きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.12.11 浜離宮・中島の御茶屋




2008.1.25(金)


 昨日は愛車スバル・インプレッサのタイヤをスタッドレスに交換しましたが、そうすると今までのノーマルタイヤが残ります。今日は天気も良かったので、そのノーマルタイヤを4本洗浄しました。
 庭に流しがありますが、タイヤを洗浄するなんて想定していませんでしたから、手洗い程度の小さなものです。そこに15インチのタイヤをドカッと乗せて…。少しずつしか洗えませんから1時間近くも掛かってしまいました。タイヤは重いし、水は撥ねるわでさんざんな目に合いましたけど、やっぱりすがすがしいものです。冬とは言え暖かい陽に晒して乾燥。物置に仕舞いこんでオシマイ。4月までタイヤを休ませておきます。まだ6000キロほどしか走っていませんが、お疲れさまと言ってやりました。4月からは過酷に使うからね、とも(^^;



詩誌『鰐組』226号
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2008.2.1 茨城県龍ヶ崎市
ワニ・プロダクション発行 350円

<目次>
詩篇
草野早苗 スペインの雨 06         平田好輝 女詩人 02
根本 明 劇 12              坂多瑩子 道 04
福原恒雄 虹・影 10            小林尹夫 棲息34 08
山佐木進 おとずれ 17           白井恵子 川をわたる 24
仲山 清 雪送り/からまれて 20      高橋 馨 中華無粋亭/中華夢酔亭 14

連載エッセイ 村嶋正治 俳人攝津幸彦の生きた時代(5) 09
論考 高橋 馨 ロートレアモン論 26
執筆者住所録/原稿募集 34



 虹・影/福原恒雄

ふいに
メモとる手を止めると
きれいなくうきに満ちている
彼方に
虹を見たと
はなしが暗がりへ傾斜しそうな席で
その人は素っ頓狂な声をえがいた
わたくしたちの背も腰もくるま座のなかで
不揃いに虹の影になる
虹ですか

そう
蘇る陶酔かなにかでその人は
ふくらんでくると
真昼の会の救援者ぶりで
脾睨する目つき
ひとつまみの散文にもならない
わたくし
眠い手を握りしめ

いま会合なんだと こりこり目をゆすると
わたくしの彼方にも弧が跨いでいる
虹を見ました
暗号ででもあるような軍事郵便葉書には
南方で散ったはるかな男に
虹の影が朧にはりついていて
さする ひと声もない
訪ねるのをやめたのは
墓碑にゲイジュツ色の落書きをされたころ

日毎夜ごとの雨を除けると たしかに
日射しはあかるく
人はあかるく
一歩すすんだら虹のうたでも始まりそうな
街の
きれい好きなくうきで
影を見る目があかるくつぶれたらしい
異臭を放って
くうきに吊り下げられた虹は
いまメモ書きの上にある

 「はなしが暗がりへ傾斜しそうな」「会合」の「席で」、「その人は素っ頓狂な声を」出して、「虹を見たと」言ったのでしょう。「わたくしたち」は「背も腰も」丸くなった「くるま座のなかで」会議をしていたのですが、「不揃いに虹の影にな」ってしまいます。ここでは虹から発せられた光で人々が影になる、あるいは、虹を背景とした人影がある、と読み取れて、作者独自の優れて視点を感じます。

 会議を中断してしまうような美しい虹。しかし、「わたくし」は「わたくしの彼方にも弧が跨いでいる/虹を見」たことがある、と続けます。それは「暗号ででもあるような軍事郵便葉書」に書かれた「南方で散ったはるかな男」の「朧にはりついてい」た「虹の影」。おそらく、帰国したら云々、というような話が書かれていたのでしょう。しかし、彼は帰ってきません。靖国神社に祀られてしまいました。しかもその靖国神社は「墓碑にゲイジュツ色の落書きをされ」てしまい、「わたくし」は「訪ねるのをやめた」のです。

 戦後の復興で「日射しはあかるく/人はあかるく/一歩すすんだら虹のうたでも始まりそうな/街」になってきました。しかし人々の過剰な「きれい好きなくうきで」、戦中の、あるいは戦後混乱期の「影を見る目があかるくつぶれたらしい」のです。虹本来の美しさから離れて、「不揃いに虹の影」になったその虹は、「異臭を放って/くうきに吊り下げられ」て「いまメモ書きの上にある」のです。

 この作品は謂わば反戦詩と言えるでしょう。しかし、ここには声高な反戦の声はありません。過去から現在を「虹・影」という視点で述べているだけです。だからこそ読者の胸を打つのだと思います。反戦と言わずとも、芸術性の高い言葉でその意思を表出させた秀作だと感じました。



詩誌『北の詩人』62号
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2008.1.25 札幌市豊平区   100円
日下新介氏方事務局・北の詩人会議発行

<目次>
厳寒の夜 写真−大蔵嶺男 詩−佐藤武 1  海に沈む島−ツバル/たかはたしげる 2
風/高田淳一 3              歴史をくりかえさせるな/松元幸一郎 3
夜明け/たかはしちさと 5         ホットな俊 /たかはしちさと 5
クリスマスツリー/八木由美 6       手/八木由美 7
迷い華/内山秋香 8            不都合な現世像・五題/釋 光信 8
常念仏(2)/かながせ弥生 10        無句の経/かながせ弥生 11
茂子 21/阿部星道 12           詩の仲間2 翁−日下新介に−/阿部星道 14
温暖化地獄の一丁目/大竹秀子 15      9・11はアメリカのやらせ/大竹秀子 16
短歌 年明けを/幸坂美代子 17       牛の目/倉臼ヒロ 18
閉じた瞳/倉臼ヒロ 19           お袋の味/倉臼ヒロ 20
おにぎり/佐藤 武 21           沖縄戦/佐藤 武 22
よじれたネズミの国で/佐藤 武 23     ワーキングプア/日下新介 24
いま 文化の春へ/若月黎児 25
私の詩論/かながせ弥生 27
総会の報告から 26
受贈詩誌寸感 日下新介・佐藤 武 28
「北の詩人」No.61 寸感 佐藤 武 31
もくじ・あとがき 日下新介



 茂子 21 ケチ/阿部星道

テーブルに水をこぼした
テッシュを取ろうとしてやめた
「布巾で拭いてください」と
茂子が言っているように思ったから――
「私がケチと思うかも知れないけれど
 小さなことの積み上げが大切なのよ」
茂子はいつもそう言っていた
「はい はい」
俺は台所の布巾を持ってきて拭いた

そう
茂子はいつも着物を着ていた
田舎のおばさんが
「茂ちゃんもらってくれる」と言って
くれた着物を喜んでずっと着ていた
「若い時さんざん贅沢したから私の
 服はいらないの」
そう言って
近所に習いに行き
仕立て直して着たり
パンツでも俺の股引でも継いでいた
娘や息子の嫁さんが買ってくれた服を
嬉しそうに着ていた

娘が小学生の頃の正月
俺はパチンコで景品をもらってきた
チョコレートの中に指輪もあった
「それ私が買うから」と言って千円くれた
何年もたって
茂子は人工透析で通院するようになった
帰りの車の中で茂子は言った
「お父さん これ病院でみんなトパーズだっていうの。
 看護婦さんもだよ」と
ああ と俺は驚いた
まさに パチンコの指輪だった
「私の指に入ると誰もガラス玉とは思わないの」
茂子のあの最高の笑顔は忘れられない
遂に茂子は
自分の服も指輪も買わないで終った
――娘にも嫁にも遺してやる物がない
 ……とつぶやいていたが――

茂子が死ぬ少し前
娘がマンションを買い替える話があった
「今のマンションいくらで売りたいの」
「七百万円」
「そう、私のへそくりで買えるから、よそに売らないで――。
 杖ついていってひと休みするにも、昼寝するにもいいから
 ――」と。
娘の旦那の希望した書斎のあるマンションを見て
茂子は
「よかったね、よかったね」 と
喜んでいた
五十年間近所の子を教えたり 活花を教えたり
もろもろで貯めた金をはたいて
買った娘の家に
茂子は一歩も入れずに死んだ
                      二〇〇八年一月三日

 亡くなった奥様を追悼する連作です。「茂子」という奥様の人間像がよく出ていると思います。特に「私の指に入ると誰もガラス玉とは思わないの」というエピソードが良いですね。人は人の持ち物や服装で相手を判断しがちですが、この作品はその逆で、奥様のお人柄でガラスも宝石に変わるわけです。
 タイトルは「ケチ」ですが、もちろんそんなわけはありません。無駄をしないということを言っているだけで、必要な場合には「七百万円」でも買ってしまいます。ただ「買った娘の家に/茂子は一歩も入れずに死んだ」のは、ご本人も残念だったでしょうが…。聖家族を見ているような佳品を拝読させていただきました。



会報『木ごころ』10号
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2007.12.28 神奈川県南足柄市
鈴木章好氏発行責任・木ごころの会発行 非売品

<目次>
とびら…鈴木章好 1            学校博物館…一寸木肇 4
曼珠沙華…石田晴雄 9           消えないで尾瀬の記憶…長田雅彦 12
ぼっちとぼうし…加藤三朗 14        木を蒸かす…木口まり子 17
酒井恒先生のこと(その二)−「治に居て乱を忘れず」−…竹内 清 20
花束の代わりに…丸山鮎子 25        エコライフの北欧を旅して…米山淳子 28
沖縄壺屋焼…鈴木章好 32          こなぎ…すみれ  34
【短歌】近詠四首…湯山 厚 36       【短歌】緊急入院して…越坂部貞子 38
男の子と子リスと種と木の実…小山寛子 39  【童話】銀次とうさぎ…相原宗由 40
父 その後…杉本美知子 45         加賀温泉事件…滝本小夜子 48
秋…内藤房江 54              新聞とプライバシー…山田行雄 56
ふしぎ倶楽部−未知との遭遇−…小澤敬子 57  ぶらり訪ね歩き−箱根町−…木ごころ編集委員 59
編集後記…木ごころ編集委員 60
 * 本文中の挿し絵・図は、長田雅彦さん、石田晴雄さん、小山寛子さん、内藤房江さんによるものです。
 * 裏表紙カットは、石田晴雄さんの作品です。



 とびら 鈴木章好

 平成二十二年春に神奈川県で、第六十一回全国植樹祭が開催されることに決定。新聞報道もされたので、ご存知の方も多いと思いますが、天皇皇后両陛下をお迎えして、記念式典は秦野市の県立戸川公園で行われ、植樹会場は南足柄市の丸太の森に決定しました。
 丸太の森に県の担当課の人が、八月ごろから入れ替わり立ち代り調査にこられていました。十月になり、県下の緑の少年団に対し、植樹祭への協力要請がありました。それは植樹する苗木の一部(二千本)を、「少年団の団員がドングリを採取して、二年半かけて各団で育ててください」 というものです。
 十一月に戸川公園と丸太の森で、市内の小学校三年生も加わって、ドングリを採取し、苗木を育てるのに必要なポット、培養土なども配布され、参加者が自宅や学校に持ち帰って、「苗木のホームステイ」をすることになりました。

 小学生たちが育てた苗を植樹するという形は絵になると思う。しかしながらいつの植樹祭でもそうですが、植える場所を確保するために木を伐採し、根も掘り起こして、整地までしています。昭和二十五年に第一回の植樹祭が行われたのですが、戦争による荒廃した国土の復興が目的だったと聞いています。
 みどり・緑化っていったい何なのでしょう。木を植えること?それとも人の手を加えないで自然にまかせること?今はむしろ全国的に森林の手入れがおろそかになっていると思うのですが。みどりってなかなか曲者なんですよ。

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 発行責任者・鈴木さんの「とびら」の言葉を紹介してみました。全国植樹祭の意義と問題点が端的に述べられていると思います。「苗木のホームステイ」は確かに素晴らしく「絵になる」話ですが、現在でも「植える場所を確保するために木を伐採し、根も掘り起こして、整地までして」いるのでしょうか。それでは本末転倒ですね。「人の手を加えないで自然にまかせること」や「森林の手入れがおろそかにな」らないようにする植樹祭もあってもよいのかもしれません。最後の「みどりってなかなか曲者なんですよ」というのは、植栽を多少やったことのある人なら実感でしょう。私も最近、庭木の手入れなどをやるようになって、よく分かります。文章としても巧い結語だと思いました。



   
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