きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.4.28 富士・芝桜




2008.5.3(土)


 群馬県榛東村・現代詩資料館「榛名まほろば」で開催された、第21回まほろばポエトリーステージに行ってきました。本日は池井昌樹さんの講演で「自作詩の周辺」。幼少の頃から詩に魅せられてきたという池井さんの半生が語られ、よく通る声で、落ち着いた朗読にも魅了されました。驚いたことに朗読はしたことがないそうです。聴いていて、そんな風には見えなかったとは、懇親会での参加者が一致した意見です。ご本人も気を良くして、予定よりも多くの作品を朗読したようです。素直に「皆さんがこんなに真剣に聴いてくれるとは思っていませんでした。嬉しいです」とおっしゃっていましたが、本心からの言葉だと判りましたね。

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 写真は「榛名まほろば」オーナーの富沢智さんと池井さん。池井さんは詩誌『歴程』の同人で、拙HPでも紹介した546号の「花影抄」も朗読され、改めて佳い詩だなと思いました。ハイパーリンクを張っておきましたので、よろしかったらご鑑賞ください。

 久しぶりの「榛名まほろば」。企画も良いし、群馬の詩人たちとも会えるの楽しい処です。ぜひ一度訪ねてみてください。「榛名まほろば」のHPは、
http://homepage3.nifty.com/harunamahoroba/ です。



詩とエッセイ『ライラック』創刊号
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2008.4.15 群馬県前橋市 房内はるみ氏発行 300円

<目次>
<詩>
ポロン…2
ひとあい…4
<エッセイ詩>
さまざまな場所…6
 蚕糸記念館、図書館、空地、駅舎、調剤薬局
<つれづれなるままに>
こわされていく空間…8
あとがき



 駅舎

 大正時代に建てられたような三角屋根の木造の駅
舎。葺き屋根の小さな家々と、町をめぐる用水路。
そんな風景の中の不思議な土地の力に惹き寄せられ
て、短かい旅をした私は、午後二時十五分発の下り
電車を待っていた。 光を割って入ってくる もうひ
とりの中年の女性。白い買い物袋を下げている。少
し離れて、若いサラリーマン風の男が、ホームの突
端まで歩いていって立っている。私たちは下を向い
て、さらさらと感情をこぼしながら待っている。二
時十五分には、確実にくる列車を待つ、あやうい生
の私たち。
 ことばを交わすこともない。恐らくこれから二度
と会うこともない、互いを全く知らない私たちが、
ただ二時十五分発の列車に乗るという、同じ目的だ
けを持ってここにいる。
 四月の昼の駅は眩しい。青い空には、欠けた白い
月。二時十五分が近づいてくる。私たちの関係は、
氷結していく水のように、固く強
(こわ)ばっていく。

 新しい個人誌の出発です。創刊おめでとうございます。新しい詩誌の新しい試みとして「エッセイ詩」というものが載っていました。「さまざまな場所」という総題のもとに5本の「エッセイ詩」が収録されています。ここではそのうちの「駅舎」を紹介してみました。
 詩にはご存知の通り行分け詩の他に散文詩というものがあります。その他にも二行詩や一行詩というものもありますが、そこで詩と散文を分けるのはボエジーがあるかないかだと私は思っています。ではポエジーとは何かと改めて問われると、答に窮しますますけど、詩心とでも応えておきましょう。クルマが好きな私はクルマの外観図や部品図を見るのも好きです。専門家ならそれを見ただけでクルマの性能が判るようですけど、そんな彼らにしても乗り心地までは判断できないだろうと思います。仮に一台のクルマの乗り心地が分かったとしても、同じ車種の他のクルマの全てが同じだとは言えません。ポエジーとはその乗り心地に相当するように思います。外観図が1編の詩で、部品図は言葉・文字と考えると、ポエジーは一台一台違う乗り心地と考えられましょう。

 そういう観点から「駅舎」にポエジーがあるかと言うと、私はあると思います。「風景の中の不思議な土地の力」という散文≠フ奥にある作者の心境、「二/時十五分には、確実にくる列車を待つ、あやうい生/の私たち。」という設定、「私たちの関係は、/氷結していく水のように、固く強ばっていく。」という他社と「私」との関係性。これらは散文という形を借りながら詩の世界を構築しています。
 従って今号の「エッセイ詩」は詩であり、完成度も高いと思います。まだ始まったばかりの個人誌ですが、今後も目を離せない存在になりそうです。



詩誌Void17号
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2008.4.30 東京都八王子市
松方俊氏ほか発行 500円

<目次>
『詩』
モーニング・コール…小島昭男 2      梅林…松方 俊 4
野川追憶…松方 俊 9           石のよな手で…浦田フミ子 12
蛇身はするすると石段を登り…中田昭太郎 14 孤独感…森田タカ子 18
『小論』寄贈詩誌から…中田昭太郎 21
後記…森田タカ子・中田昭太郎・小島昭男・松方 俊 22



 梅林/松方 俊
   小泉八雲「果心居士」より

 現をも現とさらに覚えねば夢をも夢となにか思はむ    西行

私が未だ若かった頃武州谷保の天神様の梅林を逍遥したことがありました。
甲州街道の日野坂を下って来た道に面したその梅林は、なかなか見事なものでした。
今は甲州街道の拡幅などがあり大部小さくなりましたが、当時は、昔日の程ではないにし
ろなかなか広く結構な梅林でした。
林の中程に大きな石の詩碑があり、碑文は覚えてはおりませんが詩の意味はこの梅林の美
しさに刻を忘れ樹の根方に休むうちいつの間にか眠ってしまった、すると林の中から艶や
かな美女が現れて懇ろになり楽しいひとときを過ごす事ができた、そんな詩であったと想
います。
爾来梅林というとこの詩を思い出すのでした。
昔の詩人ですから実際私がそのような奇跡に出会う事などは諦めてはいたのですが、それ
が偶然に私も出会うことができたのでございます。
いやいや美女ではありません。それについてはこれからお話いたしましょう。

ああこの茶店ですか、開いておりますよ。
主人が所用で他出している間私が留守居を頼まれたものですから。

ここの梅林もやはり見事な梅が咲き揃い、
大勢の人々が鑑賞の歩みを楽しんでおりますね、
私たちもその仲間に入れて戴き紅梅白梅の梅の香に酔っておりました。

私がふと背丈程の梅の古木の、
ふくよかな香りを辺りに漂わせている一枝の花の美しさに見惚れ、
気付いてみると仲間の姿は何処にも見あたりませんでした、
周章てて林の中を捜してみましたが、
林のなかに猶迷い入ってしまったようでした、

梅林がとぎれた先、少しの空地に、
葦簀の小屋が在り「甘酒」と書いた布の旗が立っているのを見付け、
まあ一休みするかその内仲間が捜してくれるだろうと、
店の主に甘酒を所望し、
一人老人が休んでいる緋毛氈を敷いた縁台に腰掛けさせて貰いました、
もうお解りと思いますが此処がその茶店です

会釈を返された老人を改めて見ますと、
老人が絵を描いているのだと解りました、
私も絵は好きで下手の横好きを極めこんでいましたので、
「お上手ですね」と肩ごしに声をかけますと、
「この絵の中の舟に乗りますか」と云い、
にこやかに私の前に絵を差し出すのです、

よく見ますと湖らしい水面に帆かけ舟が一艘描かれています、
辺り一面には春の駘蕩とした光が満ちているようでした、
私は面白い冗談を云う老人だと思い何気なく隅の落款に眼を走らせますと、
果心居士と書いてあるではありませんか、

え「あの果心居士」と尋ねるともなく自分に言い聞かせるように声を出しますと、
そのときはもう、
「ああお願いします」と、叫んでおりました。

すると静かに舟が動きだし沖に向かってゆくではありませんか、

鳴呼舟がと隣の老人に声をかけると、
老人の姿は無く、周章てて又舟をよく見ると、
老人は舟から手を振っており、
その隣まごうこと無く私もが船縁りから身を乗り出し手を振っているではありませんか、

舟はそのままどんどん進み小さくなりいつしか見えなくなってしまいました。
縁台には駘蕩とした春酣の湖が描かれた団扇が残されておりました。

無論この話を信じてくれる人はおりません。
そう言う貴方様も、
胡乱くさそうな顔をなさり、
あるいは気の毒そうな陰りを見せて頷いていらっしやいます。
お為ごかしの挨拶などいりません。

本当に私は私を置いて舟に乗って行った私を信じているのでございます。
果心居士と云う方も信じております。

此処にこうして無人の茶店の縁台に腰を掛け、
うつらうつらしながら待っている私が何よりの証拠ではありませんか。

それにしても、つまらない。いまのこの世といふのは、なまじ妖怪をうしなったがために、ずいぶん生きることの豊かさやうるおいをなくしてしまったのではないか。ひとこきの草を手折り、花をながめ、ついにはこの花と一夜の閨をともにしたいという情念をもつことは、もはやこんにちでは狂人にしかゆるされない特権なのである。 司馬遼太郎。

 まさに「梅林の美しさに刻を忘れ樹の根方に休むうちいつの間にか眠ってしま」い、「楽しいひとときを過ごす事ができ」そうな詩ですね。
司馬遼太郎の言うところの「妖怪」とまでは思いませんが、「生きることの豊かさやうるおい」のためにも怪奇譚は必要だし、何よりおもしろいと思います。考えてみれば詩の発想なんて怪奇譚そのものかもしれません。冒頭の西行の歌、末尾の司馬遼太郎の言葉も奏功している作品だと思いました。



詩と批評『逆光』67号
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2008.4.25 徳島県阿南市
宮田小夜子氏発行 500円

<目次>
幻の饗宴/木村英昭 2           歩く権利/鈴木千秋 4
判断/細川芳子 6             然もありなん/細川芳子 8
色について-いろはにほへと-/宮田小夜子 10 太鼓の音に乗せて/ただとういち 14
春のおとずれ/ただとういち 16       都市幻想/嵯峨潤三 18
一葉の呟き/藤原 葵 22          指先の幻/藤原 葵 24
二〇〇八年・春/大山久子 26        最後の職場/大山久子 28
小さな命/近藤美佐子 30          幻視の旅路 五/香島恵介 32
光と影/沙 海 37
シリーズ
詩(詩人)との出会い(33) 島崎藤村/近藤美佐子 38
映画『アメリカの夜』−トリュフォ監督のある秘密な合図/篠原啓介 41
コラム〔交差点〕 44
あとがき 48
表紙 嵯峨潤三



 幻の饗宴/木村英昭

グローバリズムなんて 今更に言うけれど
海は 大昔から グローバルだ

地中海を イルカにまたがって
ドビュッシーが やってくる
新しい音の関係に酔っ払ってしまったようだ

月の光りが波を照らすと
アルトゥーロ・ベネデッティー・ミケランジェリーと
呼ぶピアニストが
波頭に 音色をころがすのだ
揺れ動く波こそがピアノの鍵盤とでも言うかのように
演奏の度
(たび)に多少の時間差(タイムラグ)が生まれるが
ままよ 演奏とは一回こっきりのものだ

目眩
(めま)いするイルカ 飛んでくる群・群・群
さあ大変 地中海は 黄金の池だ
南米アマゾンからやってきた ピラルクー
サハリンの いとう
ジュゴンやシャチまで泳いでいるではないか
サプライズ サプライズ
海神 ポセイドンがキャビアを食べながら
灘の生一本を振る舞っているよ
あっ やっぱり彼が亭主か 仕掛人だったか

地中海 サミットだ

 まさに「海は 大昔から グローバルだ」と思わせる作品ですね。「地中海を イルカにまたがって」、「波頭に 音色をころが」して、「南米アマゾンから」「サハリン」から集まってきたのは「海神 ポセイドン」が「仕掛人だった」わけですが、「地中海 サミット」は決して「幻の饗宴」ではないように思います。G7、G8などとエラそうに集まる人たちよりはよっぽど自然にやさしい饗宴となることでしょう。そんな夢を与えてくれる作品だと思いました。



   
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