きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.4.28 富士・芝桜 |
2008.5.7(水)
今日も出かける予定のない日。終日読書。
○季刊文芸誌『南方手帖』87号 |
2008.5.10 高知県吾川郡いの町 南方手帖社・坂本稔氏発行 763円+税 |
<目次>
南方の窓(38) ウィーン通信(13)/高橋章子
詩
透明に青い声/平井広恵 2 気配/坂本 稔 4
障害者/玉井哲夫 6 冬のカフェ/朝倉ハル 8
季節の肖像(6) 月/中村達志 9
短歌 父の声聴く/梅原皆子 10
追悼 高橋努先生三回忌記念演奏会 12
随筆
ウィーン遠からじU(5)/高橋悦子 14
自慢にもなりませんが。(3)/モリヒロエリ 19
南方荘漫筆(59)/坂本 稔 20
読者投稿作品
落とした心/さかいたもつ 41 カエル君コンニチワ/岡上 功 41
◆題字・竹内蒼空/表紙装画・土佐義和
障害者/玉井哲夫
K君は
小児麻痺だった
僕たちは
小学校でも
中学校でも
誰ひとり
K君のことを
障害者だと思ったことがなかった
というよりも
僕たちの心の中には
障害者という言葉も
健常者という言葉もなかった
確かに
K君は
歩くのも
しゃべるのも
不自由だった
だが
それだけのことだった
K君も
僕たちも
みな
生き合っていた
僕たちが知っていたのは
K君の病名だけだ
不自由ということは
障害なのだろうか
それを決めるのは
誰なのか
少なくとも
K君や僕たちは
原水爆を製造するだけの
難解な知識も
高度な技術もない
確かに
原水爆の製造は
天才と秀才の為せる業だ
人が殺し合う兵器は
発明する人がいて
造る人がいて
売る人がいて
買う人がいて
運ぶ人がいて
使う人がいて
儲ける人がいて
成り立っている
子供を
半殺しにするための兵器もある
確かに
みな
健常者の為せる業だ
K君は
ほんとうに
障害者なのだろうか
最近は「障害者」という言葉そのものもおかしい、害≠ニは何事だ! ということで障がい者≠ネんて記述するところもあるようです。それはまあ、それで良いのかもしれませんが、そこでとどまってしまっているように思います。この作品では「僕たちの心の中には/障害者という言葉も/健常者という言葉もなかった」と、実に明確です。「確かに/K君は/歩くのも/しゃべるのも/不自由だった/だが/それだけのことだった」のです。「不自由ということは/障害なのだろうか」というところにまで立ち返らないと、記述を変えるだけで満足してしまうのではないかと指摘しています。
さらにこの作品が素晴らしいのは、「人が殺し合う兵器」を造り、使うのは「みな/健常者の為せる業だ」という点です。ここまで深く突っ込まないといけないでしょうね。考えさせられる作品です。
○会報『南方手帖通信』58号 |
2008.5.10 高知県吾川郡いの町 南方手帖社・坂本稔氏発行 非売品 |
木橋して一軒家あり昼河鹿 町田雅尚
40年前のこと、四国山地の只中を流れる梼原川のほとりで3年間を過ごした頃のことを思い出させる一句である。夏の夕暮れ、清流に響く河鹿の声は美しくも侘しく、とてもこの世のものとは思えないほどに透明であった。鬱屈した心を抱いて、毎日のように私は河原に寝転んで暮れなずむ空を仰ぎ、現世と彼岸の境をさまよったことである。・・・そしてある夕べ、「南方手帖」創刊を決心したのであった。
――――――――――
紹介したのは発行者による冒頭の言葉です。文芸誌『南方手帖』創刊のいきさつを知ることができました。現在、季刊で87号ですから、約22年前のことと思われます。『南方手帖』誌の精神の高さの秘密を物語るような文章と云えましょう。
○詩誌『掌』136号 |
2008.5.19
横浜市青葉区 非売品 志崎純氏編集・掌詩人グループ発行 |
<目次>
エッセイ
キジア台風とケイト台風…中村雅勇…8 腰掛さんに!…福原恒雄…8
骨董趣味?…志崎 純…9
詩
立つ男…福原恒雄…2 老人の国際化…石川 敦…4
むつごろう…中村雅勇…6 お風呂の変還…堀井 勉…10
豆腐‥志崎 純…12 蔵王颪を撓る回想一途(いちず)…半澤 昇…15
編集後記
表紙題字 長谷川幸子
立つ男/福原恒雄
せまい通路なら
げんきよく通っても
匂いに擽られる。
お肉はどこと嫌みもこぼすパック詰めであれ
節約好きのお手製であれ
きらいな人はいないと決めつけられ
眠っていても疲れていても
皿もスプーンも目のまえにやってくるとか。
女も男もにぎやかに時間を刻みはじめる
と 話どこまで? カレー?
防弾チョッキを重ね着したようなこの男は
いつも酒くさい
到着が早すぎ近くで一杯やってしまったぁ。
たまには遅刻の理由を変えなさいよ にもかまわず
パックでもなんでも好きなものは銘柄不問さ。
きょうも酒くさい会合になるのだが
椅子に掛けた尻の辺から眠るなよとねがう
おだやかな呑気で討議の世の中へ
米穀通帳のお米ではとてつもなく不足。でも
ときにはライスカレー
大家族の困窮もなんのそのと使いの子どもは
肉屋で 小間切れ百匁ください!で元気の夕食は
麦粉入りでも小さい肉を見つけて歓声あげたもの…
止めろ!
酒好き知人のこの男の顔真っ白に伸びて
立ち
回想してどうなる!をテーブルにぶっつける
大仰な手がかれを抑える
脱力の肩が座り込む
黙った尻たちもすぐに呑気の袖口を
小突きあい
今度立ち上がったら今晩は断然 カレーに。
「酒くさい会合」の場面ですが、「米穀通帳のお米」で「ときにはライスカレー」を「大家族」で食べたという話を始めたところ、「止めろ!」「回想してどうなる!」と「酒好き知人のこの男」が「立」ったということでしょう。
「米穀通帳」という懐かしい言葉に出会いました。昔はこれがないと米が買えないことになっていて、それ以外で買うと闇米≠ノ手をつけた、ということになってしまいます。しかし、政府管掌の「米穀通帳」はいつの間にか使われなくなり、多くの国民が闇米だけを買うようになり…。ま、そんなことを書き出すと「回想してどうなる!」と怒られそうなので、やめましょう(^^;
「きらいな人はいないと決めつけられ」というフレーズは面白いと思いました。最終連の、「防弾チョッキを重ね着したようなこの男」が「今度立ち上がったら今晩は断然 カレーに。」という反発≠烽ィもしろいですね。どこにでもある会合でも、こう書くと詩になるという見本のような作品だと思いました。
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