きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2007.12.11 浜離宮・中島の御茶屋 |
2008.1.14(月)
午後から『詩と思想』誌の新年会が表参道の「NHK青山荘」であって、出席してきました。恒例の第16回詩と思想新人賞は、橋爪さち子さんの「手紙」。犬をとおして届く太古からの/風や声/鮮烈な手紙を彼とともに読む≠ニいう最終連が決まった佳い作品です。
3月号から『詩と思想』の編集部も変わるようで、その紹介もありました。編集長が森田さんから一色さんに変わる由。森田さん、長い間、お疲れさまでした!
写真は新年会でのスナップ。100人ほどが集まって盛会でした。二次会はいつもの「鳥良」。こちらも50人ぐらいは残ったかと思います。珍しく大騒ぎをする人もいなくて、なごやかな会でした。酒呑むときは、いつもこんな感じでなごやかな気分でいたいものです。
○季刊詩誌『天山牧歌』78号 |
2008.1.1 北九州市八幡西区 天山牧歌社・秋吉久紀夫氏発行 非売品 |
<目次>
中東イスラム圏の詩(10) 現代イランの詩四篇 秋吉久紀夫訳
アヨーブの幻…アリババ・チヤシー…2
靴…ムハメド・タージ・ハワーリ…4
毎週金曜日、…アリ・フシマンド…5
地獄と胡桃の樹…スラマン・ハラテイ…7
イラン現代叙事詩「今日は、ヘドルパパ」(下)…9
モハメド・フセイン・シャホリーヤル作 秋吉久紀夫訳
(詩篇)時…秋吉朋子…17
倭寇の防壘遺跡…秋吉久紀夫…18
この星に生まれて…稲田美穂…20
身辺往来…17
世界文学情報…21
受贈書誌…22
編集後記…23
倭寇の防壘遺跡/秋吉久紀夫
弓なりの琉球弧につらなる宮古島は、
北は東シナ海に、東はフィリピン海にとり囲まれ、
真上には、太陽の光かがやく北回帰線が走っている。
三月、島の南の小高い上比屋(ウイピヤー)山遺跡に佇むと、
周りは果てもない海の青さと大空の広がり。
むかしむかしのこととは言え、いまでも
防壘の跡には、みどり滴るガジュマルの樹が茂り、
海岸線には、巨大な斧を画然と振り下ろし、
一刀両断にしたムイガー断崖が、自然の砦を形成し、
要塞としての地の利は、他に類を見ない。
明代の漢籍である『倭国事略』には、
「中国ニ進入スル倭寇ハ、九州ノ五島或ヒハ
薩摩ヨリ出発スルガ、モシ東北ノ風烈シケレバ、
琉球ニ至リテ風ノ変化ヲ観察シ、北風多ケレバ広東ニ、
東風多ケレバ福建ニ侵入スル」と記載されている。
確かにかれら倭寇は意のままに無防御の島嶼を占拠し、
堅固な見張り所を各地に築造して、
四六時中、海流に乗って移動する大魚はむろん、
これという収奪のチャンスが到来すると、
きっと疾風の如く襲撃して、獲物を得ていたはずだ。
だが、現在という時間と空間では、意図的に
「不安定の弧」に包含された沖縄の島々は、
かつての倭寇の防壘の脅威どころでない。
地球規模での戦略体制下の最重要拠点として、
何時までその存在意義を誇示しなければならないのか。(2007・12・30)
「琉球弧」の今と昔に思いを馳せた作品ですが、その規模の違いについて考えさせられます。「倭寇」はせいぜい「北は東シナ海に、東はフィリピン海」程度でしたが、現在では「かつての倭寇の防壘の脅威どころでな」く、「地球規模での戦略体制下の最重要拠点」となっています。倭寇の場合は同じアジア人同士、現在は全くの異民族、という観点は無意味でしょうが、米国軍人の沖縄県民に対する暴虐を見聞きしていると、そうも言いたくなります。本当に「何時までその存在意義を誇示しなければならないのか」と思いますね。
○個人詩誌『魚信旗』43号 |
2008.1.15
埼玉県入間市 平野敏氏発行 非売品 |
<目次>
名札 1 気分 4 峠にて 6
鶴 7 交差点で 8 後書きエッセー 10
峠にて
峠に立って
紅葉も黄葉も目いっぱい吸って
過ぎた日の新緑と混ぜ合わせて
歩いてきた道のりをふとふりかえると
うしろはもう冬景色であった
来た道が凍って
人の帰りを拒絶し
冷(すさ)まじい老いが冬の陣を占めている
謀(たばか)るものもなく
夜の匂いだけが吹く冥(くら)い坂道をくだるだけ
急ぐなかれと疎(おろ)かな声が聞こえる
山の出口から逃げ切れるものではないと
焦るほど先人の箴言を思い出す
山にはまだ通らなければならない人道(ひとみち)が迷路状に続き
行き止まりには老人ホームなどの終末施設がある
お世話になるかもしれない他界である
古びた肌着の洗濯物がひらめいて
山の奥地にも立派な温みのこもる家がある
峠をくだって目にするものの一つである
星のように眠りたい
風のように消えたい
そう願い続けてきた人も
紅葉や黄葉に見とれたあとの大きな寂寥感
ときにはコウヨウとは死へのスイッチでもあるとか
美しいものにかくされた最後の戦慄(わななき)
「過ぎた日の新緑と混ぜ合わせて」というフレーズに惹かれましたが、書かれている内容は「冬景色」です。紅葉のあとに訪れるものを考えると、確かに「コウヨウとは死へのスイッチ」なのでしょう。死を受け入れて「星のように眠りたい/風のように消えたい」と私も願いますが、どうなることやら…。しかし、この作品で救われるのは「山の奥地にも立派な温みのこもる家がある」というフレーズです。最期まで人の温みを感じる気持を失わずに生きていたいものです。
○水崎野里子氏詩歌集 『Admiring World Beauties』 |
2007.8 Edizioni Universum Trento,Italy |
Contents
Tanka: Dragonflies 5
Tanka: The Tears of Frenzy 6
Tanka: A Wife of a Defending Soldier 7
Tanka: At The Cherry Blossoms Watching Party: No.2 9
Tanka: The Robe for Love 11
Tanka: Your Eyes 13
Tanka: The Sun in Xinjiang 15
Tanka: In Mongolia 17
Tanka: At Argentine 19
The Elegance 21
A Pity 25
Dews 31
I am Kannon Goddess 33
I am Hayato 37
At Yakushiji Temple: In Nara 41
To You 45
The Mountain 49
My Song 53
My Heart 55
The Window 57
Noriko Mizusaki 59
The Window
I open the window
so as for your wind to come into
bathing in the morning sun
I open the window
your wind passes through
and gone
kidnapping yesterday's sorrows
they would turn into clouds
then
fall on the earth
in the form of rain
so
now
I have no more sorrows
now
the sight of your wind
gently strikes the sky
英語とイタリア語で書かれた歌集と詩集です。恐る恐る最後の詩を翻訳してみます。まず、インターネットの翻訳エンジンを使うと次のようになりました。
窓
私は窓を開けます。
したがって、入る朝日を浴びるあなたの風のように
私は窓を開けます。
あなたの風は通り抜けます。
そして、過ぎ去る
昨日の悲しみを誘拐します。
彼らは雲に変わるでしょう。
その時
地球に落ちてください。
雨のフォームで 姿形
そのように
現在
私には、それ以上の悲しみが全くありません。
現在
あなたの風の光景
そっと、空を打ちます。
かなりいいところまで行っていますが、これではちょっとね。誤訳、過剰な意訳を怖れずに訳してみます。
窓
窓を開ける
朝日を浴びた風が入ってくる
窓を開ける
風は通り抜け
過ぎ去り
昨日の悲しみを連れ去っていく
風は雲になるだろう
そして
雨となって地上に落ちてくる
だから
もう悲しまない
いま
風の眼は
やさしく空を射る
I と Your
は意図的に訳しませんでした。どこかの行で
Your wind
を強引に入れたかったのですが、ちょっと無理でした。それにしても、風が昨日の悲しみを連れ去っていくというくだり、見事です。
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