きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.4.28 富士・芝桜




2008.5.2(金)


 出かける予定のない日。いただいた本を終日拝読して過ごしました。



加瀬昭氏詩集『霊異』
第6次ネプチューンシリーズY
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2008.4.1 横浜市西区 横浜詩人会刊
1200円

<目次>
 T
神隠し 8      失踪 11       梢に消えた男 14
人面瘡 16      異形の谷 20     小さな箱 22
文の怨霊 25     僧のまぼろし 28   餓鬼穴 31
合掌 34       古い辻堂 36     地獄谷 38
陰魔羅鬼 41
 U
きつねに憑かれた男 46 深夜の葬列 50    狐のいたずら 53
村の女 56      変化譚 59      雨の小彷主 62
かぶと塚怪異 65   縄 68        なまず異聞 70
うつぼ舟 72     音を殺す 75     くし川伝説 78
白椿幻想 81



 合掌

巫女は山の神に仕えていた ある時から女人は入山を禁
止されて巫女は山を追われた 山の神に忌み嫌われたの
だと言い伝えられている それからは その禁を破ると
雷鳴が轟き天変地異が起きると 信じられている

この霊山で幽谷に寺院修理のため大工たちが雇われてい
た 彼らは山頂に小屋を建て 寝泊りしながら作業を続
けていた ある日麓から参詣に女がやってきた 日が暮
れて 大工のひとりが密かに小屋へ女を案内した この
男の連れ合いとは誰も知らない 女人禁制だからと仲間
たちは忠告したが 聞き入れない 山の神の崇りで夜半
には地鳴りが山一帯に轟き 天変地異が起きるにちがい
ない 他のものたちは下山した

最澄 空海 親鸞 道元 日蓮もみな女から生まれてい
る 山の神が怒るわけがない 聖と俗を峻別する結界と
は男と女にではなく 修業僧にあるのではないか 結界
石は女ではなく男ではないのか 性に躓いた僧の末期で
あろう 産屋では厳粛な儀式がはじまる 不浄などでは
ない 男は言い切った その夜山は荒れて激しい雨 そ
れに雷鳴もとどろいたが 男は連れ合いとすがすがしい
日の出に合掌をした

 詩集タイトルの通り「霊異」譚を作品化したものです。怪異譚として著名な「今昔物語」や「日本霊異記」などを下敷きにしているのかもしれません。目次にもありますように、多くの霊異≠扱った珍しい詩集です。
 ここでは詩集の中でも一味違う「合掌」を紹介してみました。他の多くの作品は、人間の欲や偏見から発する怪奇を扱っているの対して、この作品は「最澄 空海 親鸞 道元 日蓮もみな女から生まれてい/る 山の神が怒るわけがない」と明快です。この詩集の結論めいてしまいますが、「聖と俗を峻別する結界と/は男と女にではなく 修業僧にあるのではないか 結界/石は女ではなく男ではないのか」と、現代の私たちにも考えさせられる指摘です。霊異≠ニは、すなわち私たちに他ならないのかもしれません。



庄司進氏詩集『やせ我慢』
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2008春 千葉市中央区 こくぼ刊 1000円

<目次>
竹さんの笛 6    豆腐屋のおやじ 8  老人 12
ハトの好きな男 14  女 18        ある女教師の退職 20
平教師 22      ありがとう 24    くそ 26
冬の日 28      やせ我慢 30     タンゴ 32
夏の始まり 34    教師の言葉 36    待つ 38
上着 40       麻雀 41       忘れるな 44
空蝉 46



 やせ我慢

ものほしい顔をするな
やせ我慢を愛せ

大切にしている人はいるか
その人の話をいつまでも聞け
そんなときは上等なコーヒーを注文するとよい

ものほしい顔をするな
やせ我慢を愛せ

風のざわめきに心を留めて
けやきの若葉の下を歩け
そんなときはよい靴を履くとよい

ものほしい顔をするな
やせ我慢を愛せ

よいことだってある

 2001年『漁師』、2005年『教師』に続く3年ぶりの第3詩集です。ここではタイトルポエムを紹介してみましたが、普通は「やせ我慢を」するな≠ニ言うところですが、「やせ我慢を愛せ」と言うところに著者の思想を感じさせます。「ものほしい顔を」しないことが「やせ我慢」なんでしょうが、その「やせ我慢を愛せ」というのは逆説でもなんでもなくて「よいことだってある」んだから、とも言っています。この思考の裏には、私たち庶民の矜持があるといえるでしょう。
 やさしい言葉で教員生活を振り返った作品が多く、教師の大変さと生徒に向ける深い愛情を表出させた詩集です。



個人通信『萌』23号  
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2008.春 山形県山形市 伊藤啓子氏発行 非売品

<目次>
はるじおんの客たち
彼岸明け



 はるじおんの客たち

喫茶はるじおんは
ちょうど良い距離にある
バスに乗ってまで行きたくはないし
すぐお向かいでは入る気もしない
ぶらぶら歩いていって
かがみたくなったところにある
カウンターの客たちに背を向けて座ると
そこの恥川
(はずかしがわ)にはザリガニがいたとか
このあたりに湧き出ていた清水は旨かったとか
客たちの昔話が聞こえてくる
わたしは居眠りしながらそれを聴き
ごちそうさまとカウンターにお茶代を置くと
客たちがいっせいにお辞儀するので
店主が誰なのか今もわからない

子どもの頃 熱が三十七度五分以上だと
学校を休んでもいいと言われた
じょうずに水銀が上がるとうれしかったが
熱がなくても頭が痛い時は
学校の先生のような母の目つきがうらめしかった
今 だれもなんにも言わないのに
寝込んでもいいものかどうか
風邪のひき方がへたなので
とりあえず 喫茶はるじおんで
鼻ばかりかんでいると
風邪ですか
花粉症ですか
客たちがいっせいに口を開くので
誰に何を言われたのかわからない

いつものように居眠りしていると
話し声で目が覚めた
わたしは喫茶はるじおんで
角の家のひとと呼ばれているらしい
あの家はカイズカイブキで囲まれている
あれは鼻に良くないんだよ 花粉だらけで
端っこの樹が赤星病に羅っているね
このまま眠ったふりしていたかったが
鼻がこみあげてどうしようもない
ビーンとかむと話し声はぴたりと止んだ
お茶代を置いたのもお大事にと言われたのも
ぼんやりとしか記憶にない
そそくさ布団にもぐりこんだが
三十七度五分ないかもしれないと思うと
夢見もぎこちない
屋根の上でしきりに足音がする
カラスが鳶職の男のように歩いている

喫茶はるじおんに入ると
壁の色が淡い色に塗り替えられている
まだシンナーの匂いがきつくてと
客たちがいっせいにすまなそうな顔をするが
鼻が利きませんからと言うと
客たちはいっせいに笑い声をたてる
花粉症は大変ですねと言われ
いいえ風邪です れっきとした風邪です
お茶代を置くとさっさと出てきた
花粉症などと訳のわからぬ呼び方をされてはたまらぬ
あなたの春風邪は長びく――
どこからか
母のうとましそうな声がする

 「喫茶はるじおん」と不思議な「客たち」。この「客たち」は「いっせいにお辞儀」をし、「いっせいに口を開」き、「話し声はぴたりと止」み、「いっせいにすまなそうな顔を」します。まるでこの世の人ではないみたいに…。おそらく「わたし」の妄想なのでしょうが、輪郭がぼんやりとしていながら存在感のある人たちです。死者は眼に見えませんけれど、私たちのまわりに、記憶に、常に存在します。それを散文ではなく詩として描いた作品のように思います。
 「カラスが鳶職の男のように歩いている」というフレーズにも魅了されています。鳶職の男がカラスのように歩いている≠ニは言うでしょうけど、この逆転の表現は佳いですね。



   
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