きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.4.28 富士・芝桜 |
2008.5.15(木)
その2
○詩と散文『モーアシビ』13号 |
2008.4.30 東京都世田谷区 白鳥信也氏発行 500円 |
<目次>
詩
位置として、柔らか恋風/鈴木志郎康 2 のむ/松本真希 8
軌跡の姿/辻 和人 12 問いかけたい/五十嵐倫子 14
散文
矢われた言葉を求めて・その2/福田純子 18 ある調理場の実情/平井金司 25
風船乗りの汗汗歌日記 その12/大橋 弘 30 石屋巡りイン・ベルリン/呉生さとこ 37
詩
扉を押して/北爪満喜 49 山菜採り/浅井拓也 56
前置きはいいから突き放して辺涯まで/沢木春成 60
カウントダウンしている/3泥C(デイドロ・ドロシー) 66
かの名高き者たちの泉/白鳥信也 74
翻訳 月蝕9 グラジーミル・テンドリャコーフ/向山昭一訳 80
失われた言葉を求めて・その2/福田純子
[「その1」のあらすじ・「化学物質過敏症」に「電磁波過敏症」を併発して重症化した私は、電磁波の飛び交う首都
圏にいることが不可能となり、南町大学病院の待合室で偶然出会った患者さんのお父さんが経営しているという「圏
外」の温泉宿を目指して、夫に付き添われて福島県の山の中までやってきます。二両編成の電車に水戸から二時間乗
って、更にタクシーで三十分入った山の中に忽然と現れた巨大で瀟洒な温泉宿に書いた私たちは……]
***
南町大学病院の待合室で偶然出会った圏外の温泉宿の息子さんだという方からもらった宿のパンフレット握り締めて三十分くらい乗ったところで人里離れた山の中に忽然と巨大なそしてなかなか瀟洒なコンクリートの建物が現れて、広くとったロータリーの中にタクシーはゆっくりと入って行きます、みなさんがご存知かもしれない建物に例えればちょうど信濃町の明治記念館でしょうか、贅沢な敷地の中にちょこんと建てられた低層で凝ったデザインのコンクリート建築。酔狂なお金持ちというものが世の中にはいるもんだ、こんな山の中にこんな立派なものを一体どんな人が建てたんだろう、事業かなんかで成功した人かな、などとヨレヨレした頭でまたしても意外に俗っぽいことを考え、よく手入れされた花が咲き誇っている塀に沿ってタクシーが滑るように入り口に向かうと大きなガラス張りの玄関の前で止まりました、降りようとしたところで、あれ、どうやれば降りれるんだっけ、足をどうするんだっけ、そうなんですタクシーの扉からまず片足を出して、それからもう片方の足を出して外に立つ、その作業が難しくてよくわからないのでした、タクシーから降りるという動作がとても難しい作業に思われるような頭になっている、タクシーからはうまく降りられない頭なのだけれど降りられないということがおかしいということはわかって、あぁ、私の頭、私の頭、愕然としながらもそうだなまずこっちの足、うんしょ、と右足を外に出し、うんしょ、と左足も降ろして地面の上に立つと、
ふわぁっ
軽いのでした。
なくなっているのでした。
ないのです、これまで私の頭を、体を、ぎゅうぎゅうぎゅうぎゅう締め付けていた細い細い、しかしどうやっても切ることのできない強靭な糸、いえ、針金? 蚕の繭の周りに張られた絹糸のように細く、しかし強靭な金属の糸、頭の中に入り込んで細胞と言う細胞を締め付け、高圧電流を通して脳細胞を焼き尽くすかに思われたあの金属の、強靭で微小な糸、あれがなかったのでしたそこは
助かった、
と私は思いました、助かった、助かったのだ、もう一歩で全部焼き尽くされるところだったのに、もう一歩で人間ではない全然別の生き物になってしまうところだったのに、私たぶん、助かったのだ、
と思いました。
***
――――――――――
福田純子さんの体験記「矢われた言葉を求めて」を紹介してみましたが、その1は詩とエッセイ誌『部分』35号に書かれています。なんと、その1と2を別々の詩誌に掲載するという離れ技、なかなかできないことですね(^^; ちなみにその2は「未完」となっていますから、その3、4とまた別の雑誌に載るのかもしれません。私はその1も2も福田さんから送ってもらっていますから、雑誌が変わっても読めますけど、そうでない福田ファンは追いかけるのに大変だろうなあ(^^;
と、これは余計な心配。その1は上のあらすじでも大体が分かりますが、拙HPで紹介した部分にはハイパーリンクを張っておきましたので是非ご参照ください。
さて、その2ですが冒頭の部分を紹介してみました。なんとか「福島県の山の中」まで逃れて、「助かった、」と思ったところですが、宿に入ると意外な伏兵が…。これから先は『モーアシビ』誌を手にとって読んでみてください。読み終わっても「未完」ですから不満は残るものの、これまでの経緯が分かって一安心というところです。完結したらぜひ一冊の本にしてほしいですね。
*蛇足ですが、『モーアシビ』という誌名がどうにも気になって、調べてみました。沖縄の方言のようで、モーは野原=Aアシビは遊び≠フようです。なかなか粋な誌名ですね。
○詩誌『解纜』138号 |
2008.4.28 鹿児島県日置市 西田義篤氏方・解纜社発行 非売品 |
<目次>
詩 おばあちゃんにならないで…池田順子…1 添う…4
カンパチくんへ−陸へ上がる前に…村永美和子…7 九州おんぷの旅…8
詩集評 まとわりつくことば 村永美和子詩集『半なまの顔』…西田義篤…12
詩 蝶の島…西田義篤…16
降雪…石峰意佐雄…22 ピアノ…25 耳生男…28
沖縄への旅…中村繁實…32
エッセイ 小さな窓から…中村繁實…36
編集後記
表紙絵…西田義篤
蝶の島/西田義篤
墜落する夢をよくみる
私は真逆になって
言葉にならない声を発しながら落ちていく
眼下には血だらけの無惨な私自身の姿が
はっきり見えて恐怖心は募るばかりだ
長い時間のような気もするが一瞬なのかもしれない
たいていは落下の途中で目が覚めて
ほっとするのだが
しばらくは胸の動悸は治まらない
ときにはこれは夢のなかの出来事だとわかる時もある
俯瞰した風景を楽しむ余裕すらある
昨夜の夢もそうだった
烈しく黒潮が打ち寄せ
火照った島の海岸線は白く泡立っている
暗緑の森を貫ぬいて一筋の川が光る
草木に覆われて点在する集落
日照りが続いているのだろう
稲田は乾き砂糖黍の葉はうなだれたままだ
ペンキの剥げた郵便局 木造の小学校
ほの暗い駄菓子屋
秋祭りで賑わう境内と大楠
石橋と村はずれの溜池
記憶の底に深く沈んでいた遠い故郷の風景が
色彩をおびてつぎつぎに現われては消えていく
海に面した墓地へ通じる土埃りの道を行く
のぼりもない淋しい葬列
運ばれていく小さな棺
葬列の最後尾をうつむいて歩いているのは
毯栗頭の少年の私
小学六年生になった時、森山賢児は転校してきた。真新らしい運動靴を履いていた。
(私たちは裸足だった)小柄な体にシャツもズボンもぶかぶかだった。多分、私たちと同
様誰かのおさがりだったのだろう。
――――――――――
おもしろい構成の詩で、上述のように行分け詩から始まり、3頁に渡る散文へと続き、そのあとは行分け詩に戻って完了します。ここでは最初の行分け部分と散文の冒頭を紹介してみましたが、この行分け部は当然、次の散文、最後の行分けへとつながっていきます。特に「眼下には血だらけの無惨な私自身の姿が/はっきり見えて恐怖心は募るばかりだ」というフレーズは「森山賢児」への伏線と採れます。「毯栗頭の少年の私」を回想した詩と考えられ、散文の部分も散文詩と言ってもよいでしょう。可能な人はぜひ『解纜』誌を読んでみてください。
○個人誌『むくげ通信』38号 |
2008.5.1
千葉県成田市 飯嶋武太郎氏発行 非売品 |
<目次>
詩人は見たり8/チョンミョンスク 1 具常先生と共に/鄭光修 3
「文学時代」80号より
お前はどこへ?/キムヨンハ 3 五月の陽射しの下で/金后蘭 4
三浦綾子記念館/崔金女 4 北海道の大雪山渓谷で/崔金女 4
世界環境文学の詩
一切唯心造/朴映遠 4 青山島の海・虹の地、放鶴洞/高來檍 5
誰が私を/姜度宇 5 真実を求めて/金廣本 6
「文藝運動」のホームページから
朝鮮の花でなかったならば/尹淵謨
詩調(三行詩)二〜六集より
最後の高地で/金一男 6 ある在日の終焉/路 乱 7
ふるさと/朴 山 8
一緒に歩いてゆくこと/飯嶋武太郎 8
編集後記
北海道の大雪山渓谷で/崔金女
北海道の大雪山渓谷で仰ぎ見た
黒山の峰
日陰になった谷間に
残雪が恥ずかしげに伏している
私たちが解放になった年
ついぞ帰還できなかった日本の軍服
辺鄙なところに捨てられた
それらの赤い肩章を思い出す
山裾にある古い家一棟
六十年前 大雪崩のあったとき
埋没した霊魂たちを奉った祠堂だと
墓地の臭いがむんむんする
曲がり角ごと祠堂をつくり
犯した罪
香を焚いて謝罪したとしても
けっして忘れられない
膝までの長靴と腰にさげた長い刀
門の外までついてきて手を振り
膝を曲げても心おけない国
長雨の最中という韓国のたより聞きながら
悠然と大雪山の気持ちいい風にあたり
ソンビみたいな韓国の松の老木が恋しい夜
註ソンビ…士人、学者(学識高く、言動・礼儀正しく、原理原則を守り官職財産をむさぼらない人格の高潔な人)。
「北海道の大雪山渓谷」と韓国の山々、歴史が綯い交ぜになった佳品だと思います。日本の敗戦で「ついぞ帰還できなかった日本の軍服」が「辺鄙なところに捨てられ」、「赤い肩章」が生々しかったのでしょうね。これは初めて眼にした文章ですが緑との対比が眼に浮かぶようです。それにしても「膝までの長靴と腰にさげた長い刀」は「けっして忘れられない」ものだったのでしょう。「門の外までついてきて手を振り/膝を曲げても心おけない国」の将兵であればなおのこと…。平和になって、日本に観光に来てもなお植民地時代を忘れない韓国・朝鮮の人々に、私たちは常に真摯に向き合う必要があるようです。
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