きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.4.8 神奈川県真鶴岬




2007.5.21(月)


 特に予定のない日。終日いただいた本を読んで過ごしました。気候も良くて、ベッドに寝転びながら本を読んでいると、ついウトウト…。
 実はそんなこともなかったのです。退職して1年。過去38年間の疲れがこの1年ですっかり取れたように思います。気力、体力ともに甦ったように感じています。たぶん錯覚でしょうけどね。筋力が落ちていることは判ります。そこだけが問題だなぁ。お酒の量は意識して減らしています。際限もなく呑み続けるぢぢいにはなりたくありません。楽しんで呑む、楽しんで本を読む、そんな生活を続けたいものです。



森口祥子氏詩集『冬の薔薇』
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2007.5.10 横浜市南区 成巧社刊 1800円

<目次>
冬の薔薇 6     梅 9
沈丁花 12      こでまり 14
辛夷 17       アマリリス 20
白詰草 23      たんぽぽ 26
さくら道 29     咲かない芍薬 31
牡丹 34       桐の花 36
椿 38        ポーチェリカ 41
花柘榴 44      茄子の花 47
やまゆり 50     爽竹桃 53
睡蓮 56       白粉花 58
彼岸花 61      金木犀 64
竜胆 67       コスモス 70
ねこじゃらし 72   小菊 74
十月の薔薇 76    セイタカアワダチソウ 78
ポインセチア 81   水仙 84
枇杷の花 87
あとがき 90



 冬の薔薇

冬を迎える季節というのに
蕾を持った庭の薔薇は
異例の陽気に守られて
三分咲きのまま年を越した

成長はわずかずつ
みぞれ降る二月
外輪の花弁が寒風に縮れていても
静寂の中に咲き続けた
冬枯れの中の華一点

光がよみがえり
剪定の時をむかえて
誇り高いお前を摘みとることに
いささかの迷いがある
信じることよりも疑い続けることを
是とする今の世で
自己表現とは何か

今を生きるお前と
明日もまた共に生きることとは
何を頼りにすることなのか

めぐりくる春に
新たな思念の方位を模索している

 全て花に関する作品をまとめた詩集です。季節も冬から始まって、春、夏、秋、そして冬で終るという構成になっていました。花には疎い私ですが、この構成のお陰で情景がスンナリと頭に入ってくれました。紹介した詩はタイトルポエムで、かつ巻頭作品です。「信じることよりも疑い続けることを/是とする今の世で/自己表現とは何か」というフレーズに「冬枯れの中の華一点」として咲く薔薇に寄せる思いを感じ取ることができます。再び「めぐりくる春に/新たな思念の方位を模索している」のは作中人物とともに薔薇もまた同じなのかもしれません。
 本詩集中の
「沈丁花」「コスモス」はすでに拙HPで紹介しています。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて森口祥子詩の世界をお楽しみください。



季刊文芸誌『南方手帖』85号
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2007.5.1 高知県吾川郡いの町
南方手帖社・坂本稔氏発行  763+税

<目次>
短歌 硝子のスワン/梅原 皆子 2

社にて/玉井哲夫 4            オリオン/平井広恵 6
単純な話/朝倉ハル 8           風景/坂本 稔 12
南方の窓(36) ウィーン通信(12)/高橋章子
随筆
自慢にもなりませんが。(1)/モリヒロ工リ 14 安藤直典氏と私/甲藤卓雄 15
ウィーン遠からじU(3)/高橋悦子 21    南方荘漫筆(57)/坂本 稔 26
読者投稿作品
生き残りの感慨/さかいたもつ 35      天空からの訪問者/中平多美子 35
題字・竹内蒼空/表紙装画・土佐義和



 社にて/玉井哲夫

暗いなぁ
死んだらもう目はいらんだろう
ここもあの世ということになるんだろうか
違うね
どうしてわかる
あんたが地獄に落ちていないからな
何で私が地獄に落ちなければならないんだ
俺を銃剣で突き殺したじゃないか
戦争なんだから仕方がないだろう
仕方なしに俺を殺したのか
中国兵なんだろう
ただの農民だよ
敵をかくまって捕まったのではないのか
あんたにとって中国人は皆敵なのか
戦争は国家の命令だからやむを得ない
国家の命令がいつも正しいと思っているのか
徴兵されたら逆らえない
俺に何の恨みがあるというんだ
個人的な恨みはない
じゃあなぜ俺を杭に縛りつけて殺したんだ
人を殺すことに慣れるためやらされたんだ
人間のすることじゃない
殺さなければ私が殺されてしまう
それが中国までやってきて俺を殺した理由か
軍隊という所は人殺しをする所だ
軍人は自分の国の人間さえ殺すからな
好きで軍人になったわけではない
結局あんたは戦死したんだな
だから魂だけが日本に戻ってきた
英霊として祀られて嬉しいか
祀られることを拒絶する権利は私にはない
ここでも逆らえないわけか
生きていようと死んでいようと逆らえない
俺を殺した人間が敬われているとはな
国家に尽くして戦死したから英霊になるんだ
国家に尽くすということは俺を殺すことか
国家に捧げた命だから慰霊してくれるんだ
日本兵に殺された中国人の霊は祀らないのか
国家に逆らって戦死した日本人も祀らない
戦争に反対して殺された日本人もか
広島・長崎の原爆で殺された市民も祀らない
反戦の日本人こそ愛国者じゃないか
国家に背く者は非国民と呼ばれていた
ここで何をするんだ
戦友と会うことになっている
死者を選別する所で会ってどんな意味がある
死んだ仲間が集まるのは悪いことか
戦争責任について皆で話し合うのか
ここは裁判所ではない
自分たちで決着させないのか
もう国交は正常化しているだろう
正常化するなら最初から戦争なんかするな
国境がある限りその繰り返しだ
人の心に境を作ってはだめだ
人生は闘争かもしれない
また愛国心だの言い出しているな
親が子供に親孝行しろと言うようなものだ
それで親孝行な子供に育つのか
心ある親なら自分からそんなことは言わない
国家が言い出すと危ないな
国家といったって所詮人間の集まりだ
大事なのは愛国心ではなく人間愛だろう
平時でも国は国民を守らないのに愛せるか
天安門でも水俣でもな
人間に対して虚無的になってしまう
虚無は到達点ではなく出発点だよ
どこへ向かって出発するんだ
俺たちに残されているのは来世しかないな
生まれ変わると思っているのか
今度は親子か兄弟になるかもしれない
もう殺し合うのはごめんだ
支え合うのがいいな
すまなかった
もういいんだ

 「社」とは靖国神社と採って良さそうです。しかし「中国」の「ただの農民」が登場しますから靖国神社周辺と採るのが正しいかもしれません。今の靖国神社は「日本兵に殺された中国人の霊」や、同じ日本人であっても「広島・長崎の原爆で殺された市民」は祀りませんから境内と採るのは適切でないと思います。
 この作品は「英霊として祀られ」た「戦友」たちも「戦争責任について皆で話し合」ってほしい訴えているわけで、重要な点だと思います。さらに現在の「愛国心」についても「大事なのは愛国心ではなく人間愛」と言い、「平時でも国は国民を守らない」と看破しています。ここも大切な点。そして最後は「すまなかった/もういいんだ」と、双方の犠牲者が「支え合うのがいいな」と結びます。国同士がいがみ合っても、それぞれの国民に「個人的な恨みはない」のです。そこに依拠することが「人間愛」なのでしょう。考えさせられた作品です。



付録『南方荘便り』56号
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2007.5.3 高知県吾川郡いの町
南方手帖社・坂本稔氏発行  非売品

<目次>
高橋悦子句
新同人
同人消息



 「同人消息」欄の最後に、坂本稔さんが昨年11月に第24回高知ペンクラブ賞を受賞なさったことが出ていました。『南方手帖』が40年を越えて発行された実績を評価されたとのことでした。さらに「長年にわたってご協力いただいた読者、同人の皆さんのお陰です」と結ばれています。この言葉といい、控えめな記事といい、坂本稔という詩人のお人柄を感じさせる記事です。おめでとうございました!



月刊詩誌『歴程』540号
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2007.5.31 静岡県熱海市
歴程社・新藤涼子氏発行 476円+税

<目次>

縄文杉/池井昌樹 2            首なし地蔵/見忠良 5
岩戸川/三井葉子 8            汝自身を知れ/伊武トーマ 10
蓮の根/山口眞理子 14           決意/荒川純子 16
鬼区 夢二の句集/酒井蜜男 18
俳句 新藤涼子 19
版画 岩佐なを 15
写真 北爪満喜 4



 縄文杉/池井昌樹

まちいちばんのがんこもの
うらの鉄工所のおじいちゃん
ぼくのはたらくほんやへこんや
おまごさんたちつれてきた
ぼうやとふたりのおねえちゃん
めずらしいこと
おおきなこえで
おまえたちほんとにほしいごほんだぞ
おとうさんはかんけいない
すみでちいさくなっている
わかい職人さんふうの
実直そうなおとうさん
たまのやすみにむすめかぞくが
みんなでかえってきたんだな
おばあちゃんとおかあさん
いまごろごはんのしたくかな
こんやはおふろもいっしょかな
うれしそうだな おじいちゃん
よこめでぬすみみていると
きたきた
手に手にえほんをもって
おじいちゃん
ありがとう
めじりがますますたれさがる
おじいちゃんはみみがとおい
なんどもききなおしてやっと
おだいをわたしてくれた手は
はたらきはたらきとおした手
こどものころにもほんなんか
買ってもらえなかったんだろうな
しわのひとつひとつがかたい
縄文杉にさわったようで
みちたりて
うしろすがたをみおくれば
ぼうやによくにたこがひとり
どこのこだろうふりかえり
ふりかえりぼくをみている
いつまでもぼくをみている
おじいちゃん
ありがとうございました

 「縄文杉」の話かと思ったら「縄文杉にさわったよう」な手の話でした。佳い詩だと思います。「おじいちゃん」のことが良く描けていて、目の前にいるようです。「はたらきはたらきとおした手」は「しわのひとつひとつがかた」くて縄文杉のようだ、というのはおじいさんが「まちいちばんのがんこもの」だけど、実直な性格の喩としてスンナリ入ってきました。
 最後の「ぼうやによくにたこ」は不思議な存在ですが、「ぼく」の分身なのかもしれません。あるいは縄文杉の分身? この不思議な子も作品の魅力を増しているように思いました。



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