きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
tsuribashi
吊橋・長い道程




2007.12.27(木)


 拙HPのアクセス数が本日で11万件になりました。10万件を超えたのが8月28日ですから、ちょうど4ヵ月で1万件のアクセスがあったことになります。1日83件ほど、1時間で3.5件ほどの計算になります。開設した当初は1万件に2年近く掛かっていますから、それに比べると5〜6倍の伸びというところでしょうか。もちろんもっと多くアクセスのあるHPは数限りなく存在しますし、アクセス数そのものをとやかく言うのも議論になるところでしょう。ただ、ここは素直に訪れてくれる皆様に御礼申し上げます。やはり見て下さっていると思うと励みになります。ありがとうございました。これからも日本の詩の今・現在を発信し続けていきたいと思っています。



早矢仕典子氏詩集『空、ノーシーズン』
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2007.10.19 東京都調布市 ふらんす堂刊 2571円+税

<目次>
ノーシーズンに 6             白いカモメを殺してはいけない 8
廊下には 10                古い銀杏の実 12
五月の待合室で 14             木の内側をめぐる階段 16
重なり合って 18              クスの木の頭の中へ 22
カールのような老人 24           背中でひらく 26
Long Walk to Forever 30.        朝の眩しい水の面まで 34
正夢になる 58               お供え 42
雲の海岸通り 46              ももの缶づめ 50
七月の蝉が 54               おじさんと文鳥 58
ブルーシートの目蓋 61           雷鳴までの時間 66
コップがうまれる 70            サンダルを取り込む女 72
日よけ帽の農婦の手から 76         二月のカレンダー 78
仕舞われた手のひら 82           空の一角で 84
あとがき



 二月のカレンダー

さびしいけれど
さようなら
永遠に。

とあなたに書いた
「送信」をクリックする寸前に
女友達から電話がかかってくる
あさって ひさびさにランチでもしよう か

軽い スケジュール調整をしている間に
カチッ
<永遠> が私の手元を離れていった

二月だ
カレンダーは今日から
雪原の写真に変わった
これは何の木だろう
四方に広がる太い枝から
細い枝々が真っ白な空へ向けて触手のようにのびている
空も白
大地も白
かなたに酪農家の青い屋根
タイトルは「静謐の空間」
Deafening silence 耳をつんざくような静寂

カンゼン消音された
あなたの胸の中で
<永遠> は
どこへも響いていかないだろう
今しばらくは たぶん

 (写真「静謐の空間」は前田真三の作品です)

 4年ぶりの第2詩集です。感覚的な作品が多い詩集ですが、ここでは「二月のカレンダー」を紹介してみました。カレンダーを横糸に、「 <永遠> 」を縦糸にした技巧的な作品だと思います。しかしその情感は、携帯電話が出てくるからというわけではありませんけど、現代的と云えましょう。「女友達」との「ランチ」、「スケジュール調整」は現代女性の日常なのだと思います。
 カレンダーのタイトルが「静謐の空間」で、「
Deafening silence」は副題なのか作中人物の想い描いた言葉なのかは判りませんが、おもしろい言葉です。日本語の意味も「耳をつんざくような静寂」で良いでしょう。「二月のカレンダー」と「永遠」の「さようなら」とに重なり合う言葉だと思います。2冊目とは思えない力量を感じた詩集でした。



季刊詩誌『竜骨』67号
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2007.12.25 さいたま市桜区
高橋次夫氏方・竜骨の会発行 600円

<目次>
<作品>
公孫樹/庭野富吉 4            存在/松崎 粲 6
再生/横田恵津 8             ホームカミングデー/島崎文緒 10
消える/友枝 力 12            繕う/対馬正子 14
高圧線/西藤 昭 16            よく晴れた夏の日に/長津功三良 18
 ☆
黴の花/内藤喜美子 30           時の向こう側/上田由美子 32
黒いトランク/河越潤子 34         どんぶらこ/松本建彦 36
星/今川 洋 38              水の女/木暮克彦 40
歴史認識/高野保治 42           柿色の実/高橋次夫 44
羅針儀
時間/西藤 昭 20             夫の蔵書と悪妻/上田由美子 21
高野山を行く/森 清 23          反故書簡二つ/木暮克彦 27
書評
藤一也『自筆自選百詩集』/木暮克彦 46   栗原澪子『日の底』ノート他/高橋次夫 47
海嘯 国語の問題/高席次夫 1
編集後記  50               題字 野島祥亭



 どんぶらこ/松本建彦

いつの頃からか ご存じの天丼 カツ丼 牛丼などを筆頭に
どこの食堂でも丼と呼ばれるものの顔触の夥しさ
麦その他の雑穀まじりでもよし
要するに飯というものの上に具
(ねた)を載せれば
忽ちにして完成する一個の丼飯
この具というものの種類は一体どれ程?
これがまあ 何と限りなしだという
生あり 蒸しあり 煮あり 揚げあり 漬けあり
動物 植物ありとあらゆるもの
載せれば一丁上りの
稱して○○丼 ○○にはその具の名前が入るだけ
まことに融通無碍 色とりどりの塩梅無限で
この国の人々の無二の好物

ところで諸賢におかれては
(しら)丼という丼をご存じだろうか
白雪と見まごう白魚かなんかかな
自身のすき透る河豚の薄造り
それともとろりの白子の厚盛りとか
などなどの お智恵ばたらきはどうぞご無用に
答は簡単 何ともはや ざらにある定食食堂の
ただの白飯を盛っただけの
何の具もない しらじらとおまんまだけの
一品料理といっても せいぜいが鯖の塩焼 里芋の煮ころがし
それら安価のおかずにさえ手が出ず
飯だけを注文して 具は 卓上にそれぞれ置かれてある
醤油 ソース 塩などで 空っ腹にはそれでもご馳走
苦学生 今どきでは死語辞典もののその姿
ふっといまでも 夢か現
(うつつ)か ひとつの痛い
想念
(おもい)として時折顕()ち現れてくる
さりげなく年季の入
()った漬物の小皿を置いておいてくれた
食堂のおかみさんのうしろ姿の
うっすらぼやけてきていることへの
ひりひりする口惜しさともどもに。

 丼物というのは朝鮮料理にもありますから日本独特のものではないのかもしれませんが、なぜか郷愁を誘う食べ物です。ここでは「苦学生」時代の「想念として時折顕ち現れてくる」ものとして扱われていますけど、安食堂の○○定食とともに青春時代の食べ物と云えましょう。もちろん今でも、私は出先の昼食は安食堂の丼物や蕎麦・うどんの類ですから、一概に青春時代≠ニばかりは言えませんが。
 しかし、それにしても「白丼」は知りませんでした。「醤油 ソース 塩などで」食べるという話は聞いたことがありますけど、やっている人を見たこともないし、もちろん私がやったこともありません。作者と私とでは10歳以上の差がありますので、時代の違いなのかもしれません。その意味でも貴重な時代の証言でしょう。昭和は遠くなりにけり、と感じました。



詩誌『ひょうたん』34号
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2007.12.20 東京都板橋区
相沢氏方・ひょうたん倶楽部発行 400円

<目次>
大園由美子 柿食えば…2
小林弘明  夢の住処…4
村野美優  九月…6         土くれ…7
小原宏延  松葉の志…8
水嶋きょうこ 飛猿…10
相沢育男  献血車…16        天国への階段…17
森ミキエ  マチコさんの靴…18
柏木義高  木が言う…23
水野るり子 メアリーポピンズの傘…24
中口秀樹  下宿する…26       小さい戦いの…29
長田典子  水生…30
岡島弘子  旧満州鉄道の旅…34
柏木義高  こもれび日記(27)
最新刊エッセ集『ひとり旅』について――吉村文学との出会い(3)…37
装画−相沢育子



 松葉の志/小原宏延

はるかな初冬のひいらぎの森に
学帽目深に松ぼっくりを手にした父
(その父を見たことはない)

はるかな初夏のひかりの海に
黒髪結って泳いでいた母
(その母を見たことはない)

氷柱したたる村役場の少年書記と
覆った船のかたちの山に抱かれた漁村の少女と
(ふたりがどうして出会ったか……)

野いばら、ひいらぎ、毬栗の道
覆されたのは卓袱台で
学帽目深に学校を休んだのはぼくだった

あれから何十年、父も母もこの世にはない
路地の飲み屋から出れば吹き抜ける木枯らし
おや、こんなところに松ぼっくりがひとつ

これからどこへ帰るのだろう
通いなれた横断歩道を渡った角の松の木から
まだ青くするどい松の葉が月にささる

けさぼくの腕にさしこまれた細い針の記憶が
いまは青い松葉の尖端となって
おもわず左の二の腕をさすった

野いばら、ひいらぎ、毬栗の道は
松の葉ほどの寸志を立てた父と母からの
贈り物にちがいなかった

 「父も母もこの世には」いなくなって、フッと考える父母の出会い。「氷柱したたる村役場の少年書記と/覆った船のかたちの山に抱かれた漁村の少女と」が出会わなければ「ぼく」がこの世に生まれることはなかった…。その不思議さを感じさせる作品です。「覆されたのは卓袱台で」あったかもしれませんが、そんな小さな事件も過去のこと。今は「父と母からの/贈り物」の「松ぼっくり」に足を止める…。長い人生の中で父母に対して想いを馳せる瞬間があることを教えてくれた作品です。



   
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