きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.11.09 表参道「Gallery Concept21」




2007.1.3(水)


 
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一枚誌『てん』40号
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2006.6.6 山形県鶴岡市
万里小路譲氏発行 非売品

<目次>
詩 洗濯機の中の出来事/尾崎まりえ
長田弘詩集『人生の特別な一瞬』(2005)より
エッセイ 万里小路譲
高橋順子詩集『時の雨』(1995)より
エッセイ 万里小路譲
詩 見果てぬ夢/万里小路譲



 見果てぬ夢/万里小路譲

世界は見果てぬ夢
おしまいになるなんて
考えてもいないよね
チャーリー・ブラウン

「いいことはすべて
 かならず終わるものさ
「そのいいことって
 いつ始まるんだい?」

滞ったものなど何もなく
やって来ては去る風こそが存在する
始まりも終わりもない宇宙のように
いまここにある存在こそが――

赤毛の女の子は現れない
それでいいわけはないさ
叶わぬ思いだなんて
考えてもいないね?

 *第2連はチャールズ・シュルツ作『ピーナッツ』より。私訳。

 第2連がよく効いていると思います。引用は結構難しいものですが私訳≠フ成果もあって、うまく収まっていると云えるでしょう。「赤毛の女の子は現れない」「見果てぬ夢」は「おしまいにな」らない、ということですね。第3連の「滞ったものなど何もなく/やって来ては去る風こそが存在する」というフレーズも佳いと思いました。



一枚誌『てん』41号
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2006.7.12 山形県鶴岡市
万里小路譲氏発行 非売品

<目次>
詩 お灸/尾崎まりえ
高橋英司詩集『一日の終わり』(1995)より
エッセイ 尾崎まりえ
長田弘詩集『人生の特別な一瞬』(2005)より
エッセイ 万里小路譲
詩 一日・今日の挑戦 万里小路譲



 お灸/尾崎まりえ

血の流れが澱んでツボに潜まると
イライラの湯気がたつ
ッボに溜まった血を空っぽにするにはお灸がよく効く

肩こりを感じたことがない男は
女の肩こりのツボのありかを知らない
「ここか?」と親指で圧しては
「そこ、そこ、」と女が呻くあたりに
お灸を置いて火を点ける
初めのうちは
お灸の位置がもたもたと決まらず
よけいイライラの湯気が増すが
回を重ねると
親指がツボのありかを心得て
手隙よくお灸を置いて火を点けるようになる
信頼して目を閉じる女は
むず痒いような刺激が
ジーンと滲みていっぱいになると
耐えきれず眉根を寄せる
イライラの湯気は
お灸の白い煙と絡み合って
ゆらゆら立ち昇り
どこかへ消えてゆく
日によってツボの位置は微妙に変わるが
ぴったりにお灸が置けた時は
我を忘れるほど気持ちがよくて
「まだ、まだ、」と続け過ぎて
痕が赤くとリヒリになってしまって……

血の流れが澱んでツボに溜まると
イライラの湯気がたつ
ツボに溜まった血を空っぽにするにはお灸がよく効くが
もう一つ
男の中指が覚えているツボはお灸では治せない

 この詩にはマイリマシタ。おおらかなエロチシズムに脱帽です。第1連が3行、第2連が24行、最終連が5行という構成もよく考えられていると思います。第2連に2回も出てくる「親指」にちょっと気を取られて読んでいましたが、最終連の「中指」への伏線だっのですね。お見事!



一枚誌『てん』42号
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2006.8.15 山形県鶴岡市
万里小路譲氏発行 非売品


<目次>
詩 眠れぬ電話/尾崎まりえ
詩 波動/万里小路譲
片岡直子詩集『素敵なともだち』(1998)より
エッセイ 尾崎まりえ
長田弘詩集『人生の特別な一瞬』(2005)より
エッセイ 万里小路譲
詩 恋−スヌーピーの・忘却 万里小路譲



 眠れぬ電話/尾崎まりえ

ほとんどいつも<圏外>に棲む君に
電話をかけたくなる 月に一度の夜
たとえ つながっても
君とわたしは
同じ言葉をもたぬ生き物だから
通じる話のひとつもできず
それぞれに 身体の細胞を震わせて
身勝手に 意味のない音を発するだけ
なのに 君の生きている音が聞きたくて
ただ 聞いているだけで嬉しくて
はるか孤高の月へと 交信をこころみる
地上の安穏とした日常に埋もれている限り
この電話がつながることはないと、知っていても
清廉な月がすっかり閉じられる今夜なら
闇の中に そっと抜け出た 君が
わたしの近くに舞い降りていそうな気がして
携帯画面の灯りだけを頼りに
ひたすら探し続ける 月に一度の夜
ほとんどいつも<圏外>に棲む君と
つながりたい電話は 眠れない

 「君」をどう捉えるかがこの作品のポイントで、男≠ナも良いけど、私は息子≠ナはないかと思っています。母親が「<圏外>に棲む君」を案じている姿が浮かんできます。「月に一度の夜」がイミシンですけど、これは作品として創作する上での手ではないでしょうか。そんな風に捉えてみました。



一枚誌『てん』43号
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2006.12.24 山形県鶴岡市
万里小路譲氏発行 非売品

<目次>
詩 炎の華/尾崎まりえ
芝春也詩集『可愛らしいカミ』(2005)より
エッセイ 尾崎まりえ
原田勇男詩集『何億光年の彼方から』(2004)より
エッセイ 万里小路譲
詩 恋・心 万里小路譲



 恋/万里小路譲

待っても来ぬ夢を追い
それでも同じ夢をみて
振りきれないんだね?
チャーリー・ブラウン

「一日じゅう郵便受けのそばにいるより
 ひどいことってあった?」
 ……(降りしきる雨に打たれる)
「あったな……」

生きることは
あきらめないこと
あきらめないことが
生きること

叶えられない恋だなんて
思ってもいないね?
こうして心は
ここにあるもの

 *第2連はチャールズ・シュルツ作『ピーナッツ』より。私訳。

 「チャーリー・ブラウン」シリーズの作品ですが第3連が良いと思います。「生きることは/あきらめないこと」とはよく聞く言葉ですけど、逆の「あきらめないことが/生きること」は、逆も真なり、で佳い詩語と云えましょう。最終連の「こうして心は/ここにあるもの」は本質的に自立している「チャーリー・ブラウン」をよく見ているフレーズだと思いました。


 
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