きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
tsuribashi
吊橋・長い道程




2007.12.21(金)


 この1ヶ月ほど愛犬の調子が悪くて、先月は大事をとって美容院に連れて行きませんでした。今月は今日が予約日でしたから、ちょっと迷ったのですが、だいぶ持ち直したように見えたので連れて行きました。9時から12時まで掛かりますからそのまま預けて、お店には体調が悪いこと、何かあったら途中でやめてもらって構わないこと、連絡は私の携帯にしてもらうことを頼みました。

 その足で実家に向かって、今度は父親の通院の付き添いです。病院に向かう車中で、やはり携帯が鳴りました。運転中なのでそのままにして、父親を病院に置いてすぐに掛け直してみますと、案の定、調子を崩したようです。早く来てくれと言われましたけど、父親はいるし、すぐに戻れたとしても1時間は掛かります。その旨を伝えて、結局は2時間後に戻りました。

 心配していた心臓の発作が起きたようです。お店側は老犬も多く扱っていて、対応も判っていたようですが、相当あせった模様。カットも最低限のことしかやっていませんでした。私が行ったときには落ち着いていましたけど、発作が起きたらどうなるか知っていますから、お店には迷惑を掛けたなと思っています。そのまま、そおっとそぉっと連れて帰って、まあ、一安心というところでした。

 これからは美容院にも連れて行けないだろうなと思います。お風呂に入れるのもためらいます。重病人のように扱わなくてはなりません。そろそろ14歳。小型犬としては長生きの部類かもしれませんが、まだ死なせるには早すぎます。あと1年、あと2年、できれば20歳ぐらいまで生きてくれないかなぁと思っています。いい子ですから…。



総合文芸誌『中央文學』474号
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2007.12.25 東京都品川区 日本中央文学会発行 500円

<目次>
◆小説◆
ママはねえさん/柳沢京子/2        私は残留孤児/本多 爽/15
◆詩作品◆
岸から/田島三男/11            波紋模様/佐々木義勝/12
◆随筆◆
出会い……詩から詞へ/吉住法子/48
◆特集――寺田量子アンソロジー◆/26
小鳥になる若葉/26・夏の午後/27・ガラスの中の夜/29・雲と棲む街/31・凪…?/32・陽炎のように/33・未知の私に会いたい/34・秘密/35・母/36・絵巻の中/37・かけがえのないもの/39・観覧車/40・ブーメラン/41・雨/42・愛/43・台風のあとの夕映/44・大臣のオウム/45・どこへ/47
●編集後記●――50
●表紙写真●オーストリア/ザルツブルク市●



 雨/寺田量子

いつでも ひとに近づこうとする
好奇心に満ちた たくさんの舌

ひたひた ぴたぴた 砂と土の間をくぐりぬける やさしい囁き
ときには邪悪に満ちた湿りけで 傷口をひらかせ
むやみにキッい思出や 生きていることの意味を 考えさせる

地面に届いたとき 天からつたわる長い踵になって
足音が 心をときめかせる響きを持つ

舟出する地球へのテープ
別れの曲はしめやか…

調節のきかない蛇口がいっぱい
天井は穴だらけ

 今号は8月に亡くなった寺田量子さんのアンソロジーが組まれていました。この同人誌には、私も30年ほど前に在籍していたことがあって、寺田さんとも親しくさせていただいていました。ここではアンソロジーの中から「雨」を紹介しましたが、雨を「たくさんの舌」「天からつたわる長い踵」と形容し、空を「調節のきかない蛇口がいっぱい」で「穴だらけ」だと表現する感覚に改めて驚かされています。遅ればせながらご冥福をお祈りいたします。



詩誌『裳』99号
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2007.11.30 群馬県前橋市
曽根ヨシ氏方・裳の会発行 500円

 目次
<詩>
探しもの 2 黒河節子           巣 4 須田芳枝
糸と櫂
(オール) 6 志村喜代子        遠く 8 鶴田初江
重たいもの 10 高村光子
<詩集評> 房内はるみ詩集『水のように母とあるいた』を読む
詩と自然とエトセトラ 12 中上哲夫
「水のように母とあるいた」を読んで 14 吉田秀三
<エッセイ> エミリー・デイキンスン私論を終えて 15 房内はるみ
<詩>
原っぱを探しに 18 神保武子        烏川の烏 20 佐藤惠子
またあした 22 篠木登志枝         墨の香り 24 金 善慶
「焼き場に立つ少年」 26 曽根ヨシ      蕎麦の花 28 宇佐美俊子
もうだめ 寝かせてちょうだい 30 宮前利保子
<対談>
著者と語ろう 新・日本現代詩文庫 曽根ヨシ詩集 32 岡田芳保・曽根ヨシ
後記
表紙「私の家」 中林三恵
詩 夜中の脳 中林三恵



 「焼き場に立つ少年」/曽根ヨシ
    −ジョージ・オダネルの写真−

それはジョージ・オダネル氏の訃報に付された
切手ほどの小さな白黒の写真だった
亡くなった弟が 少年の背中で
反りかえって眠っている

黒い背負紐で
弟を背負った少年は
裸足の足をそろえ
両の手をズボンの脇にぴたりとつけて
気を付けの姿勢で順番を待っている
ああ何の順番を待つというのだ
ランドセルを背負ったように
亡骸
(なきがら)を背負って

背中で泣かなくなった弟が
何も言わなくなった弟が
ことりとも動かなくなった弟が
肩にくい込んで――
八月の広島の焼け跡の
兄の背中で 弟は
冷たくなる事も出来なかった

私の手のルーペの輪の中に
拡大された少年の顔 それは
今しがた家の前の路を通って
学校へ行った
あの ランドセルを背負った小学生の顔だ
滂沱の私の涙ににじみながら
真っ直ぐ前を向いて立っている

 ジョージ・オダネルの「焼き場に立つ少年」という有名な写真についてはご存知の方も多いと思います。私は最初にその写真を見たときに、意図を掴みかねていました。敗戦直後の広島の焼け跡で「反りかえって眠っている」「弟を背負った少年は/裸足の足をそろえ/両の手をズボンの脇にぴたりとつけて/気を付けの姿勢」をしているだけと受け取ったのです。軍国主義教育で躾けられた「気を付けの姿勢」が印象的でした。しかしそれは「亡くなった弟」を焼く「順番を待」っていたものでした。おそらく両親とも死別してしまったのでしょう。兄としての責任を負った少年の深い悲しみを感じさせる顔でした。

 作品は「ランドセルを背負ったように/亡骸
(なきがら)を背負って」と、その写真を見事に詩化しています。「八月の広島の焼け跡の/兄の背中で 弟は/冷たくなる事も出来なかった」とは、誰も描かなかった視点でしょう。「拡大された少年の顔 それは/今しがた家の前の路を通って/学校へ行った/あの ランドセルを背負った小学生の顔だ」と、現代とのつながりも示唆しており、決して過去のことではないと言っています。いつまでも記憶に留めておきたい作品です。



詩とエッセイ『きょうは詩人』9号
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2007.12.13 東京都世田谷区 アトリエ夢人館発行 700円

<目次>

住家/鈴木芳子 1             おとうと/森やすこ 3
ひと攫い/森やすこ 4           出会った/長嶋南子 6
行進/赤地ヒロ子 8            劇場/伊藤啓子 10
風の夜のこと/吉井 淑 12         秋 長ける/小柳玲子 15
エッセイ
童謡 16
花は散るモノ人は死ぬモノ9 ――ホントはもっと生きたかった 金子みすゞ/長嶋南子 22
表紙デザイン 毛利一枝
表紙絵リチャード・ダッド (C)
Reiko Koyanagi



 出会った/長嶋南子

池袋で一人目は改札口を出たところ
三越前 サンシャイン通りでは二人 パルコ前でも
池袋は妊婦が集まる? 袋だからね
買い物して帰りの電車にのる
五人の妊婦がぞろぞろついてくる
座敷にあがりこんで
ベタッと座りこむ
冷たい麦茶をもってきて
おなかが空いた冷やし中華食べたい
勝手なことをいっている
狭い部屋のなか 大きなおなかが五つ
そのうちボンボンはじけて
赤ん坊が わ わ 双子がひと組いる
いとこも双子だった
わたしの家系は双子ができる
妊婦は帰って六人の赤ん坊
わたしが生んだ子どものすべてだった
おっぱいはふたつなので二人しか育てない
残りは押し入れのなかに入れておく
おまわりさんが来て 子どもを虐待していませんか
いいえ していません
いくつになってもバカだ
押し入れをあける
白い羽のついたものがいっせいに飛んでいく
あれは天使?
うちは浄土真宗なんだけど

 「池袋で」「出会った」「五人の妊婦がぞろぞろついて」きて、「妊婦は帰って六人の赤ん坊」が残されたという作品ですが、現実にありそうなことと非現実が絡み合っておもしろい効果を出していると思います。一見なんの脈絡もなく、突然「いくつになってもバカだ」なんてフレーズには思わず笑ってしまいますけど、これは決して脈絡のない詩語ではなく、作品を通低しているものなのだと感じます。最終行の「うちは浄土真宗なんだけど」もよく効いていると思いました。



個人詩通信『あん』32号
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2007.12.18 北九州市八幡西区
鷹取美保子氏発行  非売品

<目次>
異形の樹       ゆらぐ        天空の耳
あとがき



 天空の耳

父が逝き
空を見あげる日がふえた
母が逝き
雲のあわいに
大きな耳朶がみえた

地の騒がしさと
天の沈黙の交差点で
ちち よ
はは よ
と呼びかける

私の声の胞子は
短い祈りとともに風に乗り
あの耳に広がっているだろう

光が地にとどくほどにもまっすぐに
空は地の哀しみを引きあげる

先に往
(い)った者たちと
礼儀正しく挨拶をかわし
私が空へ引越す日まで
豊かな耳を見あげていよう

早春の昼さがり
天空の耳に語りかける

よい日和だ

 西日本新聞 詩2007

 新聞掲載の作品だからというわけではないでしょうが、判りやすい詩だと思います。判りやすさの中にも深さは必要で、「地の騒がしさと/天の沈黙の交差点」、「光が地にとどくほどにもまっすぐに/空は地の哀しみを引きあげる」などのフレーズは天と地の比較でその深さを出していると云えましょう。「私の声の胞子」という詩語も佳いですね。たった1行置かれた最終連も決まっていると思いました。



   
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