きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.2.26 河津町・河津桜




2008.3.17(月)


 午前中は父親の通院に付き合いました。静岡県小山町の実家から、クルマで5分ほどの御殿場市にある病院へ。父親は特に変化もなく、いつも通りの薬を処方してもらって、オシマイ。
 まあ、それだけのことですが、実家に帰る度に風景を楽しんでいます。私が10歳から18歳まで過ごした土地ですから、いわば多感な少年時代の風景です。それだけに感慨深いものがあります。北に富士山、南に箱根連山、東には丹沢山系が見え、西は沼津までのなだらか高原地帯です。見通しが利くので、それだけでもゆったりした気分になれるのかもしれません。冬は雪こそ少ないものの寒いですけどね。付き添いにかこつけた密かな楽しみです。



杉裕子氏エッセイ集『生命(いのち)の点描』
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2008.3.20 千葉県花見川区 鈴木俊氏発行 1200円

<目次>
はじめに・・・1
みしま・・・3               髪を染める・・・11
「高齢者講習」初めての体験・・・22      二人の女性の死・・・28
よるっぱらから・・・33           歩数計と万歩計・・・37
チェロとカザルスと徳永兼一郎と・・・40   不器用のすすめ・・・48
ちょっと不思議な街・バーゼル・・・54    二冊の十年日記・・・61
終わりに・・・67



 一時間目は座学講習で教官の話を傾聴しているだけ。次が「適性検査器材を用いての検査」。これは、視力・夜間視力・静止視力・動体視力・ハンドル操作・反射動作・判断動作・集中力・認知判断・注意力エトセトラ・・・
 ゲーム感覚のこれらの測定器具は、若者にとっては違和感もなく受け入れられるのだろうが、自動車学校に通い始めたばかりの、それも三十年余り前に二・三回触れただけのものに向かい合うという経験もまた新鮮であった。
 画面を見つめながら、信号機の色を見て即座に反応することは、実際の運転と変わるものではないにしろ、その速さを測定されていると思うと戸惑いを感じるものである。

 五種類ほどの測定が終わった時には久々に不思議な高揚感を味わった。
 パソコンから打ち出されてくる検査結果をもとに、教官が一人一人について解説をしてくれる。結果は項目ごとに棒グラフで示されている。
 五段階の五と四が幾つかあり、その他は三の評定、綜合判定は「優れている」というのを見せられて幾分はほっとする。隣りのおじさんは、「・・さん、この結果では夜間の運転は絶対しないでくださいよ」と言われてショックを受けている。私はそこまで言われなかったことで一先ずは安堵したが、これを「他山の石」と受け止めてこれからも安全第一のドライバーでなくてはと心を引き締める一瞬であった。

 次は三人一組になって教官がついての実車講習。だが、目の前に置かれた教習車はオートマ車ではないか。私が教習所通いをしていた時は、すべてマニュアル車であって、何年かの後に「オートマ車限定免許」というものが出来たのだが、私は頑固にもオートマに乗り換えることをしないままで今まで来ていた。
 今では、新車の殆どはオートマ車になってきている現在、時として変わり者に見られるのだが、今では体の一部のように感じられるクラッチの切り替えをやめようとは思いもせず、何よりも、自分の車を自分で制御できるマニュアル車の醍醐味を捨てる気にはならない。決して上手い運転ではないことも承知の上で、最近、年寄りが駐車場で急発進、死傷者が出たなどというニュースを見聞きするたびに、私の決断は間違っていなかったと思うのである。

 外国からの知人を案内して、日光のいろは坂をタクシーで往復した際の運転手の話で、なるほどと思ったことがあった。
 それは、マニュアル車はガードレール等にぶつかるとエンストするが、オートマ車はドライバーがスイッチを切らない限りエンジンは動き続けるということである。だから、ガードレールにぶつかって跳ね返り、その弾みで隣り車線に出ようが、中央分離帯に乗り上げようがエンジンは止まらないという話であった。恐ろしいことである。そういえば、最近、高速道路を逆走して事故を起こしたタクシーの運転手は、手前で隣り車線の車と衝突してスピン、逆向きになったのを気づかずにそのまま走り続けていたというから信じられない。世の中の車が押しなべて遊園地のゴーカートのようになったのではたまらない。

 ところで、高齢者講習の実車講習でオートマ車の初体験をした私は助手席の教官の懇切な指示でどうにか十五分の実車講習を終了させた。曲がり角にくると左足がクラッチペダルを踏みたくなるし、左手はギヤの切り替えをしたくて腕がムズムズするのを抑えての十五分であった。何とか無事に終ったと思いきや、最後の教官殿の一言「見通しのきかない交差点で、左右の確認をせずにブッチギッテはいけませんねえ」にはがっくり。オートマ初体験の私は両手両足の扱いに苦戦して目の動きにまで注意が行かなかったのであった。

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 「『高齢者講習』初めての体験」の後半部分を紹介してみました。拙宅には頑固にマニュアル車もオートマ車もあるので、今はどちらも違和感はありませんが、最初は確かに「曲がり角にくると左足がクラッチペダルを踏みたくなるし、左手はギヤの切り替えをしたくて腕がムズムズする」という状態でしたね。マニュアル車からオートマ車に切り替えた当初のドライバーの気持を代弁していると思います。
 ここでは「マニュアル車はガードレール等にぶつかるとエンストするが、オートマ車はドライバーがスイッチを切らない限りエンジンは動き続ける」ということを改めて認識させられました。機構的にはその通りです。その結果として「駐車場で急発進、死傷者が出た」り、「隣り車線の車と衝突してスピン、逆向きになったのを気づかずにそのまま走り続けていた」という事例が起きたのでしょう。まさに「自分の車を自分で制御できるマニュアル車の醍醐味を捨て」、「遊園地のゴーカートのようになった」結果ではないかと考えさせられました。



詩誌『左庭』10号
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2008.3.15 京都市右京区
山口賀代子氏発行  500円

<目次> 表紙画…森田道子「花束」
【詩】
しだれる 山口賀代子…2          金魚 山口賀代子…4
その庭へ向かう径 岬多可子…6       静かに、毀れている庭 岬多可子…12
【俳句】
鳶も居ずまいから鷹に見える 江里昭彦…16
【さていのうと】
・今頃になって 江里昭彦…20
・万祝半纏のこと 岬多可子…21       ・推理マニアの妄想−(件の紳士) 山口賀代子…22
つれづれ…24



 金魚/山口賀代子

記憶のなかにあるその池は清水が滾々と湧き
水草のあいだにイモリの赤い腹がのぞいていた
この池で父は金魚をそだてていた
野鳥や猫からまもるため網をはり
赤や黒や白のまだらの金魚を大切に育て
あでやかに泳ぐのを楽しみにしていた
その金魚が一匹の残らず姿を消すというできごとがあり
父は稲刈りの終った棚田で新しい金魚をそだてることにした
棚田の朝の見回りが父のあたらしい日課になり
金魚がそだちはじめたころふたたび金魚が消えた
自然に川へ流れたのか
嫌がらせなのか
盗まれたのか
こんどもだれの仕業かわからなかった
棚田の金魚を盗むのは簡単なこと
棚田の水は上流からきた水をせきとめ
下流にながれようとするところに栓をするだけ
栓をぬけば自然に水は低いところへながれ
金魚も水のながれに沿っておちてくる
そこに網をはれば一網打尽をいうわけである
そのころ父は村の役員をしていた
村の代表を決める選挙があった日
「他所でうまれたものは村長になる資格がない」
といわれたそうである
父は婿養子だった

雪がふらなくなり
良い水がでることが自慢のひとつだった集落で
最初に寺の池が枯れ
父が金魚を放流していた池も水草で埋まり
澱んでいる
春には
明治以来の小学校が閉鎖されるというおおきなできごとがあった
頑なに古いしきたりをまもろうとした集落のゆくえが
このような形でおさまったのである

 おそらく江戸時代以前から続く集落だったのでしょう。「他所でうまれたものは村長になる資格がない」とまで言う「頑なに古いしきたりをまもろうとした集落」も、「寺の池が枯れ」、「父が金魚を放流していた池も水草で埋まり」、「明治以来の小学校が閉鎖されるという」時代の流れには逆らえませんでした。「このような形でおさまった」「集落のゆくえ」は、そのまま現代日本の集落の縮図であり、やがては都市の縮図となるように感じられます。「父」の時代から現在までを簡潔に表現しながら、その底に流れるものを冷静に見据えている作品だと思いました。



『栃木県現代詩人会会報』56号
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2008.3.15 栃木県塩谷郡塩屋町      非売品
和氣康之氏方事務局 栃木県現代詩人会・我妻洋氏発行

<目次>
詩の根底にあるもの/深津朝雄 1      研究発表 日光の文学碑を訪ねて/立原エツ子 2
研究会・忘年会 3
追悼小林猛雄前会長 4
 ある夜の小林さん/我妻 洋         小林猛雄さんを悼む/渡辺 研
 まあ一盃/川野辺 朗            長距離ランナー/齋藤新一
 想い/ひらいでひろこ
会員アンケート 6             新入会員紹介 6
受贈会報・詩書等 7            編集後記 8



 詩の根底にあるもの/深津朝雄

 外国の街のコンビニエンス・ストアに、周辺の多くの住民が、閉店の時間を一時間遅くして欲しいと申し入れた。「共稼ぎの私達が仕事を終え、さて食品を買って帰ろうか、とすると、コンビニのシャッターは下りている。それでは困るのです。」ということであった。日本であれば、即 閉店を延ばしましょう、となるだろうが、店主は「とんでもない、自分の貴重な夜の時間をお金では売れない」と答えた。結局、話し合いがつき閉店は一時間遅くなったが、何と十年の歳月を要した。人間は体内時間(時計)が狂うと変質する。夜は何にも代替できない。
 物質文化に押されて、人間疎外が横行してきている。巨大化、複雑化の進む社会では、大切にしなければならない人間性が無視されてゆく。人間が回復するキーワードは、長い歳月をかけて、自然との係りの中で築かれた地方、地域とりわけ田舎「村」にある。夜のないところは村とは言えない。草木も眠るうしみつどき、屋の棟が三寸下がり、村は夜の闇につつまれる。夜を無くすことは、環境破壊に外ならない。今私たちは夜を取り戻すことに努めるべきだと思っている。

 私の詩の原点は「村」にある。歴史を踏み固めた大地に眠っている古い人たち、そこに耳を傾け、身を置き、耕地の中の底辺の次元から、必然的に立ち上がってくるものを捉えて書いてきた。吹く風、村を包むものすべて失いたくない、と思うと犂
(すき)をひいて遠ざかって行った牛が、踵(きびす)を返して戻ってくる。わずかばかりのソバの実をひく婆の、使い古した臼が、突然に臼辺鶏(うすべどり)の話をはじめる。先人たちの食べこぼした雑穀を拾い集め、冷凍保存するばかりでなく、今の光を当て噛み砕いてみると、先祖の正と負の業の苦みがわかるような気がする。代々と流れ続いてきた血液の中の、DNAをさらに目覚めさせて、村にある無言の情報、重たい物語を発掘し、風土を伝承する村の語り部であることが、私の詩の原点である。アンテナを磨きながら、多くの窓のほかに得た「老の窓」も活用したい。

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 巻頭言を紹介してみました。「外国の街のコンビニエンス・ストア」は、佳い話です。「自分の貴重な夜の時間をお金では売れない」という感覚を、そろそろ私たちも取り戻した方がよさそうです。「夜のないところは村とは言えない」のですが、すでに夜が失くなって久しい都市は、それだけでも病んでいると言えましょう。
 「老の窓」という言葉を初めて見ましたが、これも良い言葉だと思います。「多くの窓のほかに」新たに得た窓から、深津さんが今後どのような世界を見せてくれるのか楽しみです。

 なお、2つの「夜」、「うしみつどき」、「村の語り部」には傍点で振られていましたが、きれいに表現できないので割愛してあります。ご了承ください。



   
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