きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2007.12.11 浜離宮・中島の御茶屋 |
2008.1.1(火)
新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします、、、って、今日は実は2月13日なのです(^^; とうとう1ヶ月半も遅れてしまいました。でも、ようやくこの日に辿り着けてうれしいです。私の2008年が始まりました。今年はなんとか遅れないで行きたいものですが…。まあ、ギリギリまで頑張りますから、今年もご声援のほどよろしくお願いいたします!
○詩紙『ハガキ詩集』226号 |
2008.1.1
埼玉県所沢市 伊藤雄一郎氏発行 非売品 |
数字で振り返る2007年のサプライズ/伊藤雄一郎
−この数字は何?−
年々我が国はどこか「おかしい度」が増すばかりだ
去年も年金着服や防衛庁の接待問題、或いは食品偽装などなど
児童殺人や“カラマゾフ”の父親殺しなどは最早誰も驚かなくなった
そしてそれらに加えてこんな数字の記録を残した年でもあった
16 夏の参院選挙で歴史的敗北を喫した安倍首相が内閣改造から突然の退陣を
表明するまでの日数 「美しい国」も姿を消したのか
40 猛暑が続いた日本列島で 館林と喜多見で記録した最高温度
良くぞ生きていたと互いの肩叩く年寄りが目に浮ぶ
40000 元気な年寄りが増えている裏返しなのか 急増している高齢者の犯罪人数
という お陰で刑務所がパンク寸前とか
224万 年収1000万円以上の“富裕層”の人数で前年よりも9万5000人も
増えているという 彼らにさらに“贅沢”を勧める雑誌が売れているという
1023万 年収200万円以下の人数というが 働けど働けど暮らし楽にならず
この格差広がる社会 なんとかならないのか
さて今年は子年 十二支の中でも一番小さい存在だが
ねずみ小僧がつぎつぎと罪を犯したように
これ以上大きな悪が増えるのはご免蒙りたい
目立たなくても善が芽生えることを祈るばかりだ
さて、今年最初の紹介はそのものずばり、年賀状の「ハガキ詩集」第226号です。昨年は、と言いますか、昨年も信じられないようなことが多くあって、かなり不感症になって「最早誰も驚かなくなっ」てきてはいますが、それじゃあ駄目なんでしょうね。こうやって「数字」というキーワードで世相を見るのも不感症防止には有効かもしれません。そして、やっぱり「目立たなくても善が芽生えることを祈るばかり」です。今年はそんな小さな善をこのHPでも紹介できればなぁと、この作品を拝読して感じました。
○詩誌『二行詩』23号 |
2007.12.25 埼玉県所沢市 伊藤雄一郎氏連絡先 非売品 |
<目次>
鴉/高木秋尾 神よ 他/大瀬孝和
孤独な宇宙の中で/伊藤雄一郎 都会・夏 他/布谷 裕
老人体験中/植木肖太郎 夕月 他/濱條智里
ランチ 他/小林妙子 月よ――/渡辺 洋
『一人一篇』のページ 植木肖太郎・佐藤暁美・永野健二・森 春生
先人の二行詩を訪ねて/伊藤雄一郎 良寛の二行書き漢詩(2)/布谷 裕
お便りコーナー あとがき
鴉/高木秋尾
かあと鳴いた
腕時計が緩くなった
針が遠近法を気にし始めていない
あほーと聴こえた
普通のことが厭になった
ホッチキスで綴られていたんだな俺
早朝なぜ騒ぐ
夜も朝も明けそうだから眠りたい
本をまた読んでしまう逃避三昧
飛んでばかり
自転車が欲しいけど乗れない
自分を転がせないからつまらない
鳥瞰図
スキップしながら時間稼ぎ
見えすぎて鳥したくなった
巻頭の「鴉」5編を紹介してみました。「ホッチキスで綴られていたんだな俺」が佳いですね。世の中の窮屈なことを表現していると思いますけど、肩肘張った生き方をしなければならない私たちは、どこかで誰かに「ホッチキスで綴られてい」るのかもしれません。
「本をまた読んでしまう逃避三昧」にはドキリとさせられました。私にとっての読書は、書くことからの逃避ではなかろうかと思っていた矢先のフレーズです。ああ、高木さんも同じかと、ちょっと安心しましたけどね(^^;
○一人詩誌『雲の戸』3号 |
2008.1 埼玉県所沢市 山本萠氏発行 200円 |
<目次>
つぐみ! と呼べば
語り出されてゆくピアノ
あとがき
あとがき
一年前『雲の戸』が出発したとき、沢山の励ましのお便りと共に、「以前の『夢ゝ』と同じスタイルじゃない方がよいのでは」という意見も寄せられた。ああやっぱり、と思いつつ三号まできた。これからも『雲の戸』という一人詩誌がつづく間は、開けば長細いこの形でゆこうと思っている。決意、というはどでなく、どことなし自分らしい形のような気がするからだ。定型封筒に入れて発送しやすいということもあるが、普段は地味にとじていて、ある瞬間を境に、打ち上げ花火のごとく大胆に伸びやかに世界を展開してしまう……。(そのおそろしさ!)それから、他にある三つ折タイプともおよそ形状が違っていて、似たものにお目にかからない、というのも気に入っている。たかがまずしき外見(そとみ)のことではあるが、痩せた消え入りそうなわが詩文の中身とも、それなりに釣り合っているように思う。
--------------------
本紙の装幀について書かれていましたので今回は「あとがき」を紹介してみました。上の写真では一見、A4三つ折に見えるかもしれませんが、横に長いのです。上の写真で、横に3倍拡がった状態を想像していただければよいと思います。まさに「普段は地味にとじていて、ある瞬間を境に、打ち上げ花火のごとく大胆に伸びやかに世界を展開してしまう」スタイルなのです。確かに、他には「似たものにお目にかからない」詩誌です。「痩せた消え入りそうなわが詩文の中身」とは思いませんけど、繊細さと大胆さを併せ持った山本萠詩にはぴったりの装幀と云えましょう。
○個人通信『萌』22号 |
2008.冬 山形県山形市 伊藤啓子氏発行 非売品 |
<目次>
'08子年 正月列車
冬柿
冬柿
果物箱に手をつっこみ
無造作にひとつ取り出そうとしたら
ひやりとするはずが
ふいに
温もりを感じた
思いがけない手触りに
あわてて蛍光灯をつけ
箱を覗いてみたが
半分ほどに減った柿が
光の下で
眩しそうに身を寄せているだけだった
闇の中でひそかに
箱があくのを
待ち焦がれていたのかもしれない
気づかれてしまったことを悔い
気配を隠したのかもしれない
暗がりで
わたしの手のひらを
やさしく掻いていったもの
夜 食べたいわけでもないのに
確かめたくなる
箱から取り出すとき
しん、とした痛みがはしる
柿以外のものも
こっそり手渡された気がして
私には経験がありませんけど、判るような気がします。冷たいと思って取り出した携帯電話がポケットの中で暖まっていて、おや? と思った程度のことですが、そのつもりで観察すると意外に多いのかもしれません。ここではそんな無粋な感覚ではなく、「気づかれてしまったことを悔い/気配を隠したのかもしれない」と、あくまでも詩的です。「こっそり手渡された気がし」た「柿以外のもの」は、きっとポエジーなのでしょう。詩人ならこのくらいの感性を持たないと駄目なんだろうなと思います。佳い詩です。
← 前の頁 次の頁 →
(1月の部屋へ戻る)