きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.4.28 富士・芝桜 |
2008.5.26(月)
午後から渋谷に出向いて、ある詩誌の勉強会の講師を務めてきました。2時間の枠組みで何を話してもよいということでしたから、高村光太郎を採り上げました。以前から日本ペンクラブ電子文藝館に高村光太郎の作品を載せたいと思っていて、その関連の話をさせていただきました。
電子文藝館に載せる際には、人口に膾炙した『道程』や『智恵子抄』だけでなく、光太郎の戦争讃美詩・協力詩も併載したいと思っています。詩友からたくさんの関係資料を拝借し、この半年ほど調べてきましたが、戦争詩だけでなく敗戦後の詩もおもしろいことが判って、そこまでを実際の詩と3人の批評家の評を提示して講義を進めました。そして光太郎の轍を私たちも踏む危険性があるのではないかと締めくくりました。
もともと女性だけの詩誌で、出席予定のうちお一人が欠席だったので、5人という小人数も幸いして思った以上の講義になりました。中には戦時中、女学生だった人もいて、逆に私が教えられました。もとよりそれは狙っていたことですから、私にとっては有意義なものとなりました。受講者の発言も多く、ときに脱線して爆笑する場面もあり、まあ何とか責任を果たせたかなと思っています。
来月、もう一度講師を務めて終わりです。そうやって毎回講師を変えながら勉強してきたそうで、その熱心さには頭が下がりました。来月までの私の宿題は、各人から提出された詩を批評すること。これから拝読して、皆さんに納得してもらえる評を書こうと思っています。ありがとうございました。
勉強会が終わって、その足で東京會舘に向いました。日本ペンクラブの総会です。総会の議決には間に合いませんでしたが、意見交換会と懇親会には参加することができました。日本ペンクラブの恥になりますから、あまり書きたくはないんですが、意見交換会では困った人が何人かいました。自分の意見、それも目新しさのまったく無い月並みな意見を滔々と述べる人。個人的な偏見に基づいた攻撃をする人。そんな人が同じ会員かと思うとガックリきますけど、まあ、ほんの2〜3人だし、ペンクラブのキャパシティの深さかと思って我慢します。人間観察という面ではおもしろいですけどね(^^; もちろん圧倒的多数は立派な文学者で人格者です。悪いところは捨てて、良いところだけを吸収させてもらいます。
懇親会では、新会員の女性詩人が、今日は私以外に知り合いがいないことが分かっていましたから、なるべく側にいて、私の詩友や先輩を紹介するように努めました。主だった人にはだいたい紹介できたかなと思っています。例によって銀座のママさんからの誘いを断って、2次会は彼女を含めた詩人4人での呑み会になりました。笑っちゃったのは焼酎のボトルです。男は2人しかいませんから、フルボトルは呑み切れないだろうとハーフボトルを注文。しかしすぐに呑み終って、すぐにまたハーフボトルを注文する有様。そんなことなら最初からフルボトルにすれば良かった…。新会員の女性はあまり呑みませんでしたが、もうお一人の女性は酒豪だってことを忘れていました(^^;
ま、そんな失敗はありましたけど、有楽町の月曜の夜は楽しく更けたのでありました。遅くまでお付き合いいただいた皆さん、ありがとうございました、また呑みましょう!
○鄭光修氏詩集『つばめ』 鴻農映二氏訳 |
2008.4.30
東京都豊島区 東京文芸館刊 2000円+税 |
<目次>
序文■鄭光修
第1部
燕燕…12 秋の祈祷…14
風は…16 故郷抄…18
銀河頌…19
第2部
立冬の頃(T)…22 立冬の頃(U)…24
立冬の頃(V)…26 立冬の頃(W)…28
東鶴寺の道には山菊が咲いた 30
第3部
立春…34 雲雀の韻…37
全州の韻…39 堤の道で…41
第4部
道に沿って…46 林にて…50
月の歌…52 輝け故郷…54
滝の近辺…56
第5部
ああ、春の夢…60 新春にどこぞから音楽が 62
真昼に 64 あなたは…66
山彦 67
第6部
北斗七星の…70 先祖…73
空だ、これが自分だ 75 手紙という名は実に悲しい夢の葉という 79
棗の木を思う…83
第7部
涅槃に…85 ああ、三十年前の秋…89
木の下で空を見る…92 田舎の秋…95
解説 韓国美の絵画性 ゙秉武 97
訳者あとがき 使命を自覚した詩人の眼差し 鴻農映二 109
燕燕
天を動かし
美を妬む
がらんとした市の場をよぎる
風
桃の花 華やかな
幹の中の色で
皺寄った顔が
元通りになる。
上り 下り
整然と 整然と
翼の羽 力強く
死んでも浮気な心
持つまいとする。
韓国語ではツバメのことを「燕燕」と重ねて表現するのかもしれません。ツバメが一羽だけで飛んでいる姿はあまり見ず、二羽で行動していることが多いように思いますから、この「燕燕」の方が実際を表しているように感じられますね。解説で゙秉武氏が「韓国美の絵画性」に触れていますが、それに通ずるのかもしれません。
最終連の「死んでも浮気な心/持つまいとする。」というフレーズはツバメの生態をよく表していると云えるでしょう。詳しくは判りませんけど、ツバメは通常、夫婦単位で行動しているのだと思います。そのことを言っているように思いました。短いタイトルポエム、巻頭詩ですが、美しい作品です。
○詩誌『コスモス』53号 |
2008.1.15 東京都大田区 蛍書院・笠原三津子氏発行 450円 |
<目次>
〈詩〉
チュニジア紀行…石田天佑 2 問いの谺のなかにいて…佐瀬智恵子 4
たんぽぽ…三木 昇 6 自画像…森原直子 8
羽黒山…阿部堅磐 10 見えないところで…今朝丸翠 12
海と夏の物語…井上富美 14 山頂の牧場から…柏木友紀絵 16
深秋断想…笠原三津子 18
会員の消息…21
後記…笠原三津子
問いの谺のなかにいて/佐瀬智恵子
天の青さへ 雲海に切り立つ崖の上で
男が白いシャツにアイロンをかけている
下界の騒がしさに縮んだ心を
高みに拡げてくれる 写真の見出しは
「富士山頂 孤高のアイロンがけ」
八月の朝刊の涼しい不意打ちに
わたしは いつもの崖に立たされる
アイロン台や重さ約二五キロの発電機を担ぎ
剣ケ峰に登り 昇華したのは
千葉県の会社員
エクストリーム・アイロニングという
極限に挑むスリルと
アイロンでパリッと仕上げる満足感の
スポーツを考えついたのは
イギリスのニット衣料工場の従業員
ロッククライミングに行きたくとも
アイロンがけがたまっていた 十年前
「それなら一緒にやってしまおう」と
五年後には世界大会が開かれる競技になった
思いもよらない輝き方を生み出す
ヒトという生きもの
誰でも限りなく持っている
太古からの聖火の種
それぞれの炎を奪いあう場所へ
駆り出される人間たちは 輝いているか
シェルターのある庭にいて
駆り立てる人間たちは 輝いているか
問いの冴のなかにいて
立ち尽くすわたしは
「雲海に切り立つ崖の上で/男が白いシャツにアイロンをかけている」姿というのは、想像するだけで楽しいものですが、「エクストリーム・アイロニングという」立派な「スポーツ」なんですね。まさに「思いもよらない輝き方を生み出す/ヒトという生きもの」の凄さ、おもしろさ、です。
それに対して「駆り出される人間たちは 輝いているか」、「駆り立てる人間たちは 輝いているか」という「問い」が、この詩の眼目ですが、それは誰にでも当てはまるもの。おもしろいだけでなく、生き方も考えさせられる作品だと思いました。
○『栃木県詩人協会会報』22号 |
2008.5.1 栃木県芳賀郡茂木町 森羅一氏発行 非売品 |
<目次>
ランボー雑感/森 羅一 1
会員エッセイ
目標 うわばみ爺/深津朝雄 2 あだ名/螺良君枝 3
絵を描きたい/福田あつこ 3 友人Fさん/斎藤さち子 4
ドイツ行記/遠藤秋津 4 続・地球一周への挑戦/野澤正憲 5
少子化/菊池礼子 6
会員の作品
夜の箱/松本ミチ子 6 春宵――父に/松井し織/6
鎹(かすがい)/神山暁美 7 烈風圏/本郷武夫/7
春霞/岡田泰代 8 隠しておきたい小噺/岡田泰代 8
山女と岩魚/上原季絵 9 低迷/白沢英子 9
行きつくところまで/福田あつこ 10 ・・・へ/原 始 10
共生 大木てるよ 10 姿勢/斎藤さち子 11
高内壮介著作の紹介(八)「母子地蔵変容」 11 本の紹介 高田太郎著「詩人の行方」
11
新年会の報告 11 会員の近況 12
寄贈誌御礼 12 編集後記 12
鎹(かすがい)/神山暁美
女はたったひとり出て行った
男は
授かりものをくるむように抱き
何も持たずにあとを追った
豪農のひとりむすめと
富豪の跡とりむすこの
村をあげての婚礼は
ひととせの夢にきえた
系譜ごと家を捨ててきた男を
ふり切ることができなかった女
ふたりの血を受けて生きるのは
恵みなのか呪縛だったのか
おまえさえ産まれていなければ
別の幸せがふたつあったと
老いてなお
日がな女はつぶやいている
わずかな晩酌が楽しみな男に
ささやかな肴をつくり終える頃
燃えつきた今日の残り陽が
温もりの色に部屋を染める
明日といういちにちを
かさね重ねてきた歳月
さほどの禍さえなければ
さしたる慶事も望まない
生まれてきてしまった負い目に
打ち込まれたままの鎹は
錆びついてさらに固く強く
縁を絆でつなぎとめている
子は鎹≠ニは、よく言われる言葉ですが、それを具体化した作品だと思います。「おまえさえ産まれていなければ/別の幸せがふたつあった」というのは親の勝手な科白でしょうけど、それに対して「生まれてきてしまった負い目」を感じているらしい作中人物に、詩人としての必然性があるのかもしれませんね。
それにしても、若い親が子を捨てたり殺したりする現在、子は鎹≠ヘ死語になった観があります。
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