きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.3.12 湯河原町・幕山公園 |
2008.4.4(金)
久しぶりに「四谷コタン」に行って、奥野祐子さんのライヴを聴いてきました。半年ぶりぐらいでないかと思います。今夜は眼鏡を掛けて、ロングスカートで、ずいぶんとイメージチェンジしたなあと思いました。これからどんどん大人の女になっていくのでしょうね。
真面目に一眼レフを持って行って、ストロボなしの撮影に挑戦しましたけど、まだまだです。シャッタースピードをもう少し早くしないとダメですね。
前座のライヴが始まる前の午後7時2分。突然の揺れ。1階でも相当な揺れを感じましたから、だいぶ大きな地震かなと思いましたが、翌日の新聞によると、東京では震度3、M5だったそうです。もっと大きく感じました。その時間の客は10人ほどでしたが、誰も動じませんでした。さすがはコタンに集まる客は、肝っ玉が据わってる(^^;
奥野さんの曲は親しんでいるものばかりでしたから、すっかり乗ってしまいました。一番聴きたかった「スマイル」は残念ながら歌いませんでしたけど、アンコールもあって、ご本人も楽しんだのではないかと思います。
次に行けるのはいつだろう? 毎月とは言いませんけど、せめて2ヵ月に一度ぐらいはこういうリラックスした時を過ごしたいものです。
○詩誌『すてっぷ』78号 |
2008.3.31 京都市左京区 河野仁昭氏方・すてっぷ詩話会発行 500円 |
<目次>
捨てるもの/西田明子 4 初春の雪/井手美穂子 6
希望/西原真弓 8 叩きつけるような/住田文子 10
未来へ/金原樟子 12 好好人の頌/曽谷道子 14
「パン どうどす」/賀川幸夫 16 独りの夕食/藤本美代 18
天からの御褒美/富沢玲子 20 地の果て/野谷美智子 22
風に/司由衣 24 雪からのメッセージ/田中明子 26
スー(sue)あるいはボン太郎/常願路哲満 28
偶成/史麻雅子 29
年賀状/上野準子 30 手のひらの揺りかご/稲葉やよい 32
樹/横山芳郎 34 やさしさを!/山本君子 36
数字/武藤迪子 38 満月照鴨川/大八木庸岳 40
紅梅/河野仁昭 41
旅のスケッチX/野谷美智子 42 九條武子−京都の歌人たち(1)/河野仁昭 47
例会 メモ 他/賀川幸夫 66 Step 71
ADDRESS カット・森田英津子
風に/司 由衣
あなたの隣の席は空いていますか
右側ですか 左側ですか
届いた一行の言葉の中に
あなたがいましたから
何とかやってこれました
言葉の中でしか逢っていませんから
街角ですれ違っても気づかずに
風のように通り過ぎてしまうでしょう
言葉の中から突然
あなたが抜け出して
わたしを迎えに来てくださり
「お坐り」と言って
あなたの隣の席に坐らせてくださっても
六十秒もたたないうちに
わたしはその席を立たなければなりません
病みあがりの小鳥のような息子がいるのです
つつましい母でなければならないのです
いつだったか たった一度だけ
眠っている小鳥が目覚めない隙に
わたしは一人の詩人として
あなたの言葉の中に入り
あなたと共に言葉の蝶々を追いかけました
あなたにお聞きします
隣の席はいまも空いていますか
左側ですか 右側ですか
「病みあがりの小鳥のような息子がい」て、「つつましい母でなければならない」「わたし」は、「たった一度だけ/眠っている小鳥が目覚めない隙に」「一人の詩人として/あなたの言葉の中に入り/あなたと共に言葉の蝶々を追いかけ」たことがある、という作品ですが、生きていく上での制約について考えさせられます。しかし、その制約を知ることが大人≠ネのではないかと思います。若いときにはそれができません。ある一定の年齢に達して初めて、この作品のように「風に」問うことができるようになるのだと、そんなことを考えさせられました。
○隔月刊詩誌『石の森』144号 |
2008.4.1 大阪府交野市 非売品 交野が原ポエムKの会・金堀則夫氏発行 |
<目次>
コール/美濃千鶴 1 セレンディピティの靴/夏山なおみ 2
hikikomori.com/佐藤 梓 3
わたしがたまごになったとき/山田春香 4
主観と客観/石晴香 5 庭の鯉/西岡彩乃 6
もののふ/金堀則夫 7
《交野が原通信》第259号 金堀記 8
石の声−美濃千鶴&佐藤 梓− 9
あとがき
庭の鯉/西岡彩乃
美術館を囲む
光が薄く白い空を背景に
真下からはその高ささえわからない
そばから見上げるのは簡単だが
そこへ登るのは容易くはない
大樹
石垣を登ってみる
どんどん地から離れていく
すぐ下の川には
どうやっても飛び込む気にはなれない
高い高い広場の上
石段を降りて見上げてみると
手と足で登れそうな
そこは大して高くもない
丘だった
岩に苔の生す
枯れた低い木々が心を癒す
土の匂いを漂わせる
美しい日本庭園
水面に歪な波を残し
悠々と行っては来る錦鯉
あなたたちは
自分がどんなところにいるのか
ご存知ですか
「真下からはその高ささえわから」ず「そこへ登るのは容易くはない/大樹」も、「高い高い広場の上」も、「石段を降りて見上げてみると/手と足で登れそうな/そこは大して高くもない/丘だった」というように、視点が変わることで困難さも変わるということを謂っているように思います。そして、その視点の変化に気付いた作中人物に相対して、「悠々と行っては来る錦鯉」よ、「あなたたちは/自分がどんなところにいるのか/ご存知ですか」と問うているのでしょう。「庭の鯉」には気付かないことを、人間である作中人物は気付いた、という読み方をしてみました。
○詩とエッセイ『想像』120号 |
2008.4.1 神奈川県鎌倉市 羽生氏方・想像発行所 100円 |
<目次>
ごくらくとんぼ…1
子ども時代の記憶…羽生康二 2
広島県、海辺の植物・山の植物の写真はがき(2) 撮影 菅 泰正 5
旅支度−旅日記抄(3)−…井上通泰 6
詩・クロガネモチとヒヨドリほか…羽生槙子 8
絵を描くおもしろさ…羽生槙子 12
花・野菜日記08年2月…13
クロガネモチとヒヨドリ/羽生槙子
2
この冬は クロガネモチの実がなりすぎました
ヒヨドリは たくさん食べました
ということは ヒヨドリの糞の問題です
そんなあ! と思います
木の下は糞だらけ
しかたがないから掃いて片づけても
次の日 また糞だらけ
それだけでなく 食後 まわりの木の枝にとまる
その枝下の土が糞だらけ
冬枯れの木の枝に鳥がとまっている風情
なんて言ってられません
あの枝とこの枝は 鳥がとまるのに美しい枝ぶり
というのは片面だけからの見方
そして 庭の莱っぱやオオバナカスミソウの葉が
鳥に食べられはじめたのに気がつきます
そうね 実を食べたら デザートは菜っぱね
消化管が丈夫な鳥もいれば 繊細な鳥もいる
と 食べ物摂取と排泄が どこまでも人間に似て
ちらちら雪が降っても ピーとかチーとか言いながら
まじめに食べ物に取り組むヒヨドリに
やれやれ と思いながら
生き物仲間の親近感を持ちます
作品「クロガネモチとヒヨドリ」には1と2がありますが、ここでは2を紹介してみました。可愛いだけではない、「あの枝とこの枝は 鳥がとまるのに美しい枝ぶり/というのは片面だけからの見方」というフレーズは大事な見方でしょう。しかし、作者はあくまでも「やれやれ と思いながら/生き物仲間の親近感を持ちます」と、鳥たちの味方です。それは「食べ物摂取と排泄が どこまでも人間に似て」いると考えているからなのでしょう。一面的ではない、多面的な見方を教えられた作品です。
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