きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.11.09 表参道「Gallery Concept21」




2007.1.14(日)


 昨日の日本詩人クラブ新年会の報告を詩人クラブHPにアップしました。写真を3枚と若干のコメント。私がアップしていますけど、理事会の承認も得ている公式HPですから個人的な感想はあまり書けません。事実のみを報告するというスタイルです。そのせいか訪れてくれる人が少なくてちょっと悩んでいます。だいたい月に500〜600件程度。この1ヵ月は470件ほどに落ち込みました。私も工夫をして楽しいHPにしたいとは思っていますけど、ぜひ御訪問ください。URLは、
http://homepage3.nifty.com/japan-poets-club/
です。
 そういえばHPの中にある「日本詩人クラブの沿革」をしばらく更新していないなぁ。時間を見て更新しますので、日本詩人クラブの60年になろうとする歴史もご一読くださればと思っています。特に1950年代の創設期は、著名な詩人も多く登場して、日本の現代詩史を考える上では一級の資料だと自負しています。



かごしま詩文庫2『石峰意佐雄詩集』
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2006.9.1 鹿児島県鹿児島市 ジャプラン刊 1238円+税

<目次>
戸が鳴っている 6             少年時 7
少年時 9                 ぐみ 10
少年時 13                 少年時 15
少年時 16                 追憶 18
経験 19                  天馬 21
凶事 24                  あまりにもまぶしいしろさのなかで 27
ちいさくぱっちりとみひらいた 31      この光というものは 34
とりいれ 36                カマエラ族 37
樹と火 42                 胚胎 45
仰向けに寝た友子の顔の前で 48       友子と母と妻と 53
「ぶぶちゃ」 55               風呂場で 60
死のあそび 62               おふろばで(一) 66
「あたーさん」 69              風が 73
雨上がりの交差点 76            母と子 80
息子たち 82                ごうごうと鳴る風のなかで 87
ら獣 94                  素喫歩男 99
寝台男 104
.                毛玉男 106
浮上男 109
初出一覧 112



 死の遊び

       ふすま
勤めから帰って襖を開けてみると
たたみの上に
三つになったばかりの娘が
きれいにバスタオルをかぶせられて
横たわっている
傍らに五つの姉がいて
無言のままいとおしげに
その胸をさすっている

あまりにもひっそりとした遊びに
尋ねてみると
「直ちゃんが死んだの」
という
「直ちゃん」は目をつむって
鼻のあたまに汗をかいている
ぴんと立てたつま先から胸もとまで
ゆるやかな弧をえがいておおっているタオル

どこでどう学んだのか この横たわった
死のまねび
ピンとそらしたてのひらで
幼い姉は ゆっくりゆっくり
愛撫する
そのやさしさは稚くて
はてしがない

「これから直ちゃんをどうするの」
尋ねてみると 幼い柿は
みはった目にゆっくりめだまを動かして
「どうしたらいいか分からないの」
そう言いながら
愛撫する手をやめようとしない

では 幼い姉は
半ばは途方にくれながら
いままでずっと こうして
愛撫をつづけていたのだ
私もまた 途方にくれる

この幼いものたちの
ためらいをみていると
かすかにわきおこってくる
これは
この愛は
死のにおいがする

 1986年の第1詩集『塋域』、1993年詩集『地上』、1995年詩集『反響』の3詩集からの抜粋と、詩誌『解纜』、『天秤宮』、『詩学』に発表した作品で構成されていました。最近年は2005年作。著者のこれまでの詩業をほぼ網羅しているのではないかと思われます。
 紹介した作品は1995年の詩集『反響』に載せられているようです。その詩集の中で重要な位置を占める作品と思います。後から2連目の「幼い姉は/半ばは途方にくれながら」、「私もまた 途方にくれる」というフレーズ、最終連の「これは/この愛は/死のにおいがする」というフレーズに死の本質があるように感じられました。
 本詩集中の
「少年時」(16頁の)、「息子たち」はすでに拙HPで紹介しています。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて石峰意佐雄詩の世界をお楽しみください。



詩誌『撃竹』64号
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2006.12.25 岐阜県養老郡養老町
冨長覚梁氏方発行所 非売品

<目次>
胸のくぼみ…頼圭二郎 2          やまめ…北畑光男 4
凹みの形…掘 昌義 6           波打ち際…掘 昌義 8
偶感…前原正治 9             浮いた空間…前原正治 10
海に落ちる雪…石井真也子 12        会話…斎藤 央 16
埋み火…若原 清 18            ぼんやり…若原 清 20
感じる…伊藤成雄 22            詩人の耳 3…中谷順子 24
不慮の死…中谷順子 26           曙光断章−奥地に立ち−少年の岬−…冨長覚梁 28
中谷順子特集『破れ旗』を涜む−人生の分身、伴侶としての旗/菊田 守 32
撃竹春秋…36



 やまめ/北畑光男

川にはやまめが泳いでいる
流された黄泉の国から
あの子が
川を
さかのぼってきたのだ
ほそながい魚
(うお)のかたちになって
あの子が泳いでいるのだ
からだについている模様は
いためつけられたときのあの子のかなしみ
ひかりがあたって
あの子の魚影が水底に映っている
滝の落ちる音が
あさのひかりをかすかにゆらす
木々には春の芽吹き
小鳥が囀っている
岩から釣り糸を垂れている者もいる
あの子もいつかは釣り上げられるだろう
釣り人はあの子を焼いてたべるのだろうか
それとも煙であぶり燻製にするのだろうか
釣り人はやまめに舌鼓をうつだろう
それほどにもあの子は過去を脱いできたのだ
川をさかのぼってきたあの子は
滝の手前で泳いでいる
水底に影を映して

 「やまめ」を「あの子」と見立てた作品ですが、「からだについている模様は/いためつけられたときのあの子のかなしみ」という喩が両者の関係を見事に表していると思います。「釣り人」も含めて我々は「あの子を焼いてたべ」、「煙であぶり燻製に」し、「舌鼓をう」っている存在だと知らされます。
 描写では「滝の落ちる音が/あさのひかりをかすかにゆらす」というフレーズが優れていると思います。音が揺れるというイメージは滝であるからこそ納得できるのだと云えましょう。無駄のない佳品だと感じました。



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