きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2007.12.11 浜離宮・中島の御茶屋 |
2008.1.4(金)
終日読書、年賀状返信。おだやかな一日でありました。
○『中原澄子詩集』 |
2008.1.15 福岡市中央区 石風社刊 2000円+税 |
<目次>
T ドアの内部 1949−1971
地蔵菩薩 6 蟹 8 くらげのうたう 9 弟よ 11 魔術師
13 母のいる風景 15 とびら 17 ベンチで 19 夜のデルタ
21 終駅で 24 白地図 27 うつろな方位 30 がらんどうの
32 崖 35 コスモス 37 赤い服 39 飛翔 41 手 44 退屈なシチュエイション
46 ドアの内部 49 興福寺阿修羅像に寄せる 52 弟に
56 小鳥と少年に寄せるソネット 58 茅を刈る少年
63
U 海へつづく石段 1992−1994
糸電話 68 あきしゃん 71 夕景 74 紫川辺 76 五月
80 峠道 83 重い小包 87 夕ごはん 90 秋 93 小さな池のはなし
95 小倉駅の喫茶で 98 祭礼の日に 101 松籟 104 不発弾
107 流れ星に 110 そら 112 ふようD・112のB
115 風景 118 糸底 121 編む 123 海へつづく石段
126 道 129 かたらい 131 交信 133
V 母の岸 1995−1997
魚眼について 136 森の中 139 七つの子 141 蛍蛾
144 蝉殻 147 やまめ 150 季節のおわり 153 湯あがり
155 イーハトヴヘ 158 わたしぶね 162 虹 165 途上
168 引き潮 171 風倒木 174 車窓 177 母の岸 180 失速
184 風景 188 祭りの夜 190 幻聴 193 螺旋状に
196 梨 199
W 補遺 1949−1957
水 204 月・睡り 205 風 207
V 拾遺 1998−
野鳩 212 千の丘放送 214 遠い窓 218 青色ポンポン
221 化野詣で 225 登攀 229
あとがき 232
梨
二十世紀≠ェ安い。黄緑の淡いはだを店先にさらし、
ひと山四百円。
豊水≠ヘ茶っぽい皮に果汁を満たして発泡スチロール
の網に座っている。幸水∞新興∞高梨≠サれぞれ色
分けされた網に包(くる)まれ、贈答用の段に収まっている。
長十郎≠ヘどこへ行ったのだろう。なけなしの金を数
えて、六三郎は長十郎≠買ってくれた。「おれと同じ、
いい加減な名だなあ。」確かに長十郎≠ヘ道を歩きな
がらかじるには固かった。
当麻長十郎は明治の歯ざわり
梅原六三郎は脚絆のうしろ姿
二十世紀≠フ人気が長十郎≠越したのは、六十年
くらい前だったろう。月給取りの叔父が買ってくれた
二十世紀≠ノは、甘酸っぱい果汁が満ちて、しゃれた
文明の予感があった。
日の丸の小旗が路地に溢れ、サーベルを腰に叔父は上海
へ征き、やがてひっそりと帰ってきた。肺結核で。
六三郎はそっと叔父を呼び寄せ、何日か留守にしては食
糧を担いで戻る日を過ごした。
夏の夜、久々に二階の咳が止んだ。庇に出て、涼む姿勢
で叔父は硬直していた。見開いた目の先に、満月が光っ
ていた。「特高にまでなった男がのう……」手足が曲が
るのを待って六三郎は棺桶を買いに行った。
年々男衆が出征していくので、六三郎は忙しくなった。
昼も夜も、警報が鳴ると大声で町内を駆け回った。
クーシューケーホー クーシューケーホー
長十郎≠ヘどこへ行ったのだろう。二十世紀≠ニ結
婚して、新種の梨に変わり続けているのだろうか。それ
ほどの才覚のない六三郎は「この娘(こ)は、おれのひとつぶ
だねでね。」と言って笑っていた。
六三郎も逝って、その年齢に近くなった「ひとつぶだね」
が二十世紀≠買おうとしている。ひと山四百円の不
安に立ち止まる。染みが、芯まで降りているようで。
1966年から1997年までの3冊の詩集を主にまとめたようです。ここでは1997年の詩集『母の岸』から「梨」を紹介してみました。今も売っているでしょう二十世紀梨は、私も好物ですが、この作品からすると戦前からあったのですね。それ以前からの梨とも絡ませた一族の歴史と見ることができる作品です。「叔父」、「六三郎」と、二人の人物像も簡潔に表現し切っていると云えましょう。第1連と最終連に「ひとつぶだね」を登場させて、この構成も巧いと思いました。
○詩と批評/一枚誌『てん』45号 |
2007.11.3 山形県鶴岡市 万里小路譲氏発行 非売品 |
<目次>
朝しずかに/北原千代 夢の創成/万里小路譲
振り子/万里小路譲 覚悟/万里小路譲
暗い嵐の明るい晩/万里小路譲 時間/万里小路譲
位相/万里小路譲
離陸/北原千代 詩集『ローカル列車を待ちながら』(二〇〇五年)より
詩評・万里小路譲
振り子/万里小路譲
正義のために殺され
信念のために排斥されるのなら
ひとの配慮や気遣いは
どこへいったのか
「神学について本を書いているんだって
いいタイトルがあるといいね」
「完璧なタイトルを思いついたぞ――
『自分が間違っていると思ったことがあるか』」
自己を超える真理に気づいたね
スヌーピー
正義も信念も
直視できない太陽のようなもの
大道の正しさを疑うときに
何かが見えてくる
確信と疑心は振り子のように
世界を往復するものさ
*第2連は Charles M.Schulz PEANUTS より。私訳。
チャーリー・ブラウンシリーズの作品です。さすがに第2連はおもしろいのですが、それに加えて「確信と疑心は振り子のように/世界を往復するものさ」とする作者の視点に感心しました。「正義のために殺され/信念のために排斥される」人が後を絶たない世界で「神学」を考える、その「自己を超える真理」が『自分が間違っていると思ったことがあるか』で、それを「振り子」と結びつけたところに作品の妙を感じました。
○詩と批評/一枚誌『てん』46号 |
2007.11.23 山形県鶴岡市 万里小路譲氏発行 非売品 |
<目次>
椅子/北原千代 どこか/万里小路譲
生涯/万里小路譲 心配/万里小路譲
雨の日/万里小路譲 願望/万里小路譲
歳月/万里小路譲
風と抱擁/北原千代 詩集『ローカル列車を待ちながら』(二〇〇五年)より
詩評・万里小路譲
風と抱擁/北原千代 詩集『ローカル列車を待ちながら』(二〇〇五年)より
笛を鳴らして風がいく
田園を海で満たし
放縦な波をおこすのは
風のしごと
嵐をあつめて
杉林をすくませる
青草の群れをよりわけ
たわませ
不意に抱きよせて
遠い国のうたを聞かせる
それはみんな風のしごと
根のないものを
浮き足立ったものを
ひねり
なぎ倒していく
それも風のしごと
ひざまずいて
失われたものをかぞえる
根毛を指でほぐし
くしけずる
ふたたびの生のため
かれらが生まれた場所に
グラジオラスの足元に
桔梗のかたわらに
埋める
日照りのあと
太陽が刺をたたんだあと
ひと注しの冷たい水をあげる
沁みていく土とふたりで
きょうの双葉を
よろこぶ
風よ
見て
わたしは野にいる
からだの芯を貫き
吹き渡るほそく激しい
海風を孕むものとして
フズリナの海岸に
ウミネコを聴かせる
風よ
あなたと
分かちがたく
抱擁するおんなとして
風は、笛を鳴らし、波を起こす。風は、空気を流し、大地にあるものすべてを揺り動かし、通り過ぎる。そよ風は大地に優しく、嵐は強暴な暴れ者で、抱き寄せるかと思うと、突き放す。気まぐれで無目的な営為は、それ自身の存在性に基づいたひとつの必然であるにちがいない。風は自然の摂理に取りこまれており、ひとには予測しえないあるがままの現象としてこの世界にある。
詩篇「風と抱擁」が内包している世界は、フズリナ(fusulina ラテン語/紡錘虫)が棲息した古生代の石炭紀とペルム紀から、ウミネコが鳴く現代にまで及ぶ時空間である。つまり、風が生きぬいてきた来歴、風が見てきた歴史が、これまでの世界である。
起承転結という構成が世界の創成を象っている。混沌 chaos(第一連)から秩序 cosmos(第二)への移行は、志向するひとの存在のありようそのものとしてある。すなわち、自然はあるがままにあり、風もまた不羈者のようにこの世界にあってひるむことはない。〈根のないものを/浮き足立ったものを/ひねり/なぎ倒していぐ〉営為は、〈風のしごと〉である。しかしながら、失われたものを復活させるひとの手によって、双葉は発芽するだろう。時間は存在するものが崩壊していく不可逆的な継起であり、ひとの営みはそれを回復させゆく営為である。無軌道へと陥る混沌を秩序へ転位させようとする意志が、ひとの存在する意義と言える。そうとすれば、ひとの営為は、自然に背く存在の二律背反として現れる。
しかしながら、転調を奏でる第三連には、風と抱合しようとする志向牲が見て取れる。ひとは遙かなる昔に誕生し、なぜかはわからぬが、その生命連鎖の連続に詩人も加わっている。〈わたし〉は、〈海風を孕むもの〉として古生代から継がれてきた風に貫かれる存在としていまここにある。鳴り響くのは、風を送って音を奏でるオルガンの響きである。
ラテン語の spiritus は、英語の spirit(精神)に通じ、「風・呼吸・生命・霊感・精神」などの語義を包括的に有することは興味深い。いずれも目には見えぬ霊性(spirituality)であり、life の語義「いのち・生存・生涯・寿命・生物・世・活気・救い・再生・最愛のもの」と部分的に重なりあう。
風のようには生きれぬものか。しかし、自己とは風ではなかったか。生命は風がパラフレーズされたこの世ならぬ現れのひとつひとつであることを、最終連が示唆している。遙かなる時間と空間に現成して、風は音楽を奏でるだろう。それは生命が誕生した遙かなる神秘の楽音である。 spiritus と life はまた、organ の語義「(楽器の)オルガン・(生物の)器官・声」と結びつく。風・呼吸・生命・声が織りなす交響世界は、救済・再生・最愛を求める物語であったのだ。
風あるいはひとは、どこへ行くのか。――風の自在性と精神の霊性に共通するものは、ともに呼吸し、ともに生きぬこうとする意志である。配慮・気遣いとしての抱擁があり、愛撫のなかに生命体同士のエクスタシーが結実する。詩人が志向する世界は、世界を超えてあることがそのまま世界であるような世界、すなわち、風と合一しようとする霊性が奏でるこの世ならぬ響きの小宇宙である。(譲)
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本誌の45号から47号は、日本詩人クラブ会員でもある北原千代さんの詩篇詩評となっていました。新しい詩篇を各号の巻頭に載せ、巻末で2005年刊行の詩集『ローカル列車を待ちながら』から1篇を詩評をするというものです。ここでは詩篇「風と抱擁」と、その詩評を紹介してみました。作品を丁寧に読み取っているのが判ります。特に各連の特徴を抽出し、それを全体に繋げる論法は見習うべきものでしょう。拙HPでの紹介のあり方も考えさせられました。
○詩とエッセイの一枚誌『てん』47号 |
2007.12.24 山形県鶴岡市 万里小路譲氏発行 非売品 |
<目次>
野の塑像/北原千代 雨 ――ライナスに/万里小路譲
毛布/万里小路譲 黙想/万里小路譲
エッセイ 旅する青年バッハ/北原千代
樹のひと/北原千代 詩集『ローカル列車を待ちながら』(二〇〇五年)より
詩評・万里小路譲
旅する青年バッハ/北原千代
J.S.バッハの肖像画を初めて目にしたのは、小学校の音楽室だった。ずらりと並んだ額縁の中の大作曲家たち。私はバッハの正面にすくと立ち止まった。数年前に亡くなった祖父の面差しに似ている。祖父は頭髪が薄かったが、カツラを被せたらそっくり。両親は笑うばかりで取り合わなかったが、それ以来私は、バッハに不思議な親しみを感じるようになり、苦痛だったピアノの稽古が次第に楽しみになった。たどたどしい指で二声インヴェンションを弾く時など、大好きだった祖父がすぐ傍にいるような気がした。
バッハは六十五歳で生涯を閉じるまで、管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲、無伴奏クラヴィーア曲、カンタータなど、実に多くの作品を書いた。その数二五〇と言われるオルガン曲のなかで、トッカータとフーガ二短調(BWV565)は、最もポピュラーな曲のひとつだろう。劇的な下行音型ではじまる有名なアダージョの導入部は、テレビドラマの一場面で耳にすることもある。重大な事件の始まり、茫然自失の場面などにはぴったりだ。
コンサートで演奏される機会も多く、CDも複数リリースされ演奏を聴き比べることができる。親しみやすく躍動感があり、ドラマティックで自由奔放。
「本当はバッハの作品じゃないらしいんだ」
先月クラシック通の知人が少し気まずそうな表情で言った。青年バッハが北ドイツの巨匠ブクステフーデのトッカータ二短調(BuxWV155)に刺激されて作曲した、と信じていた私は、一瞬言葉に詰った。彼は、確かにそういうことになっているが、どうもあの曲は様式的にも作曲技法的にも円熟期のバッハとかけ離れている、と講釈してくれた。一九九五年にクラウスという人が、強力な偽作説を主張したのだそうだ。この曲は素人には大いに好まれるんだけどね、と彼は笑顔で付け足した。それなら私は、なおさらこの曲を好きになってもいい。
バッハは、ヘンデルと同じ一六八五年にドイツ中部、アイゼナハに生まれた。ヘンデルはイタリアの諸都市を訪れ、その国の書法を身につけ、後にロンドンに移り住んだ国際派。一方のバッハは、イタリアやフランスの影響を受けながらも、音楽一族の職業地盤がある中部ドイツを活動の中心とし、ドイツ語圏から離れなかった。二十二歳で結婚してからは、家族の扶養が第一になり、長期の旅行もままならなかったという。
ブクステフーデの催す「夕べの音楽」を聴く自的で、何百キロも離れたリューベックに徒歩で向かう二十歳のバッハ。四週間の休暇を教会に申し出て出発するが、実際にアルンシュタットヘ戻ったのは三ヶ月以上経ってからだった。その間、彼はどこで何をしていたのだろう。
教会から事情を聴かれた彼は、リューベックに行き、その地でいくつかのことを「彼の芸術のなかで把握しようとした」と釈明した。つまり、ブクステフーデから受けた大きな影響を、自分自身の音楽のなかで生かそうとした、と答えたのである。私は驚いた。二十歳のバッハはすでに、自身の芸術を確信している。優れた芸術から息を吹き込まれ、そこから新しく自分の音楽を創造していくという意思表明がとてもさわやかだ。すてきな詩や音楽に触れては、ただ感動しているだけの私に、青年バッハの言葉は大きな衝撃だった。
私は学生の頃からパイプオルガンに興味を抱き、演奏会に足を運ぶようになった。初めて生演奏を聴いたのは高校時代だ。午後の授業をこっそり抜け出し、演奏会後オルガニストの楽屋を訪れてサインをもらった。うしれしくてたまならかったが、あとで担任の先生からひどく叱られた。
パイプオルガンという楽器には、何かしら特別な楽しみがあるような気がする。それはもしかしたら空間を震撼させる風の音に心身をゆだね、ゆすぶられる快感かもしれない。
演奏の醍醐味は、と訊かれることもある。長いあいだ鍵盤楽器と親しみ、リードオルガンやピアノで三十年近く教会の奏楽をさせてもらってきたけれど、パイプオルガンの演奏を学び始めたのはつい数年前だから、まだ胸を張って言えるようなことは何もない。
ただ、トッカータとフーガ二短調を演奏するのは、たいへん気持ちが良い。若いバッハの呼吸、ダイナミズム、推進力が心身にみなぎる気がする。そして、効果的な「休符」にはっとさせられる。雄弁な休符というのがもしあるとすれば、これを指すのだろうと思う。バッハに影響を与えたといわれるブクステフーデのトッカータ二短調もまた、休符が効果的に用いられているが、バッハのそれはもっと鮮やかな印象を受ける。楽器自体の特性、感興の高まりなど、そのときの状況によって休符の長さや深さを即興的に変えられる余地があるのは、トッカータならではの楽しみだ。この曲にはそれが至るところにちりばめられている。
楽譜自体に造形の物語があり、見ているだけでも美しい。ユニゾンの三連音符型は、油絵具を滲ませるように駆け上る。トッカータの終わりに、はじめて旋律として雄々しく登場するペダル。足指の付け根のあたりに息を込め、しっかりと踏み込む。すぐさまフーガがはじまる。繰り返される主題と応答。吹きすさぶ嵐のように高まっていく過程で、不意に鮮やかな休符と対面する。そのとき、パイプに風は充満しているが、音がない。ただ風だけが在り、それを聴く。
北の巨匠、ブクステフーデから学びたい一心で、何百キロの道のりを歩き続ける青年バッハ。三ヶ月以上も予定を引き伸ばし、帰路につく彼の胸のなかには、新しい音楽が沸き上がっていただろう。
生涯を林業ひとすじに捧げた祖父もまた若い頃、心に残る旅をしたのだろうか。半径十キロを生活圏とし、ひたすら働いた祖父は、奥深い森林で時おり、風の音を聴いただろうか。
トッカータとフーガ二短調を演奏するとき、私の不器用な手足は、若い芸術家の息づかいに満たされて、のびやかに弾む。
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今号では北原千代さんのエッセイを紹介してみました。北原さんのエッセイは珍しいと思います。少なくとも私は初めて見たような気がします。クラシックのことも演奏のこともよく判らないのですが、判らないなりに納得させられる文章です。しかも単にバッハのことを述べるだけでなく、「祖父」を登場させたことで深みを出すことに成功しています。良い詩人は良い散文を書くはずだ、というのが私の持論ですが、それを見事に具現化したような文章ですね。ここから数々の名詩が出てくるのかと思うと納得するばかりです。
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