きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.12.11 浜離宮・中島の御茶屋




2008.1.16(水)


 午後から国立国会図書館へ行ってきました。国立国会図書館HPがポータルサイトを立ち上げるので、日本ペンクラブ電子文藝館も加わってもらいたいという話が以前からありました。ただリンクを張ればいい、というだけではなく、文藝館側にも作業負荷がありそうでした。それではボランティアで運営している電子文藝館としては簡単に受けられない、かと言って無碍に断るわけにもいかないので、出向いて話を聞いてみようということになったものです。ペンクラブからは松本常務理事、大原電子文藝館委員長、事務局以下10名ほどが参加しました。

 国会図書館には初めて行きましたけど、たまたま休館日ということもあって閑散としていました。図書館側は企画課の課長さん以下、4〜5名が出迎えてくれて、まずは電子図書館サービスの案内をしてくれました。主に来館者用の検索サービスを体験させてもらいました。特に難しいところはありませんでしたけど、CDで納本≠ウれたものを検索するシステムは、ちょっと古かったですね。部分一致ではなく全文一致でないと検索できないのです。私自身があまり使うことはないと思いますが、これはいかにも使いずらいなと感じました。

 続いて本題のポータルサイト(PORTA)との連携についての会議です。ポータルサイトですから、国会図書館のHPを訪れた人が、資料を探すのに国会図書館が道案内をしてあげましょう、電子文藝館を紹介しましょうというもの。これは電子文藝館にも大きなメリットになります。図書館側も、著作権の切れた作品ではなく現役の作家のデジタル作品にアクセスできるということで魅力を感じたようです。双方思惑が一致して、それでは連携しましょうと基本合意に達しました。メデタシ、メデタシなんですが…。

 文藝館としては図書館に現在の掲載作品リストをエクセルで出さなければなりません。幸い、事務局がエクセルデータを以前から作ってくれていましたから、これはクリアー。問題は著者名や作品名にフリガナがないということです。その他、作品毎にURLが必要になるなど、少なくない負荷があることが判りました。まあ、技術的には何の問題もないことですが、700件を超える著者、作品にフリガナを振るなんて、考えただけでもシンドイ話です。

 とりあえず今日は内容を確認するというだけで結論は出しませんでした。後日の電子文藝館委員会で了承され、理事会で承認されてから正式に連携することになります。ま、日本ペンクラブの阿刀田高会長は、昔むかし国立国会図書館に勤めていたそうで、大いにやってくれとのコメントがあったようですから、頓挫することはないでしょう。多少の負荷があっても進めるべきだと私は思います。
 PORTAのURLは、
http://porta.ndl.go.jp/ です。興味のある方は覗いてみてください。



坂本孝一氏詩集『十九月の吊り橋』
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2007.12.16 北海道釧路市 緑鯨社刊 1500円

<目次>
シュツアフリカ 6  鬼おどり 10     訛りが治りません 14
ケニアのぬれた叫び18 海星 22       物語 26
秋刀魚 30      野石のつぶやき 34  夕ベの斗酒 36
角が飛び交う街 40  竿秤
(さおばかり) 44   月を抱くおとこ 48
士器 52       風の闇 56      占い師 60
あおのたてがみ 62  鰈 66        シーラカンス 70
白菜 76       五月は音がいっぱい80
あとがき 85



 訛りが治りません

昭和十人年満洲うまれの
日本なまりはどうにかなりませんか

いそがしく産んだので

いまだ母よ病んでいるのではないか
いまだに放さない
乳首の痛さを
悩んでいるのではないか

いくらでもかける手紙が
届かないのは

砂漠の
どこまでも呑み干す
血がいまだに生あたたかく
涙でかすむ持病のせい

忘れていないよね
左むねの握り拳のアザ
右あしにあるケロイドは認識票だから

母よあなたの息子だと
かき集めれば
日本なまりの塊と判明するだろう

あとどのくらいできる
文字にならない手紙のやりとり

約束はできません

すでにそのために聯隊は
訛りを治さないまま
出発してしまいましたから

 「昭和十人年満洲うまれ」は、おそらく著者自身のことではないかと思います。他の作品にも出てきますが「左むねの握り拳のアザ/右あしにあるケロイド」は身体的な特徴でしょう。詩作品ですから、現実の著者を思い描く必要はないのかもしれませんが、そう思って読んだ方がより身近になる作品だと思います。この作品から想起されるのは中国残留孤児の問題ですが、それは著者の体験ではないように思います。同じ年代に生まれた残留孤児へ思いを馳せた詩ではないでしょうか。そんな読み方をしてみました。



詩誌『鳥』13号
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2008.1.25 さいたま市大宮区
力丸瑞穂氏方・「鳥」の会発行 500円

<目次>

恵み・朝の散歩…八隅早苗 2        神田川10…金井節子 4
ミイは
竹林…田嶋純子 6        幸せ・夏のうぐいす…倉科絢子 8
真夏の大地・ベランダ…力丸瑞穂 10     泥んこ・とかげ…菊田 守 12
評論 この一篇(5) 伊藤桂一…菊田 守 14
小鳥の小径…16
□倉科絢子 □田嶋純子 □力丸瑞穂 □八隅早苗 口金井節子 □菊田 守
編集後記…19
表紙…西村道子



 とかげ/菊田 守

母さんのいるお墓で
落葉を掃いていると
枯葉色のとかげがとび出した
母さんはいつも
カガミッチョといっていたとかげだ
真夏の太陽の光を受けて
鏡のようにキラキラ光っていたのに
いま見るとかげは
人知れずお墓で
母さんの懐
(ふとこ)ろで生きてきた
まるで錆
(さび)たナイフのように
色変りして
恥ずかしそうに
墓石のうしろにかくれた

 何でもない詩のようですが、よく読むと配慮が行き届いているのが判ります。「カガミッチョといっていたとかげ」は「真夏の太陽の光を受けて/鏡のようにキラキラ光っていた」のですが、「いま見るとかげは」「枯葉色」です。「落葉を掃いていると」飛び出してきたとかげですから、秋になると枯葉色に「色変り」することが判ります。そのとかげは「まるで錆たナイフのよう」だと謂うのですから、具体的な姿形がイメージできますね。そして「恥ずかしそうに/墓石のうしろにかくれた」のです。とかげの動作をこのように捉えるのも見事です。短い詩の中に勉強させてもらえるところが多くありました。



   
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