きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2007.9.9 東京・浅草 |
2007.10.23(火)
特に予定のない日。終日いただいた本を読んで過ごしました。
○吉田義昭氏詩集『北半球』 |
2007.10.25 東京都豊島区 書肆山田刊 2500円+税 |
<目次>
風の力 8 月の外の子供 12
レモンの木 14 もうひとつの地球 18
大陸は移動している 22 日没の後で 26
静かな生活 30 国語の国 34
私と私のアメリカ 38 自然の法則 42
風の時間 46 大人のための童話 50
ニュートン家の隣人 54 私の慣性 62
科学狂時代 66 その後の万有引力 72
エネルギー 78 アリストテレス的に 86
月の時間 100. 海と風の透視図 104
海の遺伝子 108. 北半球 112
発熱体 116. 波打ち際にて 122
私自身とこの詩集のための覚書 126
私の慣性
ここに一つの物体があります。
その物体を質量のある私の肉体とします。
物体はいつも怠け者で止まっているなら止まったまま、
動いているならそのままの状態を続けるものであると、
私がこの法則を私の生涯の運動量に当てはめた時、
慣性に気づいたガリレオから、
慣性を法則に導いたニュートンまで、
時代を超えて身近な友人のように感じました。
何か新しい行動を起こそうと思った時、
ものぐさな私はいつも慣性について考えてしまいます。
動きだしたらこのまま止まらないのではないか。
笑いだしたらこのまま笑い続けるのではないか。
泣きだしたら時間を忘れて泣き続けるのではないか。
眠りだしたら永遠に眠り続けてしまうのではないか。
それが私の生活の不安になったのです。
私の生活がどんなに淀んだ静止した状態であっても、
いくら生活の実験方法を変えろと言われても、
止まっているものは永遠に動きださないのが真理です。
私たちの生活は動きだしたら止まらないのも真理です。
どんな風に生きていようが、
また新しい場所に移動したとしても、
様々な摩擦で私の生活が止まってしまうことも真理です。
ニュートンの人生運動方程式が教えてくれました。
私の質量といつも加速しない加速度によって、
私がどう生きたかが決定されるのだと。
ここにとどまっている生活なら、
きちんと法則に従ってとどまっているのです。
私の生活が空の下で眠りかけていたわけではないのです。
*慣性とはギリシャ語の「ものぐさ」という単語から派生した言葉。
3年ぶりの第5詩集です。「科学的な抒情をテーマとして書き続けてきたつもり」(私自身とこの詩集のための覚書より)の集大成と呼ぶべき詩集でしょう。紹介した作品にもそれは感じ取れます。「私の質量といつも加速しない加速度によって、/私がどう生きたかが決定される」などの詩語は誰が書けましょうか。吉田義昭詩の真骨頂と言うべきものです。「止まっているものは永遠に動きださないのが真理」で、また「私たちの生活は動きだしたら止まらないのも真理」なのですが、これを「慣性」としたところが見事です。その慣性は「ものぐさ」から派生したというのですから、科学はやはり詩的だなと思いますね。
タイトルポエムの「北半球」と「海と風の透視図」はすでに拙HPで紹介していました。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて吉田義昭詩の世界をご堪能ください。
○詩誌『1/2』25号 |
2007.10.20
東京都中央区 近野十志夫氏発行 非売品 |
<目次>
窓の向こうの一本の欅の樹/館林明子 2 半開き/宮川 守 4
蛇の川(金沢エレジー)/都月次郎 6 モゴッ/芝 憲子 9
慶子ちゃんの名・恋/野川ありき 10 通勤風景/藻利佳彦 12
ビンボウバナ/薄葉久子 16 よもぎの香り/宮本勝夫 18
二〇〇七年 夏/枕木一平 20 帰省の日に/西條スミエ 22
夕暮れにそのいち・そのに/佐伯けんいち 24 蝶/黒 鉄太郎 27
イラクサの反乱/近野十志夫 30 信夫翁(アホウドリ)・飛ぶ前にとべ・フライヤー/呉屋比呂志 32
桜隊原爆忌について/近野十志夫 36
都月次郎詩集『くらやみの猫』から 39
半開き/宮川 守
カバンは べつに
ひらいたままでも いいのだと
考えた
とじなくなった チャック
とじているのに 崩れて 離れてしまうから
もうとっくに 壊れているのだ
そのうち
手提げのカバンを見ると
しめることもないし ひらいたままだ
特別に 大切なものもないし
わずかに はいったままの財布と
定期と 充電切れする携帯と
ハンカチと 手帳に それと
トランジスターラジオ NHKの
ラジオ講座を聞くために
老眼鏡に 安全めがね
読みかけの雑誌と 手帳にはさまれた
新聞の切り抜き
それに
シャーペンと万年筆
それだけ
それに
送られてきた本が
最後まで 読まないうちに
増えていく
カバンは 特別重要なものが
入っていないことに 気がついて
しめたりするのに こだわる気持ちも
なくなった
ひらいたままで いいのだとも
思えた
企業秘密も コンプライアンスも
個人情報も 関係なしに ひらいたままで
しかし あちらも こちらもある
入り口が すべて
ひらきっぱなしと いかないので
ちょうど
半分のところに チャックが
ある
これでいい塩梅である
ちょうど こんなところで とめているのが
相応しい
おもしろい着想の作品だと思います。「カバン」というのはけっこう面倒なもので、私もいつも悩まされます。大きすぎたり詰まり過ぎたりで、ほとほと嫌になりますが、秘書がついて手ぶらで行けるほどの身分ではありませんし…。買い物用の「手提げのカバン」やトートバッグを勧められたこともありますけど、それじゃああんまり…。「カバンは 特別重要なものが/入っていないことに 気がつ」くべきなのかもしれませんね。早く「ちょうど こんなところで とめているのが/相応しい」状態になりたいものです。
さり気なく書かれていることですが、「送られてきた本が/最後まで 読まないうちに/増えていく」というフレーズには笑いました。みんな密かに持ち歩いているんですね。詩人同士のこの世界が垣間見えて微笑ましくなりました。
○詩と批評『POETICA』52号 |
2007.10.20 東京都豊島区 中島登氏発行 500円 |
<目次>
くたびれた背広/新延 拳 618
わたしの光は/よしかわつねこ
T<捨てた耳を> 620. U<わたしの光は> 622
四つのソネット/中島 登
(1)梅雨ちかい窓から 624 (2)登山電車 626
(3)沈黙 628 (4)蝉しぐれ 630
恵贈御礼
ロルカを中心としたスペイン詩の鳥瞰
時代の証人として
四つのソネット/中島 登
(1)梅雨ちかい窓から
二階の窓から楠の木が見える
欅も枝を伸ばして視界を緑で染める
ときどきキーボードを叩く手を休めて
道を通る車や保育園兒の一団や犬を連れた女の人を見つめる
そのとき詩を書いている作業はしばらく中断される
しかし詩は実際は休みなく働いている
車の音は本当は詩なのだ 保育園児の歩く姿は詩そのものだ
犬を連れた女の人の美しい躰の線だけで詩は十分満足する
詩は活字になるまえから詩として心に残る
心を動かすなにかが詩なのだ
音と光と彩りの中で静かにゆれている梅雨入り前のひと時
車のドライバーの人生を思う 園児たちの未来の姿を夢想する
美しい女の人の運命を占ったりしてみたくなる
僕は詩のことを忘れているのに詩のほうが僕に寄り添ってくる
「四つのソネット」のうち最初の作品を紹介してみました。「しかし詩は実際は休みなく働いている」というのは実感でしょうね。それに私たちが気づくかどうかですが、作者は敏感に感じとっています。第3連の「音と光と彩りの中で静かにゆれている梅雨入り前のひと時」自体ももちろん詩で、詩を離れたものは何もないと言っても過言ではないでしょう。しかし「僕は詩のことを忘れているのに詩のほうが僕に寄り添ってくる」というフレーズはうらやましい限りです。実際にはそうなのでしょうが、凡人の私はそれに気づいていないようです。もう少し神経を研ぎ澄まさないといけないなと反省させられました。
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