きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.12.11 浜離宮・中島の御茶屋




2008.1.6(日)


 渋谷のワタリウム美術館で「クマグスの森」展を観てきました。粘菌やキノコの研究、博物学、民俗学など多彩な才能を発揮した南方熊楠(1867〜1941)の展覧会としては大きな規模ではなかろうかと思います。ワタリウムはどちらかと言えば小さな大きな美術館でしょうが、それでも2Fから4Fのスペース全部を使った展示は圧巻でした。特に熊楠の書斎が再現されていたのが良かったです。ここに座り込んで研究していたのかと思うと、今にも熊楠がのっそりと出てくるような臨場感がありました。

 熊楠については、実のところそれほど詳しいわけではありません。破天荒なおもしろい男がいたんだな、という程度の認識でした。それが今回は生い立ちから74歳で永眠するまでの一生が展示されていましたので、大いに参考になりました。展示に合わせたワタリウム美術館編『クマグスの森 南方熊楠の見た宇宙』も求めましたので、今後の詩作や評論の参考にしようと思っています。



相良蒼生夫氏詩集『禁猟区』
第6次ネプチューンシリーズW
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2008.1.10 横浜市西区 横浜詩人会刊 1200円

<目次>
夏の情景 6     熱暑の港 9     夏の日に 12
禁猟区 15      蟻塚 18       予感 21
パニック障害 26   迷路 29       かなしみ 32
梗塞 34       私のこころ 36    渡り鳥 38
あの女 41      橋 オムニバス 46  風立つころ 50
愚かな神々 54    崩壊する感覚 56   夢魔のあとさき 58
空間 64       早朝覚醒 69     楕円 72
ある出発 76     待ち人来たらず 79  フクロウのとき 81
山の宿 84      不況の大晦日 86



 禁猟区

露わな筋肉が陽に焙られる鋭い痛み
ささらに尖った神経叢の剥き身をいたぶる風の迫害と
干上がる心臓の湖に係留した船の 炎上する消滅のかなしみ

高貴の香り漂うこのエリアで あなたは
静ひつの神らの舞台の場所に あなたは
聖域といわれる千古の土地で あなたは
荘厳に詩文が歌われる劇場に あなたは
神聖な都市記号が羅列の街で あなたは
大勢の知恵と奉仕と仰賛の殿堂を汚しに あなたは

追わないで下さい どうか
供物は遠い地方から曳いてきました
この異臭は大勢の人に貢ぐ獣の血の腐敗です
好戦的な野郎と排斥する前に 大勢の人の汚穢の溜りの地を
耕し育てた見事な作物を賞めて下さい
沐浴の儀礼より先にものの実体を知って欲しかったのです
大勢の人の泉で血を洗う狩の手法を使うことはありません
俺に追放の意志を指でさし示す官憲よ
俺の生れつき持つ異差をさげすむ群衆よ
俺の特異な言語を劣性と見なす学者よ

やや離れて街を見れば 全体が傾いだ型の
螺旋を連ねた灯の陰影がきれいだ
俺の本能に記した都市は 冷たい光の輪の
被りものを脱ぐことだった
自然の光のまま風のそよぐ街 俺の回生の思考の中なる街は
機能美を重ねた末の重量の階段を下りきったところで潰え
潰えた異邦人の仮面を着け わが正当の言語の銃を持つ
猟期のいま敢えて禁猟区に放つ果ての地からの警声
テロルというなかれ
死に瀕した側の球形から撃ちこむ 孤高の意志表示なのだ

 4年ぶりの第7詩集です。ここではタイトルポエムを紹介してみましたが、「禁猟区」とは現代社会そのものではないかと感じました。最終連の「猟期のいま敢えて禁猟区に放つ果ての地からの警声」というフレーズは、現代社会へ向けた一発の弾丸のように思います。それを「テロルというなかれ」、それは「孤高の」詩人としての「意志表示」であり警告なのだ、と読み取りました。正直なところ難しい作品、詩集ですが硬質な高い意思を感じます。



詩とエッセイ『部分』35号
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2007.12 石川県金沢市 三井喬子氏発行 非売品

<目次>
寄稿 失われた言葉を求めて/福田純子 1
アンブレラ/
三井喬子 5          現場/三井喬子 7
わすれもの/三井喬子 9          傘/三井喬子
 10



 私の場合恐ろしかったのは「シックハウス症候群」が重症化して「化学物質過敏症」となるにとどまらず更に「電磁波過敏症」を併発したことで、北里大学病院アレルギー科化学物質過敏症外来の権威である宮田幹夫先生の最初の珍察で、「電磁波過敏症を併発しますから、パソコン、携帯電話の使用は控えるように」と注意された時にはデンジハカビンショーなんじゃそりゃ、特別に神経質な人がなるちょっとおかしな病気なんじゃないの? と思って内心馬鹿にしていたのでしたが典型的な「化学物質過敏症」であると診断されたその日から一月も経たないうちにパソコンを使うと手が重くなるようになり手だけでなく腕が腕だけでなく全身が体だけでなく頭がと言う風に電磁波を受け付けない場所がどんどんどんどん増えまして、ついには洗濯機のスイッチを入れただけで倒れる鳴っている電話の受話器を思わずとればへたりこむメールを受信すると頭が朦朧とする、自動改札も通れず人と電話も出来ずファックスも送れなくなり、やがては携帯電話の基地から発せられる電磁波がゆったりとした波を描いて街を走るのがわかるようになってしまい、PHSの基地の電波が頭の中にコイルのように入り込んで熱線真っ赤に熱くなり脳を焼く、焼かれた脳を抱えてのたうちまわり、焼かれるのを防ごうと電気炊飯器の内釜をかぶる、かぶった内釜の中で電磁波が跳ね返り跳ね返り何倍も何倍も強くなってわんわんわんわん私の脳を焼き尽くそうとそこに助っ人に現れたのが「竿竹売り」のスピーカー、スピーカーが非常に強い電磁波発するってご存知ですか、さおーやーさおだけーさおーやーさおだけーと繰り返すその声が響いて響いて響いて私の頭蓋骨はさながらお寺の鐘、ごおぉーーーんごおぉーーーーーんと竿竹売りの声響いてそれが脳を焼き尽くす、脳を焼き尽くす、焼き尽くす、

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 紹介したのは福田純子さんの体験談「失われた言葉を求めて」の部分で、5年ほど前に病気になったときのことを書いたものです。一応エッセイなのでしょうが、センテンスの長い文章は詩としても読めるように思います。これだけ長いセンテンスを一気に読ませる力はたいしたものです。「電磁波過敏症」という珍しい病名にも惹かれましたけど、その症状を伝える文章にも瞠目させられました。



詩とエッセイ『想像』119号
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2008.1.1 神奈川県鎌倉市
羽生氏方・想像発行所 100円

<目次>
ごくらくとんぼ…1             定年修学旅行−旅日記抄(2)…井上通泰 2
広島県・山の植物の写真はがきの紹介…4   詩・銀杏ほか…羽生槙子 5
本・『土と文明」を読む…羽生康二 7    老人のフンマン…羽生槙子 10
詩・秋の手紙ほか…羽生槙子 10       花・野菜日記07年11月…12



 老人のフンマン/羽生槙子

 近ごろできた言葉に、後期高齢者というのがある。75歳以上の老人を指すのだそうだ。わたしは77歳だ。フン、と思う。無礼な言葉である。高齢者だけならわかる。後期高齢者の次にまだほかのグループがあるかといえば、ない。あとは死≠ナすよと言われている。
 半年間凍結されたとはいえ、今年から後期高齢者医療制度が始まる。新たな老人いじめである。政治は老人の医療費を何とかして押さえようとしている。老人がふえて少子化でやがて年金を払えなくなるから何とかせにゃならん、と政治は考える。後期高齢者医療制度では75歳以上の一人残らずの老人から保険料をとることにする。その医療の範囲が「高齢者の適正にあった医療を」ということで、治療内容がせばめられるらしい。老人はいずれ介護しなきゃならんからと、介護保険料を高くする。ああ、と思う。
 確かに駅の階段を上るのに息切れするようになった。下るのに靴のかかとが階段に引っかかってよく転びそうになる。だから駅の階段に手すりがあるのは何とありがたいことかと思う。上りはゆっくり上がればいいが、下りは危い。昔より足を引きずっているらしいとわかったので、下り階段では足を高く上げるようにしているが、それでも時々引っかかる。ほかの人はどうしているのだろうと気をつけて見ていると、たいていは靴の先1/4くらいは階段からはみ出している。若者など、1/3くらいもはみ出して駆け下りていく。危いではないかと思い、若くて会社勤めをしていたころを思い出す。上り階段は必要なら一段おきに駆け上がった。下り階段は自分の足の位置なんて考えたことなくタタタッとおりていた。
 それでも、と思う。声に出して、おい、後期高齢者、と呼ばれたことはない。後期高齢者様と呼ばれたこともないから、あれは差別語かもしれないと、フン、と思う。

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 今号は詩ではなく羽生槙子さんのエッセイを紹介してみました。「後期高齢者という」「無礼な言葉」に「ああ、と思」い、「フン、と思う」気持がよく出ていると思います。それにしても「治療内容がせばめられる」にも関わらず「高齢者の適正にあった医療を」とはよく言ったものだと思いますね。まさに「新たな老人いじめ」です。この「フンマン」は、やはり該当者から声を大にして言ってもらうのが良いでしょう。あとに続く私たちも糾していかなければと思います。



月刊・詩と評論『操車場』8号
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2008.2.1 川崎市川崎区 田川紀久雄氏発行 500円

<目次>
詩作品
外苑前/長谷川忍 1            アダージョ――シナリオ風に/高橋 馨 2
SPOT――水あるいは砂/野間明子 4     残る・・・こだま/金子啓子 6
手術を拒否する/田川紀久雄 8       影のサーカス/坂井信夫 10
エッセイ
島村洋二郎の痕跡…36/坂井信夫 12     裏町文庫奮闘記より/井原 修 14
猫掻勤/坂井希美子 16           憲法二十五条をこの河の流れのように/坂井希美子 17
生命について(2)/田川紀久雄 18       末期癌日記(二〇〇七年十二月)/田川紀久雄 20
小さな庭の小さな私/坂井のぶ子 29
■後記・住所録 31



 外苑前/長谷川 忍

速度を落としながら
地下鉄は
ホームに滑り込んでいく。

車窓から
反対側のホームを眺めていると
ひとりの男の子と目が合った。
幼稚園児くらいだろうか
母親らしき女性に手を引かれている。
しばらくの間見つめ合う。
男の子の顔に
みるみる表情が宿ってくるのを
私は眩しげに
受け止めていた。

やがて
対向の電車に遮られ
お互いの緊張が解ける。
こちらの電車もまた
動きはじめる。
再び闇に戻った車窓に
今度は少しくたびれた私の顔が
ぼんやり映っている。

 誰でも経験する何気ない光景ですが、巧く詩としてまとめたものだと思います。特に第2連の「男の子の顔に/みるみる表情が宿ってくる」というフレーズが佳いですね。男の子の心理が手に取るように判ります。表情が宿る≠ニいう表現も見事です。最終連の「お互いの緊張が解ける。」も佳いですし、「少しくたびれた私の顔」を持ってきたのも、男の子の幼さと対比していますし、自分を低く表現したところに共感できます。大都市の地下鉄での一瞬のふれあい、映画の1シーンのようにも読めました。



   
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