きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
吊橋・長い道程 |
2007.12.17(月)
午後から湯河原の「グリーンステージ」に行きました。櫻井千恵さんの恒例の朗読と、きょうはその前に須藤英二さんという方のフルート独奏がありました。「グリーンステージ」10周年記念として企画されたようです。3曲というミニコンサートでしたが、朗読の前のフルートというのも、なかなか良いものです。
こうやって写真を2枚並べるといかにも朗読のBGMのようですが、違います。違いますけど相性は良さそうですね。
朗読は北森鴻の「瑠璃の契り」。骨董業界を生きる陶子の魅力に聞き入りました。
2ヵ月に一度の朗読会は、今年はこれで最後です。懇親会で櫻井さんから伺ったのですが、私は皆出席だったそうです。まったく意識していませんでしたけど、朗読がおもしろいということと場所が近いというせいでしょうね。唯一、クルマで出掛けられる定例会を楽しみにしているという面もあります。来年も無遅刻無欠席で頑張ります! (表彰して(^^;)
○月刊詩誌『歴程』546号 |
2007.12.31 静岡県熱海市 歴程社・新藤涼子氏発行 476円+税 |
<目次>
詩
花影抄/池井昌樹 2
虫のこえ/見忠良 8
北極星−深谷第一高校生に−/北畑光男 11
森にひかれる/野村喜和夫 14
くり返されるオレンジという出来事(7月) 詩と写真/芦田みゆき 18
絵 岩佐なを
花影抄/池井昌樹
花影 妻不在三十二夜
こよいここでのひとさかり
おえ
ここはこんなにしずかです
カアカアからすがないています
ぼくはなんにもすることがない
ほんとになんにもすることがない
こよいここでのひとさかり
そのあとかたにみとれています
もうつかわれないおなべやおかま
もうつかわれないくすりびん
もうつかわれないぼくひとり
ほこりかむってだまっています
いつまでもただだまっています
つまのはわせたあさがおの
そのはなかげがまどにあり
そのはなかげが
かすかにふるえ
ここはこんなにしずかです
巻頭作は「花影抄」として「花影 妻不在三十二夜」「花影弐 妻不在三十九夜」「花影参 妻不在三十二夜」「つゆ 妻四十三日振りに義母の介護から戻り二泊、翌朝はまた実家へと。」「暁闇」「ふたり」の6篇が編まれていました。冒頭の作品を読んで、最初は「妻」が亡くなって「不在」になり、その「三十二夜」目のことかと思いましたが、違いました。「つゆ」で「義母の介護」で不在だったことが判ります。
作者は詩人として著名なばかりではなく『文藝年鑑』に詩部門の執筆を続けているような人ですから、「ぼくはなんにもすることがない/ほんとになんにもすることがない」はずはなく、ここは創作だと思います。「もうつかわれないおなべやおかま/もうつかわれないくすりびん」の「もう」は、今のところは≠ニするのが現実なんでしょうが、もちろんここも創作でしょう。ものを創るということを考えさせられる部分で勉強になります。それにしても「もうつかわれないぼくひとり」というフレーズが光りますね。続く「ほこりかむってだまっています」では、思わずうらぶれた男を想像してニンマリしてしまいました。
○個人詩誌『玉鬘』43号 |
2007.12.15 愛知県知多郡東浦町 横尾湖衣氏発行 非売品 |
<目次>
◆詩
「ある老人」 「やまと」 「都会の秋」
「道」 「雷と稲妻」
◆鑑賞
『詩あれこれ』(15)「DAYBREK’S BELL」(L’Arc〜en〜Ciel)
◆御礼*御寄贈誌・図書一覧
◆生け花&フラワーアレンジメント「楽しい秋」
◆あとがき
やまと
「和を以って貴しと為す」
聖徳太子の十七条の憲法に
書かれている言葉である
この国の名は
かつて「大和(日本)」と言った
「和」と「同」は
似ているようで違うもの
「同」は
みんな一緒にしてしまうが
「和」は
お互いを尊重しあいながら
ともに仲良くしていくということ
大和こそ捨ててはならないもの
大いなる和・大きい和
平和への心の大切さを
貴いものとしていた日本人
これから
どこへ流れていくのだろうか
<「同」は/みんな一緒にしてしまうが/「和」は/お互いを尊重しあいながら/ともに仲良くしていくということ> というフレーズは達見です。たしかに「同」には個々の個性に関係なくごっちゃにしてしまうという感じがありますね。同和、同化、同一などの言葉に特にそれを感じます。それに対して「和」は、個性は個性のままにという印象を受けます。化学で溶解≠ニ混合≠ニいう概念がありますけど、前者が「同」、後者は「和」というところでしょうか。
それにしても日本、「これから/どこへ流れていくのだろうか」と、私も思わずにはいられません。
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