きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.4.28 富士・芝桜




2008.5.16(金)


 午後から日本文藝家協会の第62回総会が東京會舘で開かれ、出席してきました。総会は特に問題もなく終了、午後6時からは懇親会がもたれました。懇親会の冒頭は、会員・柳家小三治師匠の小スピーチです。落語のように面白いというわけにはいきませんでしたけど、北原白秋作の「砂山」の、山田耕筰と
中山晋平の曲想の違いに触れたあたりは、さすがにエッセイストとして入会しただけのことはあるなと思いました。

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 懇親会のあとは、最近メールの遣り取りをしている女性作家と、その友人とで銀座のバーを呑み歩きました。1丁目のバーでは作家の早乙女さんともご一緒させてもらい、隣の客たちとカラオケ合戦。8丁目のバーではママさんや店の女の子と静かに談笑。動と静も呑み込んでしまう銀座の夜でした。
 女性作家とはメールの遣り取りはあるものの、実際にお会いするのは初めてです。和服の似合う佳人です。官能作家として売れっ子になっていますが、作品からは表面的な官能だけでなく人間を見る眼の鋭さを感じていました。お話の切り込みも鋭かったですね。そんな人と出会えて話ができるのも、10年前に日本文藝家協会の会員に加えさせてもらったお陰かなと思っています。
 佳い夜でした。遅くまでお付き合いくださった皆さん、ありがとうございました。



田川紀久雄氏詩集『生命の旅』
第U章 生命の尊厳
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2008.6.20 東京都足立区 斑猫書房刊 2200円

<目次>
序 6
永遠の中で生きていたい 11         この世に生きている 13
独り語り 17                生命の尊厳 21
故郷に帰る 26               鳩ノ巣へ行く 34
また横浜中華街へ 39            名古屋で再び語りが 43
共に生きる 46               十月二十四日のライブ 51
無の中で 55                生かされて 59
心はいつも秋空 63             無の声 66
名古屋へ 68                いま生きていることが 75
詩語りの仕事がなくても 79         手術を拒む 84
ズーラシア 88               生命の旅・第一章を語る 93



 

巡回朗読会から半月が過ぎた
私は病院のベッドで抗癌剤の治療を受けている
胃カメラ・CT等の検査結果から
いくらか癌細胞が縮まっていることが解った
しかし食事や胃の調子は少しも変わってはいない
新しい生命の旅立ちが始まったというのに
まだ私の身体の情況の見通しが立っていない
抗癌剤の治療で髪の毛も抜け始めている
八月十二日に髪の毛を切り坊主頭になった

中野絵手紙の会のMさんから絵手紙が送られてきた
墨で書かれた長い手紙である
その手紙を見て感激した
なかの芸能小劇場は私達が『宮澤賢治の世界』を初めて語った所だ
それも劇場の企画で
二度とこのような場所で出来るとは予想もしていなかった

なぜ詩を語るのだろうか
そこに生命
(いのち)に対する尊厳があるからだ
他者にとって無価値のように思えても
それを書かざるを得なかった一人の詩人の言葉の重さが
語る側の私に強く問いかけてくる
そして詩語りを行うことによってしか視えてこなかったものが
聲を発した瞬間に活きいきと明確に現れてくる

八月十五日に生命の旅立ちの第一章の語りの稽古を始める
この日が終戦記念日という理由からではない
死に逝く者たちの聲を本当に聴いただろうか
末期癌と言われても医師から詳しい報告は何一つとして受けてはいない
どのような抗癌剤の治療を受けているのかも知らずにいる
点滴を受けていてもときどき洩れて皮膚が腫れたりする
新人の看護婦たちが注射針を刺すのは怖い

医師と患者との会話があまりにも少なすぎる
患者がどのような人間なのか知ろうともしない
医師は患者を治療するだけが仕事だと思っている
詩人の眼からみればまるで奴隷のような気分なのだ
個人の生命の尊厳は無視されがち
いま私は死のことを考えたくはない
それより生きることへの執念に心を駆りたてていたい
世の中がこんなにも美しく感じられることはいままでなかった
生きている
ただそれだけでも素晴らしいことなのだ

末期癌になって初めて生きることの素晴らしさを痛感した
死に逝く人間の心の中は無垢そのものだ
だから人の愛によってこの世から
あの世へと橋渡しをして貰いたい
医師よ! 患者を治してあげるなどと思わないでください
ただ人間として一緒に生きていたいだけです
患者の心を解ってくれる人になってください
                      二〇〇七年八月十七日

 「末期癌」の宣告を受けてから1年。この1年の魂の叫びをまとめたもので、ここでは序詩を紹介してみました。「抗癌剤の治療で髪の毛も抜け始めて」もなお、「なぜ詩を語るのだろうか」。その回答は「そこに生命に対する尊厳があるからだ」と明確です。
 ここには医療機関の問題点も指摘されています。「末期癌と言われても医師から詳しい報告は何一つとして受けては」おらず、「どのような抗癌剤の治療を受けているのかも知らずにいる」ありさまです。「新人の看護婦たちが注射針を刺すのは怖い」とも書かれています。そして「医師は患者を治療するだけが仕事だと思っている/詩人の眼からみればまるで奴隷のような気分なのだ」とも…。著者が言いたいのは唯ひとつ、「医師よ! 患者を治してあげるなどと思わないでください/ただ人間として一緒に生きていたいだけです」。医療機関のすべての人たち、また私たちも肝に銘ずべき言葉でしょう。



詩と評論『操車場』12号
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2008.6.1 川崎市川崎区 田川紀久雄氏発行 500円

<目次>
■詩作品
かぜとことり/田川紀久雄 1        後ろで/長谷川 忍 2
■エッセイ
新・裏町文庫閑話/井原 修 4       哲学者の生死観−つれづれベルクソン草(2)−/高橋 馨 6
鳥違は北に向かった/坂井のぶこ 8     詩人の聲(3)(野間明子)/田川紀久雄 9
わが扁桃腺(前)/野間明子 10        声のエナジーで愛されるあなたに/時野慶子 12
末期癌日記・四月/田川紀久雄 17
■後記・住所録  27



 後ろで/長谷川 忍

気がつくと
寄り添ってくれている。

そぶりは
頑固に見せない。

メロディーの波を
幾つもくぐり抜け
やがて
アドリブ演奏の深みのただ中へ下りていく。
無心に鍵盤と向き合いながら
指先で
ビートを刻む。
宇宙を醸す。
一瞬
ふっと何もかもを見失いそうになる。

そんな時だ
あなたの〈音〉が
港のように忍び込んでくるのは。

…好きに、
弾いていいぞ。

ただ
私の〈音〉を忘れるな。
溺れそうになったら
私のリズムに戻れ。
大丈夫だ。

しっかりと
支えていてやるから。

使い馴染んだ
あなたの大きなウッドベースが
今夜も後ろで控えている。

それとは
気づかせないそぶりで。

 「アドリブ演奏」の中での「鍵盤」と「ウッドベース」との関係をうたった詩です。一般的には、ジャズなどではベースが「後ろで控えて」リードしているのかもしれません。たしかにライヴに行くと「それとは/気づかせないそぶりで」リードしているように見えることがありますね。おもしろい視点の作品だと思います。「あなたの〈音〉が/港のように忍び込んでくる」というフレーズもおもしろい表現だと思いました。



詩誌『北の詩人』65号
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2008.5.15 札幌市豊平区
日下新介氏方・北の詩人会議発行 100円

<目次>
写真・「希望」定山渓川百松沢渓谷/佐藤 武 1
萌える岸辺で/佐藤 武 1         聖火を心に/かながせ弥生 2
ひま人のしごと(2)/かながせ弥生 3    ひま人のしごと(3)/かながせ弥生 4
反省/八木由美 4             「ウィーン」/八木由美 5
九条の光波/仲筋義晃 5          開拓の地/倉臼ヒロ 6
茂子 24 お手玉/阿部星道 7       明治の歌人 石川啄木のこと/もりたとしはる 8
グレーパワーを/たかはしちさと 11     教育改革先行の果てに/たかはしちさと 12
兄弟姉妹会/たかはしちさと 13       短歌 移ろひゆく季節の中で/幸坂美代子 16
弱者いじめの日本/大竹秀子 17       短歌 福寿草 白樺 コブシ/佐藤 武 18
逆襲の時/佐藤 武 19           モンゴル馬は走る/たかはたしげる 20
書評『神なるオオカミ』/たかはたしげる 20 オオカミが叫ぶ/たかはたしげる 21
書評『あの戦争から遠く離れて私につながる歴史をたどる旅』/たかはたしげる 22
何をなすべきか/日下新介 23
作品研究=批判と自己検証と/日下新介 24
村山精二さんから・「北の詩人」 64号寸感/かながせ弥生 26
受贈詩集・詩誌紹介 あとがき 28



 萌える岸辺で/佐藤 武

彼岸は
空に続く青緑のおもいであろうか
「弱者いじめは やめよ」
と地熱の憤怒が湧出した源泉が
春の渓流をつくっている
遅咲きのエゾヤマザクラ
みずみずしいハコヤナギの芽よ
希望が萌える岸辺は
寄り添って咲く二輪草の清楚な花
風に揺れるカタクリの赤紫色のロマン
「生きていてよかった」
と この岸辺に咲く花々と
越えようよ
この溢涙川にかかる忍耐橋を−
駆け出そうよ
あの明るい傾斜に向かって−

 表紙の定山渓の写真と対応した巻頭詩です。定山渓は「湧出した源泉が/春の渓流をつくっている」ところのようで、それを「地熱の憤怒」と見、「弱者いじめは やめよ」としたところにこの詩の面目があると思います。珍しい川だ、おもしろい≠セけでは駄目なんですね。目の前の自然にも社会を反映させる、そんな作りの作品ですから「希望が萌える岸辺」にも「あの明るい傾斜」にも詩としての生命が宿るのだと思います。北国に春が訪れるように、日本の政治にも早く春が訪れてくれないかなと思った作品です。



   
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