きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.4.25 柿田川




2008.6.1(日)


 夕方から静岡県小山町の金太郎ホールに行って、久しぶりに「鼓童」のコンサートを楽しんできました。前回行ったのは、たしか渋谷・文化村か神奈川県秦野市の文化会館だったと思いますから、かれこれ10年前でしょうか。久しぶりの印象は、ずいぶん大衆化≠オたなというものです。以前は本当にタイコばっかりでしたが、今回は笛あり歌あり踊りありで、ちょっとびっくりしました。
 備忘録として演目を記載しておきます。族、扉、木遣り〜三宅、水の森、モノクローム、JANG−GWARA、三寒四温、KAGURA、たまゆらのみち、大太鼓、舞台囃子の11曲、1時間40分の熱演でした。「モノクローム」は7丁の附締(つけしめ)太鼓と呼ばれる小さめの太鼓の、静から動の打ち方が印象的でした。私の好みは、やはり鼓童らしい「大太鼓」です。「舞台囃子」も華やかでいいですね。公演中はもちろん写真が撮れませんでしたから、雰囲気を当日のパンフレットから紹介します。

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 鼓童とは、実は多少の縁があります。林英哲さんという日本を代表する和太鼓奏者がいます。私より3つ下ぐらいの男ですが、佐渡の鬼太鼓座の創設に関わり、鼓童の生みの親でもありました。その英哲さんと接点があったのです。
 かれこれ30年近く前になりますが、箱根外輪山の開拓部落に2年ほど住んでいたことがあります。そこには小学校の分校が廃校になっていました。本当はそこを借りようと所有者の小田原市と交渉したのですが、民間人には貸さないとのことで、あきらめて民家を借りたという経緯があります。しかし、しばらくすると分校を借りた人がいました。それが英哲さんたちだったわけです。和太鼓の稽古場ならと許可が降りたようで、悔しい思いをしましたね。そんなこんなで英哲さんと話しをするようになって、ライヴにも招かれたりして交流があった次第です。

 いまは英哲さんともいつの間にか交流がなくなり、たまにTVで観たり、こうやって鼓童のコンサートに行くだけになりましたけど、私の青春時代の1ページであったことに、改めて感無量です。英哲さんも鼓童も世界的に有名になって、良かったなと思っています。皆さんもよろしかったらコンサートに行ってみてください。ジャズに匹敵する、いや、それ以上の和太鼓の迫力に圧倒されることでしょう。



金敷善由氏詩集『薔薇の定義』
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2008.5.31 栃木県宇都宮市
雁塔舎発行・落合書店発売 1600円+税

<目次>
第一章 連作十三編
薔薇の定義 10               モンゴルの馬と薔薇 12
薔薇のけものみち 16            薔薇が戦場で 20
薔薇のいけにえ 24             薔薇に梱包されて 28
白い牙 32                 勇敢なつわものと一人歩きの薔薇の情報 36
薔薇園にくずれる風 40           薔薇のペルソナ 42
薔薇の常識 46               薔薇の狙撃者 48
薔薇は生きているか 52
第二章 わが垂乳根わが妣は
わが垂乳根わが妣は(枇に献げる詩)56    濁流のひびき 58
雑踏の街で 60               金粉蝶
(ユスリカ) 62
大蒜
(ガーリック)で夢を 66           少年よおまえの前を行く魔物が 70
明滅する花 74               建物 78
もがく蝶 82                樹の割れ目 86
倒れ込んで来るモノを 90          土曜の深夜 92
花の蘂 94                 他人の詩を責める 96
風を呼ぶ男A 98              風を呼ぶ男B 100
大河からの情報 102             むかしのおんなは 106
詩を書く男が還り着くところ 108
あとがき 112



 薔薇の定義

薔薇に死ね 椿山荘で女は笑う
ゆったりと大きく撓
(しな)っていた薔薇こそうつくし
この薔薇の 肢体から牙
(きば)が生えているなと思うと
多くのおとこらと 其を踏み越えていくキャタピラ
さらにおとこらは 薔薇のクレパスへとまぎれこみ
薔薇半狂乱と想いしが 追いこまれなおけざやかに
地に敷かれたり
恐らくは 薔薇は薔薇へと赤き血潮を
手を翳し薔薇襲
(かさ)ねたり花しぐれ
夜にむかれたり 寂しからずや似非
(えせ)笑い
ときに書く 詩こそ花なり薔薇の定義

 3年ぶりの11冊目の詩集だそうです。ここではタイトルポエムで、かつ巻頭詩の「薔薇の定義」を紹介してみましたが、文語調のリズムが奏功していると云えるでしょう。「多くのおとこらと 其を踏み越えていくキャタピラ/さらにおとこらは 薔薇のクレパスへとまぎれこみ」というフレーズは、男の生態の喩としてもおもしろいですね。最終行の「詩こそ花なり薔薇の定義」という詩語も、この詩集の性格を端的に物語っていると思いました。



詩と評論『櫻尺』32號
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2008.5.10 埼玉県川越市 鈴木東海子氏発行
500円

<目次>

篠崎 勝己 愛のように すでにありえぬもののように 2
倉田比羽子 声とことばの〈閥〉4
阿部日奈子 五月の密航者 10
金堀 則夫 背 13
鈴木東海子 桜まいり 16
評論
岡野絵里子 新川和江論2 詩女神
(ミューズ)の娘 18
岡島 弘子 長編詩の視点から永瀬清子を読む 34
櫻発 44
後記 48
表紙・鈴木英明



 背/金堀則夫

めじるしが
わたしの背中にある
振り向くが そのめじるしが見えない
見えないめじるしが
あの早馬の武将が背負っている
旗指物に百足がひるがえる
百足は甲斐の大将に駆け寄る使い番
正しく我らの一族だ
百足は地の坑道をつくり
金鉱を探し出し
金を取り出す
背に 間歩のあとが
鉱脈のあとがのこっている
いつの間にか
わたしの曲がった脊髄とあばら骨にも
一族のしるしがのこっている
百足は
毘沙門天の守り神
お前の授かっていたものを
地上に現わし 旗をひるがえす
いまさら何を伝える
地中に通じさせるものが
地上の耳走りとなって
馬を走らせている
地上で 振り返っても
見えはしない
掘り出してきたものを
伝えようとしても 通じはしない
生き抜いてきた
骨が ムカデとなって
地上に這い出してから
走り出してから
伝令が背にのしかかっている
もう間歩の金掘りは
滅亡している
わたしの背負うめじるしは
わたしで途絶えて
ひるがえっている

 「わたしの背中」には「めじるし」がある、という作品ですが、その目印は何かというと「間歩のあと」、「鉱脈のあとがのこっている」ことだ、というわけです。作者の金堀さんはご本名のようで、その金堀≠ノまつわる詩をこれまでも多く書いていますが、今回の作品は「百足」を出してきたところに特色があるように思います。「ムカデ」は金鉱堀りのシンボル、「百足は/毘沙門天の守り神」なのですね。「一族のしるし」に着目したおもしろい作品だと思いました。



詩誌『しけんきゅう』150号
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2008.6.1 香川県高松市 しけんきゅう社発行
350円

<目次> 150号記念
<テーマ作品:いのち>
赤ちゃんがやってきた…水野ひかる 2    あつい いき…秋山淳一 4
いのち…かわむらみどり 6         イノチ…ササモトマサキ 8
すな へいたい…くらもちさぶろう 10    マニュアル…さや まりほ 12
<詩作品>
公園…かしはらさとる 18          風の気配…葉山みやこ 20
三人の姫命…秋山淳一 22
<評論・エッセイ等>
やさしい ことば を どう つかう か ラーキンの「たび たち」…くらもちさぶろう 23
猫…かわむらみどり 27
型+血→形(かなもじ論に思う)…さや まりほ 31
「ミラボー橋」のころ…かんだ くじゅうく 34
広場(すくうぇあ)…37



 あつい いき/秋山淳一

ちきゅうの くるしい いきづかいがきこえる
とおくから ちかくから
ちきゅうの あついいきが
ふうふう
ふうふうと
はきだされている

なんきょくの てっペんにたって
みなみじゅうじせいを みていれば
ちきゅうのいきづかいが はっきりときこえる
きこえてくるんだよ
けっして ペんぎんたちの あえぎごえではない

びょうきのこどもが ねつにうかされているように
とおくから ちかくから
ちきゅうの あついいきが
ふうふう
ふうふうと
はきだされている

はやく
はやく
こおりまくらを あててあげないと
ちきゅうは しんでしまう
しろくま あざらし くじら にんげん さんご
みんないっしょに しんでしまうよ

でも
わたしは
あたたかな えあこんのくうきに
うとうとしながら
いつか
ちきゅうのいきづかいが
しずかに きえてしまうのを
ただ だまって
まっている

みみをふさいで
まっている

 150号記念号です。おめでとうございます。今号のテーマ作品は「いのち」となっていまして、そこから「あつい いき」を紹介してみました。地球の温暖化は言われだして久しいのですが、「ちきゅうの あついいき」と表現した作品は、おそらく初めてではないでしょうか。そんな作品ですが、第5連と最終連は考えさせられます。「でも/わたしは/あたたかな えあこんのくうきに/うとうと」してしまい、「ちきゅうのいきづかいが/しずかに きえてしまうのを/ただ だまって/まっている」だけ、「みみをふさいで/まっている」だけなんですね。平仮名の表現ですから、表面的にはやさしく感じますけど、その実は激しい憤りを感じさせる作品だと思いました。



   
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