きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.6.11 軽井沢タリアセン・塩沢湖




2007.7.2(月)


  その1  
その2へ  その3

 梅雨だというのにあまり雨が降りませんね。それでも今日は珍しく午前10時頃から気持のいい雨が降りました。ざんざかザンザカと屋根を叩く音が聞こえて、おっ、雨だ! と思ったのも束の間、午後には止んでしまいました。それどころか夕方には陽も差す始末。どうなっているんでしょうかね。各地の水不足が心配です。
 私の住んでいる処は幸いに水不足の心配はありません。戸数250軒ほどの集落専用の水道があります。水源は谷川で、いまだかつて給水制限などやったことがないそうです。それでも世間の渇水期にはクルマの洗車は遠慮して、、、違うな、ただのモノグサです。
 海水を真水にする技術はとっくに開発されて、実用化しています。でも、非常に高い水になります。やはり雨には敵いません。技術的に可能なことと経済は別。この時期は自然の恵みで生かされていることを、改めて感じています。



大掛史子氏詩集『桜鬼』
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2007.7.25 東京都板橋区
コールサック社刊  2000+税

<目次>
T章 桜鬼(はなおに)
桜鬼(はなおに) 12
桜鬼(はなおに) U 16           桜鬼(はなおに) V 20
オカメ 24                 オカメと衣通(そとおり)――結城農場さくら見本園にて 28
詩劇「さくらこ」 32            うつそみの人なる我(あれ)や 38
U章 モーツァルトの庭
草庵の春 44                空席の花 48
モーツァルトの庭 52            女三人のモロー詣で 56
てぶくろ 60                そのひと 64
旧友 68
V章 海の贈りもの
海の贈りもの 74              あなたがペンを奪われたとき――金子みすゞに 78
宝珠の便り 86               白い風を待つひと 90
「天上の青」 94               陽に向かって 98
供物 102
.                 花の一日 106
W章 阿修羅像二題
阿修羅像に恋した男 112
.          阿修羅像を造った男 118
あとがき 124
表紙画 山本蘭村



 はなおに
 桜鬼

絹の大気を分け
夕闇が人ばらいする頃逢いに来る
山を背に、
みめ   すがた
今を盛りの眉目よい容姿でただひと本
夕あかりの空に
万朶の花房を吸わせているものに

きのうも来た
雨かぜになぶられて
折れ伏すばかりに身悶えるさま怪しく怖く
濡れそぼりながらみつめつづけた

花のさかりのみの慈しみではない
青あらしにおののく夏の葉むらの繁みも
さしかわした枝々の
木の下闇の深さも
さくらもみじの
炎えたつほむらの紅も
冬の陽に洗われる
気高い裸身も
めぐる季のいずれにも
しみじみと交歓しあった

幹に寄りそい
あわあわと仄くれないの花の牢でまなこ瞑れば
花びらと共に降ってくる神さびた声

   彼は女の顔の上の花びらをとってやろうとしました。彼の手
  が女の顔にとどこうとした時に、何か変ったことが起ったよう
  に思われました。すると、彼の手の下には降りつもった花びら
  ばかりで、女の姿は掻き消えてただ幾つかの花びらになってい
  ました。そして、その花びらを掻き分けようとした彼の手も彼
  の身体も延した時にはもはや消えていました。あとに花びらと、
  冷たい虚空がはりつめているばかりでした。

安吾*の声だろうか
紛れもなく『桜の森の満開の下』の終章だ
花妖の物語の鬼を棲まわせ
鬼はものがたるひとの声を降らせ
咲き盛る桜が一本
夕闇を支配している

夕闇はほどなく漆黒の夜となるだろう
佇ちつくす夜闇の底にも花びらは降りつづけ
やがてこの身も
書き散らした言の葉もろ共
幾ひらかの花びらになり果てるだろう
冷たい虚空のはりつめるなかで

  *坂口安吾

 「桜鬼」三部作とも謂うべき作品のうち、表題作であり巻頭作品を紹介してみました。第1連の「夕闇が人ばらいする頃」という詩語から魅了されています。人ばらい≠ニいう古風なもの言いと夕闇≠ェよく合っていると云えましょう。ここには他人から隠れるという意識ではなく、他人を払うという意思があるように思います。
 最終連の「やがてこの身も/書き散らした言の葉もろ共/幾ひらかの花びらになり果てるだろう」というフレーズも佳いですね。詩人としての矜持を感じさせます。
 本詩集は第7詩集となります。円熟した作風を堪能させていただきました。



弓田弓子氏詩集『ベケットが少し動いた』
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2007.6.30 茨城県龍ヶ崎市 ワニ・プロダクション刊 1200円+税

<目次>
そのころベケットが少し動いた1 10     そのころベケットが少し動いた2 15
そのころベケットが少し動いた3 21     スポットライト 30
街 35        雨 36        雪 37
雲 38        川 39
 *

 赤い紐が40  鐘の音だ40  坂の下に41  高い石段を42
 何者か屋根裏に42  白髪のひとから43  街は空中に浮上し43
 病の果て44  駱駝が44  市場が消えた45  消えてやる46
 信号機の虫めが47  地もなく天もなく47  肉屋の床は48
 人込みの中で49  道案内の49  隣家で50  迂闊だった51
 悔やんでも51  捨てた筈だった52  吊り橋を渡って52
 濡れた足を53  深い鍋に53  百足が54  夕日の中で54
 駅の周辺は55  獣が55  洗濯物を56  天上へ56  願い事は57
 兵隊がいる58  眼の中に58  列は続いて59  大勢が59
 木枯らしの60  曾祖母と祖母と母は61  戸を61  野辺の送り62
 星を見に62  喪に服して63  夜中に63  呂律が64
あとがき 66



 そのころベケットが少し動いた

 

そのころ わたしは小雨の中にいた
実際に わたしの肉体は 濡れてはいなかっ
たのだか 心が雨天を拡げていたのか
そのころのわたしは いつも小雨の中にいた
激しく歩くべきだと 夕暮れのせわしい街を
急いだ その地下室に行く日 時刻 きまっ
て小雨になる 激しくしていなければ 小雨
を振り払うことができなかった
地下室にはひとりふたり 男とも女とも区別
のつかない顔たちが集まってきた 室内では
だれもが 自分の向きたい方に向かって喋っ
ていた 喋らない者もいたし 自分にしか喋
れない者もいた
わたしはそこで わたしに向かって喋りつづ
ける雲コに会ったのだ
雲コの衣服はいつも濡れていた 灰色の濃淡
を不安定な肉体に巻きつけていた 時には興
奮して赤みがさすこともあった 雲そのもの
なのだ だからこそわたしは密かに雲コと名
付けたのだ
わたしが小雨を感じはじめたのも 雲コに出
会ってからだ
雲コはひたすら眼球にまで雨を降らし あん
たはまちがっている と わたしにくりかえ
した
何がまちがいよ どうしてまちがいなのよ
わたしも 雲コの眼を追った
こちらを向いているものの 雲コの眼は見る
ことを避けているらしく 首をまわして顔を
雲で覆ってしまう
わたしは いつか雲コをばらばらにしてしま
いたい 小雨と共に 雲コを破り捨ててしま
いたい と 考えていた
雲コに わたしの天気図がまちがっていると
言われたくなかった
雲コをばらばらにするには この地下の空間
だけではどうにもならなかった 地上で雲コ
を捜し 決着をつけなければならないのだ
そう思って地上にもどるのだが
地上では雲コの存在などはるかかなたに流れ
去り わたしはいっさい忘れてしまうのだ

肉屋のショーウインドーに眼を落としたまま
挽肉三百グラムを注文した 牛肉のかたまり
をスライスしていた娘がこちらを向いた 雲
コだ 雲コだと思った
白い作業服の袖口に 音符の模様に血が染み
ついている 雲コは いつか牛たちの牧場へ
旅に出る と言っていた あれは牛肉専門店
でアルバイトをしている と言うことだった
のか アルバイトをしてから 旅に出ると言
うことだったのか
声をかけようと雲コの顔を見上げた
雲コは秤の数字からわたしの眼をしっかり見
て 三百グラムに少し足りませんが と慣れ
た牛の声でささやいた
わたしも けっこうです と ささやき返す
つもりだった
それなのに けっこう けっこう と牛の声
をまねていた
デパートの地下食品牛肉売場の娘が 品名牛
挽肉二百九十六グラムの包みを差し出す 受
け取ると 雲コさんと声をかける間もなく
雲コの姿は散り散りになっていた
人工の明かりですべてがあかるみにされてい
るここには 雲コは立っていることもできな
いはずだ
冷たい肉の包みが掌の熱を吸い取っていく
ここちよい
あなた アルバイトさん
わたしはおもわず 口をすべらしていた
娘は ええ と頷いたが すぐに次の客の方
へ行ってしまった どう見てもやはり娘は雲
コなのだが
アルバイトの未知の娘でも 雲コでもいい
わたしは ひとこと
牧場の牛は虻の城ですよ あまり近づいて驚
かないように
と 声をかけたかったのだ

地下室のドアを小雨に濡れて押していると
わたしのうしろから雲コも入ってくる
金属の椅子を軋ませて わたしと向き合い
あんたはまちがっている と
はじめるのだった

 「ベケット」は、あとがきによると戯曲家・小説家のサミュエル・ベケットのことだそうです。
浅学にして知りませんでしたので、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』のお力を借りると、
<サミュエル・ベケット(Samuel Beckett, 1906年4月13日−1989年12月22日)は、アイルランド出身のフランスの劇作家、小説家、詩人。不条理演劇を代表する作家の一人。また、ウジェーヌ・イヨネスコと同様に、20世紀フランスを代表する劇作家としても知られている。1969年にはノーベル文学賞を受賞している>

 ということのようです。そのベケットの文章は、著者にとっては、詩としか思われず触発された、とあとがきは続きます。

 紹介した詩は冒頭3部作のうちの1です。この詩集の特徴をよく現していると思います。「
雲コに わたしの天気図がまちがっていると/言われたくなかった」思いが鍵で、最終連の「わたしと向き合い/あんたはまちがっている と/はじめ」た雲コの言葉でこの詩集が始まると思いました。形而上学的にもおもしろい詩集と云えましょう。一見雲をつかむような話≠ノ見えて、取っつき難い面はありますけど、読者の脳を存分に刺激してくれます。「街」「雨」「雪」「雲」「川」のシリーズもアッと驚く仕掛けです。ご一読をお薦めします。



詩とエッセイ『ガーネット』52号
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2007.7.1 神戸市北区
空とぶキリン社・高階杞一氏発行 500円

<目次>

嵯峨恵子…しゃべりすぎる男/挨拶月間/マリー・アントワネット 4
高階杞一…毛が一本/病気 10
大谷良太…三つの詩(連帯/武装する温帯/ふところ) 14
大橋政人…カボチャのツルの10センチ/朝の質問 20
阿瀧 康…東京吟行録 30
廿楽順治…木のよう/青い/鶴見線/中村川 40
神尾和寿…鯛/大銀杏/炎天/目玉 48
1編の詩から(23) 山本太郎…嵯峨恵子 24
シリーズ〈今、わたしの関心事〉NO.52 秋元幸人/長久保鐘多/嵩 文彦/中堂けいこ 28
詩集から NO.50…高階杞一 53
●詩片
受贈図書一覧
ガーネット・タイム 60
ライオンの子供…高階紀一          俳句なのだろうか…廿楽順治
談志が死んだ…神尾和寿           池田晶子が死んじゃった…大橋政人
春から夏へ…阿瀧 康            へま…大谷良太
ジャズ・クラブ…嵯峨恵子
同人著書リスト 59
INFORMATION 67
あとがき 68
表紙絵 中井雄介



 しゃべりすぎる男/嵯峨恵子 Saga Keiko

男の仕事は一日に数回決まった時間に書類を運ぶこと
親会社と子会社、グループ会社を繋ぐメール便
それを請け負う運送会社に勤めている
毎日 おなじみの会社のメール室に現れる
台車を押しながら会う人ごとに声をかけるので
遠くからでも自然と知れる
ひとこと話しかければ三倍は返ってくるし
話かけなくとも自分で落ちまでつけてしゃべる
口が多い分 手も気もまわるしっかり者は
仕事が滞るようなことはしない
休みの日はどうしてる?
今度飲みにいかないか
と暇さえあれば誰かを誘っている
昔は小さな運送会社の社長だった
会社を潰してしまい子供もいたが
借金を背負い離婚
今は休みをもてあます一人暮らし
飲むのとカラオケが楽しみ
五十も後半になれば朝の三時に起きる仕事はきつい
ぅるさがられる日は相手にされないことも多い
それでもめげるような男ではない
ある日突然
男は新人の元とび職の男とルート交替が決まった
ベテランは通常よりイレギュラーな仕事にまわすのか
どこかの会社からうるさがられたか
男がたまに急な仕事でやってくる場合もある
ここの食堂のカレーはうまいよな
ぶつぶつ言いながらしっかり食べて帰る
男の後任はのんびり屋のうっかり者
数ケ月たっても荷物のあて先をよく間違える
男とは違い冗談も言わない

 「しゃべりすぎる男」の人間像がよく描けていると思います。それ以上に読者にインパクトを与えるのが「男の後任」と云えましょう。詩の最後にたった3行しか書かれていませんが、男の顔立ちまで目に浮かぶようです。それはおそらく「しゃべりすぎる男」が描き込まれているから、その反対のイメージで読者がとらえやすいからだろうと思います。対比の妙をうまく遣った作品だと思いました。



月刊詩誌『歴程』541号
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2007.6.30 静岡県熱海市
歴程社・新藤涼子氏発行 476円+税

<目次>

富士山/八木幹夫 2            長寿/栗原まさ子 4
初源のうた/高見沢隆 6          水槽、移動/小笠原鳥類 8
時について/三井葉子 10          散骨の場所/朝倉 勇 12
鬼区 酒井蜜男 17
絵 岩佐なを



 富士山/八木幹夫

ホームのベンチに座っていると
左側へひとが流れていく
走っていくひともいる
時間は左側に流れていくのだろうか
ホームのむこうの
新緑の吹き出した新興住宅
のあいだの
欅か何かの
てっぺんから
いっせいに
カラスの大群が
左の空へ流れていく
わたしもこれから左へ
午前十時十三分発大阪方面行き新幹線
十一号車に乗るために

列車がやってきて止まる
それから思考とは違うスピードで
西へ向かう
さっきとは反対の方向だ
未来へ走りだしたのだろうか
いつのまに
時間は右に流れて
車窓に富士山が見えた
富士山はなつかしい山だ
過去は見えない

 東海道・山陽新幹線から見る「富士山」は、在来線から見るのとは違う印象を受けます。線路が高架になっていますから見やすいことが原因だろうと思います。作品の「ホーム」は、おそらく新横浜駅。「午前十時十三分発大阪方面行き新幹線」はのぞみ179号と思われます。詩に現実のダイヤは関係ありませんけど、密かに時刻表を見て確かめて、これもまた詩を読むひとつの楽しみだと思っています。
 新幹線は「思考とは違うスピード」で走る、「富士山」に「過去は見えない」、これらの詩語は簡単に解釈すべきではありませんが、時間と空間の概念への疑い、と私は採ってみました。そういう刺激を受けた作品です。楽しみとともに新しい命題も与えられたように思います。



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