三郎−18
蔓珠沙華/岸本マチ子−20          女人伝説/飯島研一−22
歩いて行く/高橋次夫−24          レクイエム/前田美智子−26
立つ/芳賀章内−29
[謝肉祭]読みたい・む/前田美智子−32
[詩誌探訪]原田道子−53
編集後記
表紙・馬面俊之



 潜在的な間隔/いわたにあきら

駅前の川口そごうのネオンは
くろいいろでも空を塗り替える量ではない
落ちる目前の夕日は
舗道上の通行人たちを切り刻んで
きのうへ道連れにしようとする
産業道路の車たちは
眠らないはずなのに
あくびばかりしている

おんなとは思い詰めている間隔で
車道と舗道との段差が出来ていた
水溜りから太郎焼きの匂いが立ち上がって
血圧があがってくるのが 淋しい
胃袋だけが膨張して
婚姻届を消化し尽くした直後の
たかが軽自動車に轢かれて
眞っ平になった貞操のかけらが
とても かなしい

身体をよじると ぱらぱらと
糠喜びした身勝手さの表層が剥がれて
路上に散乱する
赤い昔のポストでできた口唇から
突然 訃報電報が届けられ
封をきった指から
夕日のような血が流れ出し
四角い空を投影していた
おんなと繋いだ紐を染める
あきらめて細かく千切った紙切れを
包帯がわりに巻きつけても
あざやかな あかは
決して消えない

夕闇を一枚一枚捲りながら かって
ふるえながら開いた白い胸元の信仰を
修復しようと眼を瞑る
いつも 西の方からやってくる
車たちのヘッドライトが交通事故を運ぼうと焦っている
舗道には瞳を捨てた若者たちが座りこんで
通過する人たちを ひとりひとり
黒い闇で包装して
排水溝に流し込む作業に熱中し
決して 飽きることはない

一度離された間隔は
もう ちぢまることはないのだ
すき間を埋める新しい闇を指でなぞりながら
呟く
高架になった駅前広場からあふれ落ちていく
失望を急がせる足音の音符
風景も地下にのめり込んでいく


二幕目のないドラマの
台本の文字を
老眼鏡をかけて探しても
テレビの画面は秒速で変化するので
ガードレールの切れ目を
追っている内に疲れてしまう

年の差の断層に
後悔を埋めこんで
おんなとおとこの間隔は
いま
夜の底に固定される

 「おんなとおとこの」間には「潜在的な間隔」があると読み取りましたが、「婚姻届を消化し尽くした直後の/たかが軽自動車に轢かれて/眞っ平になった貞操のかけら」などのフレーズに思わず唸ってしまいました。続く、それが「とても かなしい」という詩語に、作者の感性の深さを感じさせられました。「一度離された間隔は/もう ちぢまることはないのだ」というフレーズには不可逆性を、「すき間を埋める新しい闇」には、それでも埋めなければならないとしたら、それは「闇」でしかないのだと教えられた思いです。
 この作品には「ふるえながら開いた白い胸元の信仰」の時代から「老眼鏡をかけて探」すようになった現在までの時間が流れていますけど、常に「潜在的な間隔」があったのだなと改めて思い知らされました。一定の年輪を増さないと描けない世界なのかもしれません。
 なお第3連目第2行の「剥」は、原本では本字になっていましたが、私のパソコンでは表現できないので略字とさせていただいております。ご了承ください。



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