きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.2.26 河津町・河津桜 |
2008.3.11(火)
一泊で湯河原の大滝ホテルに行ってきました。
私が在職していた会社の労組文化部に、むかし詩部という組織がありました。組合から資金も出ていて、毎年『Madjots』という立派な詩誌を発行していました。全国的にも珍しい活動だったと思います。残念ながら私が最後の部長で今は解散しています。あるとき労組幹部から、詩だけで雑誌を発行するのはもったいない、短歌・俳句と合同の雑誌にしてくれないかと言われて、蹴ってしまいました。当時は私も若く、前衛的な現代詩と保守的な短歌・俳句が一緒にやれるか! ケッ!(^^; というわけで、それならと解散してしまった経緯があります。いまは短歌・俳句の人たちにそんな無礼な思いは持っておらず、伝統文化の大事さも多少は判ってきたつもりですが。
ちなみに、その頃から労組の右傾化が始まり、今では労組幹部から課長になるという道が広く行われています。先輩が築いた詩誌を私の代で廃止したという忸怩たる思いは今でもありますが、結果として紐付きの詩誌を止めたことは正解だったかなとも思っています。
その詩部のOBたちが毎年集まっているというのは聞いていました。今回、お前も退職してOBになったのだから顔を出せ、と誘われて初めて参加させてもらった次第です。初参加は同時期に退職した男と私の2名、全部で8人という意外な人数でした。今夜は来られないけど、あした朝から来る人もいるそうで、総勢9名。OBは私たちも含めると全部で10名だそうで、1名だけ欠席という出席率には驚きました。
写真はそのOB・OGたち。私は撮影側でしたので写っていません。ほとんどが旧知で、初対面はお二人の女性だけ。そのうちのお一人は、知らずに拙HPで作品を紹介したことがあり、お手紙をいただいていました。私が入社する1年前に退職した方だと判っていましたが、ご本人は私が来ることを知らなかったそうで、ずいぶん驚いていました。世間は、特に詩の世界は狭いなとつくづく思います。
年配の男性とは30年ぶりぐらいでしょうか、でもすぐに判りました。今でも覚えています、夢の位置≠ニいう素晴らしい詩語を創った詩人です。
再会を祝して夜遅くまで呑みました。詩の朗読もやらされたりして、だいぶ酔いましたけど、温泉も名だたる奥湯河原の源泉です、良かったです。幹事さん、皆さま、ありがとうございました! 明日も楽しみです。
○詩誌『裳』100号 |
2008.2.29 群馬県前橋市 曽根ヨシ氏編集・裳の会発行 500円 |
目次
<巻頭エッセイ>
女性詩の正統と現在 2 −現代詩誌の中の「裳」の位置− 中村不二夫
<詩・エッセイ>
川の非行・崖と月見草・食べ残し 10 佐藤 惠子 Essay 賞味期限と卵
新宿二丁目・設計・野の地図 14 神保 武子 Essay わたしを読む
秋の女(ひと)・蟹・萩の寺 18 黒河 節子 Essay 振り返って
時節(とき)のさくら・突端まで・此処 他 22 志村喜代子 Essay 眼の断想
満月の夜・マザー・ツリー・グラウンド 26 房内はるみ Essay 月に想いを寄せて
関係・蛍・巣 30 須田 芳枝 Essay 三つ目の釦
堂々めぐり・扉・木下闇 こしたやみ 34 村 光子 Essay 旅ごころ
夏の日・声・手ぬぐい 38 宇佐美俊子 Essay シクラメンのこと
鳥・ジョウビタキ・石の上・木になる 他 42 中林 三恵 Essay 「暗い絵」のルーツ
薄いふとん・林道を抜けて・セグロセキレイ46 鶴田 初江 Essay リスのテーブル
秋・ラフィエットのスミエヘ・冬田 50 篠木登志枝 Essay とらわれず
墨の香り・恋人よ・祈祷(いのり) 54 金 善慶 Essay 一番美しい部屋
能登の鈴・かおり・視線 58 宮前利保子 Essay 私が今直面していることは
台所で・春の雨・若葉のころ 他 62 真下 宏子 Essay 「裳」とともに
彼方(あちら)へ・花談義・陽のあるうちに 他 66 曽根 ヨシ Essay あすなろ忌と手袋
表紙「花の宴」 中林 三恵
扉 「裳」百号を迎えて 曽根 ヨシ
食べ残し/佐藤惠子
日々の残りもの 犬にやる
アルミのボールで
犬が食べ残して 坂を下りて行く
猫が来る
猫が食べ残して 姿を消す
小鳥が来る
小鳥が食べ残して 枝に移る
蟻が来る
ひと粒ひと粒運ぶ 蟻の群
一条の墨の流れのように 土の中へ
にんげんの食物は
何ものの食べ残しだろう
詩集「川の非行」に収録
1979年6月創刊以来の100号記念号です。おめでとうございます。きちんと季刊を守っての刊行のようで、この継続力には敬服します。今号では中村不二夫さんが1号から99号までの概観を25枚に及ぶ力作で論評しており、圧巻でした。また各同人が記念エッセイを載せており、これも良い企画だと思いました。
紹介した作品は詩集『川の非行』に収録されている詩の転載のようですが、最終連が佳いと思います。弱肉強食ではありませんが、大きなものから小さなものへと、順に「食べ残し」が消費されていくという視点がユニークな上に、さて「にんげんの食物は/何ものの食べ残しだろう」と問われたことに唖然としてしまいました。大きな問を与えられました。しばらく考え込んでしまいそうです。
○詩誌『詩区 かつしか』103号 |
2008.3.20 東京都葛飾区 池澤秀和氏連絡先 非売品 |
<目次>
やりくりの春/青山晴江 人間102
ケロイド(3)/まつだひでお
人間103
空の棺桶は呼ぶ/まつだひでお 贈りもの/小川哲史
「在る」の問題/小林徳明 物自体/小林徳明
キロクX/しま・ようこ 海うさぎ/みゆき杏子
アイノコ野郎/工藤憲治 ミルク人形/工藤憲治
湯倉温泉/内藤セツコ ゆきが・・・/石川逸子
黒のドレス/池沢京子 夕景/池澤秀和
線路/堀越睦子
やりくりの春/青山晴江
奈良の昔に
租庸調という
重い税ありき
むかし? いやとんでもない
今も変わらぬ重い税
何に使われるのやら
カクテイシンコクというものに
わたしの懐を差し出すために
今年もレシートの紙吹雪舞う
白く積った畳の上で
細かな数字を数え上げている
ときどきチラと顔を上げて
明るくなった窓の陽ざしに
もう 春なんだ
と思ったりしながら
計算の途中で
今月の支払いに
コンビニエンスの店に向う
何とか税やナントカ料が六つ
医療費、水・光熱費、地代、車庫代などなど
たばをかかえてレジに差し出す
この月もなんとかやりくりできた
おつりの小銭が何だか有りがたくて――
外に出ると 寒風のなか
光がまぶしくて――
遠い奈良の昔の
春の萌しを
思ったりした
自分のことでゴメンナサイ。私は2年前まで40年近くサラリーマン生活でしたから「カクテイシンコク」とは何なのか知らずに過ごしてきました。2年前に早期定年退職というリストラに遭って、昨年はじめて確定申告をしました。そこでようやく「わたしの懐を差し出す」のだと判ったのです。それからは「レシートの紙吹雪舞う」必要性が分かり「細かな数字を数え上げている」状態になりました。「何とか税やナントカ料」がいかに多いかも体感しましたね。そして「おつりの小銭が何だか有りがた」いのも実感です。「春の萌し」はまさに「やりくりの春」。「何に使われるの」か、しっかりと監視していきたいと思った作品です。
○個人誌『緑』20号 |
2008.3.10 岡山県新見市 緑詩社・田中郁子氏発行 300円 |
<目次>
【詩】
坂道 2 渡辺政雄 兄と弟 4 渡辺政雄
旅の途中 6 宮地真里子 嫁入り 8 宮地真里子
雨が降る 10 たつみごろう いつの間にか 12 たつみごろう
各駅停車 14 中桐あや 冬の窓 16 田中郁子
方向 18 田中郁子
【エッセイ】詩集の後で 20 田中郁子
【小説】 赤い流星 22 たつみごろう
【後記】 37
題字・表紙切り絵 福江茂栄
冬の窓/田中郁子
冬の窓からは 乳母車が見える
裸枝を硬直させた銀杏並木をガタガタと
あんなふうに 赤い毛糸の帽子と手袋を着せ
幼女を乳母車に乗せて通り過ぎて行くのが見える
間近く擦れ違う時
今でも優しく微笑み交わすことにしている
ちらちらと雪は降り続き
何時から独りで歩くようになったのか
冬は 向こうからやってきて
あんなふうに赤い上着で幼女をくるみ
乳母車に乗せてガタガタと通り過ぎていくのだ
風が冷たく頬を打つ日にも
リンゴやバナナや魚を同居させて
夕暮れを急いだ日もあった
わたしはいつの間にか乳母車から手を離し
外套のポケットの中で何かを探している
かじかむ季節を握り締めている
わたしの乳母車からは一人降り二人降り三人降りてしまった
銀杏の裸枝で小鳥が歌っている
−あるものは死に あるものは生まれる−
冬がわたしたちから日光と体温を奪う時
山頂に白い雪をかぶらせ
厳かに言う
ただ心を高く掲げよ
それだから わたしは再び未来を乗せるように
あの日の赤い頬っペタを乳母車に乗せて幾度も行き返りしている
冬の窓からは乳母車が過ぎていくのがよく見える
ひそかな思いを聞いてきた
遠く平和に連なるトビガスの山々に向って
*トビガス−新見市内の山
「乳母車」は「わたし」の人生そのものの喩でしょう。「わたしの乳母車からは一人降り二人降り三人降りてしまった」現在であっても、「わたしは再び未来を乗せるように/あの日の赤い頬っペタを乳母車に乗せて幾度も行き返りしている」未来も同時に見ています。ここには過去にだけ捉われる姿勢はありません。常に未来を見、「心を高く掲げよ」と己自身を叱咤激励する姿が見えます。「冬の窓」から「乳母車が見える」という何気ない風景の中に、作者の高い見識を見せてくれた佳品だと思いました。
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