きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.2.26 河津町・河津桜




2008.3.18(火)


 誘われて赤坂の草月会館で開催されている写真展を見に行きました。華道の先生方の、いわばアマチュアの写真展で、1点いいなと思う作品があっただけでした。あとはまあまあ。華道の師匠らしく、花の写真ばかりで、上手いには上手いんですが、なんと言いますか、どこかで見たような写真ばかり、魂を揺さぶるようなものはありませんでした。けれど、そこまで求めてはいけないんでしょうね。上の写真でもお判りのように、碌な写真も撮れない私が口に出来る言葉ではありません(^^;

 ついでに隣のカナダ大使館を覘いてみました。こちらにも美術館が併設されています。美術館というよりは美術室と言った方が近いかもしれません。企画展は人形のオブジェ。人間っていろいろ考えるんだね、という感覚で見させてもらいました。

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 他人様の写真の酷評をしたあとで自分の写真を載せるのは気が滅入りますけど、これはカナダ大使館の玄関にあるオブジェです。長いエスカレータを昇りきった処にありました。携帯で撮ったので(腕も悪いのですが)奇麗に撮れてなくてスミマセン。大使館の玄関は3階建てぐらいの屋上から入るような、おもしろい構造です。そこに大きなオブジェが2つ。都市の風景に溶け込んでいました。

 美術室の前のホールでは立食パーティーの最中でした。図々しく私もご相伴に与ろうかと思いましたが、よくよくパーティーの中身を観察すると、カナダの投資信託の説明会でした。下手にご相伴すると買わされるかもしれないので、グッと堪えましたけどね(^^;
 カナダ大使館は誰でも入れますので、よかったら行ってみてください。東京の隠れた観光スポットだと思います。



季刊詩誌『詩話』59号
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2007.9.3 神奈川県海老名市
林壌氏方・第三次詩話の会発行 非売品

<目次>
詩  梅雨の日に/両角道子 1       秋の花の名/吉崎輝美 2
童話 橋になったヘビ/増子敏則 4
詩  強奪/林 壌 8           一言が/小山 弓 9
エッセイ 二編 両角道子・小山 弓 10
題字 遠藤香葉



 梅雨の日に/両角道子

降るのか 降らないのか
六月の終わりの日
晴れわたると 眩しすぎる
晴天は重ねた年に似合わない
強い光をあてても育つものは ない

傘を持たせようか やめようか
風はひんやりと重く
降るのか 降らないのか の日が続く
停滞する湿舌の はるか上空を
夏の寒気団がゆっくりと移動する
迷うことでもみしだかれる老婆心のゆらぎが
生きていることの証しとして
意外なスキップをする気持ち

夜へ向かうグラデーションの中心で
絶望と不安が尖りだすのは いつものこと
耐えていれば また小糠雨
ごくまれに詩神の吐息が一粒の霧になって
降ってくることもある時間
いち早く文字にとどめるために
右 左 上 下 へとアンテナをはる
そんな ひたすら というひとときがあって
器量が良くなったような上々の気持ち

生きていてよかった と深呼吸をすることもある
淋しくて静かな夜がくるのを
待ち遠しく思われる梅雨の日の奇跡

 第1連の「晴天は重ねた年に似合わない/強い光をあてても育つものは ない」というフレーズに魅了されました。本当のところはある年齢を迎えないと判らない言葉なのかもしれませんが、少年期や青春時代からは「重ねた年」になった現在、感覚的に判るように思うのです。第3連最終行の「器量が良くなったような上々の気持ち」というフレーズも佳いですね。言葉の生気を感じさせてもらった作品です。



季刊詩誌『詩話』60号
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2007.12.5 神奈川県海老名市
林壌氏方・第三次詩話の会発行 非売品

<目次>
詩  窓を閉めると/両角道子 1      秘密/吉崎輝美 2
童話 グルメなライオン/増子敏則 4
詩  歩き続ける男/林 壌 6       どうしようもない窓のこちらで/小山 弓 8
エッセイ 二題 小山弓・両角道子 9
題字 遠藤香葉



 歩き続ける男/林 壌

午後の光の中
河川敷の運動場には
音の伝わらない真空の世界を形にしたように
遊具や鉄棒が立っていた
私は鉄棒にぶら下がって
青い空に向かって体を振ると
一回転して鉄棒の上にある

広場で近所の母親が幼児と遊んでいる
自動車を模った足けりの乗り物に
母親が座って
逃げ回る幼児の名を呼んでは笑いあっていた
幼児は身を涙って笑いつづける
青空に鳶が二羽
ゆったりと旋回しながら鋭く鳴き交わし
上流の空へと移動していった

ハンチングをかぶった男がひとり
河川敷の野球グランドの周辺を
歩き続けていた
少し前かがみになって歩く
白髪の混じる横顔はただ黙々と歩く
芝生の斜面に来ると
その一段上の三川公園に上る
ゆっくりと登ってはまた下りてくる
何度か上り下りを繰り返すと
また周回コースに戻って歩き続ける

芝生ではころころした少女が
子犬とマリ投げをして遊んでいる
ボールを投げては子犬を走らせる
子犬は嬉しそうにボールを追いかけ
口にくわえて飛び跳ねながら駆け戻ってくる
何度も何度もボールを投げる
少女の手から放たれるボールはだんだん遠くなる
子犬はそれでも懸命に尾を振りながら追いかける

歩く男はまだ
同じコースを黙々と歩いている
ただひたすらに歩いているのであった
雑木の先端に止まった
百舌がけたたましく鳴いた
しきりに鳴き続けた

彼らにはもう時間を感じていないのであろうか
母親と幼児と
歩く男と
子犬と少女と
いつまでも同じことを繰り返し
陽が傾いても同じ動作を繰り返している

私は鉄棒の上で
自分の姿勢がそのままの形で彫像になってしまったのかと
ふと不安になって
体を回転して鉄棒にぶら下がる
しかし目前の母親は幼児と遊ぶのに余念がない
少女は子犬を走らせ続け
子犬は尾を振りボールをくわえてかけもどる
夕焼けの色が河川敷を黄色っぽい空気で包んでも
男はグランドをひたすら歩き続けていた

自分たちの時間は自分が知っているというように
いや生きている時間がそのまま
いつまでも続くというかのように
同じ動作の中で
空は夕焼けとなり
赤く染まった雲が
秋空に広がり
白鷺の群れや
カラスの番が
飛び去っていく

それからは時間も
風景の変化も止まってしまったようで
いつしか辺りは闇に包まれてしまい
同じ動作を繰り返す人たちは
今も執拗に同じことを繰り返しているのであろうか
私は疲れた腕を鉄棒から放して
着地した
ポケットから取り出した携帯電話の
時刻を示す文字盤が
暗闇の中でひどく明るく輝いていた

 キリコの絵のような、と謂ったらよいのでしょうか、不思議な作品です。「母親と幼児と/歩く男と/子犬と少女と/いつまでも同じことを繰り返し」、「自分の姿勢がそのままの形で彫像になってしまったのかと/ふと不安にな」るまで「一回転して鉄棒の上にある」「私」。いずれも日常のどこにでもいる人たちで、誰もがしている動作です。ただ、違うのは「辺りは闇に包まれてしま」っても「執拗に同じことを繰り返している」ことです。「時間も/風景の変化も止まってしまったよう」なこの動作は何を物語るのでしょうか。「自分たちの時間は自分が知っているというよう」な、逆説として現代人の不安な精神状態の具現化とも採れますし、「生きている時間がそのまま/いつまでも続くというかのよう」な、ある面での精神の未熟さを指摘しているとも採れるでしょう。林さんの作品は多くを拝読しているわけではありませんけど、林壌詩の独特の世界を感じさせる作品だと思いました。



季刊詩誌『詩話』61号
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2008.3.15 神奈川県海老名市
林壌氏方・第三次詩話の会発行 非売品

<目次>
詩 食事の風景/林 壌 1         坂で/両角道子 2
  さくら さくら/吉崎輝美 4
エッセイ 二編 両角道子・小山 弓 6
詩 川に浮かび上がった舟/林 壌 8    新しい年に/小山 弓 10
題字 遠藤香葉



 食事の風景/林 壌

相模川に大きなコンクリートの橋桁が立った
新しい高速道路が架かるという
中洲で分岐した川の流れが
橋桁の手前で合流して水面がゆったりと広がり
冬の水鳥たちが棲みついている

岸辺の草むらに隠れて見ていると
小さなカイツブリが
ぎらりとひかるものを口に咥えて泳いでいる
茶色い頭の三倍をこえる大きな魚であった
咥えたままのみこめず逃がしてしまうと
もぐっては捕まえにいく
逃がしては捕まえる繰り返しのうちに
どうにか頭から呑みこんだが
魚の体は大半がくちばしから飛び出して
ゆらりゆらりとゆれてまた逃げ出した
カイツブリは眼を白黒させている
傍らで川鵜が大きな黒い羽を風に広げ
白鷺や青鷺はそしらぬ姿勢でじっと冬の日をあびている
ハシビロガモが水を掬い取るように泳ぎまわっていた

土手の上の三川
(さんせん)公園では
芝生を飛び跳ねるツグミも
桜の枝のカラスも食事の真っ最中
母親たちは子供たちとお弁当を広げて
おしゃべりに夢中であった
ザリガニを食べ終わったカラスは
お弁当を狙って枝の上から見下ろしている
橋桁ができて二年になるが高速道路が架かる心配はまだない

 それぞれの「食事の風景」ですが、「小さなカイツブリ」のそれは何ともグロテスクです。「母親たちは子供たちとお弁当を広げて/おしゃべりに夢中であ」るのも、「ザリガニを食べ終わったカラス」も、考えようによっては、いずれも食事とはグロテスクなものなのかもしれません。しかし作者の眼はあくまでも温かく澄んでいます。最終連の最終行、「橋桁ができて二年になるが高速道路が架かる心配はまだない」というフレーズが作者の視線を証するでしょう。
 前出に続いて、この作品からも林壌詩の独特な世界を感じますね。



   
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