きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.4.28 富士・芝桜




2008.5.20(火)


 今日は東工大でイベントがあるということで押さえていた日でしたが、誘ってくれた人の都合が悪くなって、しばらく前にキャンセルになりました。宮澤賢治の講演だったので、一人で行っても良かったのですが、やめにして渋谷で映画を観てきました。ロバート・レッドフォード監督、トム・クルーズ主演「大いなる陰謀」。野望を抱く青年政治家という設定のトム・クルーズが佳い味を出していました。「トップガン」「ミッション・イン・ポッシブル」などで注目していた俳優ですが、政治家という設定には、正直、驚きました。でもまあ、若い若いと思っていた俳優もいずれはトシをとるということ。トシをとってからも味があるというのが本当の俳優なのかもしれませんね。見習いたいものです。



羽生康二氏著『口語自由詩の形成』
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1989.1.5 東京都千代田区 雄山閣出版刊 1800円

<目次>
 一、俗語と詩――『新体詩抄』から島崎藤村まで…一
 二、中西梅花と「九十九
(つくも)の嫗(うば)」…二〇
 三、詩の効用性と芸術性――北村透谷の場合…三〇
 四、『若菜集』にみる近代抒情詩の成立――島崎藤村 その一…四五
 五、歌のわかれ――島崎藤村 その二…五六
 六、口語自由詩の誕生…六九
 七、川路柳虹・近代詩と現代詩のかけ橋…八八
 入、石川啄木と「食
(くら)ふべき詩」…一〇二
 九、高村光太郎にみる文語詩から口語詩への移行――『道程』を中心に…一一七
 十、口語自由詩の完成者 萩原朔太郎…一三五
十一、日本の詩百年と民衆詩派…一六三
   あとがき…一八二



  乾の方百四十度を越えて凛冽の寒波は来る。
  書は焚くべし、儒生の口は汚すべし。
  つんぼのやうな万民の頭の上に
  左まんじの旗は瞬刻にひるがへる。
  世界を二つに引裂くもの、
  アラゴンの平野カタロニヤの丘に満ち、
  いま朔風は山西の辺彊にまき起る。
  自然の数字は厳として進みやまない。

  漲る生きものは地上を蝕みつくした。
  この球体を清浄にかへすため
  ああもう一度氷河時代をよばうとするか。
  昼は小春日和、夜は極寒。
  今朝も見渡すかぎり民家の屋根は霜だ。
  堅冰いたる、堅冰いたる。
  むしろ氷河時代よこの世を襲へ。
  どういふほんとの人間の種が、
  どうしてそこに生き残るかを大地は見よう。

 一九三七年一月発表の「堅冰いたる」全編。吉本隆明は「高村光太郎ノート」という文章の中で、この詩について「ドイツファシズムの文化破壊にたいして、痛烈な批判をかませるとともに、西安事件を中心とする極東の危機をひとみを、凝らして視つめている」とのべたあと、この詩のわずか九か月後の一九三七年十月に、「秋風辞」という日中戦争における日本軍の南への進撃をたたえる詩を光太郎が発表していることを指摘する(いわゆる「支那事変」は、この間の一九三七年七月にはじまった)。そして吉本は、その変化のきざしを「堅冰いたる」の後半の部分に読みとり、「氷河時代がもう一度おそって、いかもの(傍点4ヵ所:村山註)を絶滅してしまえというような超越的な倫理感は、現実把握の機能が低下したとき高村をおとづれる」とのべる。吉本の指摘はするどいが、わたしは、変化のきざしをそれより前の「詩の道」に、つまり高村光太郎が文語がえりをした時点にみる。抵抗詩でありながら崩壊の要素を内包する「堅冰いたる」が文語を基調とする詩であることが、それをうらづけている。光太郎は、このころから、『智恵子抄』に収められる詩編をのぞき、急速にナショナリスティックな詩、戦争詩へと傾斜していった。

  御国
(みくに)のための戦ひに
  海ゆかば水
()づく屍(かばね)
  山ゆかば草むす屍と
  命ささげた人はみな
  護国神社の神となる

  人と生れて神となり
  われらの御親
(みおや) 天皇の
  御拝
(ぎょはい)をさへも身にうけて
  津々浦々の同胞
(はらから)
  父よ兄よと親しまれ
  仰ぎ見らるるかしこさよ

 一九四〇年(昭和十五)の「護国神社」の一、二連である。完全な戦争詩であるだけでなく、七五調中心の文語詩である。個人主義的自由主義的発想に立つ『道程』の詩人高村光太郎が、文語的発想への逆戻りと歩調を合わせて超国家主義者へと変わっていった結果たどりついた詩である。
 高村光太郎と、かれのすぐあとに登場した人道主義的な詩人たち、民衆詩派の詩人たちとは、広い意味での社会性思想性を持っていたという共通点がある。けれど、自我意識の強さ、現実との格闘のはげしさの点で光太郎は、福士幸次郎、千家元麿などの人道主義の詩人たちをしのいでいた。また、光太郎の詩には民衆詩派にはみられない深みと力があった。
 かれは、社会問題に関心を持つ詩人たちが左傾化してプロレタリア詩を書いたときも、個人主義的姿勢をくずさなかった。かれは個人的な自我意識に終始し、社会変革の意識はとぼしかった。それはそれでひとつの生き方であったが、その光太郎が昭和十年代にはいると個人主義自由主義の姿勢を捨ててナショナリズムにのめりこんでいったことから考えると、かれが理念と思想の詩を個人的なわくの中に終始とどめて社会的なひろがりを持とうとしなかったことが、重大な結果をもたらしたと思う。結果からみると、理念の詩人高村光太郎の思想は、日本全体がナショナリズムに傾斜していくとそれに簡単に引きずられるほどもろいものだった。
 かれの中には国家というものを疑う思想はもともとなかった。かれは、自由主義者であったあいだも、国家(日本国)の存在を当然のことと考えて、潜在意識の領域では国家とその元首天皇を直結させていたにちがいない。だから、「天皇あやふし」(「真珠湾の日」)と考えたとき、かれが超国家主義者に変身したのはさほどふしぎなことではなかった。

――――――――――

 この本は、私が高村光太郎の戦争詩を調べていることをお知りになった著者からわざわざ送っていただいたものです。ありがとうございました。改めて御礼申し上げます。
 紹介したのは「九、高村光太郎にみる文語詩から口語詩への移行――『道程』を中心に」の最後の部分です。私の疑問はただ一つ、あれほど優れた叙情詩人がなぜ易々と戦争協力詩を書いたのか、です。詩の根源には批評性もあると思うのですが、その面でも高村光太郎は当時の頂点に立っていたと思われます。それがなぜ…。
 ここでは「かれの中には国家というものを疑う思想はもともとなかった。かれは、自由主義者であったあいだも、国家(日本国)の存在を当然のことと考えて、潜在意識の領域では国家とその元首天皇を直結させていたにちがいない」と明確です。自由主義者、即、反戦詩人とはならないと言っています。国家をどのように考えるかで自由主義≠フ中身が違うのだとも教えてくれています。戦後生まれの私たちが自由主義≠ニ呼ぶ場合、そこには国家からの自由も暗黙のうちに定義されていると思っていました。しかし、それは天皇が象徴となった現憲法のもとでの教育の成果で、戦前の自由主義者には国家を超えることは許されていなかったのです。法的にも無理なことに違いなかったのですが、それでも明治憲法に反対した勢力は存在した事実があって、それとは一線を画していたことになります。国家からの自由、それが西洋史学の教える自由主義だと思っていますが、光太郎にはそこまでの自由意識はなかったのだと読み取りました。



詩誌『漱流』32号
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2008.5.20 静岡県焼津市
漱流の会・岩ア豊市氏発行 400円

<目次>
◆作品
白夜…井村たづ子 2            心配はいらない…小川恵吉 4
海上の酔境…岩崎豊市 6          砂の人…土屋智宏 8
転変…中島光太郎 10            砂丘…久保律二 12
ある晴れた日に/遠い坂道を…佐野久夫 14
◆談話室 焼津青峯山教会…岩崎豊市 16
◆編集室…18                題字/岸本聿鳳



 白夜/井村たづ子

川面を見つめて泣きじゃくる女の子がいる
私は耳も目も枯れ果ててふらふら歩いて
いただけなのに
〔本当に歩いていたのであろうか〕定かではない。
人の形をしたという印象だけがおぼろげに残る。
棒切れで盲滅法彼女を叩いたこと以外は

「こんなところにはいられない、助けて」と
雨が降る、雨が
いつもなら迂回する道路を素通りできなかったのは何故
女の子が施設にいる母に似ていると気がついたのは
留置場の洗面台の前だ。

私とそっくりの顔、
充血して、日没の夕日は発光して
ぼっと残る遺書。
「母さん、私はあなたが嫌うあの男に、今日も
どろどろに抱かれていました」

雨が降る
もう、晴れようもないびしゃびしゃの雨が

からっぽの窓からからっぽの鉄格子へと

初めも終わりもなくまだ読み捨てられない日記が
二重のからくりにもだえながら
世界中の真昼を引き受けて凍る白い夏

 「棒切れで盲滅法彼女を叩いたこと」で「留置場」に入れられたという設定ですが、「女の子が施設にいる母に似ていると気がつい」ての行為と受け止められます。それが「二重のからくり」と読み取ってよいでしょう。現実の通り魔殺人などを彷彿とさせますが、犯人の心理にも迫っているように思います。もちろん私たちの内なる悪へも…。最終連の「世界中の真昼を引き受けて凍る白い夏」というフレーズは、タイトルの「白夜」とも呼応しながら人間の闇を逆に照射している作品と受け止めました。



個人誌『パープル』32号
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2008.6.21 川崎市宮前区
パープルの会・高村昌憲氏発行 500円

<目次>
詩 櫻花幻想…中平 耀(2)        櫻花変容…中平 耀(4)
  戯れ詩・春日漫想…中平 耀(6)    高遠の空…高村昌憲(7)
翻訳詩 アラン『ガブリエル詩集』(二)…高村昌憲訳(8)
評論  初期プロポ断想(その15)…高村昌憲(12)
執筆者住所録(24) 編集後記(24)
誌名/笠谷陽一  表紙デサイン/宿谷志郎 カット絵/高村喜美子



 高遠の空/高村昌憲

白波が続く海岸線のような稜線に
タカトオコヒガンザクラの若葉が光る
桜雲橋
(おううんきょう)を渡ると旅人の空が見える
大切なものだけを身に付けて行く国

あらゆる緑が山肌に浮かぶ伊那路
穏やかな春の霞が溶けた大空に
駒ヶ岳と宝剣山の白い額縁の頂に
勝利を限りないものにするXの頭文字

 私は「高遠」には一度しか行ったことがありません。それも仕事でしたので「タカトオコヒガンザクラ」の時期を過ぎた頃でした。しかし、廃校を改造したという工場の視察でしたから、おもしろいこともあって、高遠には好いイメージが残っています。
 この作品からも「大切なものだけを身に付けて行く国」という高遠のイメージが心地よく伝わってきますね。最終連の「Xの頭文字」は「駒ヶ岳と宝剣山」の山頂と谷間を表していると思いますが、「勝利を限りないものにする」という形容がよく効いていると思いました。



   
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