きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
080312.JPG
2008.3.12 湯河原町・幕山公園




2008.4.19(土)


 夕方からは、今年度第1回の自治会・組長会議でした。組長というのは、処によっては班長という言い方をしているようですが、昔の隣組です。私の組は8軒が順番に組長を務め、今年度は拙宅がその任に当たります。思い返せば8年前、移住して7年で初めて組長をやらせてもらったのですが、なぜかその年に限って組内で2回も葬儀を出してしまいました。葬儀は組長が取り仕切ることになっていて、お陰で葬式にはずいぶん詳しくなりましたけど、今年度は〇でいきたいものです。

 そういうわけで組長会議も8年ぶりですが、まったく変わっていませんでした。自治会長はじめ役員や組長は毎年変わるのに、やり方や内容が変わらないというのは、驚きでした。引継ぎがうまくいっているということもあるのでしょうけど、戸数250軒という万葉の時代からの小さな集落ですから、地域力の為せる技かなと思うと感激ものですね。1年間葬式を出さないこと、大きな災害に見舞われないことを念じて、会議後の懇親会も楽しませてもらいました。



松下のりを氏詩集『忙中閑』
bochukan.JPG
2008.4.10 大阪市北区 竹林館刊 2000円+税

<目次>
命ある風景のまばゆさT 6         命ある風景のまばゆさU 16
気になる家 26               もぐら 36
連鎖 42                  そこはかとなく 48
詩のメモが机上を舞台に立ち上がる 54    たった一行が 62
ある風景 66                庭師 72
旅・紀行T 80               旅・紀行U 88
なきの季節 94               終の栖 102
耳殻の周辺 108               颱風 114
雪がふる 122                命をつなぐ時 128
白い御伽噺 134               用水路 140
駅 146                   道 152
会いたくて 会いたくて… 156        何処へ 160
忙中閑 164
  *
あとがき 171                題字 与史楼



 命ある風景のまばゆさ

  T

一九九九年 夏
日付け 八月三十日 月曜日
昼食十一時三十分
昼食後横になりTVの画像の動きに目をやる
昨日とかわらない日課だ
インスタント・コーヒーを入れ
ウイスキーを二、三滴たらす
その匂いをかぎながら
雑然とした書斎の
コースターのある位置に
コーヒー・カップをそっと置く
ここまでは平常通りの光景
(シーン)

カメラは回り続ける

机上にある中質紙の
厚みに手をやり
午後の仕事はと考える

パイプをくわえ
コーヒー・カップに手をのばした瞬間

ここでカット!

カットされなければならない理由がきっとあるのだ
それは
平常通りに進めない何かが起こる
前兆なのだ

全く突然
なんの前ぶれもなく胸への恐怖感
未だかつて経験したことのない
死の恐怖
心臓停止か呼吸停止か
不気味な症状が全身をつつみこむ

カメラは一たん方向をかえ
途方もない
死の空間を写し出す

おい! これはおかしいぞ!
妻に呼びかける
ちょっとベッドで横になったら
さほど驚きのない声が返ってくる

しかし
一秒たりともじっとしていられない
水で冷やせば楽になるか
湯で温めれば楽になるか

監督のきびしい眼が光る
スタッフの動きがせわしくなる
息苦しさはつのるばかり

これはおかしいよ!
なんだ これは!
部屋中熊のように歩き回る

カメラは移動しながら
執拗に被写体を追いつめる

医者に連絡してくれ!
妻に叫び
アップで迫るカメラの前面に立つ

カット!
監督の鋭い声がとぶ

血の気がひき 蒼白になるのがわかる
あぶら汗がじっと吹き出してくる

おいおい待てよ!
これは一体なんなんだ!

監督の指示で休憩
スタッフの雑談が聞こえてくる
主役の俺はそういうわけにはいかない
なんでもいい
自分で行動をおこさなければ
映像は凍り付くのだ

車のドアをがっちり閉めエンジンをかける
妻のくるのを待つ

親父も
お袋も
九十まで生きている
これで
終わったら
申し訳ない

頻繁に繰り返す
たわいのない独白
(モノローグ)
緊迫した鼓動停止の合図か

いくよ!
スタート!

スタッフ一同動き出す
監督の眼がするどく車を追う

カメラは
41号線をズームでとらえる
H医院に車を飛ばす

はげしく胸を叩きながら
ああ苦しい苦しいと
声を出す
声は録音されるのか

横にいる妻の姿は見えない
多分小さなかたまりになって
凍結しているのだろう

トラックの後につく
前方の風景が排気ガスでふさがれる

カメラは回り続け
スタッフがあわただしくかけていく
何かしなければ
ブレーキを踏む
クラッチを踏む
クーラーのスイッチを
入れる
消す
なんでもいい
無意味な動作で
映像をごまかさなければ

信号が赤だ!
なんてこった!
苦痛にゆがむ顔がわかる

一気に
H医院の駐車場の隅に
車をぴたりと止める

午後の診察室は閑散としている

医師
(ドクター)と看護婦(ナース)
手が動く
心電計を素早く取りつける

急性心筋梗塞です。救急車を手配します。

カメラは冷酷に回り続けている

 9年ぶりの第8詩集のようです。ここでは巻頭作品「命ある風景のまばゆさT・U」のうちのTを紹介してみましたが、おそらく実話だろうと思います。Uでは緊急手術の結果、助かったこと、それ以降はリハビリの日々、その他という構成です。こういう作品は意外に多く、死と直面した詩人がいろいろと書いていますが、映画の撮影シーンとして描いた詩には初めて出会いました。まるでサスペンス劇を観ているようですね。続きをお読みになりたい方は、版元の竹林館HP
http://www.chikurinkan.co.jp からどうぞ。お薦めです。
 なお原本では、目次にある作品「なきの季節」のなき≠ノ傍点がありますが、きれいに表現できませんので、ここでは割愛しています。ご了承ください。



詩誌『存在』98号
sonzai 98.JPG
2008.4.10 岐阜県各務原市
河田忠氏編集・存在社発行 500円

<目次>
二匹の犬…船木満洲夫…2          朝倉山の鬼…村瀬和子…4
同人U…村岡 栄…8            不明の夕ベ…冨長覚梁…10
動物園…平石三千夫…12           記憶…伊藤成雄…14
一夜の宿…向井成子…16           記憶の彼方に…稲垣和秋…18
浅草かっぱ橋…井手ひとみ…20        遠い灯…河田 忠=・22
書評 『世界文学思潮』…船木満洲夫…24
俳句 行春…伊藤成雄…24
詩的メモ…河田 忠…25
存在同人名簿・編集後記…26



 浅草かっぱ橋/井手ひとみ

やわらかい雲の毛布をもちあげて
太陽がそっと顔をだす春の朝に

フライパンをみつけよう
ふたつの太陽のように
黄身がかがやく
目玉焼きのために

めずらしい果物みたいに
熟れきったフライパンにそっと触る
はじめての言葉のように値札を読む

異国であった異母兄弟のように
フライパンを探して
一つの柄に同時に触れ合う手

わたしたちは
重いフライパンを抱いて
午後の電車に乗る
授かったばかりの新しいこどものように

 要は「フライパン」を買いに「浅草かっぱ橋」に行ったというだけの詩なんですが、その巧みな比喩に惹かれてしまいます。第1連の「やわらかい雲の毛布をもちあげて」というフレーズからにくいですね。値札なんか何気なく見ていますけども、「はじめての言葉のように値札を読む」と書かれると、値札はその物の言葉だったのかと納得します。そのフライパンが「授かったばかりの新しいこどものよう」だという最終連も見事です。日常の買い物さえ立派な詩になるという見本のような作品で、詩人の眼は節穴ではないことを証明した詩だと思いました。



詩誌『さちや』139号
satya 139.JPG
2008.4.6 岐阜県岐阜市
篠田康彦氏方・さちやの会発行 非売品

<目次>
<詩>
大ゾレ山 故G・U氏に/佐藤暁美 2    二月に 故M・O氏に/佐藤暁美 2
余生/水島睦枝 3             山/今井 隆 4
人格の崩壊/大熊春一 4          黄落のころ/大熊春一 5
石になった人/大熊春一 5         塾/大川康晴 6
やがて/鬼頭武子 9            沼/内藤文雄 9
始末/小山智子 10             千の風になって/田中久雄 10
ぼくは数えていた/竹腰 素 11       子鼠とバネ/竹腰 素 12
銚釐
(ちろり)の爛の洒を飲む/松下のりを 13   曇天/井手ひとみ 14
村が消える(朗読のために)/山崎 啓 15  水仙/斉藤なつみ 18
鳥/斉藤なつみ 19             東京ララバイ/河原修吾 20
ぼくの状態方程式/河原修吾 22       おじさんと私/天木三枝子 23
もう一つの早春賦/篠田康彦 24       どか雪/篠田康彦 25
<エッセイ>
午後のシネマクラブ(8)/井手ひとみ 26   「こくばん」竹腰・井手・鬼頑・大熊・松下・田中)28
編集後記 31
表紙画・渡辺 力 <スケッチ帖から>



 『さちや』という詩誌の名を知ったのはずいぶん前になります。今回、その著名な詩誌を頂戴して感激しています。記憶していた要因のひとつに誌名がありました。裏表紙にその由来が書かれていましたので紹介いたします。

 =(前略)私が、少年少女のための「ガンジー」を執筆している時に、岐阜から長尾和男が、武蔵野の茅舎にあらわれ、詩の雑誌を出そうという。まだ、私の決心がはっきりしないうちに、雑誌の表題はどうする、「火酒」にしようという。卓子の上に、サントリーの瓶がどっかりすわっていたからであろうか。(中略)「ガンジー」で頭が一ぱいになっている私は、「それじゃSatyaはどうだ」といった。サチアは、インド語のうち、グチャラット語の「真理」という意味である。ガンジーの宗教哲学の親鍵である。話はきまった。そしてこの第一集が生まれたわけである。(後略)   <1952.2.5 創刊号「編集後記」(山本和夫)から> =

 これで「真理」という意味であることが判りました。それにしても1952年創刊とはすごい。日本の詩誌の草分け的な存在と云えましょう。詩は、最後に置かれた代表者の作品を紹介してみます。


 どか雪/篠田康彦

鶏舎の餌に寄ってくる雀。
爪を突き出し
嘴を突き出して追っ払う鶏。

 小っぽけなくせに
 自由に飛べるんだから。
 餌は野山にいくらでも……。

ある日
どか雪が野山をすっぽり。
次々に寄ってくる雀たち。
爪も
嘴も突き出さない鶏たち。

 無垢の地上。

 普段は「
爪を突き出し/嘴を突き出して追っ払う鶏」なのに、「ある日/どか雪が野山をすっぽり」覆うと、そうはしません。「餌は野山に」無いことを判っているのでしょうか。不思議な現象ですが、作者はそれを「無垢の地上。」と捉えていて、作者の思想の一端を見る思いです。



   
前の頁  次の頁

   back(4月の部屋へ戻る)

   
home