きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.3.12 湯河原町・幕山公園




2008.4.21(月)


 西さがみ文芸愛好会では、この秋に『文芸作品に描かれた西さがみ』という本を出版することになったのですが、本には協賛会社の広告も入れることになっています。その広告取りの際に、こんな本になりますというリーフレットが必要ではないかということになり、制作実行委員長からお前が作れと命じられました。受けたはいいものの、私にはそういうセンスがありません。しかし、会員のうち誰ならそういうセンスがあるかは判っています。そこで今日はそのお二人を小田原まで呼び出して趣旨説明を行いました。快く引き受けてくれて安堵しています。ありがとうございました。

 ついでだからと小田原駅東口近くにある「ギャラリー木楽」という店に連れて行ってもらいました。本や絵を展示してある店で、そういう店があることは以前から知っていましたから、興味津々で立ち寄りました。店は10人も入れないほどの狭い空間ながら、小田原の文学関係の展示もあって、なかなか良い店だなと思いました。小田原ペンクラブなどが後援しているようで、そんな店がこの地方にあるわけで、無関係な私もちょっと鼻が高くなりましたね。
 東口近くに「おしゃれ横丁」という、そのままズバリのお洒落な横丁があります。その一角ですので、地元の皆さま、小田原に立ち寄ることのある皆さまはどうぞ訪ねてみてください。そこで2冊の本を頂戴しましたから、下記で紹介いたします。



総合文芸誌『ペンと良識』
小田原ペンクラブ25周年記念特別号
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2000.10.28 神奈川県小田原市
小田原ペンクラブ発行  500円

<目次>
お祝いのことば…小田原市長 小澤良明 巻頭
■随筆■
書社地との出会い…川口眞男 1p.      小田原にも日本一のことがあった…中村静夫 3p.
二千六百年のボランティア…川口かずもり 5p. 乱数表があれば…志賀正子 7p.
大愚良寛…北原 功 9p.          井上康文夫人との出会い…大西紫津子 11p.
聴雨…吉田静子 14p.            わたしの年譜…田中美代子 16p.
ペンクラブと私…河本登志 19p.       中国の夜明け…田中円海 21p.
■俳句■
夏から秋へ…鳥海正樹 23p.         早雲寺五十句…桐谷綾子 24p.
■短歌■
箱根駅伝…宮崎聡子 26p.          はみだ詩…鎌田佳代子 28p.
■詩■
〈はつ夏〉他…大橋春子 29p.        詩三篇…中河久仁子 31p.
■創作■
水鶏の宿…小林 武 33p.          トヨちゃんの死…三谷三九郎 42p.
■クラブ■
ペン余談…岸 達志 48p.
小田原ペンクラブと小田原ちょうちん保存会…くらもちやへい 51p.
松永記念館『老欅荘』の保存問題について…鳥海正樹 58p.
●小田原ペンクラブの歩み…69p.



 訪問/中河久仁子

新しい浴衣に 絞りの帯をしめ、
鎌倉彫りの 下駄をはき、
ステッキをついて先生のお出かけ、

どこへ行くのかと窓から見てゐた。
先生は一寸、空を見上げてゐたが
庭を歩き出した。
ステッキで土をなでたり、つついたり
下駄で土をならしたり、
おかしくなった。

家の中にひっこんで片付けものをする
暫くすると 先生が帰ってきた
「どこへ行らしたの」
ときくと、
「どこへも行かないよ、庭だ」
と云った。
木に向かって話をし、土に向かって
足ぶみをしてゐたのかしら。

おしゃれをして 庭にでかけて行ったのは

木たちを訪問しに行ったのかもしれない。

 お名前から判断すると、作者は故・中河与一氏の夫人なのかもしれません。中河先生のありし日を回想した作品なのでしょう。「新しい浴衣に 絞りの帯をしめ」、「おしゃれをして 庭にでかけて行ったのは//木たちを訪問しに行ったのかもしれない」というところに作家の日常が出ていて、夫人ならではの観察だと思いました。



総合文芸誌『ペンと良識』
小田原ペンクラブ30周年記念特別号
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2005.11.30 神奈川県小田原市
小田原ペンクラブ発行  500円

<目次>
【追悼】ペンクラブ会長・小林武氏を偲んで
□父・小林武のこと<略歴を添えて>…須田南美4 □一枚の賀状…奥津尚男 8
□小林会長をしのんで…鎌田佳代子 9    □小林会長・追悼…田中美代子 10
□小林武君のこと…三谷三九郎 11      □故小林会長を偲ぶ…原雄一郎 15
【随筆】
□二十一世紀も生きて…井上嘉夫 20     □文学のふる里−軽井沢から追分へ−…大橋春子 25
□女だけに話せる言葉…大西紫津子 30    □鈍翁と小田原板橋…川村濤子 32
□小田原に住んで五十余年…河本登志 36   □ペンの三十年−文弱か豪傑か…岸 達志 38
□名優・島田正吾と「小田原ちょうちん綺談」…くらもちやへい 46
□赤い夕陽に照らされて…志賀正子 49    □三つの名前…田中円海  51
□小田原ペンクラブと私…田中美代子 53   □一ノ宮・三社参拝記…中村静夫 56
□ロシア北欧紀行…原雄一郎 64       □中河与一先生との思い出…藤井なが子 71
□静かな目・平和な心…三谷三九郎 74    □北原白秋の小田原時代…三津木國輝 77
【短歌・俳句】
○箱根の四季(俳句)…桐谷綾子 42     ○石蕗の花(俳句)…佐宗欣二 48
○春夏秋冬(短歌)…田中幸子 52      ○禅林の講座(俳句)…根岸幸子 59
○風の道(短歌)…秦 晴美 60
【小用原ペンクラブの歩み】…81
【会則(抜粋)】…86
■表紙/
artist:Yahei Kuramochi〈彫塑「蝕」部分〉
    
graphic:Koei Kuramochi



 『静かな目、平和な心』/三谷三九郎

 来る日も来る日も北朝鮮に対する憎しみや悪意に満ちた情報が私たちの耳に溢れています。今にも戦争にでもなってミサイルや原子爆弾が私たちの頭の上に降ってくるような錯覚にさえ陥ってしまいます。
 「拉致」と云う非道い事をしたのですから「ならず者国家」として糾弾したくなるのは当然かも知れませんが、何の罪もない在日朝鮮人学校の女生徒に暴行や嫌がらせが、心ない人々によって繰り返されたのは誠に残念な事でありました。
 北朝鮮との唯一の外交の窓口、万景峰号を入港させないと新潟県知事が発表したり、朝鮮人総連合会の事務局に銃弾が撃ち込まれたりしました。日朝国交回復の緒を開いた外務省の局長の自宅が放火される事件もありました。これは大事にならずに済みましたが、東京都の知事が「あんな奴はそれ位やられてあったり前だ」と言い放ったそうです。

 こんな風潮の中で陸上自衛隊がイラクに派遣されると云う事実が着々と進んでいたのでした。いま同盟国アメリカに協力しておかないと、いざと云う時守ってもらえないからだと日本政府は説明しています。国連がどうしようと世界が何と言おうと強いものに従っている方が得だと云うのですから、これこそ大義を無視した一国平和主義と云う外ありません。
 いま「拉致家族」が朝鮮への経済制裁を強めろと叫んでいます。自分たちの辛さを思えば黙っていられないのかも肉親や同胞が他の民族から虐げられたら血の逆流する程の思いになるのは誰でも皆同じでありましょう。

 昭和の初め頃、私は東海道本線が箱根の裏側を通っていた山の村に住んでいました。箱根八里の裏街道として鮎沢川から富士山麓へ抜ける県道の工事が行われて大勢の朝鮮人労働者が連れて来られました。工事が終わるとその一部がこの河川敷に住み着いたのです。文字通りの掘っ建て小屋で屋根も羽目も古トタンを打ち付けただけで、形ばかりの窓と出入り口が取り付けてありました。勿論電気も水道もありません。飲み水は清水橋際の県道の曲り角に露出した岩盤があって、そこに湧き出ている冷たい泉を使っていました。この命の水にとんでもない危害を加える事件があったのです。この事が私の心に深い傷となって残っているのです。道のあっちこっちに転がっている馬糞を拾って来て投げ込んだり小便をしたりしていました。天から頂いた命の水にこんな恐ろしいことをしていいのだろうか、今にきっと水神さまの罰が当るだろうと子供たちの罪深さを恐れていました。

 悪戯はそれだけではありません。あの掘っ建て小屋に石を投げ付けるのです。大きな音がするから朝鮮人のおかみさんが飛び出して来て何か朝鮮語でわめきながら地団駄踏んで怒る。悪童たちはこれを面白がって囃し立てながら逃げて行きます。大人たちは見て見ぬふりをし、学校でも子供たちに通り一遍の注意をするだけで何もしませんでした。
 自分たちに通じない言葉を喋り、見慣れない服装をして自分たちの口に合わない物を食っている人間が傍にいるのはとても我慢ならない気分があるのかも知れません。まして、貧乏でみすぼらしく薄汚いものを見ると、やたらに差別したりいじめたくなる性分が私たち日本人にはあるのではないでしょうか。弱いものや虐げられるものに対してとても冷たい時代であったと思います。

 一人の朝鮮人が道端で立ち小便をしていました。たまたま通りかかった駐在所の巡査に見付かって、いきなりひどく殴り付けられるのを私は見たのです。この駐在は日本人には何も言われないことで評判でした。他の民族を暴力で支配すれば協調も平和もありません。まして差別や偏見があったら闘争の巷となります。同じ労働者でありながら日本人の半分にもならない賃金で過酷な労働を強いられていたのです。しかもこの人々は或る日突然、行政や警察の力によって生れ故郷から無理矢理連れて来られたのでした。
 いま日本人が大騒ぎをしている「拉致」と云う問題を冷静に考えてみれば、嘗て日本人が行ったこの歴史的事実と全く無縁だとはどうしても私には思えないのです。日本人が自分たちの被害を恨みに思うのと同じ位、相手側も恨んでいただろうと考えねばなりません。とかく人間は自分の加えた害は忘れても受けた痛みは決して忘れないと言われています。そして過去に眼を閉ざすものは現在にも盲目になるのです。特に島国性の私たちが気を付けなければならない点がここにあります。さもなければ救いのない悪循環が繰り返されるばかりです。

 日本を代表する詩人三好達治が昭和十六年に発表した「冬の日」と云う詩があります。朝鮮慶尚北道、慶州の仏国寺を歩きながら、
 『ああ、智恵はかかる冬の日に、それはふと思いがけない時に来る。人影の絶えた境に山林に、たとえばかかる精舎の庭に』。
と書き出しています。私たち日本人がこの詩を読めば何とも澄み切った冬の静けさを思い描くことが出来ます。しかし朝鮮の人々にとっては、この精舎を一歩出ればそこには他の民族に支配された差別と怨恨の巷が拡がっていた筈です。
 三好達治は『静かな眼、平和な心』と静かな人生観を残してくれましたが人影の絶えた静かな境も、山林も、そして歴史と伝統を秘めた精舎にもそこはかとないうしろめたさが透けて見えて、その観照そのものが所詮、権力者としての日本人の驕りでしかなかったように思われてなりません。
 あの時『静かな眼、平和な心』と朝鮮の詩人が詠ってくれていたら何と素晴らしいことだろうと思いますが魂の自由も独立も失った民族にとってそれは求め得べくもないものであったでしょう。
 三好達治が『静かな眼、平和な心、その外に何の宝があろう』と詠ったように、どの民族もどこの国民も同じ喜びを詠える日が一日も早く来てほしいと心から祈らずにはおられません。   終

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 2005年に書かれた随筆ですが3年後の現在、事態はまったく変わっていないように思います。「東京都の知事」はそのまま居座っていますし、「国連がどうしようと世界が何と言おうと強いものに従っている方が得だ」という政策は強まる一方です。そして、このエッセイで重要な部分、「弱いものや虐げられるものに対してとても冷たい」という「性分」も変わっていません。「自分の加えた害は忘れても受けた痛みは決して忘れない」ということを忘れないようにしたいものです。
 三好達治の「冬の日」に対する「そこはかとないうしろめたさが透けて見え」「権力者としての日本人の驕りでしかなかった」という見方は、作者の見識の高さを物語っていると思います。たしかに「あの時『静かな眼、平和な心』と朝鮮の詩人が詠ってくれていたら何と素晴らしいことだろう」と私も思いますね。時代を越えて考えさせられる随筆と云えましょう。



季刊『樂市』62号
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2008.4.1 大阪府八尾市
樂市舎・三井葉子氏編集 952円+税

<目次>
●詩
桃のはな/三井葉子…22           わかれ話/永井幸子…24
大寒・十日戎/小西照美…26         漏れるまで/小野原教子…29
イタチみめよし/山田英子…32        未明/加藤雅子…34
霜/渡部兼直…36              夜に/中神英子…38
某月某日/司 茜…52            早春/斎藤京子…54
夢の空/福井千壽子…56           なぜ/谷口 謙…58
冬の月/松井喜久子…60           海/内田るみ…62
湖 二月/福井栄美子…64          一月/小泉恭子…66
冬があって/北原文雄…68          空耳/川見嘉代子…69
春の光/太田和子…70
●随筆
死への自由/真継伸彦…4          馬鹿三題/萩原 隆…10
本の行方/玉井敬之…16
●楽市楽座
さらば青春−後藤書店のこと/小野原敦子…41 断想(24)/木内 孝…46
●随筆
いそがしさは/北原文雄…72         京町家たんけん/山田英子…74
●編集後記…80



 某月某日/司 茜

大和路は朝から
猛吹雪になった
雪の重さに
南天は二つに折れて
被いの無いアロエは震えている
白木蓮の蕾はいっそう清らかである

女は茶碗を洗いながら
唄っている

  唄を忘れたかなりやは後の山に棄てましょか
  いえいえ それはなりませぬ
  唄を忘れたかなりやは背戸の小藪に埋けましょか
  いえいえ それはなりませぬ
  唄をわすれたかなりやは柳の鞭でぶちましょか  *

老女は窓際に座って
雪を懐かしそうにみている

エプロンで手を拭き拭き
「お茶にしましょうか」と女が入ってきたので
仲良く羊羹を食べている

夕方
雪は小止みになったがまだ降っている
老女はいつものように
法隆寺南大門前に
傘をさして立っている
ガードマンが腕時計をみながら
「よろしいですか」と門を閉ざした
午後五時

頭をたれ手を合わせ
真っ白い松並木の中を帰って行った

  唄を忘れたかなりやは後の山に棄てましょか
  背戸の小藪に埋けましょか

       *「かなりや」 西条八十作詞

 まさに「某月某日」を切り取ったような作品ですが、よくよく見ると怖い詩です。登場人物は3人。「女」と「老女」と「ガードマン」。「女」は「唄を忘れたかなりやは後の山に棄てましょか」と唄い、「老女はいつものように/法隆寺南大門前に/傘をさして立」ち、「頭をたれ手を合わせ/真っ白い松並木の中を帰って行」く。女と老女は「仲良く羊羹を食べ」ながらも、歌われる歌は「背戸の小藪に埋けましょか」の
「かなりや」。そして「ガードマン」は「『よろしいですか』と門を閉ざ」す…。
 「女」も「ガードマン」も善意に満ち、好意を寄せているのですが、いずれ「後の山に棄て」るしかない、「門を閉ざ」すしかないということを謂っているように思うのです。いくら「老女」に敬意を払っても、やがて訪れる現実。その過程の「某月某日」と読み取りました。



   
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