きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
吊橋・長い道程 |
2007.12.13(木)
日本詩人クラブ新年会の案内状が出来ましたので、印刷所に取りに行ってきました。いつもなら、一人でそれに宛名シールを貼って投函するのですが、今回はあす神楽坂の事務所に持ち込んで、何人かで作業します。2月に行われる「詩と平和の集い(広島会場)」というイベントの案内状を出す作業を事務所でやりますから、そのついでにやってしまおうというものです。900人分の往復葉書に宛名シールを貼って、それを二つに折るという作業は、一人では丸1日掛かりますけど、何人かでやれば1〜2時間というところでしょうか。900枚を小田急線でトコトコ持って行く方がシンドイかなとも思いますが、まあ、やってみましょう。
○文芸誌『扣の帳』18号 |
2007.12.10 神奈川県小田原市 青木良一氏編集・扣の帳刊行会発行 500円 |
●目次● ◇表紙 木下泰徳
◇カット 木下泰徳/宮本佳子//秋山真佐子
小田原の文学発掘(12) 小田原の文学風土を語る−気候温暖なアジール−/岸 達志 2
箱根強羅にあった二つの山荘 斎藤茂吉の箱根山荘と星一の星山荘/佐宗欣二 12
足柄口談(1) おじいさんはお相撲さん/キミ女 17
「蜘蛛の糸」/木材 博 24
軍事郵便の人/剣持芳枝 28
足柄周辺の碑文を探る(2) 流行神のナムアミダブツ−「徳本・唯念名号碑」考/平賀康雄 30
カルメン日記/桃山おふく 42
名古屋城と照姫/今川徳子 48
じぶんの心/宮本桂子 51
金湯山早雲寺に遺る朝鮮通信使の足跡/堀池伊沙子 52
足柄を散策する(9) 文学遺跡を尋ねて−我が産土の町・小田原(5)/杉山博久 56
茂年さんの言葉/岡田花子 63
来大連的信(大連からの便り)(4)/水谷紀之 64
能とその盛衰/前田 勝 66
イスラムの祈り−イスタンブールを旅して/本多 博 68
安叟宗楞(17) 安叟和尚の伝記を読む(9)/青木良一 72
編集後記 80
軍事郵便の人/剣持芳枝
それは遠い遠い昔の話である。私が女学校を卒業する頃は、太平洋戦争の真っ只中であった。家に居て家事の手伝いなどしていると、女子挺身隊に捉られるとの噂が噂でなく本当になった頃、私は運よく小田原市役所に勤めることが出来た。その頃の市役所はお濠端に所在し、目の前の隅櫓を眺めながら私は教育厚生課の窓口で働くこととなった。その当時若い男性は殆ど軍隊に招集され、職員は大体四十代五十代の人ばかりであった。同じ課に戦地で負傷して帰還し極度に目が悪い人が居たが、今でもその人の黒い眼鏡の顔を折りにふれて思いだすことがある。
戦争が激しくなると小田原辺りでも敵機の爆音に悩まされる時が多くなった。その頃戦地に居る兵隊さんに慰問文を送ることが女性にはひとつの仕事のようであった。封筒に戦地の兵隊さんへと書き、軍事郵便と赤いペンで印せば、切手を貼らずに何処か知らない戦地に届いたのだった。手紙を書くことが好きだった私はよく書いて送ったものだった。
しかし、昭和十九年も半ば頃になると、折角戦地に届くはずの手紙は、内地に勤務している兵隊さんだけに届くようになったのである。ある日のこと、私の勤める窓口に一人の兵隊さんが入って来て、「高田芳枝さんいらっしゃいますか」との言葉に私はびっくりした。聞けばその人は隊の休暇で家に帰ってきたそうで、私の手紙をもらって嬉しかったとのこと、そのお礼に来て下さったのだった。私は丁重に挨拶し二言三言お話してその場はお別れした。しかし、その後三時頃になってその人から電話があり、「夕方隊に戻るので、もしよかったら駅まで送っていただけませんか」と言われちょっと驚いたが、お国のために働いている方だと思い、ためらいもなく「はい」と返事をしたのである。ところが、今と違って男女交際のきびしかった時代、上司に、「もし行きたければ家の人に一緒に付いていってもらいなさい」と言われてしまった。仕方なく家に電話すると姉が子供をお絆纏おんぶして来てくれた。兵隊さんは再び市役所に来て一緒に駅まで歩いていったのである。その人の実家は板橋で米屋を営んでいるそうだった。「お米に困ったら訪ねて下さい。そのように話しておきますから」と親切におっしゃった。勿論お言葉に甘えることはなかったが嬉しかった。ほかにどんな話をしたのか覚えていないが、小田急に乗ってさようならと手を振ったその人の横顔は、何んとなく心の隅に残っているような思いがする。
その後の消息は知る由もないが、殺伐とした時代の私の人生にも、こんなロマンスめいた出来事があったのかと、八十歳を過ぎた今でも淡い胸のときめきを感じるのである。
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戦時中の「軍事郵便」の話を紹介させていただきましたが、「昭和十九年も半ば頃になると、折角戦地に届くはずの手紙は、内地に勤務している兵隊さんだけに届くようになったのである」という件(くだり)は知りませんでした。「慰問文」や慰問袋が戦地に届けられたということは知っていましたけれど、敗戦直前ではそれも出来なかったのでしょうね。私のような戦後生まれで戦争を知らない世代には、貴重な歴史の証言だと思います。「今と違って男女交際のきびしかった時代」も窺えて、良いエッセイでした。
○詩集『木』28号 |
2007.7 東京都港区 非売品 NHK文化センター詩を楽しむ教室発行 |
<目次>
―― に/菊地貞三 6
失われた時/井田大作 8 無題/井田大作 9
薄紫のガラスの蝶の中から/大野香代 10 少女になったマリちゃん/大野香代 12
白い朝/岡田喜代子 14 ひととき/尾崎スミエ 16
雛罌栗/尾崎スミエ 18 野ぼたん/楠瀬貞子 20
どうしてこんなに――/楠瀬貞子 22 耳/熊谷福貴子 24
私の朝/熊谷福貴子 25 夜の三叉路/志賀アヤノ 26
野菜の重ね煮/四戸美枝子 28 すみれ色のセーター/四戸美枝子 30
私は詩を書きたい/四戸美枝子 31 乳のスピリット/鈴木いつお 32
峠道/鈴木いつお 34 兄に/鈴木ふじ子 36
白い封筒も/鈴木ふじ子 38 まゆちゃん/鈴木ふじ子 40
どうしよう/鈴木正美 42 駅前商店街/鳥海恵美子 44
霜のように/萩野洋子 46 野川のほとりに/萩野洋子 48
すこしコワい/深沢保子 50 うれい/深沢保子 52
赤道の下で/掘江 彬 54 弔電/掘江 彬 56
鶺鴒/水野浩子 58 春に/南園由紀子 60
静かな時/南園由紀子 62 空へ/向井登美 64
鎌倉に遊んで/向井登美 66 買い物日和/山下メグ 68
あとがき 70
白い朝/岡田喜代子
おまえは
この わたしのお乳を飲んで
コクコクと喉をならして
育ったのに
まあ いつの間にか
その まぶしい喉ぼとけに
コーヒーなんぞ流しこんで
そそくさと
ネクタイを締めあげ
五月の街に
飛び出してゆく
玄関には
木香薔薇が咲いているよ
白い滝のように。
その下を潜って
何遍も潜って
わたしの髪も
だんだんに白くなってゆく
やがて おまえは
若い女の乳を吸い
やわらかな草地に
むっちりと立つ
幼い者の手を引くだろう
きっと おまえは
空を見上げるだろう
その朝は
薄い月が残っているだろうか
ゆるやかに
霧が流れているだろうか
息子を持つ母親の気持はこんなものなんだろうなと思います。「まあ いつの間にか/その まぶしい喉ぼとけに/コーヒーなんぞ流しこんで」というフレーズに成長した息子さんが表出しています。「そそくさと/ネクタイを締めあげ/五月の街に/飛び出してゆく」というところに、新入社員になったのでしょうか、溌剌とした姿が浮かびます。最終連も佳いですね。「木香薔薇」とのつながりが感じられ、タイトルとともに作品を清冽にしていると思いました。
○詩誌『北の詩人』61号 |
2007.12.15札幌市豊平区 100円 日下新介氏方事務局・北の詩人会議発行 |
<目次>
写真・詩/さとうたけし 1 イチョウ並木/八木由美 2
大根/八木由美 2 常念仏/かながせ弥生 3
人類にレッドカード/佐藤 武 4 介護に疲れないで/佐藤 武 5
姥捨て山の時代/大竹秀子 6 野生の動物は偉い/大竹秀子 7
短歌 冬に入りて/幸坂美代子 8 阿吽/たかはしちさと 9
囲碁十徳の心/たかはしちさと 9 遥かなる白い峰/たかはたしげる 11
哈爾浜駅から/倉臼ヒロ 11 待つというのは/岡田 泉 13
イロ/内山秋香 14 雪だるま/内山秋香 14
イチョウ/内山秋香 15 真理の光りに覚醒める存在に。/釋 光信 15
茂子 20 雀のお宿/阿部星道 17 詩の仲間(1)/阿部星道 17
死者と共に行く 明日は/日下新介 18 未だ海にとどかず/日下新介 19
わたしだけか/松元幸一郎 21 くりかえし(類比・反復・リフレイン)は認識方法
表現方法の基本的方法(2)/松元幸一郎 22
詩人会議から 20・松元孝一郎出版記念会の新聞記事 21・受贈詩誌寸感(日下) 25・松元幸一郎のエッセイについて(日下)25・「北の詩人」60号の3人の感想(松元)25・「錨地」入谷寿一さんからのお便り 26・「先の詩人」No.60寸感(かながせ) 26 もくじ・あとがき・総会案内 28
イタヤカエデ
板屋楓/さとう たけし
新緑は 輝くライムグリーン
てのひらに受け 育んだ希望
夏 葉は よく茂り樹冠は
板で屋根をふいたよう
雨降りの時 大きな傘に変わった
秋は 夕映えに
ときめく心 はじける黄金の贅沢な時間
厳寒の冬 幹の傷口から
したたる樹液を採りに稜線の近くまで
カンジキをはいて登った
あまいものが無かった戦時
空き缶に溜めた樹液を煮詰めて
ジュースをこしらえた
北海道では板屋楓をエゾカエデという
かたくねばり強い材料は
スキー ラケット 家具 床材になった
公園のイタヤカエデ
遊具の向こう
遠い日の誰かがそっとかえってくる
今号の巻頭作品です。上の表紙画ではちょっと見づらいかもしれませんが「黄金の時間 曙公園で」という写真が添えられています。私は小学生のとき1年間だけ北海道芦別に住んでいたことがあり、冬はスキーで通学していました。今にして思うと、この作品から「板屋楓」で作られたものだったように思われます。その板屋楓は「樹冠は/板で屋根をふいたよう」だったことから命名されたのでしょうね。「空き缶に溜めた樹液を煮詰めて/ジュースをこしらえた」ということも知らずにいましたけど、この作品のように皆から慕われた樹なのだと思います。最終行の「遠い日の誰かがそっとかえってくる」というフレーズも佳いですね。この1行で作品の質がさらに高まったように感じました。
○詩誌『カラ』6号 |
2007.12.1 東京都国立市 松原牧子氏発行 400円 |
<目次>
ヘヴン and リリリ/支倉隆子. 空/石関善治郎
My Foolish Heart/鷹山いずみ. 回路/松原牧子
われら陽気なペロレイタ///むだいを案じ俚言をつくす/外山功雄
短歌 Sleeper/鳴海 宥 睡眠の軌跡/佐伯多美子
睡眠の軌跡/佐伯多美子
戦時中であったある日も浅い未明、幼児の民(みん)は母、石(いそ)と自宅の東側の廊下
の雨戸をわずかに開けて空を見ていた。闇の中に浮かぶ遠い空は地平線に沿
って真っ赤であった。その、異常であったその赤を異常として、ふるえなが
ら、綺麗とさえ感じていた。それは、街が燃えさかる巨大な焔の色、赤であ
った。未明の漆黒の闇を染め抜く火の色であった。十万人とも、十一万人と
もいわれる人の命を添えつくした焔の赤であった。その赤は、人には決して
現すことのできない魔の色であった。地獄の狂騒もここまでは届かない。石
と、民は並んで立って見ていたが石はなにも言わなかった。民もその赤い闇
を黙って見ていた。不気味な沈黙の静かさが流れていた。立ちつくしていた。
それは、数分だったか十数分だったか。だが、止まった記憶は六十余年たっ
た今でも、赤い闇と、母、石と幼児のままの民があの暗い廊下に立ちつくし
たままふたつの黒い翳は張り付いて動かない。
戦争はその年の夏終結した。この国の無条件降伏であった。
それから、二年余過ぎていった。よく晴れ上がったある午後、民は、外の
遊びから家に帰ると、縁側に面した明るい座敷に見知らぬ二人の男の人が尋
ねてきていた。向かい合っている母、石が泣いている。咽ぶように泣いてい
る。民は、泣いている母を見たのは始めてであった。なにか、いけないもの
を見てしまったような気がした。二人の男の人は、石の二人目の息子、出征
した清(せい)の戦友であった。二人の戦友は縁側の明るい日の光を背にして翳って
いたはずの顔が、ぽっと、そこだけ抜けて、記憶からも顔が白く抜けている。
清の最期を伝えにきたのであった。弾に当たって即死であった。あっけない
死であった。万歳とも母さんとも叫ばなかった。前に戦死の報せは国から届
いていた。白木の箱に入った石ころ一つ、石(いそ)は表情を硬くしただけだった。
しかし、こうして戦友を目の当たりにして語られることばに、もう、涙をか
くそうともしなかった。だが、石は涙の意識の隅で、息子、清も、戦場の前
線で、敵、
(人を、殺して、い、な、か、っ、た、か、)
と、黒い塊のような影が凄い勢いで一瞬よぎった。しかし、言葉にすること
はなかった。ぐっと息を飲み込んだだけだった。民が、母、石の涙を見たの
は生涯このときだけであった。傍らで、父、梅は肩をおとして無言であった。
父の婆が小さく見えた。これ以来、石は天水教にいっそう入信していく。
佐伯多美子さんの連載「睡眠の軌跡」を紹介してみました。「人には決して/現すことのできない魔の色」、「街が燃えさかる巨大な焔の色」を見、「弾に当たって即死」した「清の最期」を聞き、敗戦直前の街と家族を襲った悲惨さを感じます。それでも庶民の多くは「戦場の前/線で、敵、/(人を、殺して、い、な、か、っ、た、か、)」と考えていたのでしょう。ここに普通の市民の良心を見る思いがします。貴重な歴史の証言です。
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