きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.4.25 柿田川




2008.6.3(火)


 夕方、ある大手の自費出版会社から電話があって、詩集の刊行を勧められました。毎度のことなので、いつも通り、「で、いくらくれるの?」。もちろん本来はこちらが支払うという話です。自費出版会社ですから、滅多なことでは企画本を出さないということを判っていながらの、意地悪な返答です。当然、相手は「いや、先生がご負担いただくということで…」と話を持っていくわけですけど、そんな金はないとこちらも当然ことわりました。

 そういう電話や書面での勧誘を年に何度も受けます。出版社が企画して出すというのなら話に乗りますけど、そんなことは一度もありませんでした。詩集が売れるわけはありませんからね。そのたびに「で、いくらくれるの?」とやってきたのですが、今回はちょっと気持ちが緩みました。
 実は1ヶ月ほど前にもその会社から電話があって、「先生の御詩集を図書館で拝見しました。とても良いと思いますので、ぜひ弊社からも出版させてください。つきましては書面で依頼させていただきます」ということだったのです。約束通り書面は来て、作品のどこが良いのか、どういう本にすれば良いか、ということが丁寧に書かれていました。それは誠意にあふれていて、なかなか見ているなと感心していたのです。それを引き継いでの今日の電話でしたから、実はちょっと期待していたのですが、やはりねぇ、先生≠ェ金を出すという話だったわけです。

 でも、丁寧な電話で、作品にもしっかりと踏み込んでいて、金さえあれば出してもいいなと思わせるものでした。あちらは商売ですからその位はあたり前なのかもしれませんが、他社と比べても作品本位なのが判ります。私の詩友の何人もがその会社、仮にB社としましょう、そこから出していて、装幀もしっかりした本になっています。企画本なら絶対に飛びつきますね。
 それにしても日本の詩壇は自費出版だらけ。ひとりよがりの詩集、安直な本は買うけど、ちょっと高度な本には手を出さない日本の読者層、その双方に問題があるのかもしれませんが、後世の人が21世紀の日本をなんと呼ぶか、まあ、楽しみではありますね。



島朝夫氏詩集『供物』
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2008.5.30 東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊 2000円+税

<目次>
供物 6       生け…… 10     幻影孩子 14
幻影紀行 18     ピエタ・ロングニーニ 22
Veronica 28     その日 その火 32  踊る 36
エリ エリ 40    ぬけがら 42     もどる 46
ひとかわ 52     ダンス・マカーブル 56 闇 60
業 64        ひとがた 68     ルシフェル 74
陽炎 78       散る 80       桜紅葉 84
旅へ 88       その姿 92      寂蓼−挽歌− 96
露地の人 100     幻影 104       供物−後日譚− 110
あとがき 114



 供物

黒い海の 浜辺の草むら
細長く黒い草をつんでは
黒い糸を紡ぎ
黒い布を織っている

座り込んでいる独り住まいの小屋を
訪れては
ここは 黄泉の国かと
慌ただしく立ち去り
消えた人々

ごく たまに ゆっくり座る人もいた
織られてゆく黒い布の上に
いつまでも 目を留め
織り上がるのを待つかのように 座っていた
いつの間にか 息をとめていた

織り上がった黒い布で
息絶えた体を包み
黒い海に運ぶ

黒い海の波頭が 砕け
待っていたように
真っ赤な喉を見せている

布にくるんだ亡骸を 波間に浮かべる
真っ赤な波は 供え物を呑み込み
何事も無かったかのよう
黒い海が 水面をゆすっている

小屋に戻って 座り込むと
また 黒い糸を紡ぎ
黒い布を織り続ける のであった

 1920年生まれという大先輩(私の父よりも先輩!)の詩集です。タイトルポエムの「供物」は、「供物−後日譚−」と対になっている作品だと思いますが、ここでは巻頭の「供物」を紹介してみました。「細長く黒い草」による「黒い布」は、そのまま「黄泉の国」のイメージと採ってよいと思います。黒に対比する「真っ赤な喉」、「真っ赤な波」が絵画的な印象も与える作品だと思いました。
 本詩集中の
「その姿」は、すでに拙HPで紹介しています。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて島朝夫詩の硬質な叙情をお楽しみください。



詩と批評POETICA55号
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2008.5.10 東京都豊島区 中島登氏発行 500円

<目次>
聞えますか/新延 拳 666
夢追い人/北森晴美 669
ただスカーフだけさ/チャールズ・ブコウスキー 中島 登訳 672
□恵贈御礼
□東日本ゼミナール(千葉プログラム)
□風信子忌(三月二十九日)にて



 聞こえますか/新延 拳

配達の牛乳壜のぶつかる音が
永劫の暗闇を現実の薄闇に変える
おそろしい妄想も楽しい夢も終わる
目が覚めて昨日の日記を書き足す

  8月十六日(木)晴
 磔刑のように立っているヒマワリが
 眼底に突き刺さる灼熱の午後
 ひかりのおとがきこえるか

 耳鳴りは虚妄であるか
 音が聴こえていることは事実であるようだ
 その音は実在する?
 俺の耳鳴りをお前は聞こえるか
 耳鳴りに別の耳鳴りが重なる
 メタファーとしての耳鳴りは存在しない
 なぜなら耳鳴りはメタファーそのものだから

という昨日のくだりに書き加える

 ああ という声だけがいまでも生きている
 もうだめだよ
 という声をのみこんでいたのだな あのとき

 あきらめはすべての時制の味方である
 と同時に
 この場合主節と従属節の時制の一致は不要である
 あきらめの反意語は本気であるとは本当か
 果たして
 忘却は因果関係の最大の敵・・・だろうか?

 影絵のシルエットがわずかにずれる
 そこから少しずつ時間が滲み出し
 現実が狂い始める
 夕焼けがいつのまにか朝日に

と ここまで書いてきて
問いかけるのも我 答えるのも我だという
自足 天国
否 地獄あるいは自慰
読むのも書くのも我
という自明の事実にまたぶちあたる

どこからかカザルスホールの
イブリー・ギトリスのバイオリン演奏が聞こえてくるような
八十路の男の情熱的独奏
また寝床にもどろうか
暁の夢の中で彷徨うこと
季節が移り変わるように

 「聞えますか」というやさしいタイトルの割りには難しい作品だと思います。現在の「目が覚めて」いる時間と、「昨日の日記」が綯い交ぜになっていることが表面的な難しさの原因でしょうが、それがまた魅力であり詩でしか描けない部分と云えましょう。魅惑されるフレーズは多くあります。「俺の耳鳴りをお前は聞こえるか」、「メタファーとしての耳鳴りは存在しない/なぜなら耳鳴りはメタファーそのものだから」、「問いかけるのも我 答えるのも我だという/自足 天国/否 地獄あるいは自慰」などには痺れますね。最終連の「季節が移り変わるように」という締めもよく効いている作品だと思いました。



詩と散文RAVINE166号
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2008.6.1 京都市左京区
薬師川虹一氏方・
RAVINE社発行 750円

<目次>
詩■『天野大虹作品集 画と詩』より 桜 1
 ※
苗村 和正 光音 2            谷村ヨネ子 ペいじ他 5
藤田 博子 ことばのつぶて 8       成川ムツミ それは 10
牧田 久未 林檎の飛行−林檎の記憶− 15  白川  淑 ご近所さん(い) 18
早川 玲子 山鳥の尾の 25         薬師川虹一 家が建った 28
薬師川虹一 リジア・シムクーテ詩集『輝く風』の内「木々の木霊」より 30
木村 彌一 永遠のどうして 32       藤井 雅人 スフィンクス 34
木村三千子 眼 36             荒賀 憲雄 旅ゆけば 38
並河 文子 一本の香を立て 44       中島 敦子 うぐいす 46
村田 辰夫 ふぁび−人形とかいう縫いぐるみ 48
堤  愛子 花筏 52            名古きよえ 移住者 55
山本由美子 よちよち歩き 58        中井不二男 一万歩 60
ヤエ・チャクラワティ 私の新しい異国 64  石内 秀典 旗 67
詩集評■
北垣宗治 村田辰夫詩集『詩賛・大津絵』とT・S・エリオット 51
中井 清 堤愛子詩集『吹き過ぎる風の中で』の魅力 54
同人語■
古家  晶 市電を買った話 21       牧田 久末 詩と猫 22
藤田 博子 赤ちゃんポストの起源をたずねて 23
藤井 雅人 二十一世紀と京都 24
エッセイほか■
乾   宏 天野隆一先生へのお詫びと憶い出すこと12
薬師川虹一 第十回ヨーロッパ諸言語による国際作家会議に参加して(4) 40
福田 泰彦 月日かさなり、年経し後は、……]T 69
村岡 辰夫 T・Sエリオット詩句・賛(34) 74
荒賀 憲雄 路地の奥の小さな宇宙−天野忠襍記(十六最終回) 76
<表紙>『天野大虹作品集 画と詩』より「白い船」(1933)



 移住者/名古きよえ

丘の上の一軒家には 山仕事をする滝野さんが住んでいた
他所から来たので 腰低う暮らしている夫婦だった
私が八歳の頃 滝野のおばさんは
 「まだかいのう いつになったらかえるのやろ」と
私の家に来ては 母に訴えていた
戦争が終わって一人息子の帰りを待っているのだった

諦めて人は何も言わなくなり
両親も亡くなった空き家に
突然 息子の士郎さんが帰ってきた
士郎さんはおとなしく気さくに振舞った
お嫁さんは誰がなる?と 村の話題になり
隣村から来た桃子さんは
 『おしゃべりやけど人に好かれ』 て 働き者で
子どもは三人つづけて生まれた

士郎さんは冬になると山仕事が無くて
器用に竹細工をしながら 歌を唄っていた
村の青年はほとんど戦死して
自分だけ唄うのは気が引けたけれど
一曲唄いだすと止まらなかった
 「どこの歌やろ 面白い声を出すなあ」

士郎さんは沖縄から帰ってきたのだった
普段は口数が少ない人で 戦争の話はしなかったが
沖縄の歌は 宴会のときなど歌って喜ばれた
みんな珍しいと何回も聞いたという
もう他所から来た人だと だれも忘れるくらい村の人になっていた

士郎さんが亡くなった
私は『士郎さんに妹のように遊んでもらった』と姉から聞いた
そういえば「女の子が出来た」と我が家に来て
 名前は私と同じにすると母に云っていた
弾んだ彼の声を 私は思い出す

 戦後60年がギュッと詰まったような作品だと思います。「他所から来た」人の「腰低う暮らしている」様子や、「もう他所から来た人だと だれも忘れるくらい村の人になっていた」経緯が分かって、村での暮らしにも興味を覚えます。「士郎さん」の人間性もよく出ていると云えるでしょう。特に「沖縄から帰ってきた」というフレーズが効いていて、「戦争の話はしなかった」ことに、逆に沖縄戦のひどさを感じてしまいます。「士郎さん」を通した庶民から見た戦後史と思った作品です。



   
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