きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.11.09 表参道「Gallery Concept21」




2007.1.3(水)


 
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江口あけみ氏ミニ詩集『あ』
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2007.1.1 東京都品川区 私家版 非売品

<目次>
一月
きみのなかにも
汽車



 一月

土の中ふかくうずまっていた
新しい年
どんな芽をだし
どんな葉を繁らせ
どんな花を咲かせるのだろう

舞っている雪が
髪にとまり
肩にとまり
掌に溶けていく

溶けていく雪のように
頼りなくほのかで…
まっさらなわたしの
まっさらなはじまりは

でも
確かに
始まりは
いま ここに

 「一年」の「始まり」を祝ぐ詩です。第1連の「土の中ふかくうずまっていた/新しい年」から佳いですね。第3連の「まっさらなわたしの/まっさらなはじまり」も最終連の「確かに/始まりは/いま ここに」というフレーズも新年にふさわしい詩語だと思います。おだやかな年でありますように祈ります。



個人詩紙『おい、おい』37号
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2005.1.1 東京都杉並区 岩本勇氏発行 100円

<目次>
ディス イズ ア ドーム
事実のみ
星が友だち
ああそうかもしれない
星に願いを
道化もフザけもなく/岩本勇



 ああそうかもしれない

詩も文章も
二流?
ああそうかもしれない

人生も顔も
二流?
ああそうかもしれない

思想も教養も
二流?
ああそうかもしれない

友だちがほしいのは
飲み屋へ行く
きっかけがほしいだけ
なのかもしれない?
ああそうかもしれない

友だちがほしいのは
飲み屋で
間が持たないからだけ
なのかもしれない?
ああそうかもしれない

(素の自分と向き合うのは
 いつもつらいことではあります
 からね)

何か忙しそうにしている人生
それが一流の証ででもある
かのような。
それこそが
二流?
ああそうかもしれない

この詩もなんだか
まとまりのないような
気がする?
ああそうかもしれない

ああそうかもしれない

開き直りたいだけ
なのかもしれない?
ああのそうかもしれない

 聞きかじった程度でまともには読んでいないのですが、まるで山之口貘さんの詩を読んでいるようなホンワカとしたものを感じました。「ああのそうかもしれない」と繰り返すところに泰然としたものを感じさせます。最終連の「ああそうかもしれない/と/開き直りたいだけ/なのかもしれない?」がよく効いています。本当は世の中、そんなに悠然とはやっていけないものですけど、だからこそ「開き直りたい」ものですね。



個人詩紙『おい、おい』38号
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2006.7.23 東京都杉並区 岩本勇氏発行 非売品

<目次>
はっきり
午後のゆううつ
山之口貘詩集にまた帰る



 はっきり

いつも
先のことばかり心配
している私は
子供の頃からこう
だった

父と母のフンイキから
うちにはお金は
あるのだろうか
とか

大人になったら
働きに行かないといけない
のだ
労働、そんなことがぼくに
できるのだろうか
とか

心配
心配

きっとその頃から
私には
何かが足りなかったのだろう
何かが不足していたのだろう

それは「愛」と呼ばれるものの
ような気もするが
はっきりしたことは分からない
(ただ単にお金が不足していただけなのかもしれないし……)

ただ
自分に向けられている
はっきりした視線とか
はっきりした思いとか
そんなものをはっきり感じ取って
生きているヒトが
一体
何人いるのだろう
ということだけは
はっきり言える

 この作品も最終連が佳いですね。「そんなものをはっきり感じ取って/生きているヒトが/一体/何人いるのだろう」という設問は当然私にも向けられているわけで、やはり「そんなものをはっきり感じ取って/生きている」わけではないと「はっきり」認めてしまいます。何がかんだと屁理屈をコネても、やっぱり節穴なんでしょうね。ちょっと反省。



個人詩紙『おい、おい』39号
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2006.9.12 東京都杉並区 岩本勇氏発行 非売品

<目次>
試し撃ち
下っ端人生
芸術とは何ぞや?



 下っ端人生

こうして
自転車しごとをしていると
父の下っ端人生を
人生しているような気になる

七十代後半になっても
集落
(むら)では下っ端あつかいされていた


その息子の私も
五十代になっても下っ端人生で
息子のようなトシの
ジョーシにあれこれ
あれこれ

私は風を作りながら
自転車をこぐ
このここちよい風を作るためなら
下っ端人生も
受け入れざるを得ない
のかもしれない

私のモットー
スマイル&忍耐
知ってますか?

 私も「下っ端人生」ですのでよく判りますが、貧乏人には「スマイル&忍耐」がどちらも必要なんですね。「ジョーシ」はどうでもいいけど一緒に働く仲間には「スマイル」、会社はどうでもいいけど仕事には「忍耐」、これがないとどうにもなりません。今は失業の身ですから会社は関係ないのですが、それでも詩を書く仲間には「スマイル」、文章には「忍耐」なんでしょう。それが出来ていないから嫌われる、下手クソな文章なんです(^^; そんなことを考えさせられた作品です。



 
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