きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
tsuribashi
吊橋・長い道程




2007.12.16(日)


 予定のない日曜日です。終日、読書、読書、読書でした。まだまだ頂いた本のアップと礼状が遅れています。スミマセン。



中村不二夫氏詩集『コラール』
21世紀詩人叢書・第U期28
chorale.JPG
2007.12.10 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊
2000円+税

<目次>
 T
祝福 −クリストファーのために− 8    サムエル 12
やさしい手 −妻の母に− 16        復活 20
風の後に 24                猫の独白 28
二度と歌わない歌 32            蝶図鐙 36
家 40                   未来 −亡き母に− 44
 U
横浜地蔵王廟 48              K病院救急病棟 −夏・その手の記憶− 50
音楽葬 56                 青春譜 −大関貴ノ花追悼− 60
K学園の記憶 64              命の灯 68
 V
コラール −富良野にて− 74        コロッセオ 78
皇帝 82                  最後の歌 −らい王のテラス− 86
脱出 −フロイト記念館前にて− 90     十字架 94
星の留守番 −木島始氏追悼− 98
跋 103
初出一覧 112
あとがき 114



 青春譜
   
−大関貴ノ花追悼−

その手は すべての痛みを知っていた
目の前 いつも大きく強いものが立ちはだかり
あなたは天に向かっていっぱいに塩を撒くと
小さな体で まっすぐそれに立ち向かっていった
粉々に砕け散った肉の破片 骨の悲鳴
自らの手でそれを拾い あなたは花道を帰った
一九七×年冬 K大学構内に機動隊突入
アメリカ 中国 ベトナム ラオス……
最終電車 何とも言えない人間の臭気を嗅ぎ
ぼくは一人マルクスを読み ヘーゲルを学んだ
それから疲れた体を折り畳み 冷たい布団に潜った
その時 テレビの画面にいつもあなたはいた
歯をくいしばり あなたの体は地を這っていた

その手は すべての意味を明かしていた
世の中のだれもが 未来に耳を貸さず頑迷だった
一つの壁の突破は つぎの壁への入り口にすぎず
大関在位 史上最多五〇場所の記録保持者
あなたは勝ち越すのがやっとの軽量大関だった
一九七×年卒業 仲間たちはみんな故郷へと帰った
そこには ただ一人の勝者もなく 影ばかりが並び
イルカの「なごり雪」を最後にみんなで歌った
ぼくは あれほど嫌っていた東京に一人出た
もう何もなくなって見た空の先 薄い雲が浮かび
あなたは 若くはない体をなおも横転させていた
そこにぼくは 土俵という神のいる場所を見た
あなたは強くはなかった ぼくたちのように
ぼくは初めて 壊れていく者の美学を知った

二〇〇五年五月三〇日午後 口腔底ガンで死去
あなたは 土俵の下の幽界へとひっそり消えた
その手は すべての真実を語っていた
巷を踊る 名大関・名親方の称号が虚しい
あの時はみんな燃えた 夏の光りのように
ヒロシマやナガサキを背中に 反核を叫び
列になって おそれず強い者に向かっていった
したたかな権力を前に 砕け散った肉と精神
すべてが終わったと一人が言い それにみんなが従う
一九七×年夏 ぼくは東京で初めて詩を書いた
そこでもあなたは 悲壮な決意で塩を撒いていた
不服従 抵抗精神 失地回復 権力闘争……
深夜のテレビの中 あなたはいつも輝いていた

 この詩集に通底する言葉として「その手」があると思います。詩集の中では救急隊員の手であったり、医師の手であったりしますが、もうひとつ大きな手として神の手があります。キリスト教徒としての著者が常に神の手を感じながら生きてきた証の詩集であるとも云えましょう。
 ここでは著者の詩作の範疇であるスポーツ物の「青春譜」を紹介してみましたが、ここでの「その手」は、貴ノ花の手であるとともに神の手と採ってよいでしょう。この作品は、著者と私が同学年ということもあって、非常に共感しています。「マルクスを読み ヘーゲルを学」び、「機動隊突入」や右翼の街宣車に備えていた日々。しかし「仲間たちはみんな故郷へと帰っ」てしまい、「そこには ただ一人の勝者もなく 影ばかりが並」んでいた20代を想い出しています。私たちは「強くはなかった」し「壊れていく者の美学を知っ」てしまったのでした。そして「詩を書」くことによって「強い者に向かってい」けるのではないかと思い始めていた時代でもあります。
 作品はそんな時代背景と「名大関・名親方」の死とが見事に結びついた詩だと思いました。

 拙HPでは、本詩集中の
「風の後に」「音楽葬」をすでに紹介しています。初出から若干の変更もありますが、基本的には同じ作品です。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて中村不二夫詩の世界をご鑑賞いただければと思います。



詩と音楽のための『洪水』1号
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2007.12.20 東京都世田谷区
洪水企画・池田康氏発行  800円+税

<目次>
詩 …02 田口犬男/川口晴美/村山精二/高階杞一/海埜今日子/宇宿一成
短歌 …66 三原由起子
討議 トロッタの会 言葉と音楽の激突 …80 木部与巴仁・田中修一・橘川琢・酒井健吉
論&文 玉城入野 鹿鳴春の夜 …68
    林 小冬 空の神話 追憶の難波田史男 …72
    池田 康 詩のための〈転〉の論理(1) …76
書評  白石かずこ『詩の風景・詩人の肖像』…00
    吉田義昭詩集『北半球』…67
特集 西村 朗との対話
対談 音楽は近代を解説する …22 北沢方邦(音楽社会学) 西村 朗(作曲家)
論考 池田 康 垂直軸のアリア …36
インタビュー 西村 朗 2007.10.7 …49
CDリスト …59
詩 小笠原鳥類 水中の、透明な長い生き物たち …62



 ミュンヘン断層/田口犬男

 1

ここはたしかにミュンヘンなのに
ぼくは梅干を齧り
ほうじ茶を吸っている

惜しげもなく
裸体を曝け出している
庭のデッキチェア

隣の家のスプリンクラーが
ハミングしている
ドイツ訛りで

 2

ジェット・ラグがぼくを苛んでいる
地球の何処かの先住民は
ひとしきり移動すると必ず止まって
魂が体に追いつくのを待つという
だからぼくもベッドの上で待っている
だが魂はやっては来ない

 3

塵ひとつ落ちていない
道がぼくを不安にさせる
ぼくたち自身が宇宙の塵なのだから
清潔な宇宙なんてまっぴらだ

そう言いかけて
だが ぼくは慌てて口を噤む
ここではそんな憎まれ口も
瀟洒な結晶に変わるので

 4

手におえない眩さで
それは目の前に広がっていた
俳句や唱歌の中にだけ
あるのだと信じていた
一面の菜の花

群がった時 人々が
これだけ美しかったことが
あっただろうか

歴史の中で あるいは
外で

 5

今は亡き独裁者の遺産の上を
ぼくらは走った
追い越し 追い越され
また追い越していく車たち

先住民とはまるで逆だ
人々は魂に追いつかれまいとして
ここではひたすら疾駆する

 6

翼を傷めた小鳥たちを救助するために
消防隊員たちが駆けつける
樹上へ伸ばされた鉄の梯子と
固唾を飲んで見守るミュンヘン市民たち

まるで一片の栞のような善意と平和
栞だけを見ていたい
本なんて読まずに

 7

大昔の王宮をぼくは闊歩した
先進国の小市民という身分で
残された夥しい宝飾品と
何ものにも替えがたい虚ろな品々

王様は王様のふりをしていただけ
貴族は貴族のふりをしていただけ
かれらは生涯の最後の瞬間に
舌を出して悪びれて見せた

その舌は丁寧に切り取られて
ガラスケースの奥に
陳列されている

 8

アルテ・ピナコテークにいると
ぼくは不思議な思いにとらわれる
当時の人々には見えていた天使が
なぜぼくらには見えなくなったのか

ぼくたちは卑しくなったのか
ぼくたちは傲慢になったのか それとも
本当にいなくなってしまったのか
人間たちに見切りをつけて

飛び立ってしまったのか
大仰な額縁の中に
面影だけ残して

 ★田口犬男(たぐち・いぬお)
 1967年東京都生まれ。2000年に詩集『モー将軍』で第31回高見順賞受賞。他の詩集に『二十世紀孤児』『アルマジロジック
Almagilogic』、『ハッシャ・バイ』がある。2007年サラエヴォ国際詩祭参加。

 紀行詩というのはあまり好きではないのですが、この作品は佳いですね。単に名所や風物を説明しているのではなく、月並みな感動を書いているわけではありません。歴史に裏打ちされた観察、生活の足元に根ざした思考で異国を見て、そして人間を常に考えています。「地球の何処かの先住民は/ひとしきり移動すると必ず止まって/魂が体に追いつくのを待つという」というフレーズと、アウトバーンで「人々は魂に追いつかれまいとして/ここではひたすら疾駆する」というフレーズが見事に対比されて、小気味よささえ感じます。ミュンヘンの良さを表現するにしても「ここではそんな憎まれ口も/瀟洒な結晶に変わる」と書かれると、見事!としか言いようがありません。「まるで一片の栞のような善意と平和」のミュンヘン、と書かれる行ってみたくなるではありませんか!

 本誌は0号から始まっていますから実質的には2号になりますけど、0号は『文芸思潮』の別冊でしたから、これが本当の創刊号です。私も「夕暮れの田無では」という拙い詩を載せていただきました。ありがとうございます。年に2回の発刊予定とのことですが、長く続いてほしい雑誌です。



   
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