きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2007.12.11 浜離宮・中島の御茶屋 |
2008.1.3(木)
一日中、年賀状ディのような日でした。足りなくなった年賀状を買いに走って、新しく作成した年賀状を投函しに行って、そんなことで日中は過ぎて行きました。これも暮のうちにちゃんと出していないツケが回ってきたのだと思います。
それにしても皆さまの年賀状、うれしいですね。1行のコメントでも心が籠もっていて、一人でニタニタしています。ありがとうございました。
○高田太郎氏著『詩人の行方』 |
2007.12.20 栃木県宇都宮市 コウホネの会刊 3000円+税 |
<目次>
はじめに
第一章 現代詩 私の一冊一誌
長岡孝一詩集『遠き山脈』(昭和四年 詩洋社) 12
泉漾太郎民謡集『夢を追ふ』(昭和三年 眞砂社) 18
手塚武詩集『一社会人の横断面』(昭和三年 銅鑼社) 27
立野勇詩集『清らかな午前』(昭和七年 下野詩人連盟) 33
岡崎清一郎詩集『火宅』(昭和九年 著者発行) 40
近藤博人詩集『冬塵』(昭和十七年 構成社) 46
大滝清雄詩集『黄風抄』(昭和十八年 霞ヶ関書房) 51
石川守三(浩義)詩集『愛情の断層』(昭和二十一年 永楽屋書店) 58
高内壮介詩集『美貌の河童』(昭和二十二年 海口書店) 66
小林宏未刊詩集『散りかかれ』 73
三日月朗詩集『古風な塔の歌』(昭和二十八年 私家版) 79
臼井早苗詩集『虹の幻想』(昭和三十年 新小説社) 85
『栃木県女流詩人選集』(第一集)(昭和三十年 栃木県女流詩人協会) 92
水上文雄詩集『若い夏』(昭和三十二年 増山造型印刷社) 98
高橋昭行詩集『禁猟区』(昭和三十二年 「根」の会) 104
古川清彦詩集『歩行』(昭和三十二年 日本未来派) 110
小川和佑評論集『詩人の魂』(昭和三十五年 地球社) 117
高野未明詩集『噴煙』(昭和三十九年 思潮社) 122
岡安恒武詩集『湿原』(昭和四十六年 歴程社) 129
三田忠夫詩集『隕石博物館』(昭和四十九年 落合書店) 137
第二章 現代詩覚書
三岡忠夫と「鴉群」 144 大詔換発−岡崎清一郎詩集『夏館』から 155
大木実をよむ−詩集『場末の子』などから.164 青春ひとときの詩人 170
詩心の原点−県内詩人十代の作品から 177. 出会いの詩−ぼくの詩が若かったころ 187
わが詩の季節 194. 大きな里の色と匂い−わが詩の素 199
学校の詩−ぼくの「国民学校読本」より 203. 鵜とエロスの詩人 218
「風」の会の思い出 226 詩という癒し 230
詩と作法−詩の評価をめぐって 234. 現代詩への提言 241
詩の現況 249
第三章 詩の屑籠・落穂拾い
詩の屑籠(1) 252 詩の屑籠(2) 255
詩の屑籠(3) 258 詩の屑籠(4) 261
詩の屑籠(5) 264 詩の屑籠(6) 267
落穂拾い(1) 270 落穂拾い(2) 273
落穂拾い(3) 276 落穂拾い(4) 279
落穂拾い(5) 282 落穂拾い(6) 286
第四章 戦跡慰霊巡拝記
レイテ島巡拝記 292. レイテ島巡拝記(続) 296
サイパン・テニアン島巡拝記 300 サイパン・テニアン島巡拝記(続) 304
北部ルソン島巡拝記 307. ペリリュー島巡拝記 311
南部ルソン島巡拝記 315. ミャンマー巡拝記 319
東部ニューギニア巡拝記 323. 東部ニューギニア巡拝記(続)327
沖縄島巡拝記 332. 鹿児島県特攻基地巡拝記 336
第五章 雑筆コラム編
いちれつ談判 342. 喧嘩と火遊び 345
英語聞きかじり 348. 食いしん坊時代 352
ヨーツリ 355. 英語は野球から 359
古書雑感 361. 読書雑感 365
音さまざま 368. 鳥のゆくえ 372
雑木林の中で 376. 二十世紀最後の− 378
レイテの犬 380. 怪の魅力 382
古書展の楽しみ 384. 誌中雑感 386
常識では国を守れない 388. ニッポンコール 390
思い上がりは 392. 戦跡に佇んで 394
あとがき 396
詩の屑籠(1)
昭和四十年代半ばだから、ぼくが三十歳をちょっと過ぎた頃だった。当時の県のなまぬるい既存の詩の会にあきたらず、若い詩仲間で新しい会を作ったことがある。阿久津哲明(故人)を代表に、ぼくが事務局を務めた。賛同者もけっこう多く、いま思い出すだけでも石岡チイ、野中節夫(故人)、金敷善由、山本利男(十四尾)、春山清、斎藤義央など当時の中堅どころが顔をそろえていた。
御多分にもれずぼくらもアンソロジーや会報を出して意気を示していたが、当時H氏賞を受賞し詩壇で活躍のめざましい黒田三郎氏を呼んで講演会を開くことを計画した。氏に早速連絡したところ快諾を得た。以下、そのときのことを少しばかり書いてみたい。
講演の前日の午後にこちらに来て塩原温泉でゆっくりくつろぎ、翌日、宇都宮で講演してもらうことにした。阿久津(黒磯市在住)とぼくが黒磯駅で出迎えた。白髪と大柄な詩人はすぐ分かった。塩原の宿に行くには十分時間があったので、阿久津のスバルで芭蕉ゆかりの地、黒羽町に立ち寄ることにした。古寺や文学碑に案内しようとすると、「ぼくはそういうものには興味がないんでね」との一言。それではということで、料理屋で名物の鯉のあらいでイッパイと相成った。そのうちイッパイどころか口元がおかしくなり、詩の話どころではなかった。時をみてやっと彼を車に押しこみ、塩原温泉の民謡詩人で著名な泉漾太郎氏経営の老舗和泉屋旅館に向かった。宿に着くやいなや、まだ飲み足りないと言う。まずはゆっくり湯につかってもらおうとしたが、そんなことはどうでもよい、というので早々と配膳をお願いした。そして夜おそくまでお相伴したが、どんな話をしたか覚えていない。
さて翌朝のこと、阿久津が「部屋に明かりがついていて静かだから、おそらく今日の講演の内容でも整理しているかもしれないよ」と言うので、しばらくそのままにしておいた。ところがあとで彼の部屋にあいさつに行っておどろいた。なんと彼は講演の準備どころか、冷蔵庫からビールや酒をありったけ取り出し飲みちらかしていたのである。目はどんよりとしてうつろだった。「こりやダメだ」阿久津がぼくの耳元でささやいた。彼が酔っぱらい詩人だとは知っていたが、これほどのものとは思ってはいなかった。でもこのままにしてはおけない。宇都宮までは二時間かかる。一般の来場者もいるはずだ。ぼくらは支度を急がせ、ふらつく彼を両脇にかかえ車にのせた。車内で彼は何かぶつぶつ言っていた。「いいか、いくら酔っぱらっても天下の詩人黒田三郎だぞ、しっかりしろ」と阿久津が気合いを入れた。宇都宮の町並みが見えはじめたころいくぶん落着きを取り戻した。
会場に着き、やっと彼を演壇に座らせた。型通りの講演者紹介のあと、彼はしばらくじっとしていたが、「ぼくは何を話すのかね」と、とぼけたようすでぼくの方へ向き返った。彼の要望によりこちらで勝手にきめて掲げた演題「詩のこころ」をぼくは指さしたが、とにかく「何でもいいから」と彼を促すほかなかった。彼はやっと口を開き、とぎれとぎれ小一時間話をついた。詩に直接ふれるようなものでなく、世間話が主だったように覚えている。とんだ講演会になったが、彼はぼくらのような地方詩人をバカにしていたのか、あるいは詩人なんて日頃えらいことを書いたり言ったりしていてもこんなものだよ、とぼくたちに示したかったのかもしれない。
後日になって彼もこの講演会が気になったらしく、ぼく宛に詫びの手紙をよこしたり、H氏賞受賞詩集『ひとりの女に』の署名本を送ってくれたりした。その一冊は今でも大切に持っている。
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この10年余、同人誌等に発表した詩論・エッセイをまとめたものです。詩人のエッセイとしては珍しい「戦跡慰霊巡拝記」があって興味深く拝読しましたが、ここでは「第三章 詩の屑籠・落穂拾い」から冒頭の作品を紹介してみました。黒田三郎についてはいろいろと逸話があるそうですけど、その具体例を初めて眼にしたように思います。私も酔っ払いの部類なので他人のことは言えないのですが、黒田三郎も相当ひどかったようですね。もっとも、この年代の詩人たちは似たり寄ったりの人が多かったように思います。
このエッセイで惹かれたのは「詩人なんて日頃えらいことを書いたり言ったりしていてもこんなものだよ、とぼくたちに示したかったのかもしれない」という部分です。面目を潰された著者たちは、怒り心頭してもよいのに、この配慮の高さ、優しさに敬服します。この本は全般に人間を見る眼の優しさに包まれたものですが、この項に端的に表れていると思いました。
○詩誌『コウホネ』22号 |
2007.12.25 栃木県宇都宮市 コウホネの会・高田太郎氏発行 非売品 |
<目次>
作品
潮だまり/星野由美子…2 蟻/石岡チイ…4
消えた兎/相馬梅子…14 ひとぼし祭/片股喜陽…16
夜の渕/高田太郎…20
エッセイ
くりごと/相馬梅子…6 カギの話/星野由美子…7
秋空/石岡チイ…9 お見合いの頃/小林信子…11
私の詩的体験(2)/高田太郎…12
連載 私の一冊一誌 岡田昌寿詩集『羚羊』/高田太郎…18
話の屑籠 同人住所録 後記
表紙 平松洋子
消えた兎/相馬梅子
日の出のように
青く燦然と地球はのぼり
暗黒の月面
でこぼこの月面を私は見た
夜空を見あげ
黄色い月の中の黒い影
兎でないことは
子供でも知っている
月の石を見るため
三時間もならんだ
なんの変哲もない小石
青く輝く星
宇宙の中で一番劇的
人が人を殺し
国が国を滅ぼし
洪水 地震
竜巻 ハリケーン
飽食 飢餓
悲劇 喜劇 ラブロマンス
人も動物も百年とは生きられない
青く輝く大地
私が小学校にもあがらない頃の半世紀前、月には兎が住んでいると言われたことをよく覚えています。しかし今では「黄色い月の中の黒い影」が「兎でないことは/子供でも知っている」ことです。「月の石」さえ見ることができるようになって、この50年の科学技術の進化は驚くばかりです。しかし、その反面「人が人を殺し/国が国を滅ぼ」す事態は何も変わっていないではないかとこの詩は訴えます。「人も動物も百年とは生きられない」のに「宇宙の中で一番劇的」な「青く輝く星」、「青く輝く大地」で何をやっているのかと嘆く作者の姿が見えます。「消えた兎」ならぬ消えた人間≠ノならないようにしたいものです。
○機関紙『コロポックル』19号 |
2007.12.20 札幌市豊平区 日下新介氏発行 非売品 |
<目次>
DAM同盟作品 詩 自由はいまもまもられているか/打方成美 109
詩 昨日 悲別で 道作上砂川大会に寄せて/打方成美 110
詩が芸術作品になるために/日下新介 112
エッセイ 手紙集・死人に口なし/かながわ弥生 113
詩 宣誓/若泉 敬 114
詩 抒情詩について/西田 湘 116
詩 ゆきのした≠フ友え/<松川事件被告>
さいとう・ゆき 117
松川事件被告からの手紙/鈴木 信 118
松川事件被告を救え/編集部 119
詩 わたしらは会いたい/小寺 敦 120
抒情詩について/西田 湘
抒情詩は 若い感性のもの
希望やあこがれ
悲しみや怒り
それらが源流となって
若い地平に現れた時
春風のそよぎにも
みずみずしい言葉が生まれ
世の不正を見るにつけ
情熱がほとばしる
だが、年とって
命の源泉が枯れる時
あこがれなんかは消え果てて
悲しみさえも鈍麻して
さわやかな初秋のおとずれも
心が向かうのは
暑熱に耐えた日々の体調のことぐらい
はらりと舞う
一枚の枯葉をうたうこともない
唯、怒り
それだけが
いつまでも熾火のようにくすぶって
時にはげしく燃えあがることがある
けれど
希望さえ失わずにいれば
いつか
喜びだってうたうだろう
私も60歳近くなって「若い感性」からだいぶ遠のいたようで、この作品の「心が向かう」ところが少しは判るように思います。しかし「年とって」も「怒り」を「時にはげしく燃えあが」らせ、「希望さえ失わずにい」れば、いつかは「喜びだってうたうだろう」というものですが、これは若いときには自然に備わっているものなんでしょうね。この二つを意識することで「抒情詩」は成り立ち、老いもなかなか近づけないと教えられました。今後の詩作に忘れないようにしていくつもりです。
○機関紙『コロポックル』20号 |
2007.12.30 札幌市豊平区 日下新介氏発行 非売品 |
<目次>
原爆法廷――裁判の結審をまぢかにして/日下新介 121
詩集『帰郷』より 居酒屋/村山精二 122
感性と行動と(走り書き)/日下新介 123
原爆法廷――裁判の結審をまぢかにして/日下新介
ぼくらは
幾度 札幌地裁8F法廷に通ったことだろう
あの日
あなたが浴びた恐怖
長い年月にわたる呪縛にくらべれば
ちっぽけな意志にしか過ぎなかった
でも 傍聴は
あなたとぼくらが共有してきた
文明の闇への挑戦
死を超えた
明日への
希望だった
07・12・25
原爆訴訟で「札幌地裁8F法廷に通った」作品ですが、その回数は「あの日/あなたが浴びた恐怖/長い年月にわたる呪縛にくらべれば/ちっぽけな意志にしか過ぎなかった」と、あくまでも謙虚です。そして、それは「あなたとぼくらが共有してきた/文明の闇への挑戦」であり「死を超えた/明日への/希望だった」と、国家や核に対抗する力強さを感じさせます。詩の持つ力勁さと云ってもよいかもしれません。
今号では4頁のうち3頁も使って、日下新介さんに拙詩集の解説をしていただいています。思いがけず有難いことでした。また、別便では拙詩集を札幌の書店にお求めになったとあり、恐縮の限りです。わざわざ書店に出向き、高い詩集をお買い求めの上、ご自身の発行する機関紙に3頁も使ってご紹介くださる、こんな好意に恵まれたことはありません。伏して御礼申し上げます。
その中の「感性と行動と(走り書き)」で、私が拙HPで詩誌・詩集を紹介していることを「私は昔の生活綴り方教師に匹敵する仕事、というより『事業』ではないかと思うことがある」とお書きになっています。言われてみればその通りなのかもしれません。現代の生活綴り方≠ナもある詩を、これからも紹介し続けようと励まされました。ありがとうございました。
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