きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
吊橋・長い道程 |
2007.12.29(土)
今年最後の忘年会、とは言っても現役時代とは違って数は大幅に少なくなりましたが。夕方から神奈川県秦野市の紙芝居カフェ「アリキアの街」の望年会〈年越さnight!!〉に行ってきました。いつもはビルの2階の店でやるのですが、今年は1皆の「とんがりぼうし商店街」との合同とのことで、1階の広間に30人ぐらいが集まって、呑めや歌え、賑やかなものでした。
ケーナとギターの競演(写真左)や三味線演奏、チンドン屋も出て、はてはひょっとこ踊り(写真右)まで飛び出す始末。笑い転げてお酒もろくに呑めないほどでした。それでもしっかり新潟の「菊水」は頂戴しましたけどね。
出演者も出席者もみんなが挨拶をするという趣向で、私も少しだけスピーチさせてもらいました。出演者と観客という関係ではなく、来た人みんなが主役というのがいいですね。なかなかこういう店はありません。来年はよろしかったら「アリキアの街」へ一度行ってみてください。木〜日、13時〜20時の営業です。
○中田紀子氏詩集『一日だけのマーガレット』 21世紀詩人叢書・第U期31 |
2007.12.20 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2000円+税 |
<目次>
T
扉 8 つり糸 10
夜の木 12 色について 14
葉遊び 16 穴を通る 18
アンティピオルの命令 20 循環する記憶 22
積もった時間 26
季節に
卯月の告白者 30 六月 33
緑ガメの逃亡そして夏のはじまり 36 ヤマボウシの道と行方 38
初冬に充ちてくる喪失とともに 40 冬 42
トイレットペーパーを買いに 44 桜病 48
U
何処に 52 みつめる 54
希望 58 真夜中の電話 60
一日だけのマーガレット 62
V
桂馬 66 雨もよう 68
後悔・from・蕗 70 おだまきの花 72
その朝 牛乳を置きに 76 ガラスの向こうへ 78
暗くなるまで 80 虚空のプレゼント 82
ヴァイオリンと夕暮れ 86 おっぱいがいっぱいで 88
空 星に眠る骨 92 孤房 94
枝豆 98 あした葉 100
とりあえずもう寝ましょう 102
あとがき 106
扉
巻かれていた温かいものをほどき
その小さな手はおし開けたのだ
最初の扉を
扉のむこうに
何があるのかを知らないまま
まぶしさと笑顔が待つ
やさしい扉
一瞬その水を掻く手が戸惑う
拒絶の扉
最初の扉はそれでも必ず
そっと開けられるのだ
巻きつづけた数十年の糸をほどき
わたしは近づいている
最後の扉に
その扉をおし開けるのはわたしではない
けれども確実に開けられるのだ
大きな避けられない手によって
そしてその扉のむこうを
見た人はいない
最後の扉は誰にも気づかれずに
確かなスピードで用意されるのだろう
6年ぶりの第2詩集です。ここでは巻頭作品を紹介してみました。誕生の「扉」から死の「扉」。人生はその二つの扉の間の出来事にしか過ぎません。「最初の扉はそれでも必ず/そっと開けられ」、「最後の扉は誰にも気づかれずに/確かなスピードで用意されるのだ」というフレーズに、著者の基本的な人生観を見る思いです。詩集の扉≠ニして、まさに的確な作品と云えましょう。
本詩集中の紹介したいと思った作品のほとんどは、タイトルポエムも含めてすでに拙HPに転載させていただいていました。「つり糸」 「色について」 「トイレットペーパーを買いに」 「一日だけのマーガレット」 「桂馬」 「その朝 牛乳を置きに」 「虚空のプレゼント」 「とりあえずもう寝ましょう」の8編です。初出から一部改稿した詩もありますが、それぞれに味のある作品です。ハイパーリンクを張っておきましたので、中田紀子ワールドをお楽しみください。
○橋渉二氏著『イスラエル・ノート』 |
2007.12.25 東京都大田区 ダニエル社刊 1500円+税 |
<目次>
第一章 カイサリア、アッコ、カルメル山 6
第二章 ガリラヤ湖、ダン 21
第三章 カペナウム、カナ、ナザレ 37
第四章 エン・ハロド、クムラン 58
第五章 エン・ゲディ、マサダ 70
第六章 ソドム、死海、荒野の幕屋 87
第七章 エルサレム、ベツレヘム、パレスチナ 99
第八章 ユダ、鶏鳴教会、ユダヤ人大虐殺記念館 115
第九章 過越祭、ゲツセマネ、ヴィア・ドロローサ 142
第十章 ゴルゴタ 158
参考文献・引用文献 180
あとがき 182
表紙「アルモグの幕屋にて」
聖書を読んだことのない人でも、誰もが聞いたことのある文言、「右の頬を打たれたら左の頬をむけなさい」、「汝の敵を愛せよ」、「豚に真珠」などは、この山上の説教のなかに出てくる。イエスの教えには、旧約との関連において対蹠的に示されているところがあるのがわかる。つまり、右の頬を打つ者に左の頬を出すのは、報復を良しとしないイエス自身であり、彼の教えである。あまりにも有名な「目には目、歯には歯」(出エジプト記21の24、レビ記24の20、申命記19の21、マタイによる福音書5の38)は、けっして個人的な報復を認めるものではなく、当時の法の公的執行であった。この同態復讐法(レクス・クリオニス)とは、人の心の暗闇にある忌わしい復讐心に対して制限を加え、同量の報復をもって和解すべきことを規定したものである(出エジプト記21の23−25)。やられたから、やり返すことではない。つまり、過剰な復讐を予防するものであり、争いを終らせるために定められた法なのである。聖書の読み間違いをしないように気をつけたい。だから、わたしたちは、イエスの教えに耳目を集める時、旧約との関連をも念頭に置く必要があると思う。目には目をの同態復讐法は、今の世の中でも、対人関係にあてはめて誤解されやすいものだ。いや、対人にとどまらず、民族間、国家間にも和解ではなく誤解がある。かつてあった時代の公的な償いの掟に対して、イエスは旧約にはない新しい教えを敢然と示してくれたのだ。それが、「左の頬」であると理解できることは幸いである。そして、イエスほど総体的で影響力のある説教を身につけて、出現した者はいなかったと思う時、再び、山上の教えに並々ならぬ畏敬の念を抱くのだ。
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2004年12月31日から2005年1月8日までのイスラエルの旅の紀行文です。普通の紀行文と大きく違うところは、キリスト教徒である著者が、訪れた場所場所により聖書との関連を記し、著者の思いを述べている点です。紹介したのは「第二章 ガリラヤ湖、ダン」の「山上の垂訓協会」を訪れたときのもの。クリスチャンではない私には瞠目の箇所でした。
ある程度聖書を読んでいたほうが理解しやすい本かもしれませんが、聖書を読んでいなくても優しく解説されていて、1篇のエッセイとしても読めるのは、著者の筆力の成せる技でしょう。イスラエルとパレスチナの関係、太宰治や遠藤周作のキリスト観にも言及して、その部分だけでもおもしろい論考となっています。お薦めの1冊です。
○詩誌『詩区』100号 |
2007.12.16 東京都葛飾区 池澤秀和氏方・詩区かつしか発行 非売品 |
<目次>
綺麗は怖い…イラクの花…石川逸子 2
座布団…雑念 こぼれて…池澤秀和 4
コスモス…手紙…堀越睦子 6
ほんとうは−…古い我が家…青山晴江 8
人間九十三 秋はもう…人間九十四 癌の妻…まつだひでお 10
別れ火…篠笛…小川哲史 12
残りの人生は…般若心経…小林徳明 14
北風吹いて−十二月八日−…あと さき −それから−…池沢京子 16
新・イソップ序曲…一票…しま・ようこ 18
湖のクラス会…引き出し…みゆき杏子 20
ままごとしましょ…やはりデベソだべ…工藤憲治 22
待ち合わせ…動く…内藤セツコ 24
沖縄から…沖縄から2 ここに核爆弾があるのです…森 徳治 26
『詩区』のあゆみ…池澤秀和 28
人間九十四 癌の妻/まつだひでお
白髪の老婆が少女のように瞳が光る
腹腔鏡手術を終えてベッドにねている
その妻を初めて見るように私は驚く
「死ぬことから少し遠のいたわ あなたが先かも」
手術のあとたった三日で退院する
妻はベッドから離れて私の手を握る
「余命はもう考えないわ
いつかロマンチック街道を通り
ノイシュバンシュタイン城を見に行きましょう」
妻はその夜
私を夢で見ることは無いだろう
狂王ルードウィッヒとワーグナーが
楽しくダンスをしている夢を
見ているに違いない
それでいいのだと思う
私は妻に夢にまで逢う約束は
していないのだから
明日のことはわからない
100号記念号です、おめでとうございます。「『詩区』のあゆみ」で会の成り立ちが判りました。板橋区広報紙のサークル活動が出発点で、かれこれ10年というグループです。月に1度、持ち寄った作品を綴じて発行してきたようですが、それが100号まで続くというのは大変なことだと思います。継続に敬意を表します。
紹介した詩は「妻」の「腹腔鏡手術」にまつわる作品で、第5連の「私は妻に夢にまで逢う約束は/していないのだから」というフレーズがとても佳いと思います。考えてもいなかったことがヒョイと提示されていた驚きました。肩に力が入っていない証拠でしょうね。ぜひ「ロマンチック街道」にも行っていただきたいものだと思いました。
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